廃線レポート  
真室川森林軌道  その3
2004.1.27



 収穫の薄い放浪の果てに遂に掴んだ軌道の一端。

もう、二度と離しはしない!
そう息巻く私の脳裏に、麓の老人の不気味な言葉がよぎる。

 「素人さんには、あの軌道は辿れないぞ。」

私の行く手には、一体何が待ち受けていると言うのだろうか。


廃軌道を追って
2003.12.3 11:27


 チャリを林道脇に置いて、軌道跡へと踏み込んだ。
もうチャリを捨てるのか、こらえ性の無い奴めと思われるかもしれないが、私も計算高くなってきた。
もう、“チャリ馬鹿”では無いのだ、多分。
私がこれから挑む区間は、少なく見積もっても2km以上はあるだろう。
その途中には、未知の隧道が一本存在するはずだ。
ここから見える軌道跡は、どう見ても廃道。というか、車道に転用された形跡も無いような…。
この先にチャリを持ち込むと言うことは、通れるか分からない隧道、またその前後の部分のどの一点でもチャリを通せなくなったら引き返しとなると言うリスクを背負うわけだ。
そして、引き返す場合は、チャリも一緒に、と言うことになる。
藪でチャリ押しをすることの時間的・体力的なロスを考慮した結果の、早々たるチャリ放棄なのである。
まあ、万が一通り抜けてしまった場合は、今度はチャリを取りに引き返すと言う大きな無駄が生じるわけであり、この辺は駆け引きだ。



 チャリ放棄と言う自身の判断は、早速正解と感じられた。
なぜなら、藪の中の浅い掘割を進むこと100m足らずで、早くも軌道跡が消えたからだ。
しかも、明らかに人為的な破壊だ。
なんなんだ、この場違いな石垣は。
上を見上げてみると、林道の姿が。
どうもこれは、林道の路肩を守るための治山施工らしい。

この小さな沢を渡る部分の軌道跡はこのおかげで完全に消失していたばかりか、見た目以上に急で深い谷に早くも悪戦苦闘する羽目に。
もうこの段階で、軌道跡を見失う恐れがたぶんにあった。
老人の言葉が再び蘇る。


 何とか対岸に軌道跡を発見した。
しかし、雑木林の中でも日当たりが良い場所は猛烈な笹薮と化している。
それは、軌道跡の浅い掘割も、また小さな盛土も、容赦なく呑み込んでいる。
完全にチャリを放棄してきたことを正解と確信したが、それはそうと、道を失わないように慎重に進まねば、迷う。

地形的に緩やかなのも、軌道跡を見失いやすい要因である。
初冬に於いてもこの有様…本軌道は廃止後殆ど手付かずなのか。
しかし、枕木やバラストはおろか、人工物は何も見当らない。
地形の凹凸からそれと分かるだけの軌道跡が続く。


 少し右側に急な斜面が現れたかと思うと、僅かな路盤跡は背丈よりも高い土砂崩れによって跡形もなくなっていた。
この土山のどこにこんな巨大な岩塊が眠っていたのかと驚くほどの巨石の山。
写真では比較的容易に脇を突破出来そうに見えるが、実はここが難所だった。
この部分の路盤は左に見える笹原から2mくらい高い位置にあり、そこを落石が完全に埋めているのだ。
笹原は水深ならぬ“笹深”が背丈ほどもあり、ちょっと降りたくは無い。
そんなわけで、岩石によじ登り、岩塊を跨ぎ、絡みつくツタに苦労しながら、やっと突破。

ほんの5m進むのに、2分くらい掛かった。
たかが2分と言え、帰りのことも考えると…憂鬱だ。


 いつ掻き消えても不思議の無いような痕跡を辿って行くと、森の様子が変化した。
明るい雑木林から、深い森に舞台は移る。
全ての葉を落とした森は、妙に寒々としている。
左手には深い谷が現れ、そこから枝分かれした支沢が幾筋も軌道跡にぶつかってくる。
そして、その度に軌道は大きく斜面を迂回するのだ。
沢を跨ぐ部分には、橋のようなものは何にも残っていなかった。


 徐々に険しさを増していく道中。
相変らず、笹を主体とした藪は深く行く手を遮る。
軌道跡に生長した幹の太さに、えも言われぬ恐さを感じる。
どこまで行くのか…この軌道。

曇り空の下、深い森の中、荒れ果てた道の上、たった一人の冒険は続く。

入山後、15分経過。


 地形が険しくなるほどに、軌道跡ははっきりとして来た。
斜面を掘って築かれた幅2mほどの道が、等高線に極めて素直に続く。
森はいつの間にか杉の植林地となり、人の活動した痕跡を、森の中に感じることが出来た。

そして私は、老人の予言を突破したと思った。

しかし、明らかに初めの頃より道の様子は良い。
造林作業時には利用されていた形跡もある。
この道はどこへと通じているのだろうか?
峠の隧道を越えて反対側へと通じている期待に、胸が躍った。



林鉄の痕跡
11:50

 小さな沢を渡る部分に、ただ一箇所だけ鮮明な道床が残されていた。
幅1.5mほどの狭い道だが、ただ造林作業道には考えられないような精緻な測量のもとで施工された気配があるではないか。
杉の直線と、道の円弧の奇妙な調和に、心を奪われた。


なお、ブルなども通ったと思われる造林作業道は、この築堤を避け、山肌に沿う迂回路で猛烈な凹凸を晒している。
強度の問題だろうか。



 再び寒々とした森へ。

歩けども、歩けども、一向に峠の気配は無い。
少しずつは登っているのだろうが、ほとんど平坦だ。
こんな様子では、まだまだ隧道などという雰囲気ではない。

が、このとき、終りはすぐ傍まで迫っていた。
入山、30分経過。



 突如視界が開けた。
そして、軌道跡とは明らかに別の道が、出現した。
それは、広々とした若い植林地の尾根に沿って、右手の稜線上へ続いているようだ。
脱出路かもしれない道の出現だが、逆に私は途方にくれてしまった。
なぜならば、その林道らしき道の終点との間には小さな沢が存在しており、そこを渡る道が無いのだ。
いや、強引に渡れないことも無いだろうが、肝心の軌道跡は完全に消失しているのだ。
開けた視界の限り見渡しても、全くそれらしい地形は無い。

ゾッとした、また探索に失敗するのか…?。
あの老人の言葉が、嫌な現実味を持って戻ってきた。



 植林地の一部はススキの荒野と化しており、足元の様子はよく分からない。
微妙な地形の凹凸も判然とせず、果たして、ここに軌道を完全に見失ったのである。

少しでも高所の見晴らしを求め斜面に食らい付く。
振り返ると、ランダムに繰り返される山並みが見渡す限り続いている。
あーあ、軌道跡はどこへ消えてしまったのか?
余りチャリから離れるのも嫌なので、いったんチャリへと戻ろう。
しかし、もう一度だけこの斜面を探してみる。

もしやこの辺に、峰越の隧道があるのではないか?



 そして、そのすぐ傍で決定的に怪しい箇所を、発見したのだった。

そこは、行き止まりの先に急な斜面が稜線まで続いており、しかもその斜面の一部、丁度坑口があったらいいなと思う部分だけ、一本の木も生えていない。

そこまでの軌道跡の方向と高度、それらを考えると尚、ここが失われた坑口では無いかという疑いは強まるのだ。
いや、それはもう確信に近いものがある。
この地中に、全長180mとされる隧道が眠っているのだとしたら、それは悲しい結末だ。
せめて、反対側の坑口だけでも現存することを祈らずに居られない。
以降“3号隧道”と呼ぶこの隧道は、残念ながら、坑口埋没が限りなく疑われる。
それが、人為的なものなのか、自然のものなのかは、分からずじまいだったが。







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