森吉林鉄の探索に私が赴いたのは、これが5度目となる。
その一度一度が、これまでの一回一回のレポートに対応している。
そして、その5回の探索の大部分を占めたのは、森吉ダム建設に伴う路線付け替えによって生じた、太平湖畔の林鉄跡であった。
この約10kmほどの湖畔の軌道は、複数の要因により、極めて探索が難しく、当初は一度目の探索で殆どを踏破する予定が、結局これほど回を重ねることになってしまった。
しかも、一人では突破できない難所も数あり、山行が史上初めての「合同調査」が、この森吉の地より始まったのも、これまでのレポートの通りだ。
前回までのレポートを通読頂いた上で、この「最終回」といって差し支えがないだろう5次探索をご覧頂ければより理解しやすいと思うが、これを見て欲しい。
1次から4次までのそれぞれの探索で攻略したのは、上図の範囲である。
となれば、最終回の予定で計画された第5次計画の探索範囲は、上図の黄色い実線に示された範囲と言うことになる。
すなわち、この計画では、対象は主に二つに分けられる。
第一ターゲットは、これが最大の目標なのだが、3次計画において途中まで入水するも時間切れ断念となった「7号隧道」の突破と、その先に存在すると推定された「6号隧道」を越え、そして、4次計画にて到達した「3号橋梁」の、今度は東詰に立つことである。
これを成し遂げればやっと、当初の1次計画にて予定されていた全区間の踏破と言うことになる。
また、時間的に可能であれば、些か区間が長く、計画の危険は大幅に増すが、2次計画にて断念した、“落橋”「6号橋梁」から、お馴染みの“梁渡り“「5号橋梁」までの区間も、踏破したい。
ここまで成功すれば、ついに、ダム付け替え区間の完全踏破と言うこととなる。
この様な二つの目標を掲げた最終計画であるが、4次計画が無事終了した直後から、我々調査隊メンバーは、もう待てない気持ちでいた。
それは、「あと少し」で踏破出来そうだという、そんな予感によるものであった。
なにせ、私が引き返した7号隧道の内部から、3号橋梁までは、せいぜい1km〜2km程度の距離であろうと思われたのだから。
そして、早々に都合を付けたメンバーは、お馴染みのプレリサーチに出陣したのである。
プレリサーチには私は参加していなかったのでその詳細は不明であるが、一人カウンターでレジを打ち続けた私にもたらされた陥落の報。
私を四度退けた森吉林鉄が、遂に陥落したとの報が、笑顔のパタ氏の口からもたらされたのである。
…そうか、遂に逝ったか。
森吉が、解明されてしまったのか…。
自身の都合が付かずプレに参加できなかったのは、やむを得ないことであるが、寂しくないと言えば嘘になる。
だが、
だがそれでも、私は行かねばならない。
いや、
行きたい!
私のこの目で、今再び人を通した森吉林鉄の姿を見て、そして納得したいのだ。
その探索の、終焉を。
それに、まだ私には宿題も残されていた。
この計画の「ふたつめのターゲット」と先ほど紹介した、区間である。
そこに何があるのか、殆ど分からない区間だ。
森吉林鉄、第5次“最終”計画。
2004年 6月13日 発動!
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