憧れの旧道遺構、万世大路。
山形側から踏み込んだ私は、残雪に苦しめられつつも、峠の隧道に到達。
無情にも閉塞した現場を確認した。
そして、次は福島側に回り込むと、やはり峠への登りに着手したのだった。
たどり着いたは、もう一つの隧道、二ツ小屋隧道。
長い福島側のアプローチの中間地点といえる二ツ小屋隧道に立った今、私の万世大路完全攻略は、いよいよ最終局面を迎えつつあった。
すくなくとも、私の中ではそういう認識であった。
―しかし、その認識は甘かった。
そのことを思い知るのは、もう間も無くであった。
<地図を表示する>
しばし、坑門の迫力に魅了され、色々な角度からその眺めを堪能していたが、まだ私の戦いは半ばである。 この隧道を越え、さらに何度か沢を越えねば、本当の峠にはたどり付けぬのだ。 既に時刻は正午を廻っており、のんびりしている暇はない。 いざ、二ツ小屋隧道へ進入! | |
延長は、384m。 綺麗な直線の先に、小さく反対側の明かりが輝いている。 閉塞した隧道の闇を味わった後だと、なんかホッとする眺めだ。 ただし、昭和十年竣工なりの荒廃は確実に進んでおり、コンクリート舗装の路面には所々小さな瓦礫が散らばり、一部では側壁の崩壊すらあった。 未だ自動車が通う隧道としては末期的な状況であり、未だに通行止め処置がとられていないのが不思議なくらいでもある。 いつ大崩落を迎えても不思議はないであろう老朽ぶりなのだ。 | |
中ほどまで来るとさすがに暗い。 しかし、やはり前後両方に明かりが見えるというのは、なんとも心強い。 ゆっくりと進行する私の前に、奇妙な光景が現れた。 なんと、打たせ湯のごとき水流が、天井から落ちているではないか。 しかも、同じような場所が数箇所あった。 頭上にある何十万トンもの土砂から染み出してきた地下水が、隧道内に噴き出している。 これがトンネル工事中の出来事なら、出水事故である。 そもそも、竣工後の隧道でこれほどの出水はほとんど(矢立峠にある奥羽本線の旧隧道にもあったが)見たことが無い。 コンクリの擁壁の隙間から噴き出す水圧は相当の物と考えられ、やはりこの隧道の寿命が近いことを感じさせる光景といえる。 | |
そして、近付いてきた出口。 そこには、嫌なニュースが二つも待ち受けていた。 ひとつは、隧道出口付近が池と化していたということ。 そしてもう一つは、出口の向こうに真っ白い壁が立ちはだかっていたことである。 とくに、予想よりも遥かに早く現れた残雪は、目を背けたいほどに嫌だった。 しかし、しかめっ面の私を夢中にさせるものが、頭上にあった。 とりあえず次の写真を見ていただきたい。 | |
足元一面の池は、この出水が作り出している物であった。 もうこれは、異常出水である。 さらに言えば、水の溢れ出る穴の向こうには日光が見えている。 まだ出口までは10m以上あるのにもかかわらずだ。 どうやらこの部分の天井は、長い時の中で沢に侵食され、遂にくり貫かれてしまったらしい。 洞内に滝が落ちるというのは、この隧道についてはオーバーでもなんでもなく、まさしく滝が落ちている。 ある意味、芸術的な崩落である。 しかし、足元の池は笑えないほど深く、ペダルすら水没するほどであった。 さらには、やっと脱出した隧道の先には、雪の壁が。 まったくもって、笑えない。 |
こちら側の坑門も大変に立派なつくりである。 しかし、坑門付近のコンクリの内壁の剥離が深刻だ。 雪のように散らばっている白い物もコンクリの塊である。 坑門内部の左右を良く見比べてみてほしい。 左側にはまだコンクリの厚い層が残っているが…。 それにしても、鉄筋も通さないでコンクリで巻いても、こうなるのは目に見えるようなのだが、昭和初期の技術水準では、まだ鉄筋コンクリートというのは一般的ではなかったのだろう。 | |
見たくないものから目を背けていちゃ、峠には立てない。 臭いセリフをはきながら、いざ残雪へと突入。 しかし、本当にこの地点からの残雪出現は予想外である。 ここの標高は700mと、山形側で残雪が現れ始めたのとほぼ同じではあるが、ここまでの道程では全くといってよいほどそんな気配は無かったし、そもそも、まだ峠まで少なくとも5km以上を残しての残雪出現は、あってはならない緊急事態である。 この時点で、一つの誤算が明るみに出た。 事前に地図で行うべき標高観察の不足である、山形側が素直に峠へ向けての登り一本調子であったのに比べ、この福島側は複雑な経路を持つ。 二ツ小屋隧道の峠がまず第一のピークであり、さらにもう何度か、沢を越え峠を越えて、初めて本当の峠に至るのである。 その部分を丸っきり理解していなかった。 ―やばいな。 日没までに攻略できるかさえ、自信がなくなってきた。 | |
焦りを感じた私は、こちら側の坑門の観察も程ほどにして、雪の上に乗り出した。 切り通しになった道路には付近のどこよりも深い残雪が残っていた。 その深さは、1mを優に越えている。 燦燦と日光を浴びた残雪は、穏やかに見えて危険がある。 おっつ! 分かっていたのに、その危険な罠にはまってしまった。 体重50kgの私はこんな場面で有利なはずだが、それでも巨大な空洞の上に踏み込んでしまえばこうなる。 幸い片足が落ちただけで踏みとどまったが、下手をすれば数メートル下の雪解けプールに嵌まり込む場合も考えられる。 そうなったら、自転車を救出できるか分からない。 最悪の事態すら、考えられる。 穏やかな雪上にも、危険が一杯なのだ。 |
幸い残雪は短い区間で終わった。 しかし、この短い残雪の帯は一切の自動車交通を断絶してしまっており、私が今春初の侵入者となることを明らかにしてしまった。 どんな道が待ち受けているのかという不安が募る。 沢沿いに短い下りの後、再び平坦に近付いた道の先にコンクリートの橋が見えてきた。 遠くから見るとなんか新しい橋の様にも見える。 舗装もガードレールの一つも無い景色の中突如現れる白いコンクリート橋は、本来は普通の物なのに、ここでは逆に浮いてしまっている。 | |
この橋は烏川橋。 昭和10年に改良工事を経て以来ここにあり続ける、万世大路ファミリーの一員だ。 遠くから見たときはそんな気はしなかったのだが、いざ間近に見ると大変な朽ちかたである。 人家も近くに無い山中の国道橋として、機能優先でシンプルな意匠だったモノと思われる。 しかし、そのシンプルさが仇となったのか、風雨に晒され続けた結果、もはやこれ以上こそげ落とすところが無いまでに肉を削られ、欄干などは殆ど鉄筋の骨だけになってしまっている。 もちろん、銘板などはとっくの昔に親柱ごとお亡くなりになっていた。 | |
朽ちた欄干の向こうには、これから挑む県境の山々。 足元を流れる烏川は、かなり下流まで林道すらない山中をただただ北流するようだ。 いずれ、摺上川に交わり、そして、最後には阿武隈の流れにたどり着く。 阿武隈川か…、なんとも遠いところに来てしまった物だと、いまさらながら実感できる名である。 阿武隈水系烏川を渡ると、再び道は登りに転じる。 |
烏川橋の先は、約2.5kmに渡り、激しい九十九折で急な登りを迎える。 道幅もこれまでより狭まり、現役当時も相当の難所であったことをうかがわせる。 そして今その難所が、折り重なるような倒木に加え、残雪という障害を持って私の前に立ちはだかった。 これは苦しい。 私はいつもチャリで探索しており、その光景はもうこのサイトの常連の方々にはお馴染みとなったと思うが、敢えて、辛いとか、苦しいといった感想には余りレポートを割かないようにしてきた。 なぜならば、その感想は文章として余り面白くないし、私の語彙が貧弱なせいもあるのだろうが、余り実感を持って頂けないと思うからだ。 しかし、実際の探索時、私の心に去来する物は、その殆どが「あー苦しい」だの、「あひー」だのといった、言葉にもならない悲鳴である。 チャリでの探索は、つらく厳しいものなのだ。 | |
それではなぜ、「敢えて触れないように意図してきた」そんな気持ちを、ここで吐露したかといえば、簡単なことだ。 ここが、際立って苦しかったからだ。 行けども行けども、一向に足元の残雪は途切れず、緩い残雪の上を押して歩くチャリの重いこと重いこと。 それでも満足に押し歩けるうちはいいほうで、仕舞いには丸太ほどもあるような倒木が行く手を遮る。 その都度、チャリを担ぎ、または引っ張り。 額に落ちる汗。鼻から滴る鼻水。 刻一刻と過ぎ行く時間。 しかも、この道は、突破してそれで終わりで無い。 遥か先の隧道に立った後、再び戻ってこなければならないのだ。 峠の上りは下りに、そして、下りは上りに転じて、私を待っているのだ…。 辛いだろうとは思っていたが、さすがに辛い。 | |
幾度かの九十九とヘアピンを乗り越え、かなり体力を奪われてしまった。 久々に視界が開けたとき眼前に広がったのは、名も無いなだらかな頂。 まだ冬の装いにあるその頂は、目指す峠ではない。 目指すべき峠は、あの頂の、さらに裏手。 太平沢を渡った、さらにその向こうなのだった。 ここに至りて、初めて地図の等高線と現実が一致した。 山形側を比較的順調に攻略したことで、少し油断が生じていたのかもしれない。 それにしても、このあたりからは、たとえ雪の無い季節でもかなりの荒廃が予感された。 とにかく、倒木や路面への植生の進出は深刻であり、しかもその大半が草ではなく、木である。 苦しいとは言え、残雪の上は一定の速度で進めるだけ、マシなのかもしれない。 |
海抜は800mを再び越えた。 この高度は、山形側の峠に達したとき以来である。 烏川橋からの登りで約30分を要した。 この間の平均時速は5km/h程度と計算され、これは徒歩にも劣る。 切り通しになった峠は、まるで関所のように感じられる。 通り抜けるはいいが、帰りもここに来なければならないという事実が、重くのしかかる。 己に課せられたハードルが、先へ進むことでますます高くなってゆく、それが、行き止まりの道の恐ろしさである。 もしここを再び私が通らないことがあれば、それは自身の死を意味する。 誰もいない山中。 足跡一つ無い残雪をどれほど乗り越えてきたか。 | |
ここに赴く前、誰かが忠告してくれた。 「そこは、一人で行くには余りに深い。」 「何かがあっても、決して誰も助けてはくれない。」 分かっていた。 そんなのは、慣れっこだ。 しかし、現実にそうなってみると、やはり恐ろしい。 もし恐ろしいとも思えなくなったら、きっとそのときは歯止めが利かなくなり、命を失うとも思う。 恐ろしい… それで正常。 恐ろしいが、なお冷静に淡々とこなしてゆくのが、真の旅人ではないか。 淡々と、淡々と… 私も先へと進もう。 まだ、往ける。 | |
再び峠の先へと目を向けたとき、現実はこんなにも冷酷だ。 まだ、この地は雪山であった。 目指す隧道までは、少なくとも3km以上はある。 正確にはわからない。 なぜなら、私の地図では、道は途中不自然に消失していたから。 | |
次回、私はいよいよ峠の隧道たどり着く。 その途中、私の前に現れた、数々の目を覆いたくなるような惨状。 現れた隧道の異様な姿と、そこでの凶行。 遂に万世大路が、その最大の秘部を露にする!! |
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