外房線旧線 久保隧道

公開日 2011. 2.2
探索日 2009.3.19


平成21年1月に2146氏から頂戴した情報によると…

外房線の浪花〜御宿間に、現在線のトンネルと平行する形で使用されていないトンネルがあります。複線化の未成トンネルなのか、旧トンネルなのか…。御宿側抗口は車窓や付近の陸橋やからよく見えるのですが、浪花側は現在線が切り通し区間であるため貫通しているかは確認できませんでした。

とのことである。
ネット上にはこれといった情報が無さそうだったので、外房探索の途中に寄り道してみたのがこの記録である。

2146さま、ありがとうございましたm(_ _)m




【広域地図(マピオン)】

情報では「外房線の浪花〜御宿間」のトンネルということだけだったが、地図を見るとこの駅間にはトンネルはひとつしか無く、場所の特定に苦労はしなかった。

ちょうどそこは御宿町といすみ市の境で、外房線は国道128号とその旧道の間を切り通しとトンネルで通過しているようだ。
旧国道からトンネル北口へのアクセスが早そうである。
もとより旧国道巡りの途中だったので、寄り道としても無駄がなかった。

探索は御宿方向からいすみ側へ、新旧道分岐地点より始める。





旧隧道か、未成トンネルか?



2009/3/19 15:09

温泉と月の砂漠(海岸)で有名な御宿の中心部から国道128号を東へ約1km。
早くも町の境をなす小高い丘が、前方に見えてきた。

現在の国道はこれを意に介さぬふうで三連続のトンネルを直線に穿ち、いすみ市(旧大原町)へ通じている。
昭和38年に旧道となった道は、一本目の鳥止トンネルの500mほど手前で左に入る。




1.5車線の典型的な旧国道風景である。

旧道に入って少し行くと、外房線を跨線橋で越える。
荷重と幅の規制標識があるが、特に危うい感じの跨線橋ではない。

そしてこの跨線橋上からいすみ側を見晴らすと、読者さんの教えてくれた“問題の眺め”がある。



15:06 《現在地》

あれが目指す「久保隧道」である。

国道が三本のトンネルで抜けている山を、もっと低い位置に掘られた一本で抜けていく。
地図読みの長さは300mくらいで特別に長いわけではないが、山とトンネルの位置関係が明瞭で、見ていてきもちがいい。

そして肝心の「使用されていないトンネル」だが…、

確かにある。

思いのほか、目立っている。

現在使われているトンネルは、落石覆いを延長したようで四角い断面をしているが、そのすぐ南側に隣接して、単線断面の丸いトンネルが見える。
情報提供者さんが「未成か」と疑っているのも納得で、確かにそんなに古いトンネルには見えない感じがする。



跨線橋から久保隧道までは200mほど離れており、線路端を歩くには少々長すぎるので、当初の計画通り反対側のいすみ側坑口へ先回りすることにした。
跨線橋の先の旧国道は緩やかな登り坂となり、わずかに民家も見られる。
現在は御宿町道なのだろう。




町境の旧国道脇。
いかにもな立地に、「御宿町火葬場」と銘板の掲げられた建物があった。
今は廃虚同然のようである。

ここまで来ると、峠はすぐそこだ。




15:09 《現在地》

汗の一粒を垂らすまもなく、峠に着いた。とても深い切り通しである。
昔は隧道だったのではないかと疑いたくなるレベルだが、私の知る限りそう言う情報はない。

ここから先は、平成17年に千葉県34番目の市として誕生した“いすみ”の市域となる。




スポンサーリンク
ちょっとだけ!ヨッキれんの宣伝。
前作から1年、満を持して第2弾が登場!3割増しの超ビックボリュームで、ヨッキれんが認める「伝説の道」を大攻略! 「山さ行がねが」書籍化第1弾!過去の名作が完全リライトで甦る!まだ誰も読んだことの無い新ネタもあるぜ! 道路の制度や仕組みを知れば、山行がはもっと楽しい。私が書いた「道路の解説本」を、山行がのお供にどうぞ。


100mほどの長い切り通しを抜けきると、視界が開けてくる。
そして右側にススキに覆われた窪地のような地形が広がっているが、その底を外房線が通過している。
ススキの背丈が高く、そのつもりでいないと気付かないこともあるだろう。

今回目的地へのアプローチポイントは、ここだ。




ガードレールから身を乗り出してススキの斜面を見通すと、わずかに四角い坑門が見えた。
藪が深く線路自体は見えないが、あれは現在使われている久保隧道の北口である。
「浪花側は現在線が切り通し区間であるため貫通しているかは確認できませんでした」という情報通り、今のところ別の坑門は見えないし、存在するのかも明らかでない。
どうやら旧道から目視することは無理なようなので、今ひとつ場所が分からないまま、とりあえず藪を掻き分けて現在線に出てみることにした。
入山開始!




ワシャワシャワシャ…

背丈くらいの深さがある藪をワシャワシャ掻き分けて5mほど進むと、バッと現在線が現れた。
数メートルの段差があり、これを下りないと先へ進むことは出来ないが、まあ何とかなりそう。
もう少し保線用通路的なモノの存在を期待していたが、そう言うのはあたりに見あたらない。

そして、ここまで来て遂に見えた。

目指す坑門の一部が。

どうやらそこへ続く“路盤”は、存在しないように見える。
埋め戻したのでない限り、未成線なのか?
あと、向かいの斜面の上には現国道のガードレールも見えている。
向こう側から下りてくると線路を横断しないで済むが、藪の深さと突き抜けるべき距離は格段に長いので…。





線路をゴニョゴニョして、ようやく目指す坑門と正対する。

近いと思ったからこのアプローチを選んだのに、意外に遠い。
というか、藪が濃い

そのために、地面の状況がどうなっているのかよく分からない。




何なんだろう。この坑門。

南口もそうだが、やはりそう古いものでは無さそうだ。

確か、外房線のこの区間が最初に開通したのは大正初期であるはずで、この坑門は不釣り合いだ。
(“房総”線の大原〜勝浦間開通は大正2年である)
情報提供者さんも書いていたが、複線化の未成トンネルかもしれない。

また、坑口前の20mくらいは道床の高さまで地面が掘り下げられており、周囲から見ると窪地になっている。
水が溜まっていないのが不思議だが、水抜きがどこかにあるのか。
また、この位置から右に体を向けると、50mくらい先のやや低い位置に現在線の坑門が見えるが、写真を撮るのを忘れていた。

あと、この窪地の周囲はもの凄いイバラの藪で… 正直つらかった。
もう行きたいとは思えないレベル。




15:17 《現在地》

来ていたジャケットに痛恨の穴を穿ちながら(涙)、坑口前に到着!

両側の坑口がこうして完成している以上、おそらく貫通はしていると思われるが、向こう側の光は見えなかった。
カーブしているのか…。 それとも本当に未成なのか…?

どちらにせよ、入って確かめれば済む話である。
が、その前に、無装飾没個性な坑門の周囲をチェックしておこう。




坑門に工事銘板を発見セリ!

新久保トンネル
形式単線一号形
延長345 M
設計東京第一工事局
施工株式会社 錢高組
着手昭和54年3月31日
しゅん工昭和55年9月19日

ということだから、やっぱり全然新しいトンネルだった。
名前から言っても、隣にある久保隧道の新トンネルとして建設されたに違いない。
しかし、昭和55年竣工といえば、この探索時点で29年を経過していたことになる。
銘板があるということは完成もしているはずだが、なぜ使われていないのだろう。





それでは続いて洞内へ。

風が吹き抜けている。




何の変哲もないだろうと思っていた洞内だが、さっそく見慣れぬものに目をひかれた。

コンクリート製の洞床に一定の間隔で築かれた、風呂場で使う椅子(?)のような出っぱり。
これはなんだろう?

そういえば、このトンネルにはまだバラストが敷かれていない。
バラストを敷くとこれらの出っぱりは完全に埋没するはずだ。
単にバラスト(道床)が滑らないようにする、ストッパー的なものなのだろうか。

この隧道はバラスト道床ではなく、スラブ道床にする予定だったようです。そしてこの出っぱりは、スラブ道床(コンクリートの板)を固定するためのものです。【参考画像(外部サイト)】



これは天井。

架線を取り付けるための準備施設ではないかと思うが、こういう凹みを意識してみたのも初めてだ。
そしてこの凹みも数十メートルおきにいくつもあったが、その中にはコウモリたちが身を寄せ合って越冬しているものもあった。
房総だといくらでも彼らが安心できそうな隧道はありそうなのに、わざわざ冷たいコンクリートに張り付いている理由は不明である。

そんなことにまで理由を求められたら、コウモリも息が詰まっちゃうな。




出口が近付いてきた。

洞内は緩やかに右へカーブしており、入口から見通せなかったのはそのせいである。

柔らかな西日が射し込み、煉瓦や石に比べればもとより寒々として見えるコンクリートの壁を、薄明るく照らしていた。


トンネル自体にはなんら問題がありそうには見えないのに、こうしてほとんど完成しているというのに…。

お前が眠り続けているのは、なぜなんだ。

その答えは、実踏調査だけでは明らかになりそうもない…。




長さ345mの新久保トンネルを通り抜け、最初に見えた御宿側の坑口に到達した。

こちらも坑門の作りなどはいすみ側と全く同じで、現在線との間に猛烈な藪が立ちはだかっているのも一緒。
余りに藪が深く、隣にある現在線も、遠くの跨線橋を見通すことも出来ない。

これ以上先へ進むことは出来ないし、仮に進んでもそれは現在線に平行するだけなので、大人しく洞内へ引き返した。

そして、この小さな探索を終えた。





昭和55年完成という新久保トンネルの正体だが、

外房線の複線化準備施設ということで、ほぼ間違いなさそうだ。


現在は外房線(千葉〜安房鴨川、93.3km)のうち、右図で赤く示した区間が複線化されている。
区間ごとの細かい年度は省くが、大雑把に言うと千葉〜上総一ノ宮の複線化は、昭和35年から55年の間に順次完成している。
そしてだいぶ遅れて、平成7年に御宿〜勝浦間が、翌平成8年に東浪見(とらみ)〜長者町間が複線化を果たした。
だが、複線化の進展はそこで止まっている。

しかし『日本鉄道請負業史 昭和(後期)篇』を読むと、国鉄は千葉〜勝浦間を全て複線化する計画でいたことが分かる。
それによると、永田〜勝浦間(46km)の複線化が昭和50年5月に運輸大臣の認可を受けており、中でも優先的に永田〜上総一ノ宮間と御宿〜勝浦間を着工した。
そしてこの2区間の工事は、昭和55年に竣功したとある。
ということは、平成7年まで御宿〜勝浦間にも、新久保トンネルのような未使用の新トンネルが存在していたと思われる。

浪花〜御宿間での複線化工事について個別には触れていないが、昭和50年に事業認可を受けているのは事実であり、実際に銘板に昭和55年竣工とあったことから考えても、この区間でも複線化の工事は進められたのだろう。
(業界紙「トンネルと地下」の12号に収録されている「泥岩地帯におけるNATM 外房線のトンネル群」という記事の抄録をネットで読むことが出来るが、そこには「国鉄では現在,外房線永田-勝浦間の複線化工事を施工中であり,その一環として6ケ所の単線トンネルを新設したが,軟岩トンネルでの施工性をは握する意味から,新新宮及び新久保トンネルにNATM工法を全面的に採用した」とある)

しかしトンネルが完成したところで(何らかの判断から)工事は中止され、さらに国鉄→JRの変動の中で外房線の複線化事業自体が停滞しているものと想像できる。


…ということで一旦決着しかかったのだが、ひとつ捨て置けない情報がある。

鉄道廃線跡を歩く〈8〉』巻末のお馴染み「全国線路変更区間一覧」には次のように掲載されているのだ。

外房線浪花〜御宿S55.09<変更理由>将来の複線化、久保T廃止 現在は旧T改築し旧ルートへ変更<備考>新久保T新設(新Tは休止中)

<変更理由>欄を読むと、将来の複線化のため新久保トンネルを掘った、というところまでは問題ないが、一時期は新トンネルで運転が行われ、その間に旧隧道の補修を行って、それが済んでから再び旧隧道での運転に戻ったという感じにとれる。

しかし、現状を見る限りこの可能性はかなり疑わしい。
新トンネルは確かに貫通しているが、現在線の路盤との間に未掘削の地盤がある。
さらに昭和47年に当区間は電化していたので、旧線の代わりに使うためには架線をしなければならない。だがその痕跡もない。
確かに大正2年生まれの旧隧道は補修されたであろうが、活線のまま補修した可能性が高いと思う。
しかし、これが全く使われなかった隧道だとなると、「タイトルがウソ」になっちゃうな…。でも、タイトルを変更すると激しくネタバレする…笑

昭和55年頃に外房線に乗ったことのある人。
どちらのトンネルを通っていたか、記憶にございませんか?


外房には、未だに高速道路がない。
それだけに、外房線の存在感はまだまだ強いものがある。
まだまだこの新トンネルが日の目を見るチャンスはあると思うし、そうしてあげて。JRさん。