廃線レポート 椿森林軌道  <第2回/>
公開日 2005.7.16

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 丘から森へ 
地図で確認 2005.3.24 8:00

2−1 緩かなる軌道


 海の見える丘の上に取り残されたような耕地が広がっていた。
軌道跡は、そのなかを一直線に横切り、山肌に近づいていく。
そして、この写真のスロープを伝って、いよいよ男鹿の山へと分け入っていくのだった。
ここは、軌道にしてはなかなか急な傾斜だ。
昭和5年に開設されたこの路線では、動力車としてガソリン機関車が使われたのだろう。


 県内の主要な林鉄網から外れ、その利用された期間も短かったせいか、のり面の石垣は雑なものだ。
不揃いの自然石を積み上げただけの低い石垣が、雑草の影でいまも土留めの役割を果たしていた。

 北国の漁村から山へと登り行く軌道。
それはイメージ的に新鮮で、しかも実際に景観も目新しく、さらに想像以上に路面状況が良好なお陰で、走っていて楽しい。



 森にはいると視界は開けないが、いまも下草が刈られており、枕木やレールこそ無いものの、路面にはバラストの名残と思われる小石がおおく露出している。
チャリにはとても緩やかに感じられる傾斜で、緩い蛇行を繰り返しつつ、おおむね北東方向へと進んでいく。
轍は全くなく、軌道廃止後には歩道としてのみ利用されてきたようだ。



 館山崎突端に近い終点から、男鹿山山腹の起点へ向けて進行中であるが、終点から1kmほどの地点で、椿集落の最奥の農地にぶつかる。
しかし、ここは放棄されてから久しいようで、林の開けた体育館ほどのスペースには笹やススキが生い茂っていた。
傍らには松の巨木が、虫食い痕を幹に多く穿たれた無惨な姿となって、枯死している。
屋根がぐしゃりと潰れた農機小屋が、朽ちるに任されていた。

 そして、軌道跡はこの先、表情を一変させる。
本来のあるべき姿に戻ったと言うべきなのだろうが…。
チャリを、この広場に置いていくかどうか、悩みながらもつい、前進してしまった。

 そして、思いがけず長い戦いが始まった。


2−2 遺跡の森 


 あまりいないと思うが、もしこのレポートを見て、現地に行ってみようという方がいらっしゃるなら、ここは道間違いに注意して欲しい場所だ。
廃屋の先で、いきなり軌道跡は下草に隠れてしまうが、まっすぐ行くとすぐに右写真の杉林に入る。
で、この林の中では、ご覧のように軌道跡は鮮明なのであるが、しかし、ここで二回連続して、左・右と進行方向を変えなければならない。
林の中にはいくつかの分岐がある。
ここで間違えると、どこへ連れて行かれるか分からないので、注意してほしい。
最初の分かれ道は左、次はすぐに右だぞ。


 上の写真左は、秋田県内では比較的限られた場所にしか群生していない ぜんまい。
中央は、なんでしょう?沢山咲いていました。
右は、なんでしょう?いかにも神社の境内とかにありそうな実です。

 男鹿半島は、秋田県内でも特異な植生を持つ地域だったりする。
それは、半島がもともとは日本海に浮かぶ孤島だったことに由来する。
ゆえに、同じような緯度や標高であっても八郎潟を挟んだ“本州”の林相、植生とは、かなり様子が違う。

 


 軌道跡は概ね左に男鹿山に続く斜面を、右に海岸の集落へと続く造林地を見ながら、緩く登っていく。(写真左)

 途中、軌道敷きとは異なる場所に、石垣で囲われた一角が複数見られた。(写真右)
沢を堰き止めるようにして、何箇所か近接してこのような石垣が築かれていたのだが、果たしてこれは何の跡なのだろう。
この崩れかけた石垣の他には、何ら建物などの痕跡もなく、かなり古いものかもしれない。
造林地になる以前には、この辺りまで集落や田畑があったのであろうか?
可能性はある。

 



2−3 弱気


 突如、軌道跡は牙を剥いた。

大げさだろうか?
チャリを引きずる様にして、腰丈までの笹藪に難渋していると、あっと言う間に汗が玉のように噴き出して、眼窩に流れ落ちた。
これが果たして一時的なものなのか、それとも、ずうっとこんな有様が続くというのだろうか?
途端に、弱気になる。
こんな状況では、いくら時間があっても足りなくなるし、ただですら午後からは雨だという予報なのに。
体力的にも、はたして持ち堪えられるかどうか怪しい。

 苦しい状況だ。


 そんな私の弱気を察知したかのように、軌道右手の杉林の真下に、舗装路が寄り添って来た。

ぐわー。
まるで、悪魔のささやきだ。

降りちまえば楽になる。
しかし、軌道敷きを辿ることは出来なくなるかも知れない。

もう少しだけ我慢して進むことにしてみる。
改善しないようなら、チャリだけこの辺に置き去りで進んでみる選択肢もある。



 次のカーブまで耐えたら、何とか状況は持ち直した。

日陰の路肩には、バラストの名残が見える。


 多くの林鉄が沢底に沿って進路を選んだわけだが、この椿森林軌道は、森林「軌道」という森林「鉄道」よりもグレードが劣る路線であるにも関わらず、果敢に高度を稼ぎ、上を目指していく。
まだ海抜は100mすこしであるが、山肌を浅い掘り割りや低い土留めで無難にこなしながら、積極的に上を目指す軌道は、変化に富んだ車窓を提供してくれた。

 海風が渡る雑木林の森からは、遠く灰色の海が見えた。
ここは、男鹿山が半島南岸に無数に落とす小さな稜線のうちの一つ。軌道はここを通り過ぎて、さらに北東へ進む。
終点からは1.5kmほど進んでいるが、ここまで来て海が見えるとは思わなかった。




 再び東側斜面に取り付くと、笹藪が進路上にぶり返してきて、私をやきもきさせた。

 ここの路肩には、低い石垣とそれに繋がる木造の路肩工が残されている。
車道化されなかったゆえに、規模こそ小さいが当時の構造物が殆ど手つかずに残っているのは、椿林鉄の特徴と言える。
一帯の造林の為の車道は、軌道敷きと並走しつつも、より直線的に山上を目指している。
さきほど林の下に見えた道が、それである。









次回、山行がの記録を塗り替えるものが、出現するかも。

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