廃線レポート
森吉林鉄 第W次探索 その2
2004.5.6
4号隧道 準備
2004.5.4 8:25
ボートの着水箇所が確保されたので、いよいよボートの準備を開始する。
くじ氏
は自身のボートを付属のポンプで、
パタリン氏
のボートは私が、フットポンプで成長させた。
やはり4人乗りボートともなればその空気量は少なくなく、チャリを漕ぐ動作に似ているということで、進んで行った空気入れ作業だが、チャリンコのパンク修理とは訳が違った。
足に来た。
途中で、
くじ氏
のボートが完成した。
くじ氏
のボートは早急に出来上がり、早速着水されるに至った。
ふくらんだボートは
くじ氏
と私が共同でダム部まで運び、静かに汀線に浮かべた。
ボートは、急激に水深を深める地底湖に、静止した。
私と
くじ氏
はボートを浮かべたまま、残るパタ氏のボートの完成を手伝いに戻る。
特にボートを固定する事はしなかったが、水流がこちらを向いているはずで問題はない。
その時、
パタリン氏
のボートにたいへんなことが起きていた。
パタリン氏
のボートは一旦完成したものの(私が離れている間に、
自衛官氏
がしっかり空気パンパンにしてくれていた。)、いざ進水と言う矢先に、雨で濡れた表面に勢いよく泡が立っているのが発見されたのだ。
まさに、チャリ乗りには嫌な響き、嫌な光景である。
パンクだ。
前回の探索にて5号橋梁を運搬する際にパンクした底部は修繕されているものの、それとは別の箇所に、2カ所、小さな穴が空いていた。
このまま気付かずに進水した場合、最悪の事態が現実のものとなっていたかもしれない。
一旦空気圧を減らし、
パタリン氏
が手際よく瞬間接着剤で穴を塞いだ。
0840
これらの作業中、30分以上坑口部に滞在したが、そこで今まで気が付かなかった発見があった。
4号隧道の坑口部の壁に、赤いペンキで色鮮やかに描かれた
『←小又峡』
の文字。
目立つが、なぜかこれまで気が付いていなかった。(良く見たら以前の写真にもその一部が写っていた)
この小又峡というのは、現在でも太平湖最大の観光地である三階の滝一帯の事である。
確かに、本隧道と、さらにその先の5号隧道を越えた先は、小又峡を跨ぐ三号橋梁である。
だが、あくまでも業務用の存在であるはずの森林鉄道の隧道に、なぜこの様な観光地名がでかでかと案内されているのか、それが分からない。
軌道敷きが、遊歩道などとして利用されていた時期があるのであろうか?
これは、今回新しい謎となった。
4号隧道 進水
8:54
進水する
パタリン氏
。
無事に、二艘のボートが浮かんでいる。
そして、早速隧道の奥へと… …。
って、待って!!
一人で何処へーーッ!
この事態は極めて危険な状況であった。
全員に戦慄が走った。
なにせ、4人乗りボートを3人がかりで運びつつ水際に着いた我々を待っていたのは、無人の二人乗りボートが水際から1mほど奥へと漂流している光景だったのだ。
たかが1mである。最初は、手を伸ばせば届くかと思われた。
だが、水際から水深が深く、手は届かない。 オールで引き寄せようとするも、さらにボートは奥へと突かれる結果となった。
一度、目に見える速度で移動を初めた無人で軽いボートは、みるみる奥へと漂流を始めた。
もう、岸から2m。
こうなれば、もう誰かが残るボートに乗り救出に向かうしか手はなかった。
パタリン氏
が至急ボートに乗り、こぎ出した。
我々は、それを緊張の中見守った。
そこでは、さらに驚くべき光景が展開した。
なんと、人の乗ったボートまでが、奥へと流れて行くではないか。
すぐに
くじ氏
のボートを掴む事に成功したが、片手でボートを牽引しつつ残った片手でオールを漕ぐも、思うようにこちらへと戻れない。
信じがたいことだが、奥へと水流が存在するようなのだ。
我々は、汗をかいた。冷や汗だ。
このまま、ボートを一艘失う懼れもあったし、
パタリン氏
一人でも万が一戻れないほどの水流があったら、どうなるのだろうか。
我々は、思い思いに声援を送る以外に出来ることがなかった。
パタリン氏
は、徐々に奥へと流されていくピンチで、思いがけない行動に出た。
二人乗りのボートを、水面から片手でひょいと持ち上げ、自身のボートの縁へと乗せたのだ。
しかし、これが決定的な打開策となり、彼と二艘のボートは無事に岸へと戻った。
はぁー、危なかった。
0859
何はともあれ、ボートはちゃんと浮いている。
われわれはそのまま、隧道の攻略へとなだれ込んだ。
二艘のボートの合計定員は6名。
4名乗りには漕ぎ手
パタリン氏
と
HAMAMI氏
、そして私と、各人のスコップ類。
2名乗りには漕ぎ手
くじ氏
と、
自衛官氏
が乗り込んだ。
4名乗りボートが先頭となる形だ。
生まれて初めて乗るゴムボートである。
意外にボートはしっかりとしており、3名が乗っても殆ど沈まない。
その、微妙な浮遊感を伴う足元の感触を愉しむ暇は無い。
岸を離れると同時に、ビニール一枚下は暗黒の地底湖という恐怖が、我々に猛烈な緊張感をもたらした。
皆はその緊張に声を強ばらせながらも、励まし合うように声を掛け合い、相次いで離岸した。
いよいよ、山行が史上初の、ボートによる探索が開始された。
誰にとっても初めての、狭い隧道内をボートで進むという行為に、緊張感は極限に達した。
自分たちが起こす以外には全く波はない湖面では、揺れを感じることはないものの、真っ直ぐに奥へと進むだけのことが意外に難しい。
それは、漕ぎ手は両手をオールに奪われるため、自身で前方の照明を確保できないという問題が大きい。
また、当初乗り込んだ姿勢が悪く、漕ぎ手が進行方向に対し後ろ向きとなってしまっていた。
私や
HAMAMI氏
がそれぞれ懐中電灯で前方を照らすものの、漕ぎ手である
パタリン氏
にはそれは見えていないのである。
さらに、狭い洞内には、ボートの両脇に僅か1m程度の空きしかなく、なかなか進行方向の定まらない我々のボートは何度と無く、ゴツゴツした素堀の内壁へと接触しそうになった。
万が一接触すれば、ボートに致命傷を与えかねない。
ここでは、普段撮影に重点を置いている私も、なかなかカメラを取り出す余裕も得られなかった。
内壁の様子。
洞内は素堀の部分が大半である。
ここまで待避口などが見あたらないのは、まだ水深が深く、それらが水没しているせいだろう。
推定される水深は、2m。
進むほどに浅くなっていることが、行く行く判明するのだが、乗っている全員ともじっくりと辺りを観察する余裕を持てない状況にあり、 どれほどの速度で進行し、またどれだけ進んだのかといったことは、よく分からなかった。
4号隧道 内部進行
9:07
こぎ出してから8分が経過した。
相変わらず余裕はないが、確実に二艘は進んでいた。
途中で、より安全な進行を模索し、我々のボートは向きを反転した。
これで
パタリン氏
が前方を向けるようになった、一方、私は
HAMAMI氏
越しに後方の
くじ氏
達のボートを見る形になった。
また、推進力の安定のため、
パタリン氏
と私でオール漕ぎを片方ずつ分担することになった。
これまた私にとっては生まれて初めての、オール漕ぎである。
私の漕ぎはぎこちないが、何とか推進することが出来た。
さらに進むと、いや、実際どれほどの距離を進んだのか、よく分からない。
だが、写真には小さく出口の明かりが見えていることから、ここまでは直線であることが分かる。
その距離は200mから300mほどだろうか。
いずれにしても、かなり奥まで来ていることは間違いない。
オールで水をかいて進む我々だが、次第に速度が落ちてきた。
なぜか、思うように進まないのだ。
妙に、ボートが重い。
一体、何が起きたのか?!
ボートはいつの間にか深い泥の上に乗り上げつつあった。
洞内には、水深の浅い箇所があったのだ。
いや、それどころか、間もなくボートでの進行は不可能となった。
まずは、濡れを最も覚悟していた私が始めにボートを下りた。
水深は30cmほど、さらにヘドロが20cmほど積もり、案の定私は腿より下がびしょ濡れとなった。
初めのうちは、私がそのまま歩いて牽引したが、間もなくそれも出来ないほどに、浅くなった。
ここで、全員がボートから下り、ボートを持ち上げて運ぶことになった。
これは、予想外の展開であった。
というのも、プレリサーチによって、本隧道のこれから進むべき坑口は明らかとなっているのだ。
もちろん、内部も探索済みなのである。
その際には、坑口から約100mほどの地点にて水没が確認されていた。
そして、その水没地点は泥濘に支配されており、約1週間前の探索にて多数の足跡が残された。
また、そこで撮影された写真には、確かに崩落箇所が地底湖の向こうに見えていたのである。
そして、プレリサーチ終了後に最大の議論を呼んだのが、本隧道の崩落が二重崩落なのか、それとも、一カ所なのかという点であった。
どうも、今我々がいる場所は、プレで
パタリン氏
達が到達した場所では、無いようなのだ。
足跡も、見あたらない。
やはり、崩落は一カ所だけではないのだろう。
進むほどに足元の水はますます浅くなり、ついには地表が現れた。
そして、そこには枕木が散在していた。
この辺りは、かつて最も水深が深かった当時にはきっと、水没していたのだろう。
これまでの探索時の土木作業により、今越えてきた地底湖の水深は10〜20cmは下がったはずだ。
我々はボートが枕木で傷つかないように慎重に持ち上げて、進んだ。
なんとも、幻想的な空間が広がっていた。
いや、それは心情的な印象だろうか。
景色としては、これまでも2号隧道で見たのと同じ、枕木の残る洞内の景色である。
しかし、ここは純度が違うような気がするのだ。
なんといっても、この空洞、ボート無しでは到達できない場所である。
その証拠というわけではなく、きっと偶然に違いはないのだが、ここには現役当時に残されただろう空き缶などのゴミすら、一切見あたらなかった。
なんというか、神聖な場所のような錯覚を覚えた。
所々に地下水が滴る洞内には、我々の歩く音が響き渡った。
依然、行く手には一切の明かりが見えない。
背後には遠く、三日月のように歪な出口が異界のように見える。
そして、この空洞の純さを決定的に印象づける発見がもたらされた。
隧道の側壁には、枕木とは異なる一本の材木が立っていた。
地面に立てられたその材木の上部は、未だなお光を受けて白亜に輝く。
そして、その表面には数字が記されているではないか!
その数字は、
『24』
と
『1/2』
と読める。
まさか、こっ これは…。
距離標?!
もし、これが森吉林鉄起点から24.5kmの距離標だとしたら、地図上の距離とほぼ一致するのだ。
林鉄では未だかつて発見例のない距離標なのだとしたら、これは今回の探索で最大の発見なのかもしれない。
ついぞ、これ以降同様の発見はなかった。
また、謎の発見があった。
下部は水浸しとなっている枕木にただ一つだけ、薄緑色の物体が乗っていた。
黒、そして褐色と灰色だけの世界で、異様に鮮やかな緑の物体。
それは、まるでロールキャベツのようである。
いや、ロールキャベツ以外の何にも見えない。
だが、それはあり得ない。
気色悪い湿感を有するその物体を触れる者はいなかったが、一体、これは何だったのだろう。
まさか、天然のロールキャベツ?!
そして、行く手には決定的な光景が現れた。
隧道をほぼ埋め尽くす崩落だ。
無惨に垂れ下がった架線の先、鬼の口蓋のごとく赤々と照らし出された大崩落。
果たして、我々はあの空洞をボートと共に突破できるのだろうか?
そして、その先には如何なる苦難が待ち受けているというのであろう…。
我々は遂に、二つの大崩落に挟まれてしまった。
その3へ
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