森吉林鉄のダム付け替え区間の探索が4度を数え、いよいよ次で完全踏破も見えてきていた、2004年5月15日。
一通のメールが、私のもとへ届いた。
そこには、衝撃というより他はない一枚の写真と、さらに衝撃的な文章が綴られていた。
その差出人は、ここではT氏としたい。
この1通のメールが、未だ醒めやらぬ新たな興奮、森吉の新しい冒険譚の幕開けを告げたのである。
文章は、いたって簡潔であった。
ここに要約するまでもないほどだ。
太平湖のまだまだずうっと奥に、まだ隧道がある。
貼付されてきた写真の凄まじさもあり、私はその日から問答のように、彼へメールでの質問を続けた。
彼は、徐々に、徐々に、その場所を明かし始めた。
一つ一つ明らかにされるたび、私は期待と、それ以上の無力感を同時に感じていた。
明かされた隧道の場所は、余りにも…
余りにも遠かった。
右図で、青い○で囲んだ一帯に、T氏が示した隧道(以下『最奥隧道』とする)があるという。
そこは、太平湖に注ぐ支流の中で最も深く、最も秘境であるとされる、粒様沢に他ならなかった。
粒様沢(つぶさまざわ)。
それは、ダム付け替え軌道の情報を収集するために、森吉町の郷土史を数々紐解いてきた私には、お馴染みの名であった。
森吉山域最奥の谷で、現地の古い狩猟民であるマタギ衆らが、「神の谷」として神聖視し、滅多に近づかなかったという場所だ。
太平湖へと注ぎ込む土沢合流点より、粒様沢を遡ること、およそ7.5km。
川は粒沢と様ノ沢とに別れるという。
様ノ沢へと進み、さらに1.5kmほどで、最奥隧道があるのだという。
この約9km、並走する林道・歩道は一切無い。
この粒様沢源流域へのアプローチは、沢歩き抜いてはあり得ないのだ。
そんな人跡稀な秘境にも、かつて開発の手が及んだことがあった。
粒様線と呼ばれた森吉林鉄の最長支線が記録されている。
昭和5年から昭和32年まで工事が続き、その全長は10296mにも及んだという。
地形図にも記載のない、幻の線である。
果たして、どこまで沢を遡っていたというのだろうか?
最奥隧道とは、果たして林鉄の物なのか?
数々の疑問が浮かんだ。
だが、最終的に自身の足で挑まねば、納得のいく答えは得られぬ。
そのことを、T氏もまた、知っていた。
何度目かのメールで、彼は語った。
その神々しい神の滝と神の穴を見れば
己の非力さと先人山人の無謀なまでの逞しさに
驚愕せずにはいまい
時は流れ、7月。
既にダム付け替え区間の踏査は一応の終了を見ていた。
私は、遂に決心し、森吉林鉄合同調査隊メンバーに告知した。
T氏による情報提供の全てを。
我々は、挑むことにした。
沢登りなど経験したことがない私。
キャンプ場以外での野営など初めてだ。
装備、アプローチルートの検討、日程の調整。
あらゆる準備が探索隊各位の協力により、恙なく進んだ。
準備が進むうちに、徐々に徐々に、「神の穴」最奥隧道も近づいてきたように、そう思えた。
森吉の新たな幕開け。
予想だにしなかった、驚愕の発見。
歓喜と 落胆…
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