道路レポート  
旧国道13号線 栗子峠 “万世大路” 
山形側 その2
2003.5.5



 日本の代表的な道路遺構の一つといっても過言ではない万世大路。
それは、全長50kmにも及ぶ、奥羽山脈越えの道であった。
明治14年に開通したその道筋は、今日でも幾度かの改良を経て国道13号線として利用され続けている。

ただ、標高800mを越えたという県境の前後を除いては…。

今回、私が訪ねたのは、この廃道化して久しいとされる旧峠越え部分、正に万世大路の核心といえる部分だ。

<地図を表示する>
 

 
標高550m地点
2003.5.1 8:29
 あっけなく廃道っぽい道に変ってしまった。
ここからいよいよ本格的な登りが始まるのだが、現在地点の標高は約550m。
峠の高度は標高800mより上であるという情報を得ていたので、比高は250m以上か。
その数字だけなら、まあどこにでもある林道と同じなのだが、なんといっても、ここは天下の万世大路。
きっと何かがあるはずだ。

 正面に立ちはだかる山並みが県境の稜線に他ならず、標高1000mから1200m程度だ。
この角度から見る稜線は、林道攻略の序盤に付き物の景色だ。
しかし、こんな足元付近から廃道だというのは、ほかに余り例が無い。
…というか、よほど目的がなければ、引き返すだろう。
 勾配はさすがにきつく、7〜8%くらいだろうか。
でも、元国道ということで、これでも、並みの林道よりかは良心的に思える。
まあこの点では、秋田・岩手県境の仙岩峠(国道46号線)旧道の異常さに慣れており、驚きはない。
むしろ、驚きは、この景色だ。

いいですか?
いきますよ。
ベタですが…言いますよ。

これが、元一級国道かよ。

はい、言いましたよ。
ベタでしたか? やっぱり。
いくら旧道化37年目とはいえ、これはちょっと…
もともとの道も林道程度だったんじゃあ…?
そんな疑惑が、持ち上がります。
九十九折の登り 標高600m付近
8:40
 路面状況は、廃道っぽい道です。
いや、きっと廃道なんでしょうけれど、季節が季節だけに下草ゼロ。
だから、廃道というほど進行は辛くない。
しかし、古い轍の跡も風化が進み、落ち葉の堆積ぶりを見ても今年私以前に車両が進入した痕跡はない。
夏場は廃道なのでしょう。
しいて言うならこの路面…、古道かなー。

 早速、高度稼ぎの定番、九十九折が断続的に現れ始めた。
写真は、九十九折の一段下の道を撮影。
曲率半径は林道のそれと変らず、とても乗り合いバスが通っていたという事実は信じがたい。
もっとも、この区間では、時速10km程度しか出せなかったというから、相当に大変だったのだろう。


 この九十九折の登りは、標高750m付近まで、延々と続く。
ただ、仙岩旧道のそれのような規則的な線形ではなく、本当に自然のままの道。
でも実際、これがうまく行っていると感じられる。
なんていうか、思ったほど道は荒廃していないのだ。
たしかに、倒木や所々草地化している部分はあるが、旧国道の峠にありがちな、通行不能になるような落石や崩落が全く無い。
 この奇妙な調和感というものが、厳しい登りではあるが、心地よさを感じさせる。
廃道の“歯を食いしばるような”辛さはない。
気が付いてみれば、すっかり“歴史の道”の空気に、和んでいた。

 挑戦者が、骨抜きになって来てますぅー。
でも…、ホント気持ちいいよー。
あらわれた残雪 標高700m付近
8:50
 こんな道ならどんなに続いてもいいなー。
そんな腑抜けた心に、戦慄が走った。

 残雪である。
いきなり、大量に出現した。
そして、この残雪の出現が、心地よい“春の森のプロムナード”を、徐々に壊してゆくのだった。
さし当っては、道を塞ぐほどの残雪ではないとはいえ、路面の状況は一気に悪化。
深く堆積した落ち葉は、ぐっちょりと水を含み、まるで泥のように車輪に絡みつく。
すべるー、車輪は空転に次ぐ空転。

 やばい、これは疲労度50%増しの展開だ。


 芽生えたばかりの木々の緑、道の隅に咲くフキノトウ。
ああ…、ここは美しい…。

しかし、見た目以上に、チャリの進行はしんどい。
泥のようになった落ち葉は、ここに来て少し緩やかになった勾配の分か、それ以上に疲労させてくれる。
この日は最近にしては涼しく、立ち止まっていれば肌寒いほどだったが、額からは早くも汗が零れ落ちる。
残雪は、雪の上を越える苦しみだけじゃないということを、勉強した。

 この写真には、この道にしては珍しい橋梁構造が映っている。
写真左側、小さな沢を越えるようにして、短いコンクリート橋が見えるだろう。
橋とは呼べないほどの小さな物だが、こんな物でも、この道では余り無い。
ほんと、地形に逆らわない道造りなのだ。

切り通し 標高730m付近
8:55
 地形に逆らわない道造り。

その中では比較的目立ったのが、この切り通しだ。
しかしこれも長い区間ではなく、このコーナーだけのもの。
ここで気になったのは、その幅の広さである。

 麓にあった瀧岩上橋といい、この切り通しといい、やはりただの林道ではない過去を、随所に滲ませている。
今までの我が山チャリにはなかった、旧国道というよりかは、古道というジャンルの道だ。
夏場ならきっと違う感想を持っただろうが、この季節、古道は楽しいなぁ。

 道路の真ん中には、堂々たるほだ木が。
これ、食えんのかなー?
こんな目立つ場所に生えてんのに、全然採られてないよー。
たしかに険しい道ではあるが、ここまでは残雪もまだまだ多くはなく、秋田の山には大量に生息している「キノコ親父」だったら、余裕で採りに着そうなもんなのに…。
わざわざ採石場の奥にまで採りに来なくてもいいほど、あたりはキノコの宝庫なのだろうか?

 いやそれにしても、この沿線のキノコは多かった。
マリオなら…  
いや…、さすがにその話は止めておこう。無粋だ。

栗子沢沿い 標高750m付近
9:00
 景色に変化が訪れた。
それまでの九十九折から、やや平坦な斜面の道になったのだ。
まだ結構、越えるべき主稜線との距離はあるように見えたが、高度的には750mほどまでは来ていて、かなり登った。
ここまで数度、短い残雪越えもあったが、総じて路面状況は想像より良く、ペース的にも期待以上。
決行日に、この日を選んだことを、正解と感じ始めていた。

 主稜線の眺めの開けたこの場所で、はじめてゆっくり目の休憩をとった。
この時期の道には残雪という危険もあるが、やはり廃道探索には最適だ。
木々の葉や雑草に視界を遮られることがないので、これだけ廃道化の時間が経過した道であっても、かなり当時の線形や景観を感じることが出来るからだ。

 休憩しつつ、景色を感じる、廃道の囁き聞いてみる。

 国道13号線といえば、普段喧騒の中にしかありえない存在だ。
それが、ひとたび旧道化すれば、たった三十数年でこの様。
たしかに、この旧道には特殊な事情(トンネルの崩壊だ)があったと思うが、それにしても、ここまで変わってしまう物か。

 率直な私の印象としては、むしろ逆だが。
こんな山中に、あの国道13号線があったということが信じがたい。
しかも、現役当時で、一日あたり420台の自動車の通行があったという。
この数は、当時の自動車の絶対数を考えれば、決して少なくはない数だ。
アナタはこの事実、すんなりと受けめられるだろうか?

石垣の道
9:06
 強い西風が斜面を登ってゆく。
時折太陽が雲に遮られると、いよいよ肌寒い。
冷えてきたので、休憩もそこそこに再出発。
もう、ひとふんばりだろう。



 そう思って出発した矢先、延々と続く石垣が現れた。
いまだかつて、旧国道と呼ばれる場所で見たことはない法面構造だ。
それは、まるで民家の庭先のような、苔むした石垣である。

 十分すぎるほどの道幅と相俟って、これもまた、万世大路の名を印象付ける景色の一つだ。

 もし旧道化の前に舗装さえされていれば、この場所へ今でも容易に人を通わせていたに違いない。
そのとき、ただの旧道としてではない、また新しい価値がきっと、この道には生まれただろうと思う。
ここには、それだけの説得力を持った景色があるから。
 でも、現実がそうであるように、一年の殆どを、雪か或いは草木によって阻まれているというのも、悪くないのかもしれない。
そのおかげで、この道には、余計な物が殆ど無いから。
視界に入る電線も鉄塔も、無い。
なによりも、ごみが殆ど無い。

標高800m付近
9:00
 ついに、恐れていた光景が目の前に広がった。
道を埋め尽くす残雪。
迂回の手段など無い。
覚悟は出来ている、準備してきた長靴を装着だ。

 厚い残雪の上に、チャリを押しながら一歩、また一歩と進行。
幸いにして、残雪は硬かった。
さすがにチャリに跨ることは叶わないものの、押して歩く分には、思っていたほどの苦労はない。

 「よしよし、これなら行ける。」
この調子ならば、雪の上を渡り頂点の隧道まで行けそうだ。
あと高低差は100mを切った。
ここに来て、前夜の雪や今日の異例といえる冷え込みが、むしろ良いほうに影響したのかもしれない。
残雪というのは、ドロドロに解けた状態が最も怖い(雪崩)し、体力的にも大変なのだということを体が覚えている。

 残雪の上を押し歩き始めて間も無く、短い地表区間を跨って漕ぎ出したとき、足元に異様な感触。

やばい。
…この感触は、先代のチャリが死の直前に何度も醸し出した感触に近いぞ。
冷や汗タラタラで、急ぎ足元を確認した。
すると、チェーンが前の変速機とフレームの間に挟まって動かなくなっていた。
その上、後ろの変速機の一部、変速操作を変速機に伝える部分に故障が発生していた。
珍しめの破損であり、復旧は不可能と判断。
挟まったチェーンは、傷めないように慎重に救出したが、変速に傷を追ってしまったことは事実。
一体、どうなってしまうんだ。
最低でも、自走出来るのか?!

再び九十九折 標高830m付近
9:29
 なんとか、最悪の事態は免れた。
自走能力事態には深刻な障害は認められず、旅の続行は可能であった。
しかし、このような過酷な山道では重宝する、最も軽い“段”に入らなくなってしまった。
これは、今後の体力面での損失が心配である。

 そうこうしていると、またも景色に変化が訪れた。
ちなみに、手持ちの地図帳ではこの辺りまでしか道は描かれておらず、この先はただ等高線があるのみなので、どんな道が先にあるのかいよいよ分からないのだ。
 そこには、再び九十九折が待っていた。
しかも、えらい見晴らしの良い九十九折である。
標高800mを越えた辺りからは、まだまだ緑少なく、地肌の他に視界を遮る物も殆ど無い。

 これまで登ってきた道である。
こうして見ると、残雪など殆ど無い。
むしろ、道の上にだけあるようではないか。
憎々しい。

 しかし、実はこれもよくあることなのだ。
何物も、やはり平坦な場所のほうが居心地が良いということなのだろう。
重力の必然か。


雪山 標高850m付近
9:35
 間近に迫る県境の稜線。奥羽山脈そのものだ。
ちょうど正面のピークが、一帯の最高峰である栗子山(1217m)であろうか。
この壁を貫くトンネルは、果たしてどんな姿で私を待ち受けているだろう。
ついに、あと一歩の場所まで来た。
この景色を見て、その実感が湧いて来た。

 さすがにここまで来ると、チャリに跨がれる場所は全くといってよいほどない。
積雪は平均して30cm以上あり、所々地表が見えている場所も、湿地帯と化している。
雪の踏み抜きや、路肩の雪庇の崩壊、雪崩、一見穏やかな雪原にも危険はいっぱいある。
そう頭では理解していても、どの危険も未だ見ぬ危険であり(踏み抜きはあるが)、実感に乏しい。
とにかく周囲十分に警戒しつつ、慎重にチャリを押した。
ここが自分のフィールドではないということだけは、肝に銘じる必要があった。
わたしは山チャリストであり、登山家ではないのだから。

見えてきた
9:37
 何度目かのヘアピンカーブを越えると、その先の道は一直線に稜線に立ち向かって行くように見える。
ついに、鬼の三島(この道の施工命令者である)も観念したのか。
ついに、ついに、隧道を穿つというのか!

予感が確信に変ったのは、その直後のことであった。




 100m先に見えてきたのは、紛れもなく石組みの隧道の姿。
これはもう、遂に到達したとしか言いようが無い。
興奮の余り、「やったー」と叫んだね。
「やったー」だよ「やったー」
笑っていいですよ。
でも、出るもんだねぇ、「やったー」って。
じぶんでも、自然に込み上げてきた何かが思わず口を突き破ったなと思ったら、それが
「やったー」
だもんな。
参っちゃったよ。

栗子隧道山形側坑門 標高870m付近
9:38
 最後の最後に、立ちはだかった壁。
まるでクレバスのような、深さ2mの亀裂である。
しかし、ここさえ越えれば、もう隧道の前に遮る物は何も無い筈だ。

チャリと一緒に慎重に突破した。





 今、万難退け万世大路に立つ。

 現道分岐点からここまでの道のりは、距離にして約7km。比高にして400mである。
それは、九十九折り集合体のようなハードな登りであった。
しかし、辛さを感じた部分は少なかった。
楽だったということではない、苦しい以上に楽しかったのだ。
久々に、登ってゆく、そしてカーブを曲がる、その一つ一つの景色の変化を楽しめる道だったといえる。
まさに、秀逸な道である。
すぐに比較したがるのは悪い癖だが、大のお気に入りの仙岩旧道にも劣らぬ、すばらしい山道であったとおもう。


 念のため。
このサイトをご覧になっている方々の多くの嗜好に合致する道だとは思いますが、私の挑んだ時期が良かった。
序盤戦から廃道であり、夏場など(実際夏場に挑まれた方の記録もネットにはありますが)大変な困難を強要するでしょう。
また、私とて相当の覚悟と準備の上で、1時間30分を要して参ったこの場所です。
「危ないので行かないほうが良い」とは申しません。
多くの方々の警告を聞いてもなおも強行した私が申しても、説得力もありますまい。
ただ一つ、もし行かれる方はごみを捨てないでほしい。
こんな素晴らしい古道にも、残念ながら、少ないとはいえ、空き缶が見受けられた。

 平凡すぎるかもしれないが、それがこの場所をネットで紹介した一人として、どうしてもお伝えしたいことである。
それさえ守れるならば、どうぞ行ってみてほしい。
もちろん自己責任だが、たとえこの隧道まで無理に来ることをしなくても、途中にも見るべきものは多数ある。
山菜採りがてらぶらついても、後悔はしないと思う。


 私にとっては、期待を、裏切らない道だった。


いよいよ隧道内部へ!

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