太平湖畔を幾多の隧道と橋梁でもって縦貫していたという森吉森林鉄道跡を追い求めた末に、かつて終点があった杉沢集落跡から、はじめて湖畔へのアプローチに成功した。
しかし、湖畔といっても距離は長く、その中枢である土沢から小又峡を経てダム下流の前回到達点付近までの部分は、いまだ不明なままであった。
なぜならば、大杉と土沢の間にある橋が、完全に落ちてしまっていたためだ。
二度目の撤退を余儀なくされた私に、現時点で可能な最終アプローチ手段ともいえる、土沢付近からのそれが課せられた。
これが駄目なら、ちょっと…、打つ手は無い…。
さて、どうなったのか?!
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