廃線レポート
森吉林鉄粒様線 「最奥隧道計画」 その4
2004.10.17
タイムアウト
2004.9.22 15:58
感動的な敷かれたままのレールとの遭遇であった。
だが、辺りは極めて深い藪となっており、ほとんどレールを辿って進むことが不可能であった。
脇を流れる粒様沢は、二つに分かれており、左岸側の流れは水量が少なかった。
まだ、我々はこの二又に別れた流れが、ニセ二又と呼ばれる、本当の粒様・様ノ沢二又のすぐ手前の地形だと信じていたが、実際にはそこから1kmも下手の場所に過ぎなかった。
地形図にも載らない、増水時だけに二手に流れる場所なのだろう。
それでも、少しでも多くのレールを見たくて、敢えて藪を突き進む我々の前に、凄まじいばかりに枝分かれした巨木が現れた。
雨は小降りとなり、代わりに霧が出始めていた。
夕暮れを連れてくる、そんな霧なのだと思った。
霧の粒の一つ一つが、まるで遊ぶように中空を彷徨っていた。
無音だった。
一人なら、この森には居られない。
寂しすぎる。
レールに遭遇してから15分、時刻は16時12分。
薄暗い森から、力強さの戻った沢音と頼りに脱すると、そこはちょうど二又に流れが分流する、その場所だった。
霧なのか、雲なのかは分からなかったが、前方の山並みはほとんど消えていた。
水量は上流に来て減ってくるどころか、雨のせいで増水しているようにも見えた。
もう、そろそろ前進できる時間はない。
この谷底では、17時には日没するだろうから、もうそろそろテント場を決めて、設営作業に移らねばならぬと、考えた。
各自、疲労が蓄積しており、それ以上に、ここまで来ても一向に降り止まぬ雨に、汗もかかぬほどに冷えた体から精も根も流されていた。
黙々と、靴ひもを結び直しながら、下らない冗談を言ったりして、いくらでも沸き上がってくる不安な気持ちを、少しでも押し戻そうとしていた。
三人だから、まだ耐えられたのだろう。
16時23分、もういくらも歩けていなかった。
沢を行くべきか、藪を行くべきか、どっちを選んでも、容易に歩ける場所がなかった。
水量が多すぎて、時間の浪費は明らかだった。
これ以上無理に進んでも、明日の計画を待たずに、体力を使い切ってしまいかねなかった。
引き続き右岸を進んでいたが、薄暗い杉の林が現れ、その底にもいくつものレールが打ち棄てられていた。
累々と積み重なるレールは、地表と一体化しており、もう、何本あるのか見当もつかない。
あんなに貴重だと思っていたレールだけど、こんなにあると、夢中で探していたのが馬鹿らしく思えてくる。
最初に敷かれたままのレールを見つけた場所は、本流を跨ぐ橋の袂だったと思われた。
そして、その上流については、全てのレールが撤去されることなく放置されているようだった。
軌道廃止後の、レール撤去作業に何らかのトラブルが発生したのか。
この先は、事実上、終点までレールを見放題だった…。
無数のレールの脇には、赤茶けたドラム缶が一つ、ポツンと置かれていた。
未だ破れることなく、なみなみと雨水を蓄えている、ドラム缶。
これをここまで運んできたのは、きっと、軌道を走る列車だったのだろう。
辺りには、相当量のレールが埋蔵されているようで、所々にレールが顔を出していた。
もはや、今や一面の藪と、杉の林であるが、以前は営林署の詰め所などがあったのかも知れない。
このドラム缶は…五右衛門風呂の跡だろうか…?
ちょうど、この5mほど脇には、本流が川原まで水没させ囂々と流れている。
二人がドラム缶の辺りから、さらに川原へと降りていくように見えた。
私は、たまたま少し山側の杉林に進路を向けていたから、そのまま林の中を前進した。
彼らは水際に進路を得たのだろうが、本流は一本だけであり、ぐに合流できるに違いない。
私は彼らに背を向けて藪へと前進しながら、ひとこと「俺はこっちから行くぞ」と声を掛けた方が良いかなと思ったが、次の瞬間には、まあいいか、と考え直し、黙って進んだ。
どうせ水辺は近く、大きく離れることもないだろう。
何かに急かされるように、私は振り返らず進んでいた。
今思えば、この時の精神状態は、普通じゃなかったのかも知れない。
なぜならば、私は完全に思い違いをしており、二人はドラム缶の場所をテント場に改良できないかと相談していた最中だったのだ。
私が先へと進んでいるとは、思っていなかった。
私は、孤立へ向け、前進していたのだ。
16時39分、
異変に気がついたのは、杉の林を突っ切って、再び本流が山際に接して来た時だった。
本流には、あるはずの彼らの気配がない。
本流の方が進みにくくて、まだ後ろにいるのかも知れないなと、そう考えた。
ならば、戻ればいいのに、私はまだ、この状況の深刻さを理解できていなかった。
地面には、今までで最も鮮明にレールが現れていた。
レールは、急な崖と本流の隙間に、真っ直ぐと続いていた。
これまでで、一番に興奮できる風景が、待っているような気がした。
そのレールに誘われるようにして、一心不乱といって良いほどまっすぐと、早足で前進していた。
それは、もしかしてはぐれたかも知れないという、どうしても拭えない不安を振り切ろうとする私の、論理に背反した行動だった。
なおも歩いた。
藪にリュックを引っかけ、何度もつんのめりながら、人の気配が全くない、陰気な森を進んだ。
レールは、確かに続いている。
だが、そこは樹海に等しい森だった。
不安から逃げるように、大声で仲間を呼びたい衝動を抑え込みながら、歩いた。
大声を出して、その声がおびえていたとしたら、本当に自分自身がパニックになるのではないかという恐怖があった。
平静を装わなければ、潰れてしまいそうだった。
マジで恐かった。
まだ、お互いがどんなに動いたとしても、数百メートルも離れていないだろうが、この藪では視界は5mが精々。
さっきのドラム缶に戻って、そこでもし彼らを見つけられなければ、本当にもう二度と出会えないかも知れない…
あと30分後には、間違いなく夜になる。
考えれば考えるほど、雪達磨のように不安は大きくなった。
「ああっ、 あそこで彼らに背を向けた時、一言声を掛けておけば良かった!!」
めちゃくちゃ後悔したが、もう遅かった。
自分でも驚くほど、情けないほど、私はさびしん坊になっていた。
雨・夕暮れ・自由の利かぬ重すぎる荷物、慣れない沢歩き、
私が私でなくなってしまった原因は、無数にあった。
一人でなんでも、どこへでも行けると信じていた私…
それは、妄想だった。虚構だった。
虚勢を張っていただけだったのだ。
本当は、こんなにも、山での一人は心細いものだったのだ…。
いままで、そんなことも知らなかった…。
ヤバイ。
マジヤバ。
初めての山中夜を迎える直前で、山行が史上最低最悪のピンチだった。
冗談抜きで、泣きそうだった。
気を抜けば、涙腺が緩みそう。
危うく、冥界へと繋がる軌道に乗り込んでいたのかもしれない。
我に返った私は、己の選択の誤りを素直に認め、意地をかなぐり捨て、仲間を求めて引き返す決断をした。
時刻は16時42分、ドラム缶から10分間前進していた。
この時間が致命的でないことを祈るばかりだった。
動きを制約するリュックは、敢えて脱ぎ捨てた。
身軽になって、ドラム缶へと戻ることにした。
まだ、大声を出すことに、ほんの少しの気恥ずかしさが残っていたが、それどころではないと自覚し、声を上げて、来た道をもどった。
軌道に沿って引き返す私は、間もなく自分の歩いてきた藪さえ見失ってしまった。
本当に、震えが走った。
どこなんだ、ここは。
狭いと思っていた谷底の杉林は、ここでは例外的に広くて、複雑に小沢が走っていた。
しかも、これは驚くべき発見だったのだが、もはやゆっくりと写真を撮影している余裕もなくて、こんな訳の分からない写真になってしまったけど、レールは幾つにも分岐していた。
その分岐点が、無数に藪へと埋もれていたのだ。
もう、完全に来た道が分からない。
もう、本流へと出る以外に、道を取り戻すことは出来ないと覚悟した。
軌道を捨て、藪を強引に突っ切り、川の音を頼りに本流へと脱出しようとした。
「<くじさーん!」
「HAMAMIさーーん!!」
叫ぶたびに、自分の中での平常心が崩れていく気がしたが、叫ぶしかなかった。
彼ら達だって、私の荷物がなければ、雨に濡れて野宿する羽目になるのだ。
きっと探してくれているか、賢明にもドラム缶の場所に残っていると信じたい。
夜が訪れた。
照明は、リュックの中だった。
読者の中では、本当に私たちがここで遭難するのではないか心配した方もいると思う。
いや、その心配は正しい。
私の、気軽な単独行動という誤った選択によって、本当に遭難することが実証された。
だが、最後の最後で天は味方した。
それに、仲間達はとても賢明だった。
なんと、ドラム缶の傍に雨よけのシートを掛け、下草を刈って、テント設営の準備をしていたのだ。
わたしは、なんとかドラム缶に戻り、そこで無事に合流できたのだった。
わたしがめちゃくちゃ心細かったことは内緒にしていた。
「いやー。この先にもかなりレールが続いているなー」なんて、至って平静を装って言った。
彼らは心配には及ばないと思っていたのか、平静だった。
今だから言うけどさ、…マジヤバかったんよ。俺。
その後、急ぎ置き去りのリュックを取りに、また単独で暗い森を駆けた。
そして、また少し迷いかけたが(この杉の森はめちゃくちゃ魔の森だったんよ)、16時55分にはリュックを回収、17時01分にテント場に戻った。
これで、一日目の旅程は終了となった。
野営
17:00より
もはやすっかりと日が落ちて暗くなった藪で、我々全員参加のテント設営・居住空間の構築が行われた。
なんと言ってもメーンはテントである。
パタ氏からお借りした3人用テントを、下草を簡単に刈り払った藪に無事設営した。
そして、次は火だ。
全身びしょ濡れのまま半日以上歩いていたし、相変わらず雨も降っている。
リュックの中身も、着替えなど防水していたものはよいとしても、大概がぐっちょりと濡れてしまった。
やはり、火が欲しい。
人らしい暮らしには、火が欠かせない。
しかし、これには困難が多かった。
とにかく、6日間雨が降り続いている森のどこにも、濡れていないものはなかった。
テントのすぐ傍に、鉈で得た生木や枯木の薪を組んだが、固形燃料を全て使い果たし、わたしが着火用にと持ち込んだ雑誌一冊を燃やしても、なかなか薪に火はつかなかった。
結局、色々と工夫は凝らしたものの、安定した火力は得られずに終わった。
とにかく、雨が降り止まない中で限度があった。
写真は、くじ氏の火興しに努力する姿。
テントの中も湿っていて、内壁も触れるとぐっちょりだった。
でも、降ってくる雨をしのげて、風もしのげて、しかも寝袋までは濡れていなかったから、これでも最高の寝床だった。
重い思いをして各自持ってきた乾いた着替えも、この夜の平和のためだけにあると言っても過言ではなかった。
我々の居住空間は、まずテント。
そして、テント出入り口の前には、地面と地上高2mの位置にブルーシートを設営し、ここにリュックや、濡れた着替えなどを全て置いた。
また、肝心の食事だが、焚き火には失敗したが、くじ氏の持ち込んだガスコンロセットによって、お湯だけは確保できたので、各自レトルト食材を湯に浸して暖めて食した。
おかずは、やはりレトルトのカレーや、缶詰などであった。
山で食事としては、もっとも簡素で手間のかからない、ただ暖めただけの食事である。
味気ないと言われればそれまでだが、もうこれ以上我々に料理の手間などを強要するのは酷である。
暖かいものが食えるだけで、充分であった。
…飯は温くて、堅かったが、うま過ぎだった。
飯を食い終わって、もうすることがない。
テントに籠もって、寝袋に潜って、川の字になった。
20時21分に撮影された、このHAMAMI氏の姿を最後に、我々は寝た。
なんか、どんな話をしたのかも良く覚えていない。
明日の4時半に目覚ましをセットした。
私は前夜が徹夜だったので、何時間でも眠れるような気がした。
なおも、静かに雨は降り続いた。
沢の音はすぐ傍だが、ここは水面から5mは高いの森の中で、心配はない。
風もほとんどなく、濡れまくりのテントでも、贅沢を言わねば充分だ。
想像以上に過酷だった激流の旅路を反芻していていたら、いくらもしないで眠りに落ちたらしい。
あとはもう、この日のレポは出来ない。
寝てしまったから。
就寝。 21時頃。
朝
9/23 5:15
おそらく5時15分だったか、突然場違いなケータイのメロディがテント内に響いた。
その音に意識を取り戻した私たち、一斉に目が覚めたらしい。
ケータイは私のもので、外のリュックに入れっぱなしだと思っていたら、テント内にあった。
この5時15分という設定は、昨夜にしたものではなくて、結局は中止になった19日の朝の為に設定したものがそのままになっていた。
4時半の目覚まし時計では、結局だれ一人起きれなかったらしく、このケータイに救われた。
このままなら、8時くらいまで寝ていた可能性もある(特に私。)
外は刺すほどに冷たく、まさに清冽な朝の空気が満ちていた。
そして、一番重要なポイントとして、空に雲の切れ目があり、そこには微かに赤みの差した青空が見えていたのである。
今日は晴れると確信した瞬間だった。
朝起きるなり、くじ氏がまたも火に向かって飽くなき挑戦を続けていた。
くじさん… 好きだねぇ、火。
尻出てるし。
我々には、微睡みの時間は許されていなかった。
なぜならば、起きた時点で既に、計画よりも45分も遅れているのだから。
さっさと飯を食って、荷物を整理して、上流を目指せねばならぬのだ。
この場所がどこかははっきり言って分かってなかったが、まだかなり先は長いかも知れない。
ここまで来て、最終目的の「最奥隧道」に辿り着けないでは、悔しすぎる。
帰りのことも考えたら、遅くとも正午前には引き返し始めねばならぬだろうし。
我々は、眠い目を擦りながらも、慌ただしく活動を開始した。
すぐに、朝の空気が眠気など切り捨ててくれた。
朝冷えは壮絶で、立ち止まっていれば凍えそうだった。
6時16分、空腹を感じた我々は、早めに飯とした。
またも食事は温めたお湯で暖めるレトルトご飯である。
我々には、これしかないんだよ。
あとは前日にコンビニで買って、そのまま濡れてグチョッとなったおにぎりとか、お菓子とか、カップ麺(昼用のつもり)とか、非常食代わりのカロリーメイトとかしかない。
しかし、くじ氏は余計な変化を付けてくれた。
ガスバーナーがあるにも関わらず、「どうせだから」と、彼が苦労して起こした焚き火の床に水を張った鍋を置いたのである。
わざわざ焚き火でお湯を沸かす理由が不明だったが、やっと起こった小さな火を前にした、くじ氏の童心に返った姿を見て、我々は何も言えなかった。
何度もお湯がこぼれ、レトルト食材が火で焦げたりしても、何も言えなかった。
なかなか私のご飯は温まらなかったが、何も言えなかった。
一心に火を起こす彼の姿に、何かを言えるわけがなかった。
我々は、またも「おいしい」を連呼して、朝飯を終えた。
そして、火を消して、撤収を開始した。
早く火を消さねば、くじ氏がいつまでもここを離れないような予感があった。
生い茂る杉の林は、かつてここに人の活動があった証。
管理を離れた林は、地表にあったあらゆる痕跡を呑み込み、深く深く枯葉の底へと沈めていく。
私たちが一夜を明かした場所は、そんな森の傍らだった。
古ぼけたドラム缶に、埋没した無数のレール達。
人と森が共に歩んだのは、そんなにも昔のことだったのか…。
テント周囲の杉の木3本は、樹皮の一部が剥がされた姿を、朝靄のなか晒していた。
前夜、火を求めた我々の所業に間違いなかった。
生活の痕を、確かに残して、我々は立ち去る準備を進めた。
テントを撤収し、再び濡れた沢装備一式に身を包むと、いよいよ興奮が沸き上がってきた。
今日こそは、いよいよ神の谷へ進入するのだ。
初めて見る、最奥隧道は、果たして如何なるものなのだろう!
午前7時36分。
いよいよ、2日目のスタート。
本日の予定に必要でない寝袋やテント道具一式・ランタンなどはこの場所に残すことにした。
帰りにここで昼食をとり、そして最終的な撤収を行う計画だ。
これで、私の荷物は半分以下の重さになった。
これは、めちゃくちゃ嬉しかった。
よっしゃー!!
今日は、やっちゃうよ!!
その5へ
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