道路レポート  
秋田峠 盛夏編 その2
2004.2.12



朧沢 〜 中茂
2003.8.7 12:03


 南沢トンネルの開通によって最近に廃止された旧道は、一旦現道に合流するが、併合することなくすぐに右に逸れる。
この先の区間は、廃止後10年以上を経過しており、夏草が道を狭めている。
しかし、アスファルト舗装が残っており、通行は十分可能。



 間もなく現道をくぐる。
現道は蛇行する朧川を無視して、たくさんの橋で直線的に峠を目指すが、旧道は例によって素直に蛇行に従う。
そこで、この様な跨道橋が生じているのだ。
日陰になり下草のおとなしい区間では、かつてはこの旧道も2車線の道だったことが分かる。
アスファルトにはかすかに白い中央線も残っている。



 道路上には大量の杉の樹皮。
これは、この先の旧道に以前大量の杉の材木が置かれていたことから想像するに、材木工場かどこかの倉庫として利用されてきたのだろう。
特別に通行止といった告知はないが、実際旧道は至る所で寸断され、通して走破することはチャリ以外では出来ない。

この樹皮の散乱をのぞけば、旧道はよく旧状をとどめている。


 500mほどの連続した旧道部分を経て、再び現道に合流するが、今度はコの字型のコンクリートブロックが道を塞いでおり、四輪車は寸断される。
まだまだ旧道の勾配はおとなしく、チャリで走る分には車が煩い現道よりも快適なぐらいだ。

 再び現道に合流するも、幾らも行かないうちにまだ旧道が口を開けている。
今度は五城目側に向かって右側に、舗装された道が分かれており容易に進入できる。

だが。



 様子がおかしい。
というか、記憶と合わないのだ。
秋田峠の旧道は、私に旧道という物のおもしろさを教えてくれた道で、もう10年来のつきあいである。
何度と無く通行してきたが、こんな激しい廃道区間なんて、あったっけ?

ええ?! 聞いてないよー、と嘆いてみても道はこれしかない。
間違いなくここが旧道のはずだ。
しかしなぜ? 全面が舗装されていた旧道は、まだまだ姿を留めるはずではなかったのか?



 疑問符を頭いっぱいにしながらも、諦めて突入。

元気のよいススキ達は、日本刀のように鋭い刃を持っている。
薄着の私の両腕は、あっけなく流血する。
しかし、
「秋田峠ごときで撤退は許されない!」

こんな奢った発言も、旧友のような間柄なればこそだとご理解いただきたい。



 無理矢理突破するうちに、この急速な廃道化がなぜ起きたのか理解した。
どうも、大規模な土砂崩れによって舗装路は完全に埋没し、その積もった土砂の上に植生が発達してしまったらしい。
本来あるはずの路面はなく、20mくらいに亘って道路は大きく盛り上がっている。

本区間も、覚悟さえあれば二輪車の通行を許す。
だが、夏場はつらい。


 朧川の流れが並走するが、あまりの藪の発達のため見えない。
鯨波のような蝉たちの大合唱に辺りは支配され、一種異様なムードだ。
残されたセンターラインだけは、未だ自然に抗い道を固持しようとしているかのよう。

もう、作り主たちの誰も、お前をかえりみないというのに…。
廃道の持つ悲しみが、私の漕ぎ足に力を与える。



 この旧道区間は短く、200mほど。
再び現道にぶつかるが、2mほどの斜面に加え、ガードレールが隔てており、往来を難しくしている。
ここは、チャリや徒歩のみ通行できる。

汗だくでチャリを担ぎ、現道に戻った。


中茂 〜 秋田峠ゲート
12:12

 現道に戻ると、すぐに分岐点が現れる。
ここは、中茂林道との分岐である。
この中茂林道の先には中茂集落があり、昔ながらの暮らしを続けている。
そしてまた、秋田峠より以前に利用されていた笹森峠の道は、この中茂からはいる。
その話は、いずれまた。

現・旧国道は直進だ。



 中茂との分岐から既に次の旧道が見えている。
今度は右へと旧道が分かれ、現道は橋を渡りすぐにトンネルへ入る。
これは、上小阿仁トンネルといって、現在の秋田峠に4本あるトンネルの一つだ。

いよいよ峠が近づいてくる。



 この旧道区間は、二つの連続した橋から始まる。
入ってすぐに現れるのが、赤い欄干をもつ三沢橋だ。
下を流れるのは、ヒル沢。
中茂林道に沿って流れる朧沢の支沢である。
この橋には何の変哲もないコンクリートの親柱が現存している。
しかし扁額の一部は失われ、竣工年度は不明である。



 ほぼ同じアングルで撮影された、真冬の三沢橋。

同じ場所でも、こうも印象は変わるのだ。





 三沢橋の朽ちかけた欄干。
欄干も、今では見られないタイプの物だ。
そして、傾きながらも橋名を記す標識は、国道の面影を確かに残す。





 三沢橋のすぐ先、同じ直線上に架かるのが、この日暮橋だ。
やはりヒル沢に架かる。
三沢橋より少し短い橋だが、欄干の形状が異なっている。
より無個性的なガードレールと同様の欄干だ。
それが赤茶け、所々穴が開き、無惨な様相を呈している。
こちらは親柱とともに扁額も現存しており、その竣工年度を「昭和38年6月」と知ることが出来た。

この竣工日は微妙である。
これまで、本国道の竣工は昭和28年頃と考えていたのだが、「一米道路」として開通整備されたのは、実はこの旧国道ではなく、旧旧道となった笹森峠という可能性が出てきた。
笹森峠の調査は途中であるが、そこにもまた、辛うじて自動車の往来を許しただろう道が痕跡として、残っている。
そして、昭和30年代の道路地図に描かれている道は、明らかに笹森峠を経由しているのだ。

この地を巡る三代の峠の謎は、意外に深い物かもしれない。



 二本の橋を渡ると、旧道は右に林道を分かつ。
これは通称ヒル沢林道で、ヒル沢に沿って北上している。
未走のピストン林道だが、距離は無さそうである。
なぜ未だ未走かと言えば、…名前が嫌だから。
ちなみに、さっきの冬写真で旧道にあった轍は、この林道へ続いていたが、どんな用事があったのだろうか。

旧国道は左だが、そこには一本の短い橋と、そこを遮るように設置されたロープゲートがある。
橋は高杉橋というが、親柱もないような小橋だ。
この橋が跨ぐのは、ヒル沢の更に支沢であるボタラ沢だ。
ロープゲートはチャリであれば容易に通行できるが、もちろんこれは推奨されない行為だ。




 高杉橋の先は常時封鎖された区間であり、その荒廃の度はいっそう深まる。
長期間手入れされず、酸性雨に洗われ続けた路面は白く変色し、一部はぼろぼろにひび割れている。
そのひびには既に雑草が根付き、強固なアスファルトでさえ、なすすべ無く緑の樹海に覆われつつある。
比較的穏やかな地形の為か、この秋田峠では余り見られないコンクリート吹き付けの法面もまた、至る所に緑が育っている。

この辺りは比較的勾配もきつく、まだブラインドコーナーが多い。
この道が利用されていた当時は、秋田峠もまた、立派に(?)峠の苦難をドライバーに強いていたのだろう。



 ボタラ沢に沿って進むと、今度はスノーシェードが現れる。
この秋田峠の旧道は、本当に目まぐるしいばかりに色々なオブジェが現れて、何度通っても飽きない。
レポートだと伝わりづらいと思うが、ここに紹介している各シーンは、どれも数百メートルの距離の内に現れる物だ。



 冬の様子。

雪上のシングルトラックは、私が刻んだ物に他ならない。





 既に通った南沢トンネルの旧道部分にあるスノーシェードと同じ物だ。
ただし、ペイントが違い、こちらは廃止されて時間も経過しているので、印象は異なる。
形自体はしっかりとしており、まだまだ現役で利用できそうなほどだ。
路面の半分はなにやらよく分からない鉄屑のような物で占拠されている。

さらに進むと…。



 正体不明の大型工作機械(車輌のようだ)が、出口付近を幅いっぱいに塞いでいる。
ここは、ガードレールとこの機械に阻まれ、自転車といえども容易には通れない。
機械の巨大なチェーン(錆びきっており触ると毒が体に入りそう…)と、ガードレールの隙間に体をねじ込み、チャリをどうにか取り回し、苦労して突破する。
この大型機械が何なのか、昔から気になっていたのだが、今回初めてその重要な手がかりになりそうな物を見つけた。
本体操縦席付近に取り付けられた金属板である。




 これである。

「MORITO YARDER」という単語でネットの海を検索してみると、ヒットした。

これは、大型の集材機のようである。
この「森藤」という会社は、今でも集材機の大手らしいが、今までこの様な機械は見たことがなかった。
もしかしたら、結構貴重な物かもしれない。

この件について詳しい方、ぜひご一報いただきたい。



 苦労してスノーシェードを抜けると、小阿仁トンネルの五城目側坑口にて現道とぶつかる。
ここもガードレールで封鎖され、地形すら改変されているので「合流」とはいえない。
写真の右端に見えるコンクリートは、トンネルの坑口部である。

今紹介した中茂からここまでの旧道部は、約500mほど。
3つの橋とスノーシェード一基が犇めく、上小阿仁側旧道のハイライトシーンである。

この先は、一旦現道を走行することになる。
それは、旧道が、現道脇の僅かな路肩程度しか存在しないからだ。

こうして、いよいよ峠を目指す。







最終回へ

お読みいただきありがとうございます。
当サイトは、皆様からの情報提供、資料提供をお待ちしております。 →情報・資料提供窓口

このレポートの最終回ないし最新回の
「この位置」に、レポートへのご感想などのコメントを入力出来る欄を用意しています。
あなたの評価、感想、体験談などを、ぜひ教えてください。



【トップページに戻る】