廃線レポート  
森吉林鉄 第X次探索 最終回
2004.9.30


 くじ氏と、細田氏、そして私。

3人だけによる、仲間の待つ終点へ向けての探索。

湖畔の廃線跡は、人を拒む蒼い海だった。


新発見 
2004.6.13 14:27


 さて、おそらくは以前私が一人で来て、落橋によって挫折した地点は近い。
そこまで辿り着ければ、あとは1kmほどで、仲間達が待つ終点に達することが出来るし、その間の道の様子も予想がつく。
時間は刻一刻と流れており、この辺で大きなタイムロスとなるような障害に当たった場合の対処が、恐い。
万一引き返さざるを得なくなった場合のリスクは、進むほどに増大するのであるから。

そう考えると、まだやや時間に余裕があるとは言え、じっくりと腰を下ろしている場合ではなかったのである。

我々は、一息つくと、再び歩き出した。
小さな小さな橋梁が、足元に埋もれつつ健在だった。

 

 軌道跡の路上に今まで見たことがない石柱が出現した。
これ一本きりである。
形は見慣れた境界標のようだが、側面の一方にだけ埋め込まれた文字の意味は、分からなかった。
読み取れるのは、「五」の文字のみで、元々はもっと多くの文字が埋め込まれていたのかも知れない。
おそらくは、古いダム工事に関しての標柱だろう。



 そして、腰丈よりも深い笹藪に入った時に、それは現れた。

この道の過去を伝える、決定的な遭遇だった。




 それは、紛れもない道路標識だった。
見る影もなく無惨に錆びきっているが、微妙なシルエットが『警笛鳴らせ』を主張している。
これを見てなお、

 ここはかつて車道として利用されたこともある

と考えることが尚早であろうか。
もはや、決定的だろう。
5号橋梁からここまで、軌道由来にしては不自然な発見の数々があった。
板張りの木橋を見た時からくすぶっていた疑念は、ここで確信に変わったのである。
この道は、現在我々が利用することの出来る六郎沢林道〜ネギ沢林道〜土沢林道という、遠回りな峰越コースが出来る以前、直接六郎沢と土沢とを結ぶ車道として、林鉄廃止後に利用されたのだろう。
軌道跡のこの様子では、もうすっかりと忘れ去られたことなのだろう。
しかし、たった一つだけ残存していた道路標識が、なお我々に語りかけてくるのである。

その、僅かな帰還だけ存在した、幻の車道の事実を。



 既知への脱出 
14:35


 地図上からも想定していたことではあったが、やはり距離がある。
整備された登山道ではなく、ほとんどが藪漕ぎの連続である軌道跡の数キロを歩行することは、思いがけず時間を要するモノである。
だが、我々には次々と発見があり、また常に脇に湖畔が存在していたことで、それほどダレを感じることなく歩くことが出来た。

これまで以上の激藪が現れた時にも、おそらくもうそろそろ、以前私が引き返した落橋が現れるだろうと、悲観せずに歩くことが出来た。




 そして、歩き始めて1時間15分余りが経過した14時35分、見覚えのある橋が現れたのである。

以前見た姿は反対側の袂からだったが、沢の様子が、その景色と酷似している。
時間的にも、もう来て良い頃だと思っていた。
これまでよりもひときわ大きな4径間の木橋の跡。

間違いなく、2次探索の到達点だった。
この沢を渡れば、遂に私個人としては森吉林鉄ダム付け替え区間を完全踏破したことになるのだ。
実感の湧きづらい、回を重ねての踏破だったが、嬉しさは確実にこみ上げてきた。



 沢底に降りて、対岸の重厚な橋脚、橋台を見上げる。
立派なものである。
しかし、昭和30年頃に作られたにしても、いささか粗製だったのかもしれない。
コンクリも、ここまで朽ちると味が出る。



 透き通った小川を渡る一行。
ここを渡れば残りは1kmほど。
しかも知ったる道ともなれば、足にも力が入る。
あともう少し。

細田氏、腰に痣を持つ男。




 渡っても、俄に道は好転せず、まだ些かの廃道が待つ。
しかし、それも長くはない。
笹の生い茂る斜面の道。
あるいは、斜面から崩れた岩石に覆われた道。
軌道はおろか、車道の痕跡も見あたらない廃路を行く。




 ふと地面に目を遣ると、食い散らかしの跡。
それは、若々しいネマガリタケだった。
要するに、秋田県ではメジャーな春を代表する山菜であるタケノコである。

しかし、まるで獣のように食い散らかした犯人は、なんと私だった。
私。

この日、行く先々で繰り返しタケノコを見た私は、内心気になってはいたのだった。
そして、ここにきて気持ちが開放的になった私の前に現れた、稀に見る群生地。

くじ氏は、私が手にしたタケノコを目にすると自信たっぷりに言い放った。

生で喰っても甘いスよ。

私は疑うことなく口に運んだ。


   …ぺッ。



口中に広がる野生の風味。
春菜を囓ったような青臭味。
文句なく、まずい。




 湖畔に見えてきた屋根付きのボート置き場。
この景色もまた、2次探索で鮮明に覚えている。
このさきには、まだ鮮明な轍が残っていたのである。
当時は、さっき通過した落橋よりも5号隧道側まで車道だったとは夢にも思わなかったが。


この先は、さらりとレポします。
詳細は、2次探索をどうぞ。



 仲間の元へ 
14:49


 前回とは季節が半分近くずれているから、その景色は予想以上に変化していた。
最近の物にも見えた深い轍も、じつはかなり古い物だったのかも知れない。
いまでは、厚い雑草の底に沈んでいた。
それでも、これまでに比べたら天と地ほども歩きやすい車道跡を快調に歩けば、まもなく道が右に急旋回。

アレだ。



 8号隧道。
我々がそう呼んでいる、隧道である。
しかし、こうして全線を歩いてみて感じたことは、1号から7号まで(念のため言っておくが、これら名称も私が便宜的に付けた物に過ぎない)が約5kmの範囲内に連続しているのに比べて、この隧道だけがそれらから5km以上も離れており、ダム工事付け替えにより生じた隧道という点では一致するが、一連の物と言うには違和感を感じるのも、また事実である。

最大の違いは、その坑門の断面だ。
以前は気にならなかったのも不思議だが…明らかに、他の隧道よりも丸みを帯び、内空間を確保しているように見える。
すなわち、車道としての利用をも想定していたのではないかということだ。
逆に言えば、1〜7号については当時から既に車道として利用することは考えていなかったともとれる。

今まで見てきた数々の隧道の中でも、その坑門の特異さではいちにを争う8号隧道。
初見であるくじ氏も、大変感激していた。
確かに、何度見ても異様な姿である。
チャリで通り抜けた記憶も鮮明な内部へと、入る。



 短い隧道を抜けると、以前は路上に幾筋もの滝が落ちていた岩盤ゾーン。
坑門前が土石流の通り道のようになっており、巨木が通せんぼしている。
滝は姿を消し、道はすっかり夏草に没していた。

あともう少しだ。



 やっと、湖の対岸に林道のガードレールが見えてきた。
このさきは、六郎沢が太平湖に注ぐつながりを遡行し、水位に応じて渡渉点が変わる。
朝に対岸の林道を通過した時の見(けん)では、“前回の場所”がギリギリ使えそうだったが、この半日で水位が変わってないことを期待する。
まずあり得ないことだが、ここで渡渉出来ないことには、延々に仲間の元へは戻れないのである。
最悪泳いででも渡らねばな。



 まるで現役の林道のような区間もある。
路傍には、錆びたお馴染みの架線柱。
さらに、路肩の湖へと落ち込む斜面には、無数の枕木が打ち棄てられていた。
車道にするには、当然枕木も邪魔だったのだ。
レールは価値があったが、枕木までは、わざわざ運び出す価値がなかったのだろう。



 見えたっ!

渡渉点には、まるで狼煙のように煙が上がり、すっかり普段着に着替えた仲間達の姿が。
大声で合図を送ると、オールスタンディングになって我々を歓迎してくれた。

よかった。

林道を車で移動するのも、けっしてラクな仕事ではないはずだが、向こうも全員無事らしい。
あとは、我々を隔てるこの湖さえ渡れば、旅は終わる。



 渡渉点は、水位の低い時期にはブルドーザーなどの車輌が通過していた形跡もある。
本来の林鉄の橋は、すぐ30mほど上流に、すっかり橋脚だけになって存在する。
もう、このさきは辿れないから、いつものように、ここを渡渉する。

ダムの水位は高めで、以前は六郎沢の流れがあったが、今日は淀んだ湖面の一部だ。
ときおり、黒い魚影が矢のように水中を駆けるのが見える。
魚影の濃いこの湖を、渡る。
水位は、果たして如何ほどだろう。




 終 焉 
15:06


 きょうはすでに何度も水の中を歩いたが、最後の最後で最高水位を記録してしまった。
深いところで腰よりも少し上まで来たが、水流は無く、危険は感じなかった。
水中の滑りやすい岩場を避け、ゆっくりと仲間の下へと渉っていく。
写真の奥に写っているのは、林鉄の橋梁である。
以前は、あれを「7号橋梁」と称していた(根拠はダム付け替えについての県の関連資料に「付け替え区間に新設された橋梁は7本」とあることによる)が、今回の探索によって、それは誤りであったことが判明した。
そればかりか、先の資料に誤植が無いとすれば、「5号橋梁」なども、本当に5番目の橋であるかは怪しくなってきた。
我々が気がついていない小さな橋(たとえば、平田の対岸にあるブル道分岐点の謎の橋台など)が、さきの「7本の橋」には含まれているのだろうか?
まだまだ、本路線についての本格的な資料に出会ったこともなければ、それが記載された高縮尺の地図もない。
いくつもの謎は、まだ残っている。

しかし、一連の付け替え軌道の実地調査は、これにて一応の完結を見たのも、事実である。

5度にわたる私の森吉林鉄を辿る旅は、仲間たちの暖かい声援の中、終わりを迎えた。




 焚き火を囲んでのささやかな宴会。

ここで始めて空腹を告白したくじ氏には、わたしのおにぎりをおいしそうにほおばった。
さっきは、あんなにおいしいタケノコを食べさせてくれて、ありがとうな。

細田さん、わざわざ車から取り出してきたお気に入りの帽子、
とっても似合っているよ。 

YASIさん、どうでしたか?森吉林鉄。
そして、私たちの合同調査は? またご一緒しましょうね。

ふみやんさん、あなたの頭の中には、一体どれだけの林鉄車両や自動車、電気機械の図面が眠っているの?
いつも、その知識には助けられます。

パタさん、われらがリーダー。
いつも、支えてくれる頼もしい世話役。ありがとう。
焼いたタケノコは、本当にうまかったよ。







  ありがとう 仲間たち。

森吉の豊かな自然よ ありがとう。


〜森吉林鉄 森吉ダムによる路線付け替え工事〜

竣工:昭和27年
延長:6300m

            -秋田県土木史より



いま、その全線踏破の試みが、おわった。




そして



山行が と 森吉林鉄 を巡る物語は、

次なる舞台へ。


彼の地、

古来より土地の狩人にかくよばれたり



神の谷 と







森吉林鉄第一部



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