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  廃線レポート 奥羽本線 矢立峠 その2
2003.4.20



 秋田青森県境の矢立峠。
国道と、旧国道と、そして奥羽本線がかつて通っていた廃線跡、これらが絡み合うようにして狭い峠を抜けている。

秋田県陣場から、主に廃線跡をたどって峠を目指す私の前に、ついに、明治の隧道が現れた。

なお、今回のレポートに関して、『鉄道廃線跡を歩く4(JTB刊)』や、TILL氏にご紹介いただいた『奥羽鐡道建設概要』内の記述を参考にしています。

 
矢立温泉と第六矢立隧道跡
2003.4.10 13:41
 結局、この第六矢立隧道は、下流側の坑門ではなく、先に上流側の坑門にたどり着いてしまった。
地点以来、暫く国道と旧線とが隔てられてしまった為だ。

 第六矢立隧道は、昭和10年にさらに下流にあった第七矢立隧道が開削され消滅してからは、この陣場〜津軽湯の沢間で最も陣場よりの隧道であった。
延長は232m、坑門の形状はやや特殊で、同じく奥羽本線の廃止トンネルである大館〜白沢間の旧橋桁隧道に似ているが、こちらはまるで西洋のお城のような、やや台形の全体像を持つ。
坑門はレンガではなく、石組みである。
レンガ組みの坑門はどこかお洒落だが、石組みは、より重厚で無骨な印象がある。

 気になる内部の調査に向かう前に、この坑門の先(峠方向)の景色をご覧いただこう。

 雪がどっぷりと積もっているのは、矢立温泉の敷地を跨ぐ形で架けられた赤湯沢川橋梁の橋台である。
対岸にも橋台と、さらに次の隧道、第五矢立隧道の坑門が見えている。

 さて、いよいよ内部だ。
内部を覗くと、先客がいた。
といっても、生き物ではなく、土木作業用の重機や、その後ろには色々なもの(簡易トイレやら、コンビニ店内にあるような商品棚やら)が、20mくらいに渡って隧道いっぱいに連なっていた。

 その脇をすり抜け、さらに奥へ。
 両側の坑門付近の壁面はコンクリートと鉄筋で覆工されていた。
この写真は、南側の坑門付近から内部方向を撮影したものだ。 この覆工は後補によるものだろうが、むしろその奥のレンガ部分以上に傷みが目立つ。
これと同じような鉄筋むき出しの覆工が、同じ奥羽本線でも秋田県南端の院内〜及位間の雄勝峠の旧線の岩崖隧道にも見られる。
 そしてこれが、この第六矢立隧道の南側の坑門である。
カーブした隧道内は、部分的にかなりの出水があった(せせらぎが出来るほど)が、さして崩落は無く状況は悪くないといえる。
 しかし、この南側坑門は、坑門全体がコンクリートで覆工を受けたかのような状態。
明らかに北側の坑門とは状況が異なる。
なぜこういう状況なのかは、不明であるが、不気味な様相を呈していた。
 この先にも線路敷きのあったスペースが見えていたが、夏場などは叢に覆われそうだ。
地点までは1kmほどで、その途中かつて第七矢立隧道があった部分を通るはずだが、時間の都合上、残念ながらこの部分は踏破していない。
前に人の歩いた形跡はなかったので、気になったのだが…。


 さて、再び隧道をくぐり、さらに峠のほうへと進むことにする。
第五矢立隧道跡と東屋
 矢立温泉の敷地からも北側の斜面に明確に見える隧道だ。
しかし、入り口は封鎖されており、残念ながら侵入は断念せざるを得なかった。
旧国道がこの坑門の上部を通っているので、これを利用しさらに進むことにした。
 さて、この第五矢立隧道だが、奥羽本線の廃隧道としてはよく見る造りの、レンガの坑門である。
延長は146m。

 坑門上部の旧国道の脇にちょうど東屋が設置されている。
この旧国道とはまた別の経路を辿った藩政時代の道、羽州街道が遊歩道として整備されており、この東屋がその分岐の目印となる。
 写真は、東屋付近から矢立温泉方向を振り返った眺め。
プレハブ小屋は治水工事か何かの為に温泉宿の上手に設置されている物で、そのすぐ左に、先ほどの第六矢立隧道が写っている。
ちなみに、矢立温泉より先の旧国道は、ご覧のとおり、砂利道である。
昭和36年ごろまでは、この砂利道が国道7号線だったわけで、今とは隔世の感がある。

 坑門上部(右)と、旧国道(こっからは雪こぎかよ…)と、東屋(左)である。
 旧国道の峠道
 第五矢立隧道のあるその地上を、蛇行しながら旧国道が走る。
特に旧国道らしい痕跡は見当たらなかった。
もう、ただの林道のようである。
第五矢立隧道の北側坑口
 少し行くと再び足元に旧線跡が見えてきた。
もう峠は近い。
正面に小さく見える隧道が、第四矢立隧道であり、その手前がサミット(峠)となっている。
地形的な分水線も坑門の上に見える杉林のあたりである。
ちなみに、現国道は並行する沢の対岸の急斜面に、桟橋を多用しつつ走っていて、時折大型車の疾駆する音が山中に響いていた。
 思わず第四のほうへ行ってしまいそうだったが、足元には第五矢立隧道の北側坑門が口をあけていた。
どうせ反対側は、先ほど見たおとり封鎖されているので、余り食指は動かないのだが、一応、内部を調査しておくことにした。
 そのためにも、旧国道から旧線跡へと降りた。
今度は、チャリごとである。←この男、峠の隧道をチャリごと突破する気である!
楽しようとしているのが、バレバレである。
 こちら側の坑門でも、坑門上部を旧国道が通っている。
その為か、左右に幅の広い坑門である。
深い残雪に足をとられ、なかなか大変な調査だと感じていたが、坑門に立てば苦労も吹っ飛ぶ。

 さあ、内部の様子は…??





 なんだ あれ?


 隧道内部にまるで針地獄のように乱立する巨大ツララを見た瞬間、あいた口がふさがらなかった。

 こんな光景は、生まれて初めてである。
こんな巨大なツララ自体もそうそう見ないが、廃隧道のなかに、まるで、私を待っていたかのように立ち並ぶ様は、異様ですらある。

誰に目撃されることもなく、この隧道にも春が訪れるはずだったのだろう。
しかし、そこに突然の来訪者が現れたのだ…

 ウフッ  みっ 見たぞぉー。

 新しいおもちゃに飛びつく無垢な子供のように、あるいは、スルメにとびつくニャーのように、私は氷像の前に走った。

 特に密集した部分では、たくさんのツララが屏風のように繋がり合い、道を遮っていた。
全く透き通った、完璧な氷柱だ。

 美しい。

ため息が出るほどの美しさというものを、はじめて見たかもしれない。
しばし、角度を変え、姿勢を変え、見入ってしまった。
もうこんな景色は二度と見られないかもしれない。

 
 隧道内部の温度は、外よりも低く、ツララも解け始めてはいたが、まだ大部分はよく凍っている。
坑門から30mほどの地点が最もよく成長しており、それよりも奥は水気が少ないのか、殆ど見られなかった。
さらに奥は真っ暗であり、微かに反対側の閉ざされた坑門から漏れ出した光が見える程度。
崩落は余り無いが、封鎖されている割には、何かに利用されている形跡はない。

 話はまたツララに戻るが、どうしてこの隧道にだけこれほど立派なツララが育ったのかを、考えてみた。
たぶん、一つは、この隧道の一方が閉塞している為に、風の流れが殆ど無いという理由があると思う。
この日、外の温度は10度を超えていたのに、隧道内部は冷蔵庫の中のよう。

 そして、別れ際、このにっくきツララに鉄拳制裁を与え、立ち去った。
しかし、私の拳もかなりのダメージを受けてしまった。

 え?
なんで、憎いかって?

 だって、このツララが隧道を壊すのですよ。
染み出す地下水が凍ったり解けたりしているうちに、次第に内壁は弱くなり、ぼろぼろと崩れてゆくわけですよ。
正論でしょ?

 ほんと他意はないって。
隧道を守る為に壊したまでです!!

決して、ストレス発散などでは…。



 しばし氷と戯れた後、入り口に戻った。

こんどは、正面に見える峠越えの隧道…一帯最長の隧道に、挑むことにする。

第四矢立隧道跡 南側坑門 
14:25
 旧国道のすぐ下に伸びている残雪深い旧線跡を、チャリを押しながら進む。
夏場はここも叢化しそうだ。
峠の稜線と坑門が、一緒に近付いてくる。
 現国道の通う対岸の景色。
写真では分かりにくいが、国道も中ほどに写っている。
 天を突くような巨木は、秋田県の名物、天然秋田杉である。
確かに、秋田県外ではこれほどの杉の巨木の茂る森は、見たことが無い。
戦前戦中の狂気じみた伐採により、深い山中を含め、その殆どが姿を消してしまったが、この矢立峠の他に、二ツ井町仁鮒一帯や上小阿仁村、秋田市仁別の一部などで、このような美林を見ることができる。
 いよいよ、サミットに到着。
この第四矢立隧道より、青森側の下りが始まる。
坑門の前は泥濘になっており、この季節を除いては、接近は困難に思える。
石組みの坑門の右奥に見える立派なアーチ橋は、現国道の矢立峠橋で、国道の峠もあそこら辺だ。
 坑門を観察してみても、残念ながら、扁額は見当たらない。
県境の隧道であり、一帯を代表する隧道として、扁額が設置される条件は十分あったと思うのだが…残念である。
秋田県内には、扁額を持つ鉄道隧道はないのかもしれない。
 この坑門のすぐ脇に、保線用と思われる小さな小屋が佇んでいた。
内部は特に何も残されていなかったと思う。
 それではいよいよ、内部に侵入である。

遥か702m向うに、点の様に明かりが見えていた。
なんとまっすぐな隧道だろうか。
そのまっすぐさ故に長さを実感し難いが、702mは相当に長い。
明治32年竣工当時、全国でもかなり長い部類ではなかったか。
そして、幸いにして内部に閉塞は無い用である。
うまく行けば、本当に自転車ごと反対側に立つことが出来るかもしれない。
私にとって、峠を自転車ごと廃隧道で越え、そのまま旅を続けるというのは、特別な意味のある行為なのだ。


 いよいよ次回最終回。

廃墟の果てに碇ヶ関へ至る!

その3へ

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