西沢森林軌道  第2回

山梨県山梨市(旧三富村)
探索日 2006.8.14
公開日 2007.7.22

周辺地図

 出発から約2時間、気持ち良い渓流沿いの遊歩道を歩き辿り着いたのは、海抜1400mの滝ノ上展望台である。
日本海岸の北東北出身者からすれば、この海抜になればもう大きな木など生えている筈がないのであるが、実際には、見渡す限り青々と茂る森が広がっており、しかも、まだまだ高い山が幾峰も周囲を取り囲んでいる景色には、とにかく遠くへ来たのだという感慨を受けた。

 そしてここから、西沢森林軌道(以下「西沢林鉄」)を辿る探索が始まる。
今回目指しているのは、約2kmほど西へ進んだ地点と想定される、西沢を渡る橋(西沢橋梁)である。
おそらくその対岸までは、山越えして源流部へ近づいてくる別の林道が伸びてきている筈であるから、橋が一連の軌道跡としての終点となるだろう。そう考えた上での目的地設定であった。

 ただし、中間地点である「二号隧道」より先に関しては、ネット上および目に付く書籍等に新しい情報が無く、現状は不明であった。
故に、まずはその「二号隧道」が、第一到達目標地点となる。




 侮り難し! 危険な軌道跡

ごめん。 思ったより恐いな。


 2006/8/14 9:40

 展望台で休憩後、我々3人は一般の観光客の順路に背を向けて、そのものずばりレールが敷かれたままに残る軌道跡を西へ歩き始めた。

展望台から初めの30mほどだけは黒金山への登山道と重なっており踏み跡もはっきりしているが、その先は落ち葉や枯れ枝が目立つ、廃線後として申し分のない風景へと変わる。

 遊歩道、そして登山道からも外れ、軌道跡単体となる分かれ道に、この小さな立て札が立っている。
だが、これ以上は何もない。立ち入り禁止とも書いていない。
この、自己責任を前面に押し出した整備状況は、観光地らしくなくて好感が持てる。





 そう。
今のふざけたコメントからも分かるとおり、この時点では私は侮っていた。

 「西沢林鉄だとぉ。」

 「メジャー所に難所無し!」


そんな、驕り高ぶった私の前に、真実の景色はすぐに示されたのである。



 えっ?

 あれ? ちいさん? トリさん??

いきなり道が宙ぶらりんしてますが…。


歩き出して100mほどで、あっけなく路盤は消え去っていた。
しかし、そこが終点などでないことは、宙に浮かぶ二本のレールが主張している。
これはネタなどではなく、私は素でこの林鉄を侮っていた。
その理由など今更聞かされても、読者の皆様には毒にも薬にもならぬであろうが、一応言う。

遊歩道に近いということ、(二号隧道までは)ネット上に既に露出があったということ、トリ氏もちい氏も単独で一度来ているということ。
そういった「既存物」であるという観念が、私に誤った、これはもう予備知識とさえ言えないような、歪んだイメージを持たせていたのだ。



 いきなり目の前に「林鉄王国」と呼ばれた東北で、私がいままで体験してきた軌道跡にも何ら劣らぬハードな景色が現れたことで、私の今日一日の探索に血の通う事が約束された。
それはむしろ、非常に喜ばしいことであった。
遊歩道に毛が生えた程度の軌道跡で、ただ撤去の機会がなかったために残されたレールをなぞって満足するなんて、虚しいと思っていた。正直。

 そう。

これはむしろ、嬉しい誤算であった。

 侮っていてごめん。

この先、二号隧道までだって、結果的にはまったく「消化試合」などではなかったのである。



 ちょっと前まで、私はどこかうわの空で歩いていた。
今まさに自分が打席に立って、真剣にボールを投げられているのに、それを自覚していないような、プロを目指すオブローダーとしてあるまじき腑抜けぶり。
ただ、目の前にある踏み跡をなぞるだけの、そんな時間であった。
滝が有れば綺麗だなーとか、橋が有れば高いなーとか、それで終わり。
遠くから来た観光客。
お客さん。

そんな意識だった。
今一歩のめり込めなかった。
どうせ関東では自分はお客さんだと、そう思っていた。

結果的に、私はこの日の探索によって、関東への移住を内心で決定したと言える。
馴染みのない土地でも、廃道という奴はやっぱり私を夢中にさせるのだと、はっきり分かったからである。

 写真は、遊歩道を離れて200m附近の景色。
僅かな間に路盤の大規模な消失はもう2カ所目である。
どちらも、僅かな踏み跡が付いているので、これをなぞって迂回することになる。



 二度目の崩壊を迂回中に撮影。

小さな谷から橋が消え、枕木も一緒に消え、レールだけが空中に取り残されている。
本路線の廃止は昭和44年と、林鉄としては比較的最近の部類に入るが、やはり高地であるから冬の積雪もあろう。それにこの濃い緑、かなり多雨なのだろう。レールが残されている事を除けば、遺構自体の残存状況は秋田県内平均と同レベルであり、福島県浜通や青森県下北半島など比較的乾燥した東北太平洋側に比べると悪いようだ。

無論、周辺でもかなりの高所に位置する部類の西沢林鉄だけを拾って、この地方の平均とは言いかねるのであるが。



 レールが、まったく惜しげもなく残っているのである。

この探索の時点では、山梨県はレールが残っているのがデフォなのだろうかとも思ったが、どうやらそういうことでもないらしい。
やはり、全国的に見ても珍しい部類には入るようだ。
なぜ残されたのかについては全く推測の域を出ないが、撤去して再利用(売却)する体制が無かったのだろうと思う。
この軌条を最後に使ったのは民間業者であり、ほかにレールの現存で有名な秩父の入川林鉄なども所有者が大学であったなど、全国的な営林署の体制の外であった。

レールの撤去から搬出、そして売却という行程は、かなりシステム化された大規模な機構がなければ困難(不採算)であろうことは、素人考えでも想像が付く。

 全国には、いまだレールが残されたままの軌道も多く有るようだが、その理由を考えてみるのもおもしろいだろう。



 入ってすぐに2連続で大規模な路盤消失箇所があったが、その先も決して安定してはいない。
ご覧のようにまだ辛うじて形を保っている橋もあるのだが、果たしてそれが我々の体重を支えきれるものかどうか分からない。
どの橋にしても、いつ崩れ落ちてもおかしくないような状況なのである。



特に今回のメンバー構成は、体重に関してかなりの凸凹トリオである。
基本的に私が先頭を歩いており、そのすぐ後を来るトリ氏に関しては、「私が渡れたなら安泰」と言えるのであるが…。
トリ氏もそれは自覚しており、ほぼ躊躇いなく怪しげな木橋も渡ってくる。
まあ、二人ともそれぞれ一度下見に来ているのだから、足場の踏める踏めないは心得ているのかも知れないが、初体験の私にとっては恐い場所も少なくなかった。



 レールが残っていると言うだけで、林鉄歩きはこんなにも満たされた気持ちになるのかと… 思わず溜息が出る。

もっとも、残っていないからこそ探す楽しみがあるわけで、一概にどちらが良いとも言えぬ。
それぞれに良さはある。



 09:55

 ……来たな…



この道で初めて、命の危険を感じた場面だった。

これまでも路盤がまるっきり消失している場所があったが、しかし、それらにはある程度なだらかな迂回ルートが、一目に見て取れた。

だが、今度は迂回と呼べないような踏み跡があるだけ。
はっきり言って、敵の術中のまっただ中じゃないか。これは。
レールや木橋の残骸はあるが、そこに踏み場所はなく、結局土くれの斜面だけ。
しかも、転落した場合の行き先が、ここまでの似たような場面とは決定的に異なっている。 it's 谷底!

湿り気を帯びた土の斜面に、慎重に足を運ぶ。

こういう場所では、良く喋る我々も、流石に無言になる。




 ここで特に恐かったのが、この写真の場面。

前歴があるから渡れるが、もしそれがまるっきり無ければ、私はどこか迂回路を探して渡ったかも知れない。


大袈裟でなく、この物体は信頼ならんだろ。

これは呈の良い一本橋だ。

どっかから引っ張ってきたレールと、細い木の幹数本とをロープで結わいて、一応橋の形に整えていた痕跡はあるのだが、もうユルユルで…。

嫌々ながら足を乗せると、その感触はもう一本のレールでしかない。(木の部分は絶対に足を乗せてはいけない。もう腐りきっている)
だから、とても良く撓む。体重でグワンと撓むのである。生きた心地がしない。
しかも不快なことには、万が一の時に身体を留めておけるような余地がどこにもない。転落すれば、苔むした急傾斜の崖にそのまま谷底へ連れて行かれそうだ。




 10:00 

 さっきの所では、私は冷や汗をかいていた。
ちい氏も同様のようだったが、トリ氏が妙にケロッとしているので、私もちょっと悔しくて“恐くないフリ”を、ちょっとしたりしてみたが、やはり今の橋は恐い。
帰りも通るのかと思うと、気が重い。

これまで、結構二号隧道まではさらりと紹介されていたようなイメージがあったが、それは私の悪い癖で、「遠くのことは他人事」「遠くのネタは余り真剣に見ない(←なぜなら行きたくなるから)」という事から来る弊害だった。

実際にはこの西沢林鉄…、遊歩道とは全く次元の異なる“ガチ”軌道であった。
この先もまだまだ危うい場所は続いたのだから、私の勘違いでは有り得ない。
初級者向けなどというのは、全く当てはまらない。

 さて、またも足元に恐ろしげな丸太橋が現れたぞ。



 トリ氏は前回の偵察時、二号隧道までを40分で辿り着いたと言うではないか。
さらに、帰り道などは同行の母親を展望台に待たせていたとかで、なんと20分で戻ったという。母を待たせまいと、この辺りも走ったというから恐れ入る。

ただ、これを私が成そうとすれば、体力云々以前に、橋や不安定な路盤が保たないだろう。
そのことは、ちい氏が示す「命」の体文字でも十分に分かる。
彼は必死なのである。
…スケープゴートにして申し訳ないと思ったが、この時の気持ちは、たとえ谷を隔てていたとしても、ちい氏と私は一緒だった。

早く行けよとでも言いたげなトリ氏の姿(体重)に、軽く嫉妬する。

これらの腐った丸太の橋は、成人男性の体重には絶対に危険。
いつ崩れ落ちるか分からない代物である。

…だって、揺れるんだよ。これ。




 本路線の路盤や構造物は全般的にかなり傷んでおり、しかも、迂回の出来ない箇所が多い。
それだから、必然的に傷んだ構造物に頼らねばならない。

この丸木橋なども、我々の往復を何とか持ちこたえてくれたが、今年どうなっているかは不明である。
そしてこの怖さでは当然だろうと思うが、想像していたほど大勢の人が来ているわけでもないことが、踏み跡の少なさなどから伝わってきた。
以前はそんなでもなかったのだろうが…。この忌避傾向、今後ますます強まることだろう。
空気扱いしてしまった入り口の「通行不能」の立て札は、なるほどそう古い物には見えなかった。リアルに通行が難しくなったのは、結構最近なのかも知れない。
さらにこのまま放置すればそう遠く無い将来、我々のような無装備での立ち入りは極めて困難となるだろう。
この橋などが落ちてしまえば、もう…どうしようもないのではないか。

 なお、画像にカーソルを合わせると、カメラが少し谷側へ向く。
渡っている最中、この高度感に苛まれることになるのだ。

当たり前だが、この丸太一本橋に手すり等は、一切無い。





 連続して命に危険を感じる場面が続き、神経がやせ細ってくる。
それでも、探索のペースは遅くはないはずだ。
障害の少ない場面では、良いペースで歩いていると思う。

ただ、大なり小なり、障害の数は非常に多い。
次々と現れる。

また来た。
橋がない。





 谷へ下り、渓水を蹴って対岸へ。

再び崖を登ると、そこには綺麗な路盤が、レールや枕木と一緒に復活する。
まったくもって、良い飴と鞭である。

ここには、誰かが火を焚いた跡があった。
山奥でこういうのを見ると(まだ遊歩道から500mほどだが)、主は無事に下山したのだろうかと余計な心配をしてしまう。





 ほんと、  …。

この橋なんて、何を考えているのか!

むりやり空中のレールに針金で丸太を結びつけ橋にしようとした痕跡があるが、そして、以前はその形で機能していたのであろうが、もう今となっては全く気持ちの悪いだけ。
間違っても足を乗せようなどとしてはいけない。



 正解は、こちらである。 →

こんな橋をまともに相手していては、落ちてしまう。

出来るだけ迂回。

パッと見に迂回できるところは、みな迂回して進んだ。

蛮勇振り絞るような場所じゃない。



 10:17

展望台を出発して37分で、行く手に隧道が現れた。

私にとっては当然初めて見る隧道で、思わず駆け寄りたい衝動に駆られたが、ここは冷静さをキープ(笑)。

展望台からはようやく700mほど来たところだが、この隧道はまだ第一目的地ではない。
これは、通称「一号隧道」と呼ばれているものである。



 次回は、ここから先をレポートする。