廃線レポート  
森吉森林鉄道 奥地編 その3
2003.11.8



 決死の歩渉でチャリ共々湖岸の軌道跡に辿りついた。
しかし、真の困難は、これからであった。


 いよいよ、舞台は湖岸へ
2003.10.30 9:31


 謎の穴を後に、小又川の清流を右手に見ながら、かすかに轍が残る軌道跡を進む。
路上には20センチ以上は落ち葉が降り積もり、その下には崖から転げ落ちてきただろう瓦礫が散在している。
部分的に深い轍とあいまって、チャリを漕いで進むには非常に困難な状況である。

だが、チャリと共に来たからには、一応は道の体裁を持つ場所で押し進むなど悔しい。
半ば意地になって、じっくりと漕いで進む。

まもなく、清流に景色に変化が現れた。


 標高300mを超える一帯の紅葉は、もう終わりが近づいていたが、その中にひときわ赤く燃えるようなモミジを見つけ、思わず立ち止まった。
そして、鮮烈な赤の向こう見える白いガードレールは、幾分遠くなっていた。
県道と軌道跡を隔てる小又川は、すでに流れもなくなり、深く淀んだ淵のようになって、太平湖の上端を形成していた。
こうなると、心理的に圧迫感を覚える。
もはや、容易には戻れぬ気がした。



 湖岸を進むと、まもなく見覚えのある鉄塔が現れた。
ただ一本、湖岸に立ち尽くす古びた鉄塔は、ここにかつて軌道があった物言わぬ証人なのか。



湖岸から、隧道へ
9:34

 右手の景色が清流から湖に変わっても、軌道跡の様子に変化は無い。
アップダウンもなく、斜面を切り取って建設されたであろう幅3mほどの道が続く。
そこは、廃止後30年を経過しているとは信じられないほど、よく原形をとどめている。
湖畔の気持ちのよい遊歩道のようでさえある。

相当の難所を覚悟していたが、これはもしや…。
もしや、このまま目的の「湖を渡る鉄橋」まで行けちゃうかもしれない。

…そう考え始めていた。


 静かな様子の太平湖上端付近。
太平湖という名は、当初発電用に森吉ダムを計画していたのが太平鉱業(株)という会社だったことに起因するが、建設工事中に当の社名は三菱金属鉱業(株)と変更されている。

太平湖の湖畔には余り平地というものはなく、殆どがご覧のような際立った断崖となっている。
それ故に、この地が優れたダムの建設地になりえたのであろうが、露出した岩肌に這い蹲るように根を張る杉を見ると、ゾクゾクするような緊張感を覚えた。
それは、いつ己の行く手をそんな景色が遮るのかと言う恐怖感によるものだ。




 これまで一昼夜以上降り続いた雨によってたらされた膨大な水は、豊かな森の保水力をも上回り、軌道脇の崖にも滝となって落ちていた。
幾筋も落ちる滝の大粒の飛沫を浴びながら、先へとすすむ。
スリリングな展開に、テンションが上がってきた。


 そして、その興奮冷めやらぬまま、黒々とした口をあける隧道が、おもむろに出現した。
現在版の地形図では湖畔の軌道跡は完全に抹消されており描かれてはいないが、少し古い図版では、この辺りは本隧道を含め点線で描かれている。
この隧道が、森吉ダムによる軌道付け替え区間のもっとも終点よりにあった物であることは間違いないであろうが、全部で何本の隧道が存在していたのかは、はっきりとは判明しておらず、現時点では仮に「8号隧道」ということにしておく。

それでは、隧道へ接近してみよう。


8号隧道
9:36


 隧道は、比較的よく原型をとどめている。
簡易だがコンクリートで巻かれた坑門と、50mほどの暗がりの向こうに、しっかりと反対側の明かりが見えている。

良かった…

 ここは、通れそうだ…。

隧道での苦い撤退の後だけに、この景色には心底、ホッとした。
短い隧道だが、隧道用の装備を整え、チャリに跨ったまま低速で侵入する。





 案の定、入り口から5mほどで、コンクリートの補強はなくなり、ゴツゴツとした素掘りのままの内壁が現れた。
それでも出口のシルエットが綺麗なのは、やはり出口も同じようにコンクリート巻きになっているからだ。

内部は雨の後という事もありかなりの出水が見られたが、崩壊は殆どなく、現役の隧道と見紛うばかりだ。
路面はよくしまった砂地であり、チャリでの走行に支障は無い。



 橋が潰え、湖畔に隔離されてしまった隧道だが、まだ耐用年数は過ぎていないという印象だ。

いま、本隧道は誕生から50年を経過している。
しかし、そのうち現役だったのは僅かに15年。
様々な土木建築物の中でも、その環境の厳しさゆえ決して耐用年数は長くない“隧道”としても、15年というのは、短かすぎる。
他所の隧道の中には、50年を経てなお現役で活躍する物も少なくない。
もし隧道に意識があったなら、さぞ無念なことだろう。

「いま、私が通るよ。」
無意識のうち、私は、黒い内壁に向かってそう語りかけていたと思う。


 なんとも芳醇な隧道との逢瀬を終え、再び光の元へと戻る。
その先にも、穏やかな廃道が続いていそうだ。
坑門からなだれ込んできた落ち葉が、一面を埋め尽くしていた。

こうして、いつかこの隧道も土に埋もれ消えるのか。


 8号隧道の反対側の坑門の姿は、強烈なインパクトを私に与えた。

人工的に開削したに間違いないだろうが、その坑門は余りにも見事にカットされている。
けっして柔らかな土壌ではなく、見てのとおりの固い岩盤である。
廃止後35年を経て、崩れた痕跡ひとつ無いのもすごい。
一体、当時どのような技術をもって、これほど見事にカットしたのであろうかと、感心してしまった。

レールや枕木こそ完全に撤去されているが、ここの眺めは沿線中最も現役然としており、いまにも、“ガソリン”と呼ばれた小さな機関車が唸りを上げて飛び出してきそうでは無いか。

このとき、私の興奮は最高潮に達していた。

謎の施設
9:42


 湖畔を進むこと700mほど、軌道跡に渡ってから約1.5kmほど進んだ地点に、なにやら奇妙な建物があった。
鋼鉄製のまるでスノーシェルターのような物体が、湖に向けて口をあけており、その先には湖面へと滑り降りるようなコンクリートのスロープが設置されている。

一見して、船舶を係留しておくための施設と思われたが、詳細は不明である。



 軌道跡をさらに進むと、この施設のちょうど背後を通ることになる。
そこからは内部が丸見えなのであるが、別に驚くような景色は無い。
ただ、気になったのは、明らかにこの設備は現役っぽいということ。
もしかしたら、この設備から私が通った歩渉地点までは、年に数度は車輌の往来があるのかもしれない。
根拠は無いが、これまでの道は、ちょっと廃道らしくない廃道だったから。

そして、そんな私の推測を裏付けるような光景が、現れる。



 この変貌はなんだ!
施設を過ぎた瞬間から、軌道跡は突如狂いだした。

いや、これが軌道跡の本来の姿なのだろうが、それにしても、惨い。
先ほどまでは幅3mほどあった道が、今はもう平坦な場所など30cmも無い。
その上、腰ほどの高さに、雪の重みで倒伏しかけた木々の幹が連続しており、チャリを伴って進むことは苦痛以外の何物でもなくなった。
ペダルに絡んでくる笹が憎い。

このような道に変わって、一気に進行の速度は鈍った。
チャリに乗って進めることはなくなり、ただのお荷物と化したそれを、怒りを持って引っ張って歩く。




腐れ廃道
9:46


 一見穏やかそうに見える落ち葉の降り積もる道。
しかし、その実は執拗に罠の張り巡らされた茨の道である。
なぜならば、
1.全体が著しく傾いているので、まともには進めない。
2.落ち葉は多量の倒木と根と瓦礫を隠しており、極めて足場が不安定である。
3.針金のような細い生木が腰より上を邪魔しており、まともに立てない。
ああ、こんな道がいつまで続くのか!



 先ほどまでの場違いピクニック気分は一発で吹き飛び、刑場で刑の執行を待つ囚人のように、畏れ、慄いていた。
もう、道などといえるものはそこには無い。
切り開かれた軌道跡は、再び埋め戻されたかのように、森と同化してしまっている。

ときに、1mを進むのに一分以上を要することもある。
チャリを置いて進みたい気持ちがはちきれんばかりに高まってきたが、私の中の野望は、まだそれを許してはくれなかった。

その野望とは、軌道跡を経由して土沢林道終点部まで進むというものであり、本来は山間を10km以上迂回せねばたどり着けない大杉〜土沢間を短絡する、いかにも踏破マニアが喜びそうなものである。
ただ軌道を探索するだけでも容易ではないのに、チャリが邪魔である。

チャリが、邪魔である!!




 再び、いつ雨を落としても不思議の無い曇天を反映して不吉な色の湖面は、強い東風に漣を立てている。
埋もれた軌道跡には、崩落して何十年が経過しているのか、苔生した岩山に阻まれる部分もある。
やむを得ず湖水ぎりぎりを進むも、不安定な足場を踏み外し湖面に没すれば、そこに這い上がれるような隙は微塵もなく、死の恐怖と隣り合わせだ。

ああ、本当にゾクゾクしてきたゾ。



そして、リタイア?!
9:52


 道は突如分断された。

そこには、橋桁の無い橋脚が二本。
湖に落ち込む深い切れ込みに、ほかに道は無い。
橋脚の下には湖水はなく、小川が湖面に注いでいる。
この橋梁は、多分、6号橋梁ということになるのだろう。

ここを降りることは、不可能ではなさそうだが、果たして、対岸に登ることは出来るだろうか?
いや、それ以前に、一度降りてしまったら、無事に戻ってこれるのだろうか?
いんや、そもそも、チャリをこれ以上運ぶことは、さすがに不可能である。

この崖の向こうに、しっかりとした道があるのだとしても、やはりチャリをそこに乗せることは、如何しても適わない。
もっとも、橋の先には、さらに凶悪な薮が待ち受けているのは明白なのだが…。


 眼下に散在する材木を見るに、橋は木橋だったようだが、老朽化や雪害によって自然落橋したのだろう。

何時いかなる場面においても、引き返すというのは、決して気分のいいものではない。
これだけ苦しめられた道とはいえ、なお、先へと進む術を模索し、しばし辺りを伺ったが、どうやってもチャリを対岸へと進める手段は見つけられなかった。


再び撤退。
悔しいことこの上ないが、ただ、冷静になってみれば、これは幸いだったのかもと思える。
軌道跡は、この先土沢林道の終点まで確かに続いていると見るが、その距離は少なく見積もっても2km以上。
危険極まりないこの道をそれだけ進んで、無事でいられるという気は、いくら楽観的な私にも無い。
全く、無い。

引き返す口実がなければ、ずるずると深みにはまり込み、引き返すことも出来ないような修羅場に落ち込んでいたかもしれないのだ。

何度もいうが、なんと言い訳をしても、なんと合理化しても、悔しい物は悔しい。

二度目の撤退。

森吉森林鉄道が、私に課した二度目の撤退は、重苦しい空気の中、粛々と行われた。



 次回、陸上からの最終アプローチ?!

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