滑落の恐怖と戦いながら、湖畔の廃隧道を制したヨッキれん。
と同時に、最終標的「仙人隧道」の攻略が、開始される。
私がこの仙人隧道について有する予備知識は、全長1400m余りの廃隧道であること。
横手側の坑門は、錦秋湖の深い湖底に沈んでおり、北上側の坑門のみが、外部に露出しているということ。
そして、内部で隧道は閉鎖されているらしい…ということ。
一方が水中にある隧道。
しかも、隧道はダムサイトのある岩盤を地底で貫通しており、内部の閉塞された地点の奥は、水中であると考えられる。
かつてこれほどまでに、私をそそるシチュエーションがあっただろうか!
一体、巨大水圧を堰き止める廃隧道の閉塞とは、どのようなものなのか?
隧道自体が閉鎖されているにあらず、内部に侵入できるというのか?
だれも、その答えを持ってはいない。
その全ては、己の目で探索する以外に、解決のない謎である。
ならば、往かん。
― 衝撃のクライマックスへ。
ふたたび湖畔を辿る。 ロックシェードの上を無難にこなしに、崖を慎重に歩き、ほぼ来た道を戻る。 写真に写る、右岸の岬よりももっと先まで歩いた。 足が痛くなった。 スニーカーでは、砂利のような不安定な場所を歩くに向かないことを知った。 | |
再び愛車の元に戻ったときには。午後5時をまわっていた。 錦秋湖をこの日初めて見てから、既に4時間が経過していた。 特に、この本内隧道を目的とする一連の探索は一時間半を越え、これまでの山チャリで最も長い徒歩となった。 |
愛車を駆って、国道へと来た道を戻る。 通いなれた道だが、妙に長く感じる。 なぜか。 それは、焦りだ。 実は、私の旅のタイムリミットが刻一刻と迫っていた。 それは、JR北上線和賀仙人駅18時49分まで着というものだ。 この時刻に横手を目指す電車を逃せば、今日中に帰ることは出来なくなる。 残りの探索には、まことに不本意だが、タイムリミットが付加されることとなった。 |
数時間ぶりに国道へ戻ると、相変わらず通行量がある。 車列に混じり、北上方面へ東進を再開する。 そして、間も無く登場する「錦秋湖の長大スノーシェード」こと、百間平スノーシェード(SS)である。 写真をご覧頂きたい。 深い緑を裂くようにずっとずっと続くSSが見えるだろう。 ここより先、和賀川に落ち込む険しい断崖に道はへばりついており、SS無しでは国道機能を維持できない難所である。 | |
SSの入り口から、先ほど私が到達した終点である本内隧道の西坑門が対岸に良く見える。 実際現地を歩いた感想と一致する、大変に険しい山容である。 あんな場所を歩いていたのかと思うと、さすがに落ちたら助からなかったんだろうなー、なんていまさら痛感。 左の岸辺に見える細長いコンクリートは、大荒沢RSである。 路線が水中に没していく様子が、良く分かる眺めだ。 | |
景色は再び国道に戻る。 やはり、こちら側の岸壁も、相当に険しい。 写真は、長い長いSSの湖側に開いた大きな窓からの眺めである。 途中、数百mごとに、SSのつくりが変化する。 何度と無く継ぎ足され、現在の姿、この2km近い長さに達したものと思われる。 まさしく、日本版万里の長城である。 証明設備のないSSは地形に合わせ、うねり、アップダウンを繰り返しながら、続く。 | |
本内隧道、坑門付近の拡大写真。 左に見える小さな滝の下部に横穴があって、隧道に繋がっているなどということは、誰も想像しなかったはずだ。 少なくとも、国道から肉眼では確認できない。 あの衝撃は忘れない。 | |
SSはまだ続く。 対岸の景色は、どんどんと移り変わる。 チャリの速さ、いや、舗装路というもののありがたみが実感される。 静かな湖面の向こうは、本内隧道東側坑門。 水面すれすれなのが、印象的だ。 | |
続いて、大荒沢RSが見渡せる場所が来る。 この眺めが、「水没旧線」の象徴的とされるものだ。 夏場なら国道から良く見える。 意図せずとも、数万人のドライバーが目にしていると思われ、これほど人の目に留まる廃道も珍しい。 もっとも、それが何かということは知らない人が大半と思われるが。 |
やっと長いSSが終わりを迎え、道は日の元に戻る。 しかしまだ、国道の難所は終わらない。 ここからさらに1kmほどは、ぎざぎざの地形に従い、小さなヘアピンカーブを連続させる。 | |
もちろん、この危険箇所を県も放っておいてはいない。 ご覧のトンネルなど、トンネル二本と橋梁二本を連続させる直線の新道を建設中だ。 だから、数年後にはこの先の区間は廃道となる可能性がある。 ちなみに、建設中の2本の隧道の名が、杉名畑一号トンネルと、同二号トンネル。 さらに、建設中のものを含め2本の橋は、杉名畑一号橋と、同二号橋。 そして、この直前には、杉名畑スノーシェードと、杉名畑ロックシェードが存在している。 凄い家族数だ! この同名のいろんな道路構造物が続く展開は、同路線ではほかにもあり、一帯の特徴といえる。 | |
建設中の杉名畑1・2号トンネルは、コンクリート製の接合部で接続されており、最終的には一本の杉名畑トンネルとなる模様。 すでに内部の細かな工事を残すのみとなっており、開通はそう遠くなさそうだ。 そうしたら、この現道のご覧の部分は、すっかり姿を変えてしまうだろう。 |
比較的新しい道の駅「錦秋湖」を脇目に、いよいよ長かった湖畔の旅も最終局面を迎える。 ダムサイトが数万トンの水圧を抑える巨大岩盤を貫き、ダム上の世界からダム下の世界へと抜ける、大荒沢隧道(延長300m昭和40年竣工)である。 ご覧のように、かなり老朽化した、そして狭い危険隧道だ。 ただ、クリティカルな位置を貫くだけに、容易に新トンネル建設は図られそうもない。 | |
大荒沢隧道手前から、堰を切ったように下りが始まっている。 とくにこの表現が妥当だと思うのは、湯田町川尻付近から10km余りは横たわるダム湖のせいで、下流に向かっているにもかかわらず一向に高度を下げなかった。 しかし、ダムサイトを迎えたおかげで、まさしく“堰”を切って、本来の高度へと下るのである。 それだけに、この下りはもの凄い高速領域となる。 渓流となった和賀川の対岸は、屏風のごとき巨大岩盤が立ちはだかる。 目指す仙人隧道に、北上線の現・仙人隧道がほぼ平行して、この地中を貫通している。 国道の前身である平和街道は、そこを仙人峠にて律義に越えていると聞くが、既に廃道であるという。 | |
快適なはずの湖畔のドライブも、この日はレースのようなあわただしさに包まれた。 時刻は18時を迎えようとしている。 どこにあるとも厳密には知れぬ廃隧道(しかも全長1400m)を攻略し、さらに駅まで漕いで、目標時刻は18時49分。 はっきりイって、無理っぽい…。 こんな私でも、帰るべき店があるのだが…、明日の発注はどうするんだよ。 |
新旧の和賀仙人橋が並んで架かる地点に至り、長かった山間の道が終焉を迎える。 これよりさらに十数キロの緩やかな下りを経て、国道と北上線は揃って北上市街に至る。 (この旧和賀仙人橋については、以前こちらで紹介しているので、ご覧ください。) 和賀仙人駅はあと1kmの道程であるが、最終目的である旧仙人隧道は駅とは反対側に2kmほど入った山中である。 一度も行ったことは無く、現地の詳細は不明である。 現在の時刻は、18時2分。 果たして探索して帰りの電車に、間に合うのか! | |
写真は、和賀仙人橋の袂より国道を離れ、現北上線や和賀川の流れに沿って南下しはじめた場面。 ここは、日本重化学工業社の工場敷地であり、当然私有地であるが、一帯は閑散としており稼動している様子は無い。 民家や商店も殆ど無い山奥の集落には到底不釣合いな巨大工場は、稼動を停止して時間が経過しているのか、建築物の至るところが錆つき、道もひび割れが目立つ。 写真では見えないが、左の山面に沿って徐々に高度を上げる北上線の線路がある。 その右脇が横黒線の旧線跡であって、丁度左の塀の向こうだと思われるが、工場敷地内であり痕跡は認められない。 | |
もっとも大きく、遠くからも目立っていた建物。 敷地の入り口にあった社名は異なっていたが、当初ここにあったのは、「仙人製作所」という「仙人鉱山」の工場であった。 仙人鉱山は、現在では採掘を中止して久しいものの、良質の赤鉄鉱を産する鉱山として有名であった。 また、この仙人製作所は社有の軽便鉄道を黒沢尻(現:北上市)との間に有していた。 これは、明治40年に貨物の輸送を目的に人車軌道として開業しており、経路の多くが現在の国道107号線との併用軌道(路面電車)となっていた。 その後、馬力に頼りつつ大正11年まで生き長らえたが、延伸の続く横黒線に貨物・旅客共に奪われ廃止となった。 横黒線がこれより向かう仙人隧道を供し全通したのは、その2年後であった。 その和賀軽便軌道の経路は、やはりこの敷地内(どうやら川沿いであったようだ)を通り、さらに上流の仙人鉱山にまで続いていたという。 |
廃墟と思われた工場を過ぎると、いよいよ山肌に迫り足元は砂利道となる。 この先は、国道以前の古道である仙人峠への道となるが、時間も押しており旧線跡と思われる場所で勘に頼ってチャリを乗り捨てた。 これは実は凄いことであって、自分で言うのもなんだが、この乗り捨て位置はドンピシャだった。 はっきり言って、砂利道から旧線の痕跡を説明できるようなものは何も見えず、ただ、この辺かなと思ったまでだったのだが、普段からの廃線探しが功を奏したのか、或いは天恵か、結果的には最短距離で旧線跡に立つことが出来た。 しかし、そこは凄い場所だった…。 | |
僅かな築堤の凹凸が藪と化した森の中に東へ続いている。 既に日の落ちた山中は薄暗く、早速ヘッドライトを点灯させて進路を探った。 間も無く現れたのが、コンクリートで造られた台形の水路である。 水路の水量は少なく幅も深さも3mほどだが、急な斜面を滑滝のようになって落ちており、朽ちたコンクリートは全体が苔に覆われている。 そこに架かるのは、利用されているのかわからない古ぼけた鉄パイプである。 その脇には、旧線の橋台がはっきりと残っていた。 ここは転倒に注意して、速やかに通り抜けた。 | |
さらに奥へと進むと、築堤は低い上、森は余りに暗く生い茂っており、ある程度勘に頼った進行となった。 幸い致命的に進みにくい箇所はなく、山中の勾配の変化をヒントに、小走りに近い速さでどんどんと進む。 お断りしておくが、これは山中探索の態度としては、自分で言うのもなんだが最悪である。 良く分からぬ慣れない場所を、夜間、足元もろくに確認せず闇雲に歩くことは、命を粗末にしているといわれても仕方ない。 時間には猶予を持って探索しよう、という教訓にはなっても、決して褒められない行為だ。 実際、さすがにこの探索は楽しくなかった。 駆け足は、私のスタイルに一致しない。 | |
山中の築堤はとにかく判然としなかった。 途中何度か道を外したらしく、高圧線の下に出たり、写真の正体不明の石垣に出会ったり(もしかしたら、仙人鉱山の痕跡かもしれない)した。 だんだん、怒りに任せ突き進むうち、 不思議な感覚が私をつつみ始めた。 なんとも表現しにくいが…、 人としての極限的な体験に伴って現れる、妙な恍惚感…快感だ。 忍者となって無道の山野を駆ける様な速度感。 このまま超人となり、 …二度と人の世界に戻れぬような、予感だ。 これまでも、僅かだが数度体験してきたこの感覚を、私は“超人感”と呼んでいる。 | |
何度か目に築堤を再発見した時、そこには一本の杭が打ち込まれていた。 木製で太さは20cm位、家型をしたもので、上部は赤いペンキが塗られていた。 良く見る水準点などでは無いように見える。 私は詳しくないのでなんともいえないが、なんらかの横黒線の痕跡ではなかろうか。 |
その後、築堤を見失わないように、最大限の注意を払い、なお早足で駆けた。 空を見上げると、木々の間に僅かな空が見えたが、すでに光を失っており、しかも刻一刻と闇が濃くなってゆく。 冷静な計算によれば、今隧道を発見できていないとなると、帰りの時間を考慮するともう、間に合いそうもないということになる。 おかしい。 もう、見えてきても良いはずだ。 チャリを乗り捨てた地点から、500mは来ている。 …あきらめ、「森の人」となる定めなのか。 | |
その1分後、眼前に石壁が現れた。 もう、他の可能性は考えられない。 これが、目的地「旧 仙人隧道」の坑門だ。 駆け寄ると、期待は確信に変った。 興奮は、不思議と無い。 ただただ、まるでそれが当たり前のことであるかのように、最低限の撮影と、長靴の着用、懐中電灯の準備を黙々とこなす。 帰還を誓うかのように、愛用のリュックを坑門前の地べたに捨てた。 (この先の写真は全て、分かりやすいように画像処理によって明るさを増している。) | |
仙人隧道。 延長1453m。 大正13年の竣工。 沿線の他の隧道は全て人力によって開削されたのに対して、日本ではあまり前例の無かった電力式の鑿(削)岩機が利用された。 電力を利用できたのは、付近に仙人鉱山があった幸運によるが、それでも工事は花崗岩と閃緑岩の複雑な地層に難渋した。 遂に126万3085円の工費をかけ貫通を見た隧道だったが、ダムの建設に伴い、僅か36年でその役目を奪われ、地図から抹消された。 現在は、北上側の坑門のみが地上にあるという。 それはいま、私の前に、…ある。 | |
坑門は、崩れも無く健在である。 しかし、廃止後半世紀近くを経て周りの木々の生長著しく、森に飲み込まれている。 谷積みの石垣はコンクリで隙間を補強されており、内壁のレンガとの対比が独特の景観をなしている。 感想は、帰宅後になって、僅かに撮影した写真を良く見てからのものであるが。 現場では、僅か数秒で内部への侵入を開始しているので。 | |
坑門には、鉄道の隧道としては珍しく扁額が設置されている。 しかし、なぜか坑門の上ではなく、右側に埋め込まれており、良く見ないと気が付かない。 『仙人隧道』と、右書きされているほかに、延長が記されているようであったが、残念ながら判読は難しい。 | |
坑門の前の景色。 暗いせいもあるのだろうが、もう廃線跡という次元ではない。 死んでいる(笑) | |
さあ、もういいだろう。 入るぞ! 現在時刻、18時19分。 タイムリミットは、あと30分。 すまない、今回で最終回のつもりが… 次回こそ、本当に最終回! ノーカットで 地中1000m湖底下の閉塞地点 見せします!! |
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