廃線レポート 元清澄山の森林鉄道跡 第2回

公開日 2016.09.26
探索日 2013.01.31
所在地 千葉県君津市

穴!穴!穴!の “トロッコ谷”前哨戦


2013/1/31 7:37

穴発見!

それは嘘でもはったりでもない。
だがしかし!

あの穴は――

私が探し求めてきた、トロッコ跡の隧道である可能性は、非常に低いと言わざるを得ない!

なぜならば、私がトロッコ谷の入口にその「穴」を見つけた僅か5分後に――



7:42

再度の穴発見!

ここにも穴が!→

それは、到底人間が通る為に作られたとは思えぬ、激狭の穴。
そして、先ほど遠望した穴も、おそらくはこれと同じくらいの大きさだった。トロッコ用の隧道ではまず、ありえない。
とはいえ、どちらも自然の洞窟ではないようだ。
滾々と水を吐き出し続ける穴の奥は得体が知れない。
いったいどこへと通じているのかと、読者諸兄は大いに気になっているかも知れない。



だが、申し訳ないけれど、私はその期待には応えられない。

坑口前が深い瀞のようになっていて、泳ぎでもしなければ穴に近付けない事もあるが(左画像の赤矢印の位置に穴がある)、それ以前の問題として、房総の山や谷を探索した経験のある人なら次の内容にも共感して貰えると思う。

この手の穴にいちいち手を出していては、きりがない」…ということを。

この穴の正体は九分九厘、用水路だ。
個別にどこへ通じているのかとか、誰がいつ作ったかとかは、皆目見当も付かないが、とにかく房総の谷沿いには膨大すぎる数の穴が存在している。

それらは、どこかにある耕地へと水を導く農業用水路(やその跡)であったり、水路の取水堰を作るにあたって一時的な河道として作った仮水路の跡であったり、川の曲流を隧道でショートカットして元の河道を耕地にする“川廻し”という開墾法の痕跡だったりと一通りではないが、とにかく古くから人間との交渉が浅くない房総山中には、現在は人が行き来しない山奥のように見える場所であっても、人の掘った穴が膨大に存在しているのである。(川沿いでなければ、地下水を得るために掘られた穴も頻繁に見る。そして当然、人が通うための隧道もまた膨大に存在する)



もちろん私は、たった二つの穴を見て、その正体を結論したわけではない。
上の写真の穴のさらに上流にも、もう二つ、同じような穴が発見されたのである。
この二つの穴は断面が小さく、人間が入って掘削したようには見えないかも知れないが、おそらく河床の上昇により断面の下半分が土砂に埋没したのだろう。

このように、現在は道らしい道がまったくないトロッコ谷出合周辺には、無数の穴が口を空けている。
そしてその中には、古老の語るトロッコ跡の隧道はなかった。古老がこれらの穴を隧道と勘違いしたという可能性もないだろう。彼は隧道を通過したことがあるとも言っていたのだから。




なお、私の目的地は相変わらずトロッコ谷にあったが、その入口がダム湖に水没していて容易に踏み込めない状況を見て取った後、一旦トロッコ谷への侵入を延期して、その支流…いや、おそらく水系の規模としてはむしろトロッコ谷よりも大きな本流であろう、“隣の谷”の上流を目指していた。

というのも、仮称“トロッコ谷”というのは、あくまでも私が古老の情報を総合して、この谷だろうと推測した場所に過ぎない。
もしかしたらどこかに食い違いがあり、その隣の谷こそが、本当の“トロッコ谷”である疑いがあった。
また、両方の谷にトロッコが敷かれていた可能性も棄てきれない。

私がトロッコ谷の隣の谷の上流を目指して歩いているのは、この谷にトロッコ跡があるかどうかの確認のためだ。ここで成果があれば、儲けもの。




7:56 《現在地》

トロッコ跡の有無についての結論は、もう少し先まで確認してから述べるが、入口から800mほど歩いてみた現時点で言えることは、この谷は両岸が非常に切り立っていて、渓谷としての景観に見応えがあるということだ。

上の写真の場所もそうだし、右の写真の場所もそうである。
特に右の写真の滝は、一番高いところでも標高500mに満たない房総半島に、これほど高度感のある滝があったのかと、思わず探索の目的を忘れるくらい驚かされた。
ここまで辿ってきた本流に東から注ぎ込む、地形図に全く描かれていない小さな支流の入口に、この滝が存在していた(本流から見えたので立ち寄った)。

なお、滝の上部が妙に明るく突き抜けて見えるのは、例のゴルフ場の造成によって裸地になっているせいだ。
谷自体は原始的な房総の風景を良く残しているが、その片側の山は中途半端な開発にさらされている。



8:04 《現在地》

更に200mほど進んだ地点には、こんな変わった景色が待っていた。

まるで、川のヘアピンカーブだ。

地形図にもこの蛇行は描かれているが、実際はこんな風景になっていた。

房総の河川に特徴的な激しい蛇行のメカニズムは、どうなっているのだろう。
それは私には分からないが、分かる事は、一度こうした谷へと入り込んだら、
脱出は容易ではないということだ。谷は厳然として広大なる山野を区画している。



トロッコ谷の出合から1kmばかり入り込むも、谷底は相変わらず砂利道の如き坦々とした様相で、ごく僅かな水を流すだけである。
自転車では流石に無理だが、馬力のあるオフロードバイクなら、普通にこの回廊状の谷を天然の道として通行出来てしまいそうだ。

しかし、それでも行動の自由度は常に前後だけ。谷を遡るか、下るかしか、選べない。両岸は常に極めて険阻でどうにもならない。
写真の正面の山並みは、トロッコ谷を隔てる稜線だが、おおよそ500mの厚みと120〜130mの高まりが屏風のように連なっている。



更に進むと、少しばかり谷幅が狭まってきた。
河床に堆積した砂利も浅くなり、所々は下の岩盤が直に露出するようになった。
まるで岩盤から彫刻刀で削り取ったような鋭いV字の谷が、右に左に延々蛇行しながら続く。

この谷を歩き始めて間もなく45分といったところだが、もういい加減、結論を出しても早すぎることはないだろう。

この谷に、トロッコ跡はない。

…そんな面白みのない、ありきたりな答えが導き出される。
この谷には河床を歩くほかに交通可能な余地がないし、むしろ河床を歩けば事は足りる。
トロッコについての成果は、残念ながらナシだった。




トロッコの痕跡はないが、先ほどの穴以外にも、人の痕跡が見つかった。

右の写真の二つの陶器片は、どちらも上の写真の辺りの河床に、砂利と一緒に転がっていたものである。
この谷には、空き缶やペットボトルのような現代的なゴミはほとんど無い。そんな中、「最上醤油」と文字が書かれた、いかにも時代がかった陶器片を発見したのである。

おそらくは川が増水した時に上流から流れてきたのだろうが、この谷は全長5kmほどで元清澄山の稜線に行き当たる程度の狭い流域しか持っていないし、流域内に集落も存在しない。
いったいどこから流れてきたというのだろうか。

これだけは、私が千葉県以外のありがちな林鉄を探索している最中に感じるのと同じ匂いのするものだった。いわば、山仕事の匂い。
もちろん、この程度で林鉄との関係性を疑うのはナンセンスだが。




8:19 《現在地》

出合から1.8kmで、地形図でも水線が枝分かれして描かれている地点に到達した。

少し前に、「この谷にはトロッコ跡はない」と結論したが、きりが良いからと足を伸ばしてきたのだった。

この出合は向かって左が支流で、右が本流であるが、その真ん中の地面に、見馴れないものがあった。
削岩機のロッドに用地杭の上半分を取り付けたような、金属製の杭。
初めて見るもので、正体不明だが、やはり用地杭だろうか。
唯一、表面に文字らしく見えるのは、「水」か「木」の文字を記号化したようなマークだけ。


…さて、この谷にトロッコ跡がないことは分かったので、引き返すとしよう。


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“トロッコ谷”への強行進入!


9:09

午前9時過ぎ、約1時間半ぶりにトロッコ谷の出合に戻って来た。

水位は相変わらずで、素直に出合を通ってトロッコ谷に入る事は出来ない。
なのでここは最後の手段…というのは少し大袈裟かもしれないが、これが駄目ならば、根本的にルートか時期を変えるかしかないだろうという、少しだけ無理矢理な進入ルートにチャレンジすることにした。

出合の東側の尾根を乗越して、トロッコ谷へ進入する!名付けて、急降下爆撃作戦!!!



ここは少しばかり、リスキー&スリリング。

滑りやすい土の急斜面(土崖)を、トラバース気味に上っていく。
なんとなく道が見えるような気がするのは、気のせいではないのだが、それが人の付けた道なのか、獣道なのかは分からない。経験上は後者の可能性が高い。
でも、人間だって一皮剥けば獣である。通っていけない道理はない。
それに、万が一滑落したとしても湖に落ちてびしょ濡れになるくらいだろう。テンションが下がって今日は探索中止するかもしれないが、命までは取られない。




案ずるより産むが易しというやつで、これが意外に短時間で首尾よく尾根に辿り着けた。

あとはこの左側に下降していけば、いよいよトロッコ谷だ。

果たして、谷の内部はどのようになっているのか。

そして、肝心のトロッコ跡は実在するのだろうか?




これが、“トロッコ谷”の内部だ!

↓↓↓




普通の谷だ!!

特に、路盤らしいものも見あたらないようだぞ!!



この写真は下流(出合)方向を撮影した。

トロッコ谷での“探索初め”として、まずは今回の探索で最初に見つけた穴へ行ってみよう。

ツタなどを上手く利用しながら河岸の急崖を下り、平坦な河床へと降り立った。




9:18 《現在地》

先ほどの谷に負けず劣らず、このトロッコ谷も穴だらけだ。

どの穴もサイズが小さく、トロッコ用でないことは明らか。
内部へ進入出来そうな穴もあったが、この手の穴でろくな目にあったことが無い。交通路以外の穴はスルーしてもよいというポリシーに従って、今回もスルーする〜。



そこから上流方向に目を向けても、やはり目に付くのは穴、穴、穴。

どの穴も今は使われていないようだけど、一つだって穴を掘るのは楽な仕事ではないはずだ。
このような人気の無い場所でも、先人達が投入してきた労力の累計を測ることが出来たら、それは都会の一等地と大差ない可能性さえある。
しかし、私には前時代の遺跡を見るようなリアリティでしかこれらの穴を感じられない。そのくらい、現代人の私とは感覚が杜絶しているということか。

そんな感慨はさて置き、もっともっと切迫した問題が。

それは、ここに至ってもなお、全くトロッコの路盤跡らしいものが見えないことだ。

探索の目的からして、結構これは致命的状況な気がする。



ちなみに、上の写真に写る二つ並んだ穴の中間地点には、コンクリート製の用水堰の跡が残っていた。


そしてこの写真には、私にとって用水堰なんかより遙かに重大なものが写っている。


それは何気なくそこにあって、一度素通りしかけたくらい、全く目立っていなかった。


↓↓↓



レール、あった。


路盤に敷かれたレールならばいざ知らず、河原に転がってるやつなんて珍しくもない。

仮にここが、林鉄不在が半常識化していた千葉県で無ければ!


この探索の時点では、このレールの正式な正体は判明しなかった。

これはまだ、一人の古老が、「木を伐るためのトロッコがあった」と私に語り、

それを真に受けた私が、大した情報も無いまま手探りで「それっぽい」場所へ赴いた結果見つけた、

たった1本の廃レールに過ぎない。





9:20 《現在地》

発見されたレールは1本。長さはおそらく5mで、通常の1本分の長さである。
レールの規格については、使用された時期によって色々とあるので、正確な測定を行わないと判断は出来ないが、外見からも圧倒的な細さが感じられるので、産業鉄道用レールとして最少の6kg/mレールである可能性が高い。

そのうえで、異様に痩せ細ったレールだった。
錆が芯まで進んでいるようで、極端に軽いのだ。
動画では片手で持ち上げたりしているが、6kg/mレールでも新品ならば絶対こんな扱いは出来ない。
持ち上げてみて、余りの軽さに驚いたくらいだ。ほとんど金属の重さではない。
それでも、河原の石にぶつかれば、軽やかな金属音を響かせたのである。

なんとも、愛おしい!!!




こうして私は、“トロッコ谷”に本当にトロッコが存在したという物的証拠を発見した!

まだ見ぬ路盤や、古老の語った隧道が、この先にあるのだろうか?!