小泊海岸森林鉄道 第三回

青森県北津軽郡中泊町
探索日 2006.11.4
公開日 2007.1.22

第3の区間 七ツ石区間 前編

国道と離れ、海岸軌道へ


周辺地図

 起点傾り石より約5.5kmの地点に「道の駅こどまり」がある。
かつてここには折腰内という小漁村があったようだが、現在は沢の名に残るのみだ。
 さて、起点からここまでついては、前回までに紹介してきた七ツ滝付近と青岩前後を除いて殆どの軌道跡が国道として利用されているが、この折腰内から終点の小泊港付近までの2.2kmについては国道と軌道跡が大きく離れる。
ちょうど国道と軌道跡との間には海抜186mの三角山が立ち上がっていて、あくまでも丁寧に海岸線をトレースした林鉄と、内陸に峠を設けて越える国道とは、設計思想に大きな違いを見せている。
それはまさに、鉄道と道路の違いと言っても良いだろう。

 だが、そこにはもう一つの理由もあった。
短距離で結ばれた海岸の軌道跡を後世の国道が再利用できなかった、理由ワケ…。

 小泊海岸林道、そのハイライトシーンは、ここから静かに始まる。



 青岩の探索を殆ど無収穫に終えた一行だが、気落ちしている時間も惜しいとばかり本路線最後の探索区間へと車を向けた。
青岩から道の駅までは2.5kmほどであるが、元軌道とは思えない快適な2車線舗装路が続いている。
新しいロックシェッドも設置されており、今後もこの道の観光ルートとしての地位は揺るがなそうだ。
車窓の、最果てらしい掠れた色の海岸風景が、旅情を掻き立てずにはおかない。



 道の駅こどまりに到着。
この日は休日だったが、広い駐車場に人影はまばらだ。
我々はここから軌道跡を、七ツ石という名前の付いた岬(写真に写っている岬だ)を回り込みその反対側の小泊港まで行く予定だ。
想定される距離は約2.2kmであったが、往復の時間消費を抑えるため、予め小泊港側へも車を取り回して置く工夫を忘れなかった。

 そんな諸々の下準備が整って、この道の駅を出発したのは午前9時40分を少し回った頃だった。
ここから見る限り、七ツ石区間は比較的穏やかな軌道跡と想像されるが、岬の手前あたりから港までは、現行版の地形図において一本の点線さえ描かれていない。
それほどに荒廃しているというのだろうか?



 折腰内沢がさらさらと海に注ぐ穏やかな湾内には、現在は道の駅と無人のキャンプ場があるだけだ。
集落があってもておかしくない地形だが、小泊から竜飛岬までの十数キロの海岸線に定住する人は、もういない。

 そんな寂寞とした砂浜に、大袈裟と思えるスロープが設置されていた。
上にある道の駅の公園路から砂浜に下りるためのバリアフリーの通路であろうが、結局下に下りて砂浜というのでは…車椅子にとって優しくないような気も。



 道の駅から軌道跡に重なって続く遊歩道。
振り返ると、そこには津軽半島の終末へ続く遠大な風景が一望にあった。
その壮大な眺めに思わず溜め息がこぼれる。

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 化粧タイルの埋め込まれた素晴らしい歩道は、長続きしなかった。
もとより七ツ石まで整備するつもりもないようで、道の駅やキャンプ場の中の公園道路だったようだ。
徐々に国道からは離れ、波の音と、何処かから時折聞こえて来るモーターの音(おそらく漁船の音だろう)だけをBGMにした、混ざりっ気のない軌道歩きが始まる。

 写真左の斜面に沿って続くラインが、軌道跡である。
間もなく我々は軌道跡に復帰した。



 視界の半分から陸地が完全に消え、かわりに碧海が広がる。
昭和46年まで小さなガソリンカーが数両のトロッコを牽きながら駆け抜けた道も、いまは少し幅の広い歩道となっていた。
観光化されておらず、とても気持ちがよい。
一行は、楽しく談笑しながらここを進んでいった。



 道の駅から500mほど歩くと、軌道跡に近接して一軒の小屋が現れた。
ここの主のものらしいカブが停められていて、辺りには新しい薪がたくさん積まれている。
今も現役で使われている漁師小屋のようだ。

 だが、この小屋の出現によって、行く手の状況は予想外の展開を見せ始めることとなる。
穏やかだった軌道跡が、徐々に危難の道へ変貌を遂げていく。



 漁師小屋への通路という、軌道跡唯一の現在的利用目的を全うした事により、道はその本来あるべき状況を見せ始めたのである。
そこは背丈よりも深いススキとアワダチソウの叢と化し、本来は平坦なはずの路盤だが、最大限に足を上げて歩かねばならなくなる。
一気に進行のペースは鈍り、10mほど下方にずっと続く平坦な磯が羨ましくなる。
どこか機会を見つけて下にエスケープしたいと思ったが、薮による視界不良と、僅かな軌道跡の名残りに引き留められ、結局、次の転機が現れるまで藪を掻き分け進んだのであった。



 午前9時55分、突如視界が開けたと思うと、路盤は中空へ消えていた。
そこは、規模の大きな橋の跡地だった。
三角山から流れ落ちてくる沢の水は少ないが、その幅は意外に広くて、嫌でも海岸に下りて進まざるを得なくなった。
我々が下った先の磯では、ちょうど一人のお爺さんが背負子に溢れんばかり枯木を積んで歩いていた。
おそらくは先ほどの小屋の主と思われる。寡黙で仙人のようなご老人であった。



 河口部から見た無名の沢の無名橋。
この長さから考えて途中に橋桁が必ずあったはずだが、その痕跡はない。
現在残っているのはコンクリートと丸石で造られた一対の橋台のみである。



 一度は海岸に下った我々。
そのまま磯を歩いた方が全然楽だし早そうに思えた。
実際、我々の間でもどちらの進路を取るか議論になったのだが、自衛官氏がこの写真の手摺りを発見。
私の目には最初ただの倒木に映っていたのだが、彼の指摘でよく見てみると、それは紛れもない木製の手摺りであった。
しかも、足下にはやはり木製の階段が隠れていた。
この発見によって、我々は再び軌道跡へ戻ることになった。
橋跡からは数メートルの地点だ。



 手摺りに倣って軌道跡の平場まで登ると、そこには朽ちた立て札があった。
支柱はすかすかに痩せ細り、書かれた文字も殆ど掠れていたが、辛うじて読み取ることが出来た。

←500M 折腰内
     三角山頂上 1440M→

 それは、地形図にも描かれている三角山登山道の案内板の姿だった。
だが、ここから山側へ登っていく道は確認できず、軌道跡もろとも登山道も廃の道を歩んでいるようだった。



 ちょうどこのあたりで道の駅から800mほど。
岬の先端の七つ石と呼ばれる場所は近い。
だが、再び始まった猛烈なブッシュが我々の行く手を阻んだ。



 岬の突端で軌道が最高所に達するであろう事は想像に難くないが、現に、スタート地点から見ればかなり登っている。
もはや容易には磯に下る事も出来ない。
その路肩には、薮に埋もれた石垣が存在していた。

 石垣の直ぐ先にはカーブが現れた。
それは、いよいよ岬の突端を回り込むカーブのようだった。



 そのカーブを曲がると、全く予期せぬ光景が現れた。
まるで、昔話に出てくる鬼の城か魔物の窟。
天を突き刺す巨大な岩峰が、海岸線から真っ直ぐに立ち上がっていたのである!

 私は、「見てしまった!」という表情で仲間達に振り返ると、仲間達も「!」な顔をしていた。
岩峰の麓へ辿り着くだけでも酷いススキ薮を越えねばならないが、更にその先に、向こう側へと突破できるルートは存在するのだろうか?!

 急転直下。

薮深きと雖も景色的には穏やかだった海岸軌道が、深山の険谷にも匹敵する難路となって立ちはだかる!!



 岩燕でもなければこんな岩場に寄りつくまい。
その姿は、まさに鬼岩城とでも呼びたくなるような圧倒的迫力!
直立100m近い超弩級の大岩である。

 私の視線は、この大岩の重力から逃れられなかった。
一体どれほどの年月を経て、このような造形物が地上に現れたというのか。
海上よりの他には、この軌道跡以外に辿り着く術のない、観光ガイドに決して載らぬ景勝の地である。



 そして、ここが岬の突端であった。
背後の巨岩の巌とうって変わって、海の景色は穏やかである。
七ツ石というのは背後の大岩のことではなく、この沖に浮かぶ岩礁群を指すようだ。
写真にも白い波濤が映っているが、その辺りが岩礁であろう。
漁船がかなりの速度で通り過ぎていくのが見えた。



 そして、その安否が非常に気がかりだった軌道跡であるが、辛うじて!
辛うじて道はあった!

 だが…

ヘルメットを被ってくるんだったな……。
それでなくても転落の危険も少なくない、細き岩場の道だ。

一同は、興奮と言いしれぬ恐怖を胸に険路へと挑んでいった。






 荒々しい岩場に身を寄せ、
一列になって恐る恐ると辿る、
絶海の“森林鉄道”跡

 くじ氏の、
そのはにかんだ笑顔の先にあるものとは?!


   次話、いよいよ最終回!!