2007/3/11 10:12
たつき氏、デスライダー氏の2人によって最初に発見された索道隧道。
私も3番目に隧道前へ辿り着いた。
他の仲間達も無線で呼び出され、今ここへと向かってきている。
その間に、私は隧道の内部を探索した。
坑口のみならず、内部まで完全にコンクリートで巻き立てられている。
せいぜい素堀の短い洞穴を想像していた私だったが、その本格的な構造に驚かされる。
私がはじめに通過したのは、上下線の二本が並ぶ隧道のうち、東側(谷側)の一本だ。
目立った崩壊はないものの、側壁の随所には不気味な歪みが見られる。
これだけ正円からかけ離れた細長い断面ならば、側壁へのダメージの蓄積は如何ほどだろうか。
地下水の滲み方を見ても、既に目に見えない亀裂が多数生じていることが分かる。
そう遠くない将来、倒壊することも予感される。
なお、メジャーを持参しなかったのでサイズを測ることは出来なかったが、幅は両手を伸ばせぬほどで1m未満、高さは余裕があって3mほど、長さは50mほどだろうか。
内壁から析出した石灰分で黄色く変色した出口付近。
なお、隧道内は一様に出口へと下り勾配となっている。
細長い視野から見えてきた外界の景色は、入り口で見たものとよく似た支柱の姿であった。
決して長い隧道ではないが、その両側に密接して支柱が存在するのは、それだけ隧道がデリケートな場所だということだろう。
ひとたび隧道に異変があれば索道全体が完全に機能を停止することになるわけで、頑丈に作られていたことも納得できる。(当時作られた、人や車が通るための並の隧道よりも、よほど上等な規格だったと思われる)
隧道を出ると、重厚な支柱があった。
そして、その足回りには索道のパーツが散乱している。
何のパーツだか分からなくなった金属片も多いが、一目見て滑車やゴンドラと分かるものも散乱。
半世紀に及ぶ放置の結果なのか、或いは回収し忘れられたのか。
(写真左)
支柱に取り付けられていただろう滑車。
直径は30cm弱。まだグリスは効いていて、重いが回すことも出来た。
ゴンドラを支える支索が、この滑車の上を滑っていた。サイズを測れば支索の径も知れるだろう。
(写真右)
ひっくり返って墜落したゴンドラ。
雨に濡れて黒光りしていた。
索道を辿ることが出来るのはここまでだ。
落ちたゴンドラが辛うじて踏みとどまっている斜面は、おおよそ45度の急角度。
鬱蒼とした杉林が見渡す限りに続いており、そこには踏み跡も次の支柱も、ワイヤーの切れ端さえも見られない。
ここが、我々の索道探索においての、氷川側端点となった。
索道が次に何らかの痕跡を顕すのは、おそらく、先ほどまで雲海の底に隠されていた日原川の、その対岸。
おおよそ700mも離れた、遙か山の上であろうと想像された。
現在地を、地図で確認しておこう。
神社を事実上の出発地とした我々の探索は、ここまでで目的の隧道一本を発見している。
しかし、情報では隧道は二本存在していたという。
おそらくそれはまだ行っていない緊張所よりも北側にあるのだろう。
索道はその構造上、基本的に直線であった筈だから(ただし、当時の資料によれば第一第二の二本の索道があったとされている)、緊張所から隧道に至る直線を単純に延長すれば、左の図の通りのラインとなる。
未確認ではあるが日原川対岸にあるという作業所(積み替え所)にも、直線は綺麗に繋がっている。無論、氷川鉱山とも結ばれている。
どうやら、索道のラインはこれでほぼ決まりのようだ。
こうなると、残るもう一本の隧道は、先に「謎の(元)自衛官」氏が予想していた箇所にありそうである。小さな尾根が索道のラインにぶつかっている箇所があるが、そこが怪しい。
私はひとまず、ここで仲間達の到着を待った。
上の地図と合わせて右の図も見て欲しい。
スケールは大雑把だが、索道はこの図のように谷を跨いでいたものと想像している。
ただしこれだと、日原川を跨ぐ部分で径間が700mを越えると言うことになってしまうので、支柱が他にも存在していたのかも知れない。(なお、現在稼働中の旅客用ロープウェイには径間2000m近いものも存在する)
保守上は、支柱は少なく径間が長い方が好ましい。力学的にも、途中に上りと下りが混ざり合う索道は非効率的と言えるだろう。
故に私は右の図のように想像したのだが。
今後、対岸に索道の支柱がどの程度残っているかは調査を要するだろう。(まだ隧道がある可能性も)
もしこの図の通りだったとすれば、大スペクタクルと呼ぶに相応しい谷越えだったと言えるだろう。
数分後、まずはちい氏の姿が杉林の中に見えてきた。
その後ろには、なんだか苦しそうなトリ氏の姿。
這々の体といった感じだが、何があったのか。
それに、謎の(元)自衛官氏の姿が見えない…。
私が一人ずっと先へ行っていた間、ちい氏、自衛官氏、トリ氏の3人は、神社のあたりから相当に上まで斜面を登ったそうだ。
そして、そこにも何やら意味深な小道の跡や石垣があったというが、索道は無かった。
その後、たつき氏より無線で隧道発見の連絡を受け、道無き道を歩いてきたとのことだった。
自衛官氏も直前まで一緒に歩いていたとのことだが、立ち止まって一服する姿をトリ氏が見たのが、彼の最後の姿だった(笑)。
とりあえず、これでメンバーは5人まで集合した。
間もなく自衛官氏も現れるだろうと言うことで、暫し隧道付近で待っていた我々だが …あれ?来ない。
これはきっと…独自の勘で、次の隧道を探しに行っている公算が高いな……。
天候が急激に回復してきたこともあり、とりあえず遭難の危険は低いだろうということで、我々はゆっくりのペースで先へ進むことにした。
いつになく元気のないトリ氏。
彼女を苦しめているのは、花粉だった。
トリ氏とたつき氏は重度の花粉症に冒されており、見る者の憐れを誘った。
(隧道の第一発見者になれなかったことが悔しくて凹んでいたと言う噂も聞いたが、これについては本人がmixiあたりで語るでしょう…笑)
それはさておき、今度はさっき潜ったのとは逆の、山側の隧道を通ってみることにした。
こちらも貫通はしているようだが、坑口から見る向こう側のシルエットは明らかに歪である。
それに、なんだか土臭い。
作り自体は隣の隧道と全く同じだが、こちらにはワイヤーが一本だけ残っていた。
しかし、それはひどく風化しており、何百トンもの張力に耐えていたとは信じがたい状況。
ワイヤーは風化し、触れれば指の間からこぼれ落ちる粉となる。
色々な悪条件が重なってこうなったのだろうが、鋼が半世紀でここまで劣化するのかと驚かされる。
雨ざらしとなっている地上のものの方が、よほど状況がいい。
やはり途中で崩壊していた。
天井が一部抜け落ち、大量の土砂が隧道を埋めていた。
天井が特別に高かった事が幸いして、通り抜けることは出来る。
なお、この崩壊部分を覗き込むことによって、そのコンクリートの巻き厚が判明した。
…5センチくらいである、しかも無筋……。
幾らコンクリートでも、これではないよりはマシという程度かもしれない。
それともう一点、近接して並ぶ上下線の隧道だが、その間隙も地山であることが判明。(てっきり一本の隧道に中壁を作ったのだと想像していた)
そうして、北側坑口へ戻る。ここで5人が集合。
今まで見たことのない隧道や支柱について、あーだこーだと言いながら休憩。
そのまま自衛官氏の登場を待ったが、10分ほどしても現れないので、先に見つけておいた緊張所まで進む事になった。
あそこで昼飯でも食っていれば合流できるだろう。
隧道から緊張所までは、私が苦労して登ってきたルートの逆を辿ることになるので、一番はじめの下りが特に危険だ。
次回は、緊張所から始め、最後の隧道を目指す。