私が今回「光明電鉄」の探索に赴いたのは、読者さんから寄せられた1本の隧道発見情報のためだった。
情報をお寄せいただいたのはTOMO氏。
彼は今から15年ほど前に、光明電鉄の未成に終わった区間(二俣町〜船明間)を調べていて、1本の廃隧道。記録によれば「大谷隧道」とされているものを、道無き山中で自ら見つけ出したというのだ。
そしてそれは、その後の『鉄道廃線跡を歩くU』(以下『鉄歩』)や、ネット上の個人による探索レポートでも取り上げられていないというのだ。
「前編」で紹介したとおり、資金難から短命に終わった光明電気鉄道には、未成に終わった区間がある。
それは、二俣町二俣(現:浜松市天竜区二俣町)から光明村船明(現:天竜区船明(ふなぎら))までの、直線にして約3kmの区間である。
船明は、天竜川が重々たる山岳から平野へと解放される最初の地点にあたり、古くから林産物や鉱産物の水運基地として栄えた場所だった。
ここまで線路を延ばすことが出来れば、天竜川水運と東海道本線をバイパスする電鉄の貨物収入は飛躍的に増大し、危機的な財政状況も回復すると見込まれていた。
そもそも光明電鉄という会社名も、終点の光明村から名付けられたものに他ならなかった。
それゆえ、昭和11年に電気代未払いによる送電停止から運転休止をやむなくされる直前まで、断続的にではあるが、延伸工事が行われていたというのだ。
『鉄歩』には、この未成区間についてたった2行だが、次のように書かれている。
「未開業区間はトンネルが完成しただけで終わったという。」
どうやら、確かに隧道は完成していたらしい。
さて、15年前には確かに存在した「大谷隧道」だが、それはどこにあったのだろう。
ものは未成であっただけに、今の地図に隧道は描かれていない。
TOMO氏の情報にも、詳細な位置については触れられていなかった。さほど分かりにくい場所ではないということであったが、土地勘のまったくと言っていいほど無い私に、それを見つけ出すことが出来るだろうか。
私はじっくりと地図を眺めた。
船明は四方を天竜川と小高い山に囲まれた小さな平地で、二俣側から進入するには必ず山を越えなければならない。
そのなかでも、どこに隧道を掘ったら一番効率的に船明を目指せるかということを、自分が技師になったつもりで考えてみた。
最有力候補は、現在の国道152号が通っているルートだ。ここの鞍部が最も低いし、開業区間の終点である二俣町駅が北東向きであったこととも合致する。
後の国鉄佐久間線もここを通ろうとしていた。
次いで天竜区役所から真っ直ぐ北を目指すルートで、これが最短距離になる。
しかし、現在では市街化が進んだエリアを縦断しなければならず、資金難にあえいでいた光明電鉄がここを買収できたかという疑問が残る。
もう一つは天竜川沿いを船明へ向かうルートだが、これは峠越えがないのと、二俣町駅の方向と反対になるので早々に除外した。
しかし、意外なヒントからルートを一つに絞ることが出来た。
それは、TOMO氏が教えてくれた「大谷隧道」という名前だ。
国道152号のルートでは、大谷地区を通らないのである。
大谷を縦貫して船明へ向かうルートは、一本しかない!