2007/3/11 9:48
探索開始から約1時間。
車を止めた古道からは100m以上も高い山腹にて、やや唐突に現れた巨大なコンクリートの建造物の正体は、索道に不可欠な緊張所と施設のようであった。
遂に、戦後僅かな期間しか使われずに破棄された“幻の索道”の痕跡を掴んだ。
地形図に、想定される現在地点を落とし込んでみる(右図)。
実際には索道といえども完全に真っ直ぐだったわけではなく、地形に合わせてある程度カーブもあっただろうが、もし古老の情報が確かならば、隧道はきっとこのすぐ南の崖地にあるのではないか。
そこでは、等高線の張り出しと索道の想定線がぶつかっている。
「“古道入り口”の上のあたりに隧道がある」という情報にもずばり一致する。
私は、仲間達を呼びに行きたい衝動に駆られたが、まだ隧道を発見したわけではない。
おそらくあともう一歩。
二度手間無駄足にならないためにも、もう一歩踏み込んでから報告に戻ることにする。
戦後のめざましい復興が、この索道の死を早めた。
昭和21年の氷川鉱山稼働開始に合わせ、鉱山から出荷拠点である氷川駅(現:奥多摩駅)までの二次輸送ラインとして、本索道は建造された。
だが、索道の輸送能力には限度があり、6億トンもの埋蔵量を抱えながら、月産はわずか4万トンに留めざるを得なかった。まだ川向かいの都道は建設中であり、鉱山までトラックの通える道もなかった時代だ。
そして、索道は地中に新たに建造された曳索鉄道によって、その命運を絶たれる。昭和28年索道廃止。
曳鉄の輸送量は当初から月8万トンと索道を大きく凌駕しており、その後改良によって月34万トンまで拡大したという。
もはや、索道の出る幕はなかったのだ。
索道緊張所を跡に、今度は戻る方向へと歩く。
無論、地を這う一本のワイヤが何よりの目印となる。
案の定、ワイヤは私が臭いと思った岩場へと入っていく。
しかし、問題は私がこの岩場を乗りこなせるかと言うこと。
…でも… たしか…
山菜採りで隧道を通ったという話だったよな…。
山菜採りで… こんな岩場通るかね…ご老体だろ…?
う〜〜ん、 キツいな…。
しかし、ここさえ登れば何やら平らな場所がある雰囲気だし…。
岩場の凹凸を騙し騙し、何とかのぼってみるか…。
ひ〜 こえー。
よいしょ よいしょ
よっこいせ。
ふ〜っ。
何とか岩場の上というか、中途の平らな場所に登り着いた。
さて、この先に何があるのか。
頼むぞー。
戻りたくない…。
そこは思いのほか広い平場だった。
木々も生えているが、果たして自然の地形なのだろうか。
或いは索道を通すため、岩場を削ったのかも知れない。
ともかく、これを辿っていけば隧道があるかも知れない。
私は興奮した。
そして、この場所はすばらしい見晴らしを私に提供してくれた。
大分前から雨は上がっていた。
いつの間にか霧も晴れ、雲は上と下に分かれるように消えつつあった。
東側にだけ開けた岩場の展望台に立つと、ひょろ長い杉の木立も届かなかった。
ここは、日原川の谷を見晴らす、最高の特等席だった。
私は、危険な岩場に孤立している心細さも手伝ってか、この眺めがとてもこの世のものではないような感慨を憶えた。
だが、間もなく我に返り、再びワイヤーを辿って歩き出した。
既に仲間達とはぐれてから40分を経過している。
こっちに向かってきてくれていると良いのだが…。
だが、さながら道のように切り開かれた平場は、ワイヤーが地面を這って谷へ落ちていくのを見届けた後、突如消失した。
やはり、これは道などではなかった。
あくまでも索道が通過するために岩場を切り開いた跡だったのだ。
ワイヤーを辿っていけば隧道に遭遇できる可能性は高いが、これ以上岩場を進むことは不可能。
一旦、崖下の小道へ戻ることにした。
崖の突端にてふりかえって撮影。
張力を失い、地を這う一本のワイヤー。
太さは2〜3cmほどしかなく、石灰石を満載したゴンドラを幾つもつり下げていたにしては心許ない気がする。無論、これ一本だけで支えていたわけではなかっただろうが。(単線であっても通常は曳索と支索の二本が使われる)
それと、ここまでの探索ではまだ一箇所も支柱を見つけていない。
すなわち、それは径間が比較的大きな、想像していたよりもずっと本格的な索道だったことを予感させた。
滑りやすくなった足下に細心の注意を払い、まずは緊張所へ、そして来た道を戻るようにして、岩場の下を巻く小道へ入った。
ちなみに、私を緊張所まで誘った小道だが、緊張所に登るような九十九折りの踏み跡を見つけた。
そして、そこで緊張所付近で小道は終わっていた。
どうやら、小道は緊張所への作業道路だったらしい。
私は索道と無関係の道だと思っていたが、実はそうではなかった。
まさしく僥倖と言うべきだろう。
写真は小道から岩場を見上げる。
先ほど私が立って山々を見晴らしたのは、このかなり上の方だ。
かなり怖いところに立っていた。
無理にワイヤーを辿ろうとしなくて良かった…。
岩場の凸から凸へと、文字通り綱渡りをする索道。
こんなものを正直に辿っていては、命が幾つあっても足りなくなる。
私は慎重に、ワイヤーの行き先を睨んだ。
20mも30mも高い位置を渡るワイヤーは、木々に紛れるともう見分けがつかない。
しかし、再びワイヤーが地上へ接する部分を見いだし、そこへ辿り着かねば隧道の発見はないだろう。
10:06
やがて岩場は途切れた。
そして、ワイヤーが続く先を見上げる。
かなり斜面の上の方だが、緊張所の所にあったものとよく似たコンクリート製の支柱が見えた。
間違いない。この上にも索道がある!
ここは、来るときにも一度通っていた(この写真のあたり)が、頭上にワイヤーがあることなど気づかなかった。
だが、今度こそ見逃さない。
ここならばどうにか上れそうだ。
上を目指そうと斜面に取り付いたそのとき、支柱の前でちらりと動くものを見た。
目をこらすと、それは人だった。白い服を着た人影。
?!仲間の誰かか?!
それは、二本松市から参戦したたつき氏の姿だった。
どちらが先に呼びかけたかは覚えていないが、私の「隧道あったかー?」の叫びに、彼は「ここにあります!」と応えた。
!なんと! ここにあったのか。
この崩れやすい土の斜面は、思いのほか登るのに苦労した。手掛かりも少なく、這って登るといった感じだ。
それで時間もかかったので、登りながら、上から見下ろすたつき氏に向かって、私が離れていた間の出来事をいろいろと聞いてみた。
それによると、いまたつき氏と一緒にいるのはデスライダー氏だけらしい。
他のメンバーとは大分前に分かれ、別々に捜索していたようだ。
ただ、たつき氏はちい氏から預かった無線機を所持しており、少し前にちい氏のグループへ「隧道発見」を知らせたそうだ。間もなくここに集合するだろうという。
彼らも、ほんの少し前に隧道の反対側坑口へと辿り着き、そして、その隧道を潜り抜けたら、崖下に私がいたそうだ。
すんでの所で一番乗りを逃してしまったが、何よりも隧道の発見は嬉しかった。しかも潜り抜けられるというのか!
こいつは熱い。
10:10
斜面を登り切ると、本当に目の前に隧道は口を開けていた!!
これが索道の隧道……。
…初めて見る……。
交通遺構というよりは、どちらかと言えば産業遺構寄りだとは思うが、これまで一度も地図に載らなかった幻の隧道を、遂に発見したのだ!
デスライダー氏が古老から聞いた話が全ての原点だった。
もしそれがなければ、この山域に踏み込むことは絶対になかった。
現地の証言だけを頼りに未知の隧道を発見するという流れは、非常にエキサイティングだ。
確かに隧道は貫通しているようだ。
それにしても、この異様な断面はなんだ。
これぞ索道隧道の証と言える、細長過ぎる断面。
ここを、ゴンドラをつり下げたワイヤーが通り抜けていた。
ピンと張られたワイヤーは、どんな音が立てて回転していたのだろう。
しかし、単純な疑問として、この程度の山(隧道上の地被りはそれほど高くない)ならば、上を越すことは出来なかったのだろうか?
その理由は、この反対側の先の地形にあるようだった。
その構造に目を遣ろう。
支柱も、坑門も、全てがしっかりとしたコンクリートで作られている。
意匠と呼ぶほどではないが、坑門上端には笠石を模したような出っ張りがある。扁額は見られない。
僅かな期間しか利用されなかったのは結果論であって、当初は末永く利用するつもりで建設したに違いない。
私の隧道発見を阻み、遅らせた、隧道前の険しい斜面。
ワイヤーはもう支柱には掛かっておらず、地を這っている。
緊張所の形から考えて、この索道は複線であったと考えられる。とすれば、上り下りそれぞれに支索と曳索の2本のワイヤーが存在し、合わせて4本のワイヤーが平行していたはずである。しかし、観察できるワイヤーは一本のみである。(余り太くないのでそれは曳索と考えられる)
注:
曳索=ゴンドラを牽引する。
支索=ゴンドラは支索に滑車を噛ませ、曳索に引かれて走行する
驚いたことに、隧道は複線であった。
索道の構造を考えれば驚くに値しないのだが、私には索道隧道の全てが未知だった。
続出する新発見に、私のテンションは激しく高まった。
第一発見者のたつき氏は意外なほど冷静であったが、表情は満ち足りている。遠くから夜行で来ており、発見に立ち会えたのは、本当に良かったと思う。おめでとう。
一方、彼を導いたデスライダー氏は支柱の間に入って静かに一服している。後から聞くところによると、今回の探索が思いのほか大所帯になり、発見できなければどうしようかとプレッシャーを抱えていたという。
見つけられて良かった良かった。
次回、未知なる索道隧道、その内部を公開。
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