廃線レポート  
真室川森林軌道  その4
2004.1.31



 私は谷地ノ沢と万助川の間を隔てる稜線に直下まで、荒廃した軌道跡を辿り歩いた。
だが、そこに目指す隧道は無かった。
見落としたのか、それとも埋没してしまったのか。

確証の得られぬまま、私はそこをあとにした。
もはや残された時間は、少なくなっていた。

3号隧道の谷地ノ沢側の坑口を発見できなかったので、次のターゲットは同隧道の万助川側の坑口である。


移動
2003.12.3 12:31


 坑口埋没が限りなく疑われた植林地から、軌道跡を戻ること30分。
やっと、愛車の待つ林道まで戻った。
片道約2kmの軌道跡探索であった。

次の目的地は、この稜線を越えた万助川であるが、そこへのアプローチとしては、二つ考えられた。
まずは、今私が立っているこの林道、これを辿っていけば稜線を越えて行けるのでは無いかという憶測だ。
そしてもう一つは、確実な方法として、谷地ノ沢よりも更に来た道を戻り、高坂から緑資源幹線林道を経由して万助川へと越えて行く方法だ。

急がば回れ。
私はその言葉をいつも、後悔しつつ念じることが多い。
今回もやはり…。



 林道は、期待通り稜線に向けて急な登りを開始した。
そして、5分ほどのアルバイトの結果、稜線に到達した。
なんとか、地図に無い道でショートカットが出来そうだ。
そう喜んで、勢い下り始めた。


 下り始めて300m。
私の前に現れたのは、さっき往復一時間も掛けてやっと辿り着いた、あの場所だった。
そして、悲しいことに、林道は植林地で終点を迎えていた。
…それも、さっき見ていたその場所で…。

ああ、私はなんと思慮が足りなかったのだろう。
稜線を越えたなんて浮かれていのもの、馬鹿丸出しだった。

やっぱ、チャリ馬鹿だった。

このタイムロスは、往復20分にも及んだ。



緑資源幹線林道
13:00

 地点まで戻り、今度は緑資源幹線林道と言う名の「広域農道っぽい道」に入った。
これは地図にも太線で描かれているし、間違いが無いだろう。

しかし、今回の真室川軌道の探索は苦労しているな。
に初めて到着してから3時間半を経過して、ほとんど振り出しに戻ってしまった。
いや、それは侮りをもって臨んだ私への、当然の罰だったかもしれない。
探索に許された時間は、あと3時間が限度だ。
少なくとも3本あるはずの隧道を確認したいと言う当初の目的を達成することは、もう限りなく難しくなっていた。



 悪名高い「大規模林道」の成れの果てというからどんな道かと恐れていたが、少なくともこの高坂〜万助川区間については、ただの広域農道である。
幅の広い一車線の舗装路が、里山のアップダウンに身を任せながら、緩やかに稜線を越えて行く。
幸いにして、この区間ではトラブルも無く、無事に万助川の流れを見るに至った。

万助川は、小又川の支流であり、小又川はいずれ鮭川に合流する。



下小又で軌道探し
13:29

 万助川の作った谷の底には細長い耕地が拓かれており、数件の民家が集落を形づくっている。
地形図にも名前の載っていない集落である。
緑資源幹線林道から降りて、万助川沿いに集落を通る狭い舗装路を上流へと走る。
もちろん目指すのは軌道跡だ。

分岐から約500mほど進んだ地点で、対岸の険しい山肌になにやら、道のようなものを発見した。



 拡大写真である。
あなたには、この斜面を横切る軌道跡が見えるだろうか?
結論から言うと、ここに軌道跡があった。

写真の上にマウスカーソルを合わせると、軌道跡と思われる部分がハイライトする。
確認していただきたい。

見つけてしまったからには、あそこへ行くしかない。
しかし、どう見ても…、容易でない。
どうやって近づけば、良いのだろうか?
決して浅く無い万助川を渡る橋も無く、木々も疎らな断崖の中ほどに軌道がある。
どうする。


3号隧道を求めて、再び入山
13:36

 突入と挫折を繰り返してきた今回の探索は、もう皆さんも何がなんだか分からなくなってきたと思うので、一度地図で整理しておく。
の軌道跡探索の末、3号隧道坑口は発見に至らなかったが、坑口の埋没擬定地を特定した。
の林道で、稜線の攻略を企てたが失敗。
の緑資源幹線林道を利用して、へと到達。
そこで、山腹の断崖に軌道らしき痕跡を発見した私は、そこまでのアプローチを求め、結局地点を、突入点に定めたのであった。

ここは、丁度軌道が緑資源幹線林道と交差する部分であり、ここから軌道跡を丹念に辿れば、いずれは3号隧道へも到達できるだろうと、踏んだのである。
幸いにして、全くの予測でここに戻った私だったが、すぐに軌道の痕跡を発見することが出来た。
そして、これが、史上最悪のアプローチの始まりだったのだ。

 マジで。



左、緑資源幹線林道。
右、真室川森林軌道。

誰もこんなところを、右に入る人は無いだろう。
私だって、流石に躊躇した。
チャリは、ここに置いていくことにする。
だって、入り口の段階で、絶対チャリは邪魔になると断言できたもの。

 切通となった軌道跡。
雑木林の中を、落ち葉が深い廃道が、微かに続いている。
そこには、もう人の通っている気配は全く感じられない。
先が、思いやられる。



 入山から100m足らずで、早くもここが軌道跡だと確信できる遺構が出現した。
山側の斜面に続く石垣は、きっと軌道の法面を支えていたものだろう。
もはやそれは地形と一体化し、自然の一部となっているようだ。

しかし、この発見によって、ますます期待は高まった。
これを辿っていけば、きっと坑口へと辿り着ける。
願わくば、埋没していませんように。

荒れてはいるが、所詮は低山の軌道跡。すぐに辿り着けると、たかをくくっていた。
だって、地図上でも1kmほどしかないはずだし…。


 なんなんだこれは!

突如軌道跡は背丈よりも高い葦の原に飲み込まれた。
この展開は意外だったが、切通が多い軌道跡は先ほどから湿地帯っぽくなっており、葦が茂るも不思議は無い。
だが、ここを突破せねば先に進めないと言うのは辛い。
しかし迂回路は無く、周囲の地形が見渡せない状況下では、じたばたせずここを突破するが近道。
そう考えて、覚悟の上進入!

大層うざかったが、ここを突破した。
入山から5分経過。



 成木となった杉の植林地に差し掛かると、いくらか手入れが入っているようで、歩きやすい。
もっとも、地形は壊され、軌道跡は判然としないが、等高線に従って歩くことを心がけた。
それが、軌道を見失わないコツである。

少し進むと、森の中に屋根が見えてきた。
これは、古びた神社で、軌道跡はその裏手を通過している。
無名だが、一応地図にも記載されている。

そして、この先は、本当に人の手が入っていなかった。



 この先は本当に辛かった。
先ほどまでは、一応地形的な凹凸となって軌道の跡が判明していたが、地形が万助川の急峻な河岸に差し掛かると、驚くほど痕跡が無い。
人一人歩ける位の痕跡はあって然るべきだと思うのだが、地形に軌道の痕跡が無いのだ。
しかし、ここを通っていなかったはずも無い。
考えられるのは、侵食によって崩落・消滅したのか、あるいは、急な斜面を避け、軌道は長い桟橋を設けて通過していたのか、だ。

写真には、遥か崖下を流れる万助川の水面が、林の向こうに写っている。
この先は、一歩足を踏み外せば、間違いなく滑落する。


 軌道の痕跡も無い斜面を、そこに生えた木の幹や草の根を頼りに歩いた。
徐々に徐々に目的地には近づいているはずだが、とにかく怖い。
そして、そんな綱渡りなのような探索が長く続くはずも無く、決定的に「不可能」な場面に遭遇してしまう。

垂直に近い崖に、万助川へとまっさかさまへ注ぐ支沢が横断する。
軌道は、ここをどうやって越えていたのだ。
やはり、橋を架けていたと考えるのが自然だが、そんなものはどこにも無い。

沢は浅く渡れないことは無いが、降りてしまったら、もう一度対岸に登れるだろうか?
いや、ここにすら戻ってこれるかも怪しい。
最悪、万助川と崖に阻まれ、完全に孤立する恐れもある。
しかも、斜面はどこも土っぽく湿っており、しかも滑りやすい落ち葉が堆積している。

私の経験は、「無理」という答えを提示してきた。
何か小手先の技が通用するほど、甘くは無い。
無理やりでも突破に賭けるか、断念か。
二つに、ひとつ。


 衝撃的な結末は、次回。






その5へ

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