廃線レポート  
森吉林鉄 第W次探索 その3
2004.5.7


4号隧道 緊張
2004.5.4 9:17


 4号隧道の丁度中間付近ではないかと思われる。
そこには、二度目の大崩落が待ち受けていた。
それは、20mほどの区間だけコンクリートの覆工が途切れた、丁度その場所で発生していた。
僅か、これほどの区間をなぜ補強しなかったのだろう?
ただし、代わりのつもりなのか、洞内の他の場所では見られない、直径30cm以上の巨大な木柱による支保工が成されている。
それらの一部は無惨にも、隧道の高さの8割以上を呑み込んだ崩落に押し流され、散乱している。
これほどに太い支保工というのは見たことがなかったが、地中100m以上の地圧の前には無力だったのだ。



 この大崩落は、先のダム崩落よりも、さらに大規模である。
我々一行は、今や身軽ではない。
二艘のボートを全員協力によって運んでいるのだ。
この崩落を、ボートと共に突破する必要があるが、無理に通してボートを破裂させた場合が最悪であり、退路をも断たれる。
そして、ボートに先行して崩落の先を下見したところ、その先にもまた、深遠たる地底湖が存在していた。

ここでボートを失った場合、我々は地中に孤立することになる!

それが、現実であった。
ゴムボートが如何に壊れやすいものであるかは、もう嫌というほどに理解している。
もはや、進むにも戻るにも、我々の命綱は、たった二艘のボートなのだ。





 崩落地の直前に、奇妙なものを発見した。

写真を見て頂きたい。
コンクリートが切れている右側は、待避口らしい窪みなのだが、その脇に記された、『入口』の文字である。

プレリサーチにて、これから向かおうとしている4号隧道出口側にも、同様のペイントが発見されているものの、私がこれを見るのは初めてである。
何というか、ギョッとした。
白いペンキの上に黒で書いたのか、それとも白い部分は紙が転じた物なのかは、余りにも変色しており分からないが、お札のように見えてしまったのだ。
待避口を指して「入口」というのも、意味が分からない。
単純に、待避坑の入り口ということなのだろうか?

なんか、大発見なのだが、後味が悪いような…。


 崩壊斜面には、今まで見たことのない、真っ赤な瓦礫が一部混じっていた。
これは、一体何なのだろう?
色からいうと、錆なのか?
というと、鉄分の豊富な岩石なのだろうか?
見たところ、かなり脆い石のようだが、まさか鉱石?




 我々は本来あるはずのない場所に倒立したままに死したる巨木達と、ざらついた岩盤との間に、ふくらんだゴムボートを通した。
全員が最大の注意を払い、ボートを縦にしたり、また横に戻したりしながら、この隙間を慎重に、慎重に通過した。
足元は45度以上の傾斜がある瓦礫の山であり、この仕事は、心臓に悪いものであった。

そして、二艘のボートの前に、再び漆黒の水面が現れた。
ただし、今度は、地底湖の向こうに、本当に微かだが、ぼんやりとした明かりが見えている。

数百メートル前方に、

出口が、見える。


 ダム上に立ち、今来た方向を振り返る。
コンクリートの覆工の手前は妙に広く写っているが、ここがそっくり崩落した部分である。
頭上は、3mもあろうかというほどの空洞となっており、その崩落量の多さは恐怖の対象となった。
その崩落面は滑らかであり、今までもある種の崩壊隧道で見てきたものと一致する。
これは、砂礫層が岩盤から剥離してそっくりと落ちた場合の、そんな崩壊断面(露頭)なのだと思う。
隧道を掘るには、昔も、そして今も、最も困難とされる地質である。

さらなる崩壊をいつ迎えてもおかしくはない状況に見えた。


 今度のダムは、これだけの雨にもかかわらず、満水でははないようだった。
水が、今来た方向へと流れ落ちている様子もない。
しかし、その水深は先の地底湖と同等である。
綺麗に覆工されているせいかその印象は異なるが、ボート無しでは進めないことに違いはない。
ここを突破できれば、きっと脱出できる筈だ。

我々は、再び4人乗り、二人乗りの順でボートを進水させた。
幸い、二艘のボートは静かに湖面に浮いた。
全員が乗り込むと、洞内の “島” を後にした。
もう、二度と人が立ち入ることもないかもしれない、“島”を。



4号隧道 前進
9:19

 コンクリートに覆われた隧道は、一見平静を保っているように見える。
下半分がそっくり水中に没している様子は、都市の地下に張り巡らされた水路の様子を連想させた。
天井には、碍子が3つ並んで取り付けられ、二本の架線も未だ張られている。
ただし、細くとも長さの尋常でない架線は重く、洞内の至る所で洞床に垂れ下がり、地面すれすれを這うように続いてきていた。
この先も、垂れた架線は水上すれすれに続いて見える。

冷静に観察していて最も気になったのは、内壁の白化の凄まじい進行ぶりである。
コンクリート隧道としては、比較的古い部類ではあるが、未だ現役の隧道も多数存在する昭和20年代後半の竣工物である。
しかし、よほど地肌の状況が悪いのか、全体がコンクリート鍾乳石(石灰分の染みだし)に覆われている。
この現象こそが、隧道崩壊の最大の前兆と、私が考えている物だ。





 再び船上の格闘が始まっていた。
素堀よりは幾分気は落ち着くが、いつボートに異変が起きるか分からない。
我々は役割を分担して漕ぎ、照らしつつ進んだ。
洞内に、タイミングを合わせるための漕ぎ手の音頭が谺する。
全く気が抜けないボートでの進行が、緊張の中続く。
架線が所々で天井から水面に落ち、洞内の空間を二分している箇所がある。
この様な場所では、船頭のパタリン氏が「右!」「左!」「頭だけ左!」などと、的確に指示を飛ばす。
私は、撮影に夢中になるなどうっかりしていて、架線とボートの間に挟まり、危うく水面に投げ出されるところだった。

オールを漕ぐと、確かにボートは進む。
当たり前のことだが、嬉しい。



 慣れないボート進行により、どれほど進んだなどという実感は無いのだが、写真を見る限りは水位が下がっており、だいぶ進んだのだろう。

水面すれすれの架線に、人待ち顔にぶら下がる一つの豆電球。
これまでも、他の隧道を含め電球の破片は何度も発見していたものの、ぶら下がったまま健在の物は初めて見た。
感激した。
下に満々と水が蓄えられているお陰で、今まで割れずに済んだのだろうか。
林鉄隧道に電球という組み合わせは、この森吉以外では見られない。
距離が長いために、現役時には照明が灯っていたのだろうか?
だとすれば、何となく嬉しい。
もう決して点かないとはいえ、何となく暖かい気がするではないか。



 私は電気に疎いが、HAMAMI氏パタリン氏、それに自衛官氏などは詳しい。
未だ綺麗なままの電球をよく観察すると、この電球が120Vという、特殊な電圧で利用されるものということが分かった。
以前の探索により、一連の架線に流れていた電流は200Vだったと推定されているが、また分からないことが出てきた。

ちなみに、我々が洞内や軌道跡で発見した様々な遺物は、基本的に発見時の状況に戻すように心がけている。
皆様におかれましても、どうかお願いしたい。




 嫌だー。

この写真、何を撮ろうとしたのか良くわからない。
全体が激しくぶれており、ただの失敗写真といえばそうなのだが、たぶん黄色いものは我らがボート。

なに?
なに?なに?なに??

なんか、写っていてはいけないものが、見えます。
洒落ならない。怖い。
この写真はちょっと、公開を躊躇ったけど。
自分のPCの中だけにあるの嫌なんで… ごめん、皆さん。




 行く手には、点から面となり始めた出口の明かり。
ただし、まだ水深は深く、上陸は出来ない。
最初はオールで素直に漕いで進んでいたが、垂れた架線が届く場所では、この架線を乗員皆で引っ張りながら進むようになった。
これが、非常に効率的にまっすぐ進むのだ。
ただし、一度我々の引きが強すぎたのか、遠くで架線が天井から外れ落下した架線が水を強かに打つ音が響いたときにはびっくりした。
その後も、懲りずに架線を引いて進んだ。
さっきは、遺構の現状維持を謳ったばかりなのに、もうこの有様かと嘆かれる方もおいででしょうが、生きるためです。
我々も仕方なしに行ったことです。

そうして進むと急速に、水面は洞床に近づいてきた。



 0933
二度目の進水から約15分。
水上で休憩する気にはなれないので休まずに進んできたが、本当に長く、辛い(そしてエキサイティングな)隧道だ。
ようやく、地底湖の水深は20cm程度となり、泥の湖底がライトに照らされるようになった。
ここまで浅くなると、ボートの底が干渉するらしく、非常に推進が重い。
オールで漕いでも進めないし、運良く良い位置に架線が存在したが、これを3人で引くも力が足りない。

私が再び人柱として湖面に片足を突っ込むも、ヘドロは底なしだ。
危うく、抜けなくなるところであった。
まだ、ここでは降りられない。

静かだが、かなりの危機的状況だった。
これを救ったのは、パタリン氏の機転だった。
彼は、乗員がボートの床部分に座るのではなく、縁の部分に座ることを提案した。
これは、効果覿面だった。
底の沈み方が浅くなった分、干渉が弱まり、何とか架線引きで進めるようになった。

ますます浅くなっていく湖面。
二艘のボートは、殆どヘドロだけとなった水上を、ズルズルと進んでいく。
仕舞いには、引く架線も無くなり、ヘドロにオールを突き立て前進する。
もう、いよいよ限界だ。

先を照らし出す100万カンデラのライトに、陸地が映し出された。
誰からともなく歓声が上がる。
もうすぐ、前人未踏のボートによる水没隧道突破の偉業(異形?)が完遂される。
我々のテンションは、嫌が応にも高まった。



4号隧道 突破!
9:37



 遂に、我々が辿り着いた陸地。
4号隧道の出口はもう、200m程前方に小さくだが見えている。
上陸とはいっても、足元は踏めば水が止めどもなくあふれてくるヘドロの海であり、私の“お子ちゃま”長靴など何の役にも立たない泥地である。
だが、そこには先人達の足跡が、確かに存在した。
誇らしげで、馨しき足跡だ。

この4号隧道出口を、我々が知りうる限り最も早く“再発見”した偉人は、くじ氏である。
彼は、昨年に引き続き、今年は4月上旬の積雪1mを越える段から単身現地調査を重ねていた。
何度と無く撤退を余儀なくされたというが、彼は遂に4月20日午後、第V次探索にて私達が失敗した本隧道の山越え突破に成功し、反対側からこの泥地まで辿り着いたのである。
その後も、プレリサーチに参加した面々に、一足早く森吉入りしていた自衛官氏などが、この泥地に、足跡を刻んできた。

そして今、初めて4号隧道が一本に結ばれるのである。
2カ所の大崩落と、大深度地底湖。

それら、生身では突破不可能の困難を越え、今。

我々第W次探索隊が、ここに4号隧道の通過を完遂せん。


 ボートから下りて、膝より深い泥地に立った我々は、ボートを引きながら出口を目指した。
足元には、見えはしないが確かに枕木の感触がある。
「豊作」は特に、足元の感触に敏感であり、既に足裏が痛くなっているとのことだった。
豊作は失敗なのではないかという私の疑念を、パタリン氏はこう一蹴した。
「中敷きにフェルトを敷けば丁度良いな」
尤もである。
だが、なぜ彼をそこまで夢中にさせるのか、「豊作」。

突如、洞内にくぐもった悲鳴と、嫌な水音が響いた。

4人乗りボートを私、パタリン氏と共に引いていたHAMAMI氏が、一瞬の隙をつかれ泥濘に転倒したのである。
彼は、下半身のみならず、全身をヘドロに汚す事になったが、幸い怪我はなかった。
しかも、私など及びも付かない工夫された装備のせいか、これだけの状況でも外装以外に濡れや汚れはないようである。
穴どれん男だ(失礼!)。




 奥に点のように写っているのが、出口である。
実際には、もう少しはっきりと見えている。
この隧道について、我々が当初想定していた線形は誤りだったようだ。
というのも、洞内はほぼ90°にカーブを描いているものと考えていたが、プレリサーチなどの報告によれば、天候などの諸条件が揃えば、入り口から出口までが一直線上に見えるというのだ。
これは、軽い驚きであった。
しかし、延長自体は想像通り長大なものであり、正確に計る術はないが、600〜700m程度ではないかと思われる。


 進むほどに、洞床の泥は浅くなり、一部に水が流れる土気の多い隧道となった。
丁度、閉塞点から下船した辺りまではコンクリート覆工であったが、その先は再び素堀であった。
しかし、目立った崩落はなく、地質が入り口側とは異なるのかもしれない。

待避口に、たき火の跡と思われる炭が、多数残されていた。
真っ黒に燃え尽きた炭に、それがいつ頃のものか推測することも出来ないが、かつで洞内で火を焚いた者がいたとしたら、何が目的だったのだろう?
理解に苦しむ。

しかしどういうわけか、この先、別の待避口内にも同様の痕跡を認めた。
不気味である。



 別の待避口。
そこには、『ベベヤ』と読める、謎のペイントが。

全員で考えたが、全く分からなかった。
「ベベヤ」とは、一体何を指す言葉なのだろうか?
もし、心当たりのある方は、教えて頂きたい。

意味が分からないだけに、不気味さもひとしおである。



 我々は、気持ちに余裕が出てきたこともあり、談笑しながら進んだ。
思い立って、全員がライトを消してみたりもした。
本来の闇が戻ると、遙か遠く、今我々が越えてきた二つの地底湖の奥、点が見えた。
やはり、本隧道は限りなく直線なのだ。

初めてこの景色を見た時のくじ氏やプレに参加した面々は、この光景に、本隧道は実は一カ所だけの崩落かもしれないと考えたそうだ。
現実は、想像以上に厳しいものであったわけだ。




 また別の待避口。
待避口が極端に多いわけではない、隧道が、長いのだ。とにかく長い。

この待避口には、くじ氏の右に再び『入口』の文字。

多くは鮮明ではなくなっているが、各々の待避工には全て、この様な文字が刻まれていた形跡がある。
さらには、写真が無いのが残念だが、この「入口」などという文字の隣には、数字が刻まれている場合が多かった。
たとえば「8」、またあるときは「13」といったように、待避口には通し番号が振られていたらしい。

森吉林鉄の長大隧道には、林鉄としては異例であろう、国鉄級の安全設備が備わっていた可能性がある。




 内壁の様子が、やはり入り口側とは全然違う。
強固な一枚岩をドリルでくり抜いたような、堅牢な印象である。
実際、崩壊はほとんど無く、一帯は非常に良好な保存状態である。

森吉は、複雑に地塊が犇めく火山地帯であり、花崗岩が主体となっている。
これは珍しい石ではないが、強度があり、水を通しにくい。
小又峡などの特徴的な光景を形作る、灰色の滑らかな崖地は、巨大な花崗岩盤の露頭である。
この花崗岩に掘られた隧道は、強度があるように思われる。




 岩盤に掘られた小さな削岩孔に、小さな電球が一つ、納められていた。
まさしくそれは、そこに保管されていたと考えるが妥当であるかのように、丁度収まっていたのだが、意図は全く不明だ。
たった一つだけ、電球とほぼ同サイズの孔に、一つぽつねんと、未使用と思われる白い電球が、収まっていたのだ。
なんか、ほほえましい光景である。
その光景は、生きた電球が巣穴で寝ていたような錯覚を覚えさせる。



 もしかしたら、まだ点灯するのではないか。

そんな希望を抱きたくなるほど、綺麗なままの電球。

なぜ、こんな場所にあったのだろう。
洞内の球が切れた時用に予備として保管されていたものなのだろうか?
様々な憶測を励起する奇妙な電球は、今は再び巣穴の底で眠っている。




 長かった。
未だかつて体験したことのない程の、長大林鉄隧道(前回探索が未完の7号隧道の延長は不明であるが、これよりも長い可能性もある)であった。

いま、出口に白い光だけでなく、外界の風景が見え始めた。
そこにも、やはり森吉が広がっているのだろう。
当たり前だが、これほどの冒険を経てなお、森吉のほんの一部が明らかになったに過ぎない。

まだまだ、先は長い。








      4号隧道

         突 破 !



 坑口めがけ、囂々と飛沫を上げる滝。

この先には、如何なる景色が待っているのだろう。



我々はひととき、


明かりの下へ戻った。






その4へ

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