廃線レポート 和賀仙人計画 その5
2004.6.8



 山行が史上最難の踏破計画、和賀計画発動。

現在、初代和賀川発電所跡へ、侵入開始。


発電所遺構内部 地上層
2004.5.30 9:05


 私は、既に内部へ進入していた二人を追って、急な鉄の階段を響かせ、二階の開いたままになった狭き扉をくぐった。

最初に飛び込んできた景色は、6畳ほどの洋風の部屋だ。
今入ってきた入り口の他、二方に扉がある。
足元には倒れた扉や、剥がれ落ちた内壁のモルタル、ガラス片などが積もっている。
しかし、人為的にもっと荒らされているかと思ったが、落書きなどは皆無であり、本当に人々から忘れ去られた廃墟 なのだと知った。
これで、内部が落書きだらけだったり、ゴミが散乱していたり、或いは普通の事務所風の建物だったら興ざめだったが、滅多に見ることのない洋風建築は、私の好奇心をそそった。


 調度類は全て取り外されていたが、そのせいもあって、外から見る以上に廃墟は広く感じられた。
木製の床は朽ち、捲り上がり、穴も目立っていたが、万が一踏み抜いても下の階へ落ちる様な心配はない。
基礎はコンクリート製の頑丈な建築物である。
先ほどパタ氏が、時あらぬ爆竹で散らしたコウモリ達のパニックは、未だ収拾しておらず、ちょっと不気味でカワイイ大振りな体を、壁から壁へ飛び跳ねる様な勢いでに多数が乱舞している。
その蜂起の中を、我々は好奇心に駆られ、ひと部屋ひと部屋と奥へと進んでいく。


 発電所の遺構らしく、生活とは関係の無さそうな空間が目立つ。
計器類が置かれていただろう奇妙な空間も、所在なさげに空虚を晒す。
天井には、各部屋ごとにランプがぶら下がっていたのだろう。
その空間は、まさしく大正期の西洋建築のイメージそのものだ。
私が今まで見てきたもので、とても似たものがある。

それは、阿仁町にある観光名所「異人館」である。
阿仁町の異人館は、明治10年に阿仁鉱山で働いたドイツ人技師達のために建てられたものであったが、とてもよく似た西洋建築である。

発電所と鉱山、立地は違うが、これらは全く無関連とも言えない。
この和賀仙人も、阿仁に劣らぬ鉱山の街であったのだから。



 一階に下りる階段は、2カ所にある。

1カ所は、私たちが進入したのとは反対側である。
この階段を下ると、そのまま発電所のメインブロックであったタービン室へと繋がる。
さらに、地階もあるようで、そこへの暗き階段が見えている。

隧道を探索する時ほどには、貪欲に行きつくそうと考えていないので、まだ未踏のゾーンもありそうだが、下の階へと進む事へする。


 一階二階部の半分ほどを占めている広大な部屋が、このタービン室だ。
写真は、二階のテラスから撮影したもの。
その広い床には、等間隔に二つの凹みがあり、この穴の底は、10m以上も深い位置に見えた。
その特異な形状は、ここに巨大なタービンが設置されていただろうことを今に伝える。
発電所の心臓部だ。

くじ氏が偵察時にこの建物を最初に見た時の感想が、とても言い得ていた。
「バイオハザードみたい」と言う感想である。
ほんと、そんな感じだ。
洋館に見えて、実はそれだけじゃない。

しかも、地階まである。


 広いタービン室の天井。
一応二階建てだが、その高さは通常の建築物の4階くらいある。
学校の体育館なみの高さと言えば、分かりやすいか。

けたたましい発電機の唸りや、噎せ返るようなオイルの香りの代わりにこの空間を支配するのは、何十年かけて熟成された穏やかさだ。
部屋全体を照らし出す、開放的な窓から降りる光が、まるで教会の様な安らぎを感じさせる。
廃墟で心が落ち着くとは思わなかった。



 しかし、一方で地階へ続く階段は、おどろおどろしいものであった。
階段の傍には1階の出入り口があり、そこから外の光が差し込んでいる分だけ、余計にそこは暗く感じられる。
ここで、再びリュックから照明を取り出すことになった。

バイオハザードだったら、物語もいよいよ佳境にさしかかり、中ボスの怪物が現れるころだろうか。
いざ、地下一階へ。





地 階
9:48

 階段は一度途中で折り返しながら、真っ暗な地下一階に続いていた。
かび臭さが少しある。
だが、空気の湿っぽさなどは、隧道ほどではなく、少しほっとする。



 撮影した画像の明度を上げたところ、地下の様子が良く写っていた。
多分、制御室になっていたのだと思うが、今は機械類は一切無く、ただだだっ広い。
ドラム缶が放置されているのだけが目を引いたが、中身を確認しようという気にはなれなかった。
誰かが生活していた形跡はなく、廃止後ここに踏み込んだ人間は少ない様だ。

わたしとて、独りであればここまでこようとは思わなかっただろう。
隧道ならいざ知らず、廃墟の地下など、畑違いもいいところだ。


 地下一階も意外に広く、地上部と同じ床面積がある。
タービン室の底の空洞には、天井と床とに同じような形の穴が空いており、かつてここにあった発電機が如何に巨大であったかを物語っている。
なにやら、パタ氏が特に興奮気味だ。
発電というフレーズが効いているらしい。
かれは、発電機とか発動機の仕組みというのにとにかく詳しいが、それだけ興味も深いのだろう。

たしかに、この廃墟は崩壊していて立ち入れない場所というのが無く、好きなだけ散策できるから、普段は容易に見ることが出来ない発電所の仕組みというのを、よく観察するにも良いかもしれない。
もっとも、それらは全て自己責任である上、ここへ辿り着く事自体が、我々複数人でも大変だったほどの難関であるが。
それだけに、保存状況はよい。


 そして、タービン室の底には、さらに地下の空洞が見えていたわけだが、そこへの通路が、1階に続く階段の傍に隠されていた。
さらに狭く急な階段である。
無論、その先に明かりは見えない。

その傾斜やステップの幅などがきわめて工業的で、居住性など考えられていない階段であるにもかかわらず、木製の手すりに西洋風なデザインが見えるのが、何とも不気味である。
またしても、バイオハザード的な印象だ。

我々は、地下2階へと進むのであった…。
そろそろ、ラスボスが出てきてもおかしくない展開だ。



 地下二階は、流石に狭かった。
部屋はほとんど無く、まるで船内の様な狭い通路と、人が通れるほどの配管によって迷路状に構成された間取りである。
無機質的なコンクリートのつららが、一列に並んで成長を競っている。

地下二階…いよいよ廃墟探索も終盤だった。




 タービン室の底に当たる部分から、天井を見上げて撮影。
地下一階と、さらに地上一階の床に開けられた穴を通して、遙か何十メートルも離れた天井が見えている。
まさしく立体迷宮だ。
このダンジョン、映画のロケなんかには、かなり向いていると思うが…。



 モンスター出現!

ではなくて、前を行く仲間達である。
嫌が応にも、冒険者気分の盛り上がる廃墟だ。
つい、「レベルアップ音」などを口ずさんでしまった。

独りだったら、かなり恐かったと思うが。
そもそも立ち入らないか。
モンスターではないが、おおぶりなコウモリはかなり生息していた。
吸血攻撃はしないし、毒も持っていないので心配は要らない。

 配管内部にも進入してみた。
金属製の直径2m弱の管には、かつては猛烈に水圧をかけられた怒濤の水がもの凄い速度で流れ、まさにこの場所でタービンの羽根を回転させていたはずだ。
今は、もぬけの空である。
また、この管は地上に急な傾斜で続いており、そのままの斜度でさっき探索した水圧管路やサージタンクへと繋がっていたのだろう。
現在は、地上に出たところで管は途切れている。

発電所の造りを、肌で感じられると言う貴重な体験をした。
それも、昭和初期頃の発電所だ(まだ正式な時期が分からない)。


 管は、下にも続いていた。
そこには、微かだが緑色の光が漏れていた。
きっと、ここは排水管だ。
外から確認したところ、この下の和賀川水面とほぼ同じ高さに、調整池らしき石垣に囲まれた深い池があった。
排水は、この管を落ち調整池に捨てられたのだろう。

地上2階地下2階、(初代)和賀川発電所の遺構、完全攻略か?!

屋 上
9:42

 実は、最初に進入した二階の入り口は踊り場になっていて、そこから屋上へと繋がる梯が見えていた。
もう、既に今日は危険な梯プレーを一度こなしているのだが、折角地上階と地階を攻略したからには、屋上まで行ってみたいというのが人情。
そんな、私の申し出を止める者はいなかったが、進んでいきたいという者もまた、なかった。

くじ氏だったら、間違いなく行くのかなー、と思っていた私には少し意外だった。
でも、彼が高所を苦手だと言うことに気が付くのには、もう少し時間を要するのだった。
当楽サージタンクの生きた心地のしない梯にも、怖じ気づかず登ってきた彼だけに、なかなかイメージしにくかったのだ。
 



 木々の枝葉を掻き分け登る高さ4mほどの梯。
恐いのは、その足元が地面ではないと言うこと。
万が一、梯が崩れた場合、2階踊り場の狭いスペースに墜落できればいい方で、多分、そのまま15mほど下の地面に叩きつけられて即死となる。

写真は、屋上に登り、さらにその屋上も二層になっていたのだが、短い梯で最上層に登ってから、踊り場を見下ろしたもの。
くじ氏の頭のタオルが、森の隙間に小さく見えている。



 当然、屋上にラスボスが待っているわけでもなく、木々よりも高い位置になるから、風が気持ちよい開放的なスペースであった。
多少日焼けしてはいるが、そこが築半世紀以上を経た廃墟とは思えないほど、頑丈な屋上だった。
曲がりなりにも発電所である。
近代社会に置いて最も大切な建築物と言っても言い過ぎではないだろう。
半永久的に機能できるようにと、十二分な強度を持って建築されていることは想像に難くない。

写真奥、対岸の森に見える出っ張りは、今はない吊り橋の橋台だ。
この橋のもう一方、平和街道側の橋台は、後ほど紹介できる。




 そして、廃墟探索の最後に、我々が一時間以上前に歩いてきた平和街道を振り返った。
夏場は道の痕跡を外界から完全に隠してしまう森に、確かに幾つかの石垣があった。
廃墟が眠っていた。

だが、今後もますます通る者はいないだろう。
永遠に道には戻らぬ斜面だろう。
印象に残る、過酷な藪歩きであった。

そして、廃墟が目的地ではない。
我々は、ここを去り、和賀仙人集落へ向けて、最後の難関であるだろう、北本内川を渡らねばならない。
くじ氏によれば、それは度胸試しだという。

…はたして、何が待ち受けているのか。






その6へ

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