廃線レポート  
森吉森林鉄道跡 探求編 その7
2003.12.22



 4号隧道の探索に時間をかけすぎたのが原因だが、第二の探索目標であったここ、5号橋梁に到着した時点で、既に夕暮れが差し迫っていた。
だがそれでも、精一杯、時間一杯まで、この5号橋梁と、その先に眠る未知の隧道を探索せんと、3人は言葉少なに作業を続けた。
今回の探索の目玉としてパタ氏が準備した、携帯用のゴムボートの準備を進める。
このボートを対岸に運ぶことが、この日最後の、そして最大の難関となった。


今回紹介する内容が、2003年末までに判明した、森吉森林鉄道探索の最新情報である。


 7号隧道
2003.11.30 15:35

 まだ対岸では、二人がボートをフットポンプで膨らませている。
先に渡っていた私は赦されて、辺りを一足早く探索した。
5号橋梁を渡ったその先にあるのは、未知の隧道であった。
その存在は予想されていたが、実際に見るのは初めてだ。
もっとも、HAMAMI氏によって、数週間前に“発見”の報が当サイト掲示板にもたらされたことと、今回の探索は無関係ではなかったが。
これもまた推定の域を出ないが、本隧道は地形的に、相当に長いと思われる。
具体的には、1000mを超える延長も十分ありうると思っている。
もしそうだとすれば、林鉄史上類を見ない、少なくとも県内には他に例の無い長大林鉄隧道の発見となる。

本隧道の貫通こそが、時間的に許されうる、今回最後の探索目標となるだろうことを、3人は理解した。




 5号橋梁の7号隧道側の袂にも、木立ちに紛れ目立たないが、一本の架線柱が残っていた。

対岸の袂にも残っているので、現役当時の電線の取り回しが予想できるほどに密に架線柱が残っている箇所は、ここが初めてだ。
そして、さらにこの先、どこへ伸びていたかといわれれば、それは明確だ。
隧道内部にその痕跡が残されていた。



 緊張の一瞬。
今回は、すぐ近くに仲間がいる。
そして、内部の様子は簡単にだが、HAMAMI氏に伺っている。
だが、それでも、廃隧道へと分け入る時の「期待感と、それを押しつぶしかねない恐怖感とが、ない交ぜになった気持ち」というのは、独特の物だ。
まして、本坑門は私が思っていた以上に埋没が進んでいる。
その断面の、20%も露出していないのではないか。
身をかがめなければ、そこを潜ることは叶わない。

そして、坑門に踏み込もうとした私の頬を、強烈に刺激する物があった。

 風 である。

今まで、どの坑門でも感じたことも無いほどの冷たい空気が、明らかに分る風となって、噴出していた。
この瞬間に、本隧道が、完全閉塞ではないことが、ほぼ、確定した。
だが、このかつてない風の強さは、風の通り道、風洞と化した隧道の、その長大さを感じさせる。


 坑門こそ埋没が進んでいるが、内部は広い。
だが、そこにあったのは、これもまた事前に情報を得ていたとはいえ、衝撃的な現実だった。
内部は、水没していた。

風は絶え間なく流れ出てくるものの、どこかにあるはずの坑門は、ここからは見えない。
私の頼りないヘッドライトの明かりひとつでは、30m位しか視界は無いが、その範囲では隧道は直線である。
坑門付近はコンクリートに覆われているが、ホンの5mも先からは素掘りとなっている。
その姿は、沿線の他の隧道と良く似ており、ここまでたどり着くのにえらい苦労したが、これもまた、森吉林鉄の仲間なのだ。

本隧道にはなんと、まだ架線が残存していた。
宙吊りのまま、光の届かぬ奥まで、2条の電線が、天井を這っている。
かなり垂れ下がっており、いつ落下してもおかしくは無い様子だ。




 辛うじて埋没を免れている坑門。
積もった土砂は、坑門上部の切り立った斜面から落ちてきたもののようだが、既に長い年月を経過しているように見える。
時期的に枯れてはいるが、根っこが張っており、人力でこの山をどかすことは、かなり困難に見える。



 坑門に設置された架線は、ほぼ原形をとどめている。
他の隧道では、3号隧道の4号側坑門にも、同様の碍子が残されているが、電線自体が残存しているのは、ここだけだ。



 そして、これが肝心の内部なのだが…、完全に水没している。
水深は、60cm程度と聞いていたが、それは陸から手が届く範囲で、1mほど先は、水底がやや青色がかって見えている。
これは、明らかに1mを超える水深だ。
漣の微かに浮かぶ湖面は、光の届かぬ深部までずっと続いているのが、光の反射から分る。
これは、ボートが役に立ちそうだ。
というか、ボートなしでは、内部探索は、無理だろう。


 対岸では、そろそろボートの準備が終わりそうだ。
一旦坑門から出て、橋の袂まで戻ることにする。

今に、ここをボートで攻略できるのだ…。
ワクワクするぞ。


5号橋梁を、ボートごと渡る
15:39

 対岸には、いよいよ形となったゴムボートが現れた。
実は、私がこのボートを見るのはこれが初めてだった。
定員3人乗りのボートだと聞いていたが、流石に大きく、これだったら、安心して隧道を探索できそうだ。
惜しむらくは、すでに日が落ちかかっているということ。
しかも、ボートを隧道に浮かべるためには、この橋を、ボートと共に渡らねばならない。




 ボートをどのようにして渡らせるか。

私は、ボートらしく、湖に浮かべて運ぶ方法を提案した。
パタ氏とHAMAMI氏がそれに乗り、こちら岸へと渡って来ればよいだろう。
湖面は静かで、それも容易に思える。

しかし、問題点もある。
両岸は切り立っており、膨らませたボートや、荷物ごとに降りる場所を探すのは、時間がかかりそうだ。
とはいっても、時間さえ掛けれは、これが最も確実な方法に思えた。

…残念ながら、我々には、その時間がなかったのだが。





 5号橋梁のこちら岸には、写真の位置に何とかボートを引き上げられそうな斜面がある。
また、パタ氏たちがいる岸には、橋の近くには降りられるようなスペースは存在しないが、車を置いてきた広場付近からは、容易に湖面に下りられる。

しかし、今回は、直接この橋梁をボートごと渡る方法を選択した。
とはいっても、人は“梁渡り”でしかここを渡れないし、ボートはとても、狭い梁の間をすり抜けることは出来ない。
例え、組み立て前のボートとしても、それは同じだ。




 そこで、苦肉の策として、二人がかりで橋上のボートを牽引する方法をとった。
ボートには、二人分のリュックやオールを乗せているので、それなりの重さがある。
梁渡り経験者のHAMAMI氏がボートを引き、初挑戦のパタ氏が後ろから押す。
私は、橋の袂に立って、ボートが墜落しないよう、左右のバランスを見張り、ガイドする役となった。

しかし、それは思うように進まなかった。
ただですら大変な梁渡りなのに、視界の大半を奪う位置にボートを置いての行動は、非常に制限される。
当然のことながら、一歩誤れば、冷たい湖に墜落し、命を失いかねない。
ガイドするだけの私も、必死である。
もし誰かが落ちることがあったら、禁じ手だが、梁の上を走り、ボートを投げ込もうと考えていた。

幸い二人は優秀であり、そういう事態にはならなかったが、見る見るうちに時間は過ぎていった。
5分が経過し、遂に橋の半ばまで来たとき、

事件は起きた。




 「穴が開いてしまった!」

悲痛なパタ氏の叫びが、静かな湖面にとどろいた。
私は、その一言に、背筋が凍る思いを感じた。
それは、探索の頼みの綱であるボートが使えなくなったことを意味するばかりではなく、我々の荷物が危機的な状態に陥ったことを示していた。
このままボートの空気が抜けてしまったら確実に、ボートに乗せられた荷物は、崩れたボートごと湖中に没することだろう。
そうなっては、今回探索の失敗というだけで済まない、致命的な損失となる。

矢継ぎ早に、3人の声が交わされる。
皆、状況が一刻を許さぬことを理解し、感傷に浸ることをせず、最善の策を相談した。
決断。
ボートは、引き返す。
だがそれでも、橋の半ばまで来るのに要した時間を考えれば、間に合わない。
見る見るうちに、ボートからは張りがなくなってきている。
私も至急橋中に戻り、ボートを目指した。
3人で力をあわせ、ボートと荷物を、岸へと戻した。
恐怖を感じている余裕は無く、慎重さを欠いた無造作な動きで、何度も橋を往復した。

そして遂に3人は、ボートと共に、無事に元いた岸に戻ることが出来た。
しかし、探索が振り出しに戻ってしまった。
いや、振り出し以前だ。
隧道を攻略する術を、失ってしまったのだから。

そして無情にも、夜の闇が太平湖を包んだ。




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