入口付近の、最も狭い箇所を突破し、やっと振り向ける場所に出た。
皆が私を笑顔で覗き込んでいる。
私もあまりの興奮で笑顔だが、今この写真を見ると、遅ればせながら恐怖感が沸いてくる。
どちらの坑門からも300m近く離れ、頭上の土砂は200m程度。
堅固な岩盤に守られ、崩落の恐怖感は余りないが、もっと本質的な、大質量にが纏う独特の威圧感に、萎縮する。
私は、子供の頃、地上で霞ヶ関の超高層ビルに体を当てて、そのてっぺんを見上げたことがあるが、別に危険なはずもないのに、その眺めは凄く恐ろしかったのを覚えている。
私の痩せた体に比べても、残された空洞は、あまりに狭い。
私は、皆の姿が背後に見える位置で、「行き止まり」を発見できることを心底期待したが、残念ながら、甘くはなかった。
パタリン氏から借りた5Wの強力LEDライトの大光量を持ってしても、狭い洞内に光の直進性が邪魔され、また霧っぽさもあって、ろくに視界がない。
とりあえず、見渡す限りは、匍匐全身以外では進みようがない、最狭ゾーンが続いている。
さすがに後続してくる仲間もなく、私は別の心配を感じた。
皆、私の寄り道に退屈しているのではないだろうか?
私は、可能な限り迅速に、躊躇せず、ゴキブリのように匍匐前進を続けた。
迷っていては、無駄に時間を食うだろう。
私の性格からいって、閉塞か、進めなくなる理由がない限りは結局進むはずだ、それだったら、迷うだけ時間の無駄だ。
行けるだけ、行こう。
私の恐怖は、最高の興奮という鎧にシャットアウトされていた。
進むこと、推定30m。
入り口にはもう、こちらからの声が届かないようだ。
相変わらずゴツゴツとした瓦礫が洞内を埋め尽くしているが、ややその丈は治まり、しゃがみ歩きが出来るようになった。
慣れない匍匐から解放されたのは嬉しかったが、なお行く先の見えない展開に、表情が強ばった。
やがて仲間の声が聞こえなくなると、いよいよ、地中に独りという現実を突きつけられた。
一度広まったと思われた高さが、再び狭まっていく。
この展開は、最も嫌なものだ。
もしこの場所で体を閊え、戻りさえ出来なくなれば、思いつく限り一番嫌なピンチに陥るだろう。
だが、足元が徐々に砂礫っぽくなって来ていたので、強引に突破できるものと、再び匍匐で進んだ。
天井が近い。
こんなに天井が近い隧道は、生まれて初めてだ。
驚いたのは、こんな場所にも1羽だけコウモリがいたことだ。
しかも、器用にこのスペースを飛び回っている。
その生きた姿が、今は頼もしく思える。
また少し進んで、相変わらず行く手の景色に変化がない中、振り返る。
声はもう無いが、相変わらず200万カンデラが洞内へ向けられているらしい。
強烈な光が、まるで日食時のダイヤモンドリングの様で美しい。
ただし、幻想的な眺めにうっとりしているほど現実は愉快ではない。
一体、こんな隧道が何処まで続くというのだろう。
その日も、麓の砂子沢から付け替え軌道工事の日雇いに来ていた文太は、やがて自分の住む集落を消し去るダムの関連工事とは知りながらも、その高い賃金には代えられず、集落の上手に出来る隧道の掘削を手伝っていた。
親方に先日教わった通り、重い削岩機のスイッチを入れると、全身の骨が砕けるかというほどの衝撃と、鼓膜を麻痺させる強烈な破壊音とが、自身の後ろに広がる狭い洞内に響いた。
同じ場所で働く仲間達と、ここ数日気になっていたことがあった。
自分たちが掘っていると、その奥の岩の中からも、同じ様な響きが聞こえてくるときがあるのだ。
それは、始め自分の耳がおかしくなったのかとも思ったが、日を追うごとに、その音は大きくなってきていた。
今日も朝から暫し掘り進み、そろそろ昼の休憩かと待ち遠しく思っていたところへ、突然日焼けしたオヤジ、親方が現れた。
「おめら、あど掘んな」
突然の言葉に訳の分からない文太達だったが、実はそのとき既に反対側からも掘り進められていた切羽と、ほんの数尺だが地中で行き違いになっていたのだ。
こんな事があって、今でもあの隧道には、使われなくなった穴と、当時の道具の一部が残っているそうな。
※このストーリーは自作のもので架空です。
削岩機のヘッドが生々しく岩盤に突き刺さった場所を過ぎると、間もなくそれまで埋め尽くしていた瓦礫が完全に消え、ご覧の地底湖が出現する。
その水深は30cm程度。
辛うじて立って進めるだけの高さがある。
この景色に遭遇した瞬間の私の驚嘆は、言葉に出来ないほどであった。
そう、いままでの山チャリ人生の中で、ベスト10に入る衝撃的遭遇であった。
「何よりも奥が知りたい!」
その好奇心の純粋さを写すかのような、玲瓏の極みたる地底湖。
全身に染み渡る、その清閑な冷たさ。
いままで、これほどまでに「入ってみたい」と思わせる水は無かったかも知れない。
足元は、堅い。
岩盤の上に浅く砂礫が積もり、それらが含む微少な石英がライトにきらきらと反射する。
この世のものとは思えないほどの美しさ。
そんな使い古された言葉すら、本来の輝きを取り戻すほどの美しさだ。
ジャブジャブと音を響かせながら、安定した地底湖を進む。
なお、地底湖部分から今来た洞内を振り返るとこういう景色だ。
一番左下に少し写る黒い部分が水面だ。
我ながら、よくぞこんな場所を突破してきたものだ。
その匍匐前進区間の長さは、推定40mほど。
こういった状況を踏まえると、それすらかなり長いといわざるを得ない。
1201,
地底湖を歩くこと20mほどで、終点だった。
終点は固い岩盤がむき出しのままのまさしく生の切羽であり、ついさっき砕かれたばかりのような岩石が、断面の下半分を埋めている。
もう、二度とこれ以上掘り進むこともない、永久の切羽である。
こんな場所が、まさか森吉に残っていたとは…返す返すも驚きである。
廃止されて久しい隧道に、建設途中の姿を見るというのは、皮肉だ。
まさに、森吉林鉄の隠された深部を垣間見た気がした。
切羽に突き刺さったままの金属柱。
その形状は、8角形である。
この様な物体を、この支洞では無数に、本洞でも一本は発見している。
私は、暫し時を忘れこの光景に全霊を委ねていたが、仲間の元へと戻ることにした。
失敗坑と思われる支洞最深部から、本坑方向を眺める。
この様な空洞は、きっと日本中にあるのかも知れない。
ただ、それらは余りにも微少な痕跡であり、誰の目にも触れていないのだろう。
本坑についても、独りの偵察時に発見できずにいたのだから。
やっとその一つが、ここに明かされたに過ぎない。
再び苦難の匍匐前進で、皆が待つ本坑へと戻った。
帰りは気分が楽だったが、体は決して楽ではなく、ぶつけた節々が痛い。
そして、急いで戻るうちに、なにやら下半身と後頭部に、違和感を感じ始めていた。
その違和感は痛みなどではなく、まさに違和感。
なにかを引きずっている様な感触だ。
もしその正体を確かめても、途中では身動きも取れまいとそのままにして脱出したのだった。
ちなみに、普段は首にかけるカメラは、さすがに服の中に隠して進んだ。
1205,
上の写真でもお分かりの通り、帰りまでに仲間達がスッカリと入り口を拡張してくれていた。
お陰で、帰りはすんなりと脱出である。
ここで、撮影のリクエストがあったので、二度ばかり体を止めて撮影された。
何か不自然な表情だが、撮られるのは慣れていないもので…。
ずれたヘッドライトのゴムが、激戦を物語っているでしょ。
こうして、自己最狭体験は終了した。
なんて森吉って面白いのだろう。