生保内手押軌道は、田沢湖町神代から玉川の成す抱返峡谷に沿って遡上。
起点付近以外では途中唯一の集落があった夏瀬を通り、奥羽山脈に端を発する八木沢上部までの、約15kmにも及ぶ、森林軌道であった。
また、本路線には、路線内でただ一カ所だけ玉川を渡る、神の岩橋(大正15年竣工)が完成する以前に利用されていたと思われる、貯木場線(仮称)。
そして、夏瀬ダムの工事が始まる昭和13年頃よりも以前の、おそらくそう長くはない期間だけ利用されていたらしい、向生保内線(仮称)という、少なくとも二つの支線が存在した。(どちらも地図上より推測)
今回紹介するのは、生保内林鉄の黎明期にだけ存在した支線の一つ、向生保内線である。
本線・支線共に、この生保内林鉄では、昭和38年の全面廃止まで、一切機械動力が投入されなかった。
故に、本路線は林用手押軌道と称されている。
下りはブレーキ装置のみトロッコ車を連結し、伐りだした材木を満載して駆け下り、
上りは空のトロッコを牛が牽くというローテーションで、毎日一往復ずつ運用されていたという。
この路線が、比較的長く利用されたにも関わらず、一切の動力車が投入されなかった理由だが、
道中が極めて険阻な山峡にあった為と思われる。
現在も、そのハイライトといえる抱返渓谷区間については、軌道跡が殆どそのまま遊歩道化しており、歩いてみることが出来る。
その険しさは、実際に歩けば一目瞭然である。
また、鉄道廃線歩きというマイナーな趣味に市民権を与えた偉大なるバイブル『鉄道廃線跡を歩く(JTBキャンブックス刊)』の第一巻にて、この抱返渓谷区間が紹介されており、ご覧になられた方もいらっしゃるだろう。
「山行が」でも、『道レポ 抱返渓谷』として紹介済み(2005年4月時点では未完だが…)であるが、前述の通り、今回紹介するのは、短命なる支線「向生保内線」を中心とした部分だ。
探索時期も異なるので、ご注意いただきたい。
お読みいただきありがとうございます。 | |
当サイトは、皆様からの情報提供、資料提供をお待ちしております。 →情報・資料提供窓口 | |
このレポートの最終回ないし最新回の 【トップページに戻る】 |
|