廃線レポート  
森吉森林鉄道跡 探求編 その6
2003.12.20



 切り立つ崖に囲まれた幽玄の湖、太平湖。
その湖畔に、隧道という線と、橋梁という点を繋いで、かつてレールが存在していた。
その名を、森吉森林鉄道といった。

われわれ3人の目的は、失われつつある痕跡を辿り、その全容を、解明することにある。
だが、目的の前に立ちはだかる障害は、大きかった。
自身2度目のチャレンジにして、なおも攻略適わなかった4号隧道。

なれば、もうひとつのチャレンジに、全てを託そう。
未知の領域を挟んで、4号隧道と対峙する一端…5号橋梁である。
湖を跨ぐ廃橋に、男たちが、命を賭ける!

いざ、最終ステージ!!



 土沢へと移動
2003.11.30

 3人は、まだ1号橋梁の傍に止めた車の中にあった。
時刻は午後1時になろうとしていた。
パタ氏の車内で、遅い昼食をとりながら、ここまでの探索を振り返る。
そして、今後について話し合う。
午後4時には日没を迎えるこの季節、ましてこのような悪天では、さらに暗くなるのは早いだろう。
探索に残された時間はかなり差し迫ってきていた。
しかも、われわれは、先程の“敗走”において、大事な道具を山中に取り残してきた。
2本のスコップと、1本のツルハシである。

まずは、それをとりに戻ることが先決である。
置き忘れも、故意であれば、ゴミを棄てていることとなんら変わらないのだから。

やや早足で、再び一号橋梁を渡り、最短のコースでブル道を辿り、回収を完了!



 こうして、やっと我々が移動を開始したのは、14時15分過ぎだった。
パタ氏の運転するジムニーの助手席に私、山岳道路を軽快かつ快調に駆け抜けるその手腕に、ほれぼれ。
その後方を、HAMAMI氏のアコードが追走してくる。
約2ヶ月前に、私がヒーコラいいながら越えた太平湖畔の峠を、あれよあれよと通り過ぎ、下りに転じても大変長い道中なれど、流石に自動車は、違うな。


 そんな車中のBGMは、パタ氏が私のためにチョイスしてくれたと言う、“変な曲”。

ごめんなさい。
名前忘れました。
確か、“クイーン”という人の曲で、「自転車がほしい」というメッセージソングだったように思う。
良く分からないが…、変な曲だった。

下りの途中から見渡す太平湖。
林鉄は、この細長い湖の対岸を走っていた。
近いようでいて、容易には近づけぬ領域なのだ。


 そして、忘れられない歩渉点を脇に見つつ、大杉を通過。
分岐では県道を離れ直進、ここからは六郎沢林道…砂利道だ。
砂利道ぐらいではビクともしないジムニーは、ペースを落とさずさらに上流へ。
そして、1ヶ月前の私の経路を辿るように、支線のネギ沢林道へ、さらに土沢林道に入ると、道は谷底目指し下りに転じる。
路傍の土沢に小又川源流最大の支流である粒様沢が合流するとすぐ、川は淵へと変わる。
そこもまた、楓の葉の様に四方へ伸びる太平湖の一端である。
目的地は近い。



  林道終点の広場には、今回は工事車両の姿もなく、無人。
しばし、HAMAMI氏の到着を待つ。
車中で待つ待っている間、私の緊張感は、高まる一方。
まるで…試験の日、問題用紙を渡されるのを待つ時のよう。

私が思っていたよりも早く、HAMAMI氏到着。
彼は雪の積もった日にもここまで車で来たというから…怖いもの知らずだー。

すぐに、探索準備。

15時21分、探索開始。

マジで、時間無い…。
来たは良いけど、何もしないで終わりそう。
幸い、ここから5号橋梁は物凄く近い。
実際、歩き始めた3人が橋の袂にたどり着くまで、5分もかからなかった。


5号橋梁 攻略開始!
15:25

 1ヶ月前、私がここで感じた悔しさ。
そして、2週間前、当サイト掲示板で、HAMAMI氏より驚きの攻略報告を受けた時の、悔しさ。
今、それらを全て清算できるという、期待感。興奮。

一方、チャレンジに失敗した時の末路を考えると、気持ちは沈む。
…笑えない。
誰かがやれたからといって、私にも出来るなどという保障は何も無い。
後ろに立つHAMAMI氏には、天才的な運動神経があって、それで初めて達成できたのだとすれば。
渡り方を教えてもらったとはいえ、私が何の練習も無く挑んで、大丈夫なのか。

だが、ここまで来て、怖いから駄目では済まないことは分かっている。
私が、誘ったんだ。


えーーーい。
うだうだ考えていても、何も始まらない。


 まずは、私から渡ろう。

経験者のHAMAMI氏の後を歩いた方が安全だろうが、それでは、正直、私はプレッシャーに負けそうだった。
まずは、自分の足で…。
渡ってみよう。

この瞬間を、ずっと待っていたはずだ。
私は、あの日の悔しい気持ちをバネに、それまでは考えたことも無かった“合同調査”を提案したのだ。
ここで、怖気づいては、全てを失う気がした。
大げさかも知れない、子供じみた考えだだろう。

だが、
ここは、

 私から、渡りたい!!





 HAMAMI氏の編み出したガーター橋の攻略法は、橋という物の常識を覆す、特異なものであった。
それを、ここでは“梁伝い(はりつたい)”と呼ぶことにする。

通常、上路橋と言えば、橋梁構造の梁上の路面を。下路橋と言えば、梁下の路面を渡る。
そこに、まっとうな路面が存在するならば、それが唯一の正しい渡り方となる。
だが、この上路橋には、路面が存在しない。
もともと鉄道橋なので、人が歩くような路面など無かったのかも知れないが、それにしても、現役時は枕木が設置されていただろうから、それを路面に見立てて歩けただろう。

しかし、廃止されて久しいこの橋には、橋梁としての基本的な構造だけが残り、歩くべき場所が消えている。
そこで、試行錯誤の末に、HAMAMI氏が編み出したのが、“梁伝い”。

路面が無いならば、橋梁構造自体に入り込んで、渡ろう。



 橋の中へ、潜り込む。

今はまだ、足元にコンクリートの橋台があり、恐怖は薄い。
だが、次の一歩から先、この橋を渡りきるまで、逃げ道は無い。
橋は、約30m。
一旦進めば、後戻りは出来ないかも知れない…。
なにしろ、“梁伝い”の歴史上、途中で引き返すという行為がどれほど危険かなど、試した者がいないのだ。
一度始めたら、後はもう、最後まで。

梁伝いの方法は、この写真から説明しやすい。
目の前に見えている沢山の梁に手と足を掛け、ジャングルジムの様な感じですすむのだ。

「それならば、出来そう。」
ここまででそう感じた人ならば、きっと、できると思う。
実際、恐怖さえ克服できれば、その難しさ、要求される身体能力は、ジャングルジム並みだ。

逆に、この説明で「無理」と思った人は、やめておいた方が良いと思う。
渡り始めることが出来れば次第に恐怖は薄れると思うが、ジャングルジムとは違い、次々現れる障害を迂回する術は無い。
特に、十字に梁がクロスしている部分を抜けるには、多少の柔軟性と、“痩せ”が絶対条件となる。
あそこで詰まってしまえば、後はもう…。




 始めの一歩を、最初の梁に乗せる。
次の一歩は、どこに下ろすべきなのか?
決定的なミスを犯せば、取り返しが付かない。
やっぱり臆病な私は、念のため、「ここに足置いていい?」なんて、見守るHAMAMI氏に聞いちゃった。
それにしても、今日は水位が高い。
水面までは4m位だろうか。
水深は、物凄く深いだろう。
もし落ちたら、どんななんだろう。

いくら考えても、分かる物ではない。

落ちないように、それだけに集中して、一歩。

落ちないように、それだけに集中して、一歩。

落ちないように、それだけに…

繰り返し。



 やった。

渡りきった。

始めの一歩を踏み出してから、5分50秒後。
私の姿は、初めて土沢の対岸にあった。


あっという間の出来事のように思える。
それだけ、緊張していたのだろう。

テスト。
まさに私にとって、「山さ行がねが」の活動を始めて人に、“テスト”された様な、そんな気分だった。
渡りきった今は、橋も幾分短く見えるのは、不思議。
1ヶ月前には、対岸か霞むほど遠いように見えたのだが。

よかった。
渡れて本当に、良かった。
ずっと、もし橋の袂まで行って、そこでどうしても恐怖を克服できなかったら、どうしようかと、心配だったのだ。
それもこれも、偉大な先人HAMAMI氏、そして、同志パタ氏のおかげである。

ありがとう。



秘密兵器 準備
15:35


 遂に、我々が持ち込んだ、秘密兵器を使うときが来た。
写真をご覧頂きたい。

そう。
パタ氏の頭部をスッポリと覆っている頭巾。
隠密行動には欠かせない、これぞ、秘密兵器である。
というのは冗談で、(実際、パタ氏もすぐに脱いでいたが、なんだったんだろう、まじめな道具だったようだが…)二人掛りで運んでいる布袋の中に、その道具は、隠されている。

それは、折りたたみ式のゴムボートである。
このボートをもってすれば、水没隧道など、敵ではない。
このような究極兵器の登場を、私は待っていたのだ!
もう、これで腰まで水に浸かったりする愚行ともおさらばだ!!

対岸では、二人がボートを膨らませている。
5分くらいは掛かるとのことなので、許可を得て自由行動。


 


 そうなれば、一足先に見ておきたいのはもちろん隧道。
感激。
あそこに見えるのは、「7号隧道」と仮称している、その隧道の坑門だ。
もちろん、HAMAMI氏はこの隧道にもたどり着いている。
それによれば、内部は水没していて、歩いて侵入することは出来ないとのこと。
簡単な道具で水深を測ったこところ、60cmくらいはあったというから、それが事実ならボートが必要だ。

それでは、私めも失礼して、坑門へ…。



 このとき、既に日没まで30分を切っていた。
雨はやんでいたが、灰色の濃淡だけの空には、もう明かりは無い。

ここに来て、時間的に完全攻略が不可能となったことを、認めざる得なかった。
だが、せめて、この隧道だけでも、攻略して終えたかった。


私の希望は、果たして叶ったのか?

それとも?




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