湖底に沈んだ横黒線の痕跡は、渇水期にのみ、その一部を水上に出現させる。
水没によって廃止された大荒沢駅付近から湖に下り立った私は、滑落の危険におびえつつも、道なき湖畔を西へと進んだ。
そして、遂に目にした廃線跡。
水中から地上へと緩やかなスロープを描くロックシェードである。
そして、いよいよ今回は、お目当ての水没隧道である。
興奮冷めやらぬまま、再び西へと湖畔を歩き始める。 辛うじて路盤は水中であり、水上からはその位置は特定できない。 しかし、横黒線竣工当時の資料によれば、この先には小繋橋梁が設けられていたはずだ。 小繋沢の両岸に設けられた高い築堤と、その突端同士を結ぶ小さな橋梁のうち、築堤と橋台については現存していると聞くが、生憎水没しておりまったく見えない。 | |
橋も築堤も見当たらないまま、小繋沢を深く迂回しつつ、ここを渡る。 橋などは一切ないが、幸いにして水量は少なく、容易に渡ることができた。 前方の森の奥が、丁度来るときに通りかかった峠山のスキー場跡のあたりであるが、切り立った斜面には鬱蒼と木々が茂り、僅か100mほどの距離にある筈の車道は、全く見えない。 むやみに立ち入れば滑落の惧れが高いように思われ、帰り道としての使用は断念せざるを得ないようだ。 どこかしら、楽に来た道を戻れるショートカットを探しながら進んでいるのだが、都合の良い場所は全く見当たらない。 思っていたよりも、湖畔の地形が峻険であるせいだ。 |
午後4時をまわった頃、遂に目的地の一つである水没隧道こと、本内隧道の坑門が見えてきた。 その姿を見た瞬間の衝撃は、今でも忘れられない。 なんせ、何もない水面から、突如というに相応しいような唐突さで、隧道が出現しているのだ。 この景色だけを見て、ほんの40数年前までここに線路があったなどということを、誰が想像できようか。 険しい人造湖の無人の岸辺、切り立つ断崖に穿たれた隧道は、覗き込むことも躊躇われるような真闇を湛え、私の前に姿を現したのだ。 戦慄を覚えた。 この内部を探索できるなら死んでも良い、というほどの衝動が沸き起こってくる。 足早に坑門に迫る。 | |
この隧道の前だけは、良く当時の姿をとどめているのではないだろうか。 落石よけを装備した、古色蒼然とした坑門。 坑門へと続く路盤には、枕木やバラストこそ残っていないものの、高く積み上げられた左の擁壁の存在感がおおきい。 この擁壁には暗渠か、それとも待避所なのか分からないが、小さな奥行き1mほどの穴が穿たれ、その奥には自然の岩盤が見えていた。 また、水面との高度差も特筆ものである。 路盤と水面の高さはほぼ等しく、内部が水中に没していたとしても、全く不思議は無い。 ぜひ、ここは内部を探索したい。 しかし、水面の高さ次第では、それは叶わない。 | |
はやる気持を抑えて、ここまでの道程を振りかえる。 どうやら、ここまでの路盤は岸辺の砂利の下に埋没してしまっていたようだ。 この地形からも、あとほんの少し水面が高ければ、足元が完全に水没してしまうことがお分かりいただけよう。 さて、いよいよ内部だ。 | |
内部は…、すくなくとも坑門付近は水没していない。 しかし、一面を覆う泥が嫌な予感を感じさせる。 とはいっても、このまま引き返すのでは来た甲斐がないというものだ。 今回の探索では久々に、長靴を持参していた。 背負ったリュックから取り出すと、スニーカーと履き替えた。 さらに、リュック奥からハンディ懐中電灯を、ポシェットからヘッドランプを取り出すと、電池をセットし装着した。 これが、現在の私の、最高の隧道装備である。 この奥地まで、この装備を持ち込めた時点で、私の探索は半ば成功している。 あとは、締めだ。 | |
不安な気持をかかえたまま、第一歩を踏み出す。 ヌルッとした感触。 …しかし、 思っていたほど水は含んでいない。 これならば、転倒に気をつけさえすれば、深く埋まったりしないので侵入ができそうだ。 いよいよ光の届かぬ世界へ… クライマックス・スタート! |
堆積した砂利で坑門は3分の一ほど埋没しており、そのせいもあって内部へ届く明かりは少ない。 さらに、全く反対側の明かりは見えない。 閉塞のおそれもあるが、和賀川の切り立った岩壁を迂回しつつ、蛇行しているものとも考えられる。 いずれにしても、真実は、先へと進んでみなければ分からないだろう。 | |
内壁には、等間隔でこのような突起が見られる。 横黒線が北上線と改称して現在に至るまで、一度も電化されたことは無いから、架線という事ではないだろう。 しかし、木材で造られた突起に陶器が接続されており、あきらかに、電線を支持する為の設備であったように思えるがどうだろうか。 これとほぼ同様のものを、先ほどのロックシェード内でも見ている。 | |
鉄道の隧道ではお馴染みの設備である退避坑も残されている。 内壁には泥のこびりついたような跡があり、いつか濁流が流れ込んだことでもあったのだろうか。 一般的な退避坑に比べて奥行きが少なく、ここで列車をやり過ごすというのは、生きた心地など全くしなかったろう。 内部の保存状態は意外に良い。 壁面の剥離は見られるものの、崩落というほどのものは無く、隧道自体はしっかりとしている。 しかし、湖面にとり残された隧道の探索は、極限的な緊迫感の中で行われた。 | |
剥離した内壁。 内壁はレンガ積みの上に、薄くコンクリートがコーティングされている。 このコンクリが剥がれ落ちているのだ。 100mほど進んだろうが、まだ前方には一寸の明かりも見えてこない。 一方、背にする明かりもか細くなり、ヘッドライトの明かりなしでは足元すら見えない。 どこまでも、良く締った泥の地面が続いている。 そこに足跡は、 全く 無い…。 | |
ヘッドライトの光が、地面に横たわる何かを照らし出した。 それは、木の根の残骸であった。 ここが水面下であったという紛れも無い事実を、教えてくれる。 フラッシュに照らされたその“白さ”は、黒一色の隧道内にあって、異様である。 | |
150mは来たと思う。 そろそろ中間地点と思われるのだが、依然、前方には漆黒の穴が続くのみ。 洞内は静寂に包まれている。 今回、廃隧道探索ということで恐れていた蝙蝠の存在も無く、不思議である。 奴等は、どんな基準で住処を選んでいるのだろうか。 余計なお世話なんだと思うが、ここなどうってつけではないのか? | |
フラッシュに照らし出された天井は、泥のせいか黄ばんでいる。 皹や亀裂が目立ち、地下水の漏れ出したあとにはコンクリート鍾乳石と呼ばれる、石灰分の結晶が発生している。 ゆっくりと歩いていても気が付くほどに、隧道は右へとカーブしている。 徐々にカーブを進んでゆくと、前方の壁がヘッドライトでないかすかな明かりに照らし出されているのが見えた。 出口の明かりだろうか。 振り向くと、もう入り口は見えなくなっていた。 | |
進むほどに、路面には堆積した土による凹凸が目立つようになってきた。 足元を覆っていた泥は減り、玉石のような角のない砂利が増えてきた。 そして、行く手を遮るように横たわる、超巨大な倒木が現れる。 その幹の太さは、目測だが80cmはあるだろう。 長さは5mほど。 坑門全体の幅に比べても、十分に存在感のある倒木である。 まるで、浜に打ち上げられた鯨のようである。 これほどのものが、一体いつ、この暗闇にたどり着いたのか? 想像するだけでも、ゾッとする。 | |
遂に、出口が前方50mほど先に現れ、ホッとした矢先である。 ヘッドライトに照らし出されたのは、向かって右(湖側だ)に伸びる、横穴らしい空間だ。 白い外の明かりが僅かに漏れ出し、左側の内壁に微かな光を当てている。 高さは、僅かに1.5mほどで、立ったままでは進めないほどに狭い。 それでも、崩落によって生じたものなどでは決して無いことは、立派なアーチが示している。 緊張と興奮に目が輝き、坑門の向こうを見んと、足早に接近する。 そこにあったのは、驚くべき外の景色であった。 |
坑門の向こうには、さらに5mほどの小さな隧道が続いている。 それらも素掘りではなく、本洞と同様にしっかりとした造りである。 予期せぬ発見に、興奮は頂点に達する。 この横穴の情報は、これまでに出版された書籍などにも、多分無いものだ。 | |
こんなこともあるものなのか! 想像していなかった光景に、私は一瞬硬直した。 飛び込んできた景色は、滝であった。 それも、横坑の出口自体が、滝の一部になっていたのだ。 湖面を打つ一筋の滝が、これが偶然ではなく設計されたものだとしてもなお価値があると断言できる、そんな微妙な位置に存在していた。 これまで、多くの隧道を探索してきたが、外部へ続く横坑を持つ隧道自体が少数である。 そのうえ、このような眺めをもたらすなどというものは…。 いまだかつて無い、“出来すぎた”横坑である。 | |
なんとエキサイティングな光景だろうか。 思わず湖面へダイブしてしまいたくなるほどの、超ドキュウのアツさである。 滝は小さいながらも、これだけ近ければその轟音は大変なものであり、また水しぶきが雨のように降る注ぐ。 およそ300mほど離れた対岸には、国道と、そこを走る車の列が見えている。 まさか、この場所から見つめる視線があるなどということを、誰が考えようか。 私は今、想像できなかった事態に、遭遇しているのだ。 | |
このような場所にいつまでもいても命の危険が増すばかりである。 我に返り、暗い隧道へと戻る決心をした。 隧道の現役当時であれば、少数であったとしても保線夫達の知る眺めだったことだろう。 しかし、廃止後半世紀近くを経て、しかも水没することさえあるこの場所を知るものが、今、何人いるのだろうか。 なんとも良い体験をさせてもらった。 | |
静かな本洞へ戻る。 出口までの距離は写真の通りである。 再び光の下をめざし、慎重に歩みを進める。 |
10分強の探索の末、無事に西側の坑門へ脱出した。 遠くには、対岸を通う国道が一望され、妙に見晴らしが良い。 しかし、この見晴らしの良さの原因は、すぐに判明した。 | |
なななんと、坑門の先には、ほんの1mたりとて路盤が無いのだ。 谷の向こうの石組の橋台が、寒い寒しく湖面にへ突き出しているのが目立つ。 かつてここにあった本内橋梁は、廃線時に撤去されてしまったようである。 もはや、こうなっては先へ進むすべは無い。 さしものわたしも、お手上げであった。 | |
悔しいので、ぎりぎり坑門にへばりついて山側を撮影。 現地の険しさがお分かりいただけるだろうか。 それはそうと、この西側の坑門は、背後に映る法面と一体的に形成されたようなコンクリートであって、明らかに後補のものだ。 コンクリートにはそれほど傷みも無く、廃止された昭和36年以前の、それほど古くない時期に改良されたものだろう。 それだけ、この本内隧道から本内橋梁へと続く部分の地形は険しかったということなのだろう。 その険しさを、いま、私が身を持って体験しているところであるが。 | |
私は、人一倍諦めの悪い男である。 一見して、無理だ。 そう思われる場所でも、これまで何度と無く、足掻き、無茶をし、滅茶苦茶した末に突破してきた。 そして、その暴挙を支える私の狂ったブレインは、狂いながらも冷静に状況を分析する。 結果、生き延びて、これまでの戦いに勝利してきたのだ。 だが。 ここは、撤退。 それのみが、我が回答だった。 断崖に張り付いて先へと進むことはできないと判断したのだ。 足元には、深い水面が邪魔をしており、どうやっても、写真上部に映る陸地へ進む術が無い。 まるで、「スーパーマリオ」でどうしてもジャンプで超えられないほどの大穴が現れてしまったかのような(分かり難い例えですまない)、諦めの境地である。 泳ぎは、勘弁してくれ。 | |
負け惜しみっぽくなるので、余り書きたくないが、悔しいから書く(笑) この本内橋梁の先、暫し崖沿いの道を進んだあとは、にて眼下に見た、平原中の長大な築堤へと続く。 その先の経過は、先のレポートで述べてきたとおりである。 (すなわち、旧川尻隧道付近まで、築堤以外の痕跡は見当たらない) そして、今回結局未踏となった本内橋梁〜旧陸中大石駅間には、『横黒線建設概要(鉄道省・秋田盛岡建設事務所編 1938.11)』によれば、隧道や橋梁は存在しなかったようである。 本内隧道
竣工年度 1924年 廃止年度 1962年 延長 381m (延長は『横黒線建設概要(鉄道省・秋田盛岡建設事務所編 1938.11)』内の表記「1250´7"」をメートルに換算した。) 増水時は水没してしまうが、それ以外の時期は通り抜けが可能。 ただし、ここまでたどり着くのが大変。 これにて、横黒線の水没旧線の攻略を、ほぼ、完了した。 残すは、廃止区間最長の隧道、仙人隧道のみだ。 延長1400mを越える同隧道の一方の坑門は年中水没しており、姿を現すことは無い。 ならば、もう一方の坑門を目指すのみである。 次回、最終回。 |
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