今回紹介するのは、山形と福島の県境に跨る長大な廃道「万世大路」である。
しかし、当サイト的に言えば、ここは「旧国道13号線 栗子峠」となる。
旧道化は、昭和41年。今年で、旧道化47年目ということだ。
そして現在では、廃道であるという。
さて、この万世大路、大変な人気である。
といっても、世間一般ということではなく、旧道嗜好コミュニティでの話しだが。
しかしそのおかげで、ひとたび検索サイトなどでこの「万世大路」をキーにして探せば、多くの資料にたどり着くことが出来る。
その中には、私と同じに自転車で探索したレポートもあれば、あるいは歴史的な観点からのレポートもある。
だから、敢えてここで、この道の背景的なことを引用しない。(本文中で多少は触れる)
知っていたほうがよりレポートを楽しめるかもしれないが、そもそも私は「歴史の道」というヴェールを剥がしたくて、この道に挑んだのだ。
リアルな姿が、知りたかった。
私が、これまでに知りえた愛すべき秋田の旧国道峠達と、何が違くて、何が変らないのか?
初めて、全国区の旧道・廃道に挑むという、そんな挑戦的な思いが、困難な遠征に私を駆り立てた。
<地図を表示する>
今回の山チャリに挑む前には、普段直前の思いつきで行き先を決めることが多い私にしては、大変な葛藤があった。 現地は、福島県にも跨る場所…自宅からは余りに遠い、いつ、なにで行くのか、どう帰ってくるのか。 それに、標高800mを越えるという峠の積雪はどうなのか? しかし、考えれば考えるほど、行ってみたいという衝動は大きくなるばかり。 結局、往復の輪行代などで合計2万円以上を出費するなど、乱暴な日帰り計画を実行した。 そして、積雪の問題は、もうなんとでもなれである。 物理的にいけるなら行き、無理になったら引き返すのみである。 どうせ、雪がなくても廃道だというから、辛さは変らないだろう。 5月1日の決行は土壇場で決定されたのだった。 とりあえず、少しでも早い時間に今回の起点となる米沢市にたどり着きたかったので、特殊な手段をとった。 それは、前夜の勤務を終えたらすぐに秋田発終電車で湯沢まで輪行、湯沢〜山形県新庄市までは国道13号線を深夜の自力走行、新庄発の初電車である山形新幹線で米沢まで再び輪行するというもの。 結果、午前7時という、まずまずの時間に現地入りすることが叶った。 しかし…ちょっと疲れたし、眠い。 直前、新幹線に揺られながら、車窓に広がる山並みを眺めては、一喜一憂した。 ある山はかなりの高山に見えても、全く山頂まで地肌が見えていた。 しかしまたある山は、中腹からどっぷりと白いものを抱えていた。 はたして、これから挑む峠道は、どうだろうか? まるで、テストの合否を待つ学生のような、緊張があった。 そして悪いことに、この日の早朝にはなんと雪がぱらついたのだった。 県境の雄勝峠手前より容赦ない雷雨が襲った。 深夜の峠道で、まさかの雷雨…合羽装着とはいえ、容赦の無い暴風雨は辛かった。 そして、朝方突如目の前を真っ白く変えるほどの凄まじい雪が舞った。 この数分の吹雪を最後に、暴風雨は去り、朝日が昇ったのだった。 平野部では雪は積もらなかったが、一体山間部ではどうなのだろう。 これも、大きな不安だった。 前夜からの不眠不休、積雪の懼れ…。 不安にまみれたスタートであった。 | |
米沢駅を出発後、すぐに国道13号線に合流した。 ここから南に進めば、そのまま福島へと続く栗子峠越えの道が始まる。 この場所にあった行き先標識には、福島40kmとあり、意外に近いな、という感想を持った。 もちろんこれは現道を利用した場合の距離であるが、米沢市という場所が、やはり秋田からは遠いところなのだという印象をより強めた。 間もなく一本の橋が現れた。 その名も、「万世橋」。 現在の橋の脇には、旧道の橋が取り壊されず残っている。 さらに、ここから暫く、本格的な登りが始まるまでの一帯は、米沢市万世町という。(余談だが、福島市の万世大路のもう一方の起点といえる一帯にも、万世町という地名が残る) | |
そもそも、“万世大路”とは、これから挑まんとする峠道が明治14年の開通式の折、明治天皇から頂戴した名である。 その道自体は僅か数代で潰えたとはいえ、名は残った。 |
万世町を過ぎると、道はいよいよ登りが顕著になる。 行く手には幾重にも重なる山並み。 その頂付近は、紛れもなく白かった…。 この瞬間、本日の雪漕ぎ地獄がほぼ確定したといって良い。 もはや、行ける所まで行くのみだ。 | |
現国道は、昭和41年にそれまでの万世大路のほぼ全てを刷新する形で誕生している。 山形県側では元の道筋が利用された箇所も多いはずだが、当時の県知事に「栗子ハイウェイ」とまで呼ばれた道は今日でも見劣りしないもので、それだけに旧道の痕跡は全く残っていない。 歩道は無いが道は広く勾配も緩やか。 2車線の道は、ひっきりなしに自動車の往来がある。 そして、断続的に繰り返される登坂車線。 紛れも無い、産業道路の風景である。 |
まもなく、旧道と現道が分岐する地点だ。 その直前、正面の山肌に米沢ファミリースキー場のゲレンデが目立つ場所にロードサイドパークがあり、大型トラックなどが休んでいた。 わたしも、ここで一休止することにした。 初めは通過して分岐点まで行ってしまおうと思っていたが、ここにはその名の通り、万世大路について知ることが出来るモニュメントが多数飾られている。 | |
その中の一つ、『萬世大路改築記念碑』と掘られた、巨大な石碑。 ここで、この後のレポートで混乱されないよう、栗子越えの道の略歴を述べる。 藩政時代より利用された福島・米沢間の街道として米沢街道があった。 この街道のバイパスとして、馬車の通える高規格道路として計画されたのが、明治13年竣工の、万世大路である。 この時、峠部分には延長800mを越え、当時の日本最長級のトンネル「栗子山隧道」掘られた。 明治32年に米沢街道沿いに奥羽本線が開業して以来一時衰退したが、来るべき車社会を踏まえ、昭和8〜11年に自動車が通えるように改築された。峠のトンネルもやはりこの時改築を受け、「栗子トンネル」となっている。 その後、昭和41年に現在の国道である“栗子ハイウェイ”が峠部分を完全な新道として竣工、万世大路と呼ばれた峠道は全て、藪の中へと戻る定めとなった。 間もなく私の前に現れようとしている万世大路とは、昭和11年頃の姿をとどめた道ということだ。 いったいそれは、どんな道だというのだろう。 |
海抜450mのこの地点にて、いよいよ現国道と万世大路が袂を分かつ。 特に旧国道であることを示すような標識等はないが、「米沢砕石」という看板が立つ。 想像していたのとはだいぶ異なる、立派な道だ。 今一度地図を確かめ、いざ、進入である。 8時6分、攻略開始! | |
100mと行かぬうちに、道はフラットなダートに変わった。 右手の沢の対岸には、米沢ファミリースキー場の緑のゲレンデが広がっている。 しかし、奥に見える山並み(標高1000m級の山々だ)の中腹より上には、所々雪が見える。 道が荒れているのは、事前に情報を得ていることでもあったし、覚悟は十分に出来ている。 しかし、残雪については、非常に怖い。 一体どの辺から、雪が現れるだろうか…。 不安が大きくのしかかり、ついペダルに力が入ってしまう。 それにフラットダートは、面白みに欠け、無駄に体力を消耗している気がする。 落ち着け、自分! まだスタートラインだ! |
何度か砂利を満載したダンプとすれ違ううちに、道は沢沿いと、沢を渡る道とに分かれた。 地図を確認して、ここを右折。 そこは巨大な採石場であった。 ここまでの道は、廃道後砕石場に払い下げされて久しく、旧国道らしい痕跡を完全に失っていた。 現役で利用されており道は悪くないが、こんなんでは興ざめだと思っていたところだった。 幸いまだ2km弱しか来ておらず、この先の道が期待に沿うような旧道であることを祈りたい。 業務中失礼しますといった気持ちを走りで示しつつ(?)、巨大なダンプやブルの間をすり抜け、採石場の上手に抜けたときだ。 | |
行く手に映る、これまでとは明らかに異質な橋。 はじめて、万世大路という名に相応しい景色に遭遇した瞬間だ。 その橋が相当に古いものであろうということは、見てくれから十分に感じらる。 喜々として、迫った。 | |
しかも、この橋の銘板は奇跡的に無事だった。 昭和7年9月竣工 瀧岩上橋 きたーよ。 いきなりの昭和7年…、まさしく、昭和の改築時に竣工された橋の一つである。 大きな橋でも、変わった意匠があるわけでもないのだが、このような採石場の片隅にあって、無事な姿でいただけで感無量である。 それに、私がこれまで見てきた同年代の橋たちに比べ、この広さはどうだ。 十分に、2車線の幅を確保している。 まさしく、「大路」にあるべき姿といえまいか。 この時点で、遂に私の旧廃道エンジンに火が付いた。…燃えてきたよ。 |
橋を渡ると、フラットなダートから林道らしい砂利道に変わった。 しかし、それもつかの間、僅か100mほど走ると、最初のヘアピンカーブで砂利が途切れた。 写真では、右から登ってきて、左へと登ってゆく構図だが、路面の状況に注目。 どうやら、ここで現役区間は終わりらしい(涙)。 …いや、さっきはちょっと贅沢言っていたかも、ボク。 まさか、こんなに早く廃道化するなんてさぁ、聞いてないじゃない。 あと、何キロあるのさー…。 いまこそ マタギの血の下に生を受け(ウソ)、山で育った(ウソ)、秋田県民の底力を見せるときだ! | |
久々の本格的な廃道走行を覚悟した。 峠は、標高800mを越えるという。 そこまでの道のりには、どれほどの困難が待っているのか。 しかし。 私がここまで来たからには、もう無事では済まさないよ、栗子君。 かならず、我がコレクションに加えさせてもらう。 いざ、尋常に勝負!! |
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