福島側からも峠へと挑む。
しかし、入山から1時間以上を経て、まだ半分くらいしか進めていなかった。
想像以上の残雪と荒廃が、執拗に私を足止めしたのだ。
徐々に西へと傾きつつある太陽のもと、私を除いては誰一人といないだろう山の中、黙々と峠を目指す。
<地図を表示する>
約500mほど下ると、高い山々の間に小さな盆地状の地形が現れる。 ここは、かつて太平という集落があったという場所である。 しかし、今日では何一つとしてその痕跡は見当たらない。 廃屋はおろか、耕作地の形跡も見当たらず、このような場所に一体どのような人々が、いつ頃まで暮らしていたのだろうかと思うと、興味深い。 それにしても、この場所の僻地振りといったら、殺人的である。 電気も、電話も、水道すらない生活だったはずだ。 道といえば、唯一この峠道のみ、それ以外には唯の一つとして下界に繋がる道はない。 こんな場所での夜など、旅なれた私でも、余りの寂しさに発狂するかもしれない。 写真を見る限り長閑な山間の盆地のようだが、この場所の山深さを体で知った私にとっては、とても恐ろしい場所だ。 ここには…、住みたくない。 | |
先ほどの写真で、少し広場のように道が広くなっていたのは、集落跡の為だと思ったが、それはどうやら間違いだったようだ。 その10mほど先、突如道が消失していた。 盛土の上を道は通っていたようだが、横を流れる川の浸食作用が、長い年月を掛けすっかり道を削り取ってしまっている。 写真だと結構なだらかに見えるかもしれないが、実際には、かなり切り立っており、滑落すれば危険である。 この様子だと、かなり以前よりこの先に自動車が立ち入ることはできなかったはずだ。 それで、さっきの広場が出来たのかもしれない。 | |
しかし、こういう場所にチャリは強い。 動じることなく、冷静に僅かに残った路面を走行。 すぐ足元には、雪解け水を集め勢い良く流れる清流。 無事にここを突破したが、問題はその先だった。 ただですら通行量が少なく荒れ果てていた道が、この障害のせいで、さらに悪化している。 残雪が無い場所ですら、まともにチャリを漕いで進める場所は僅かとなった。 もう、殆ど押し歩きである。 絡み付いてくるツタが煩い。 比較的道は平坦ながら、ここで一気に走行ペースが落ちてしまった。 まだなのか…、峠は。 |
ここで、再び橋が現れた。 見通しの利かない叢の中を進んでいると、眼前に突如幅の広いコンクリートの路面が現れ、一瞬呆気にとられてしまった。 しかし、すぐにこれが、万世大路福島側の2本目の橋である「大平橋」であることが理解された。 この橋の袂も、道幅の半分以上にわたって路肩が陥没しており、危険箇所である。 | |
久々に現れた旧道らしいオブジェに少し元気が湧いてきた。 しかし、手持ちの地図ではこの先の道は描かれていない。 でも、景色から言って峠の隧道はまだ遠そうである。 多分、正面にひときわ高く見える白い峰を隧道が穿つのであろうが、竣工当時日本最長とはいえたかが800mほどの隧道である。 坑門まで、まだかなりの標高を稼がねばならぬのは、明白であった。 一体いつになったら到着できるのか、いよいよ心配になってきた。 体力よりも先に、時間が尽きてしまいそうだ。 |
橋を渡ると、今度は沢沿いの登りとなった。 勾配はそれほどではないが、いよいよ路上の荒廃ぶりが深刻さを増してきた。 叢ならば強引にチャリごと突き進む手もあるが、生きた木が路上に森を成しているのは、なんともし難い。 こんなことならば、残雪のほうがよっぽどマシである。 本当に、進めないよー(涙)。 | |
ぐあー。 洒落にならない。 全くもって進めない。 1m進むのに1分も掛かることもある。 チャリの駆動部に細い枝やツタが絡みつき、イライラして力いっぱい引っ張ると、ますます食い込み…。 結局、少し戻ってやり直し。 その上、荷物が詰まってでっぷりしたリュックも木々に引っかかり、ますます身動きが取れない。 冷静ではいられないイライラゾーンだ! | |
のっ、呪われている…。 まるで、路上を意思在るかのごとく遮る異形の木々たち。 ちょっと、空恐ろしいものを感じてしまった。 なぜだ、何ゆえそこまで私を拒むのだ。 もう、逃れようも無い地獄に嵌ってしまった。 進むも地獄、さりとて退くも地獄。 さらに言えば、たとえ突破しても、いずれは戻ってくる道である。 噴き出す汗。 どんどんと時間は過ぎてゆく。 このゾーンに立ち入ってから、すでに15分が経過しているが、100mも進めていない。 もう…、 もう駄目なのか! | |
ごめん、駄目みたい…。 もう、これ以上は進めない。 全く先の見えない小枝達の森に、遂にギブアップ宣言。 このままでは、本当に夕暮れまでに生きて帰られない。 お前が邪魔なんだよ。 私は、辛い決断を下さざる得なかった。 相棒を棄て、ひとり、身軽になって峠を目指すという決断をした。 こんな筈ではなかったのだ。 こんな筈では…。 …。 しかし、たとえ私一人になろうとも、万世大路を極めたい! とんだ、どんでんがえしではありますが、この先しばし、単身徒歩でのレポートとなります。 ご了承ください。 これも全て、生きて目標を達する為です! |
チャリを棄て、身軽になって進むこと300mほどで、再び橋が現れた。 チャリが無ければ、木々の間をすり抜けながら進むことは容易く、もっと早くそうすればよかったと思う反面、 「楽をして何が攻略だ…」という、後悔の念も同時に去来する。 だから、これだけは認めようと思う。 時間さえあればチャリ付きでもきっと攻略は出来たろうが、しかし “私からチャリを手放させた道”という称号を、万世大路に与えよう。 「…んなもんイラネーヨ」って、言われるかもしれないけど、 私がチャリを手放すということは、戦闘機のパイロットが地面に降りて白兵戦をするようなものであり…、 …ま、なんていうか… 最後の手段 を取らせたってことです。 凄いぜ、万世大路。まじで。 | |
杭甲橋は、かなり保存状態が良い。 銘板こそ消えているものの、肉厚な欄干は皹も無く美しいままだ。 それだけに、余計橋の先の惨状が目立つ。 もう、道なんて無い。 大きな木が生えている場所が路肩で、小いちゃな木が生えている場所が路上だというくらいの世界だ。 | |
道端(或いは路上?)に放置されていたタイヤ。 主の姿は見えず、ゴミとして棄てられたのか、それとも? しかし、一体どれほど昔からここに一人佇んでいるのだろう。 半ば落ち葉に埋もれつつ、それでもなお地上に顔を覗かせるのは、自分が文明社会の住人であったことを訴えたいのか。 もう、永遠に拾い主など現れないのに…。 |
いよいよ、眼前に高い山が聳えた。 もう、これ以上は迂回できないだろう。 峠は、隧道は近い。 そう感じた。 しかし、再び深い残雪に閉ざされた道は、歩くにも険しい。 重い足を一歩一歩持ち上げ、歩く。 | |
奥に見えるのは、きっと栗子山だろう。 山形側で見た景色を思い出す。 山形側の坑門は、栗子山よりもだいぶ南側にあった。 今私のいる場所も、大体そうだ。 近いはずだ。 いや、近くなければ、わたしは大変なことになる。 近くあってくれ! | |
歩けども歩けども、なかなか隧道は現れない。 それどころか、再び九十九折の登りが始まってしまう。 2つほど、急な九十九折を乗り越え、残雪が消えた。 残してきたチャリのことを、ふと思い出した。 チャリでも寂しいだろうか? わたしは、 寂しい。 早く攻略して、戻りたい。 | |
道から10mほど離れた場所に、既に自然と一体化した石造りの橋台があるのを見つけた。 この遺構は、これまで歩いてきた旧道と一線を画する古さであることを感じたが、長らくその正体については謎のままであった。 しかし、宮城県在住の上山競馬場様より、大変有力な情報をご提示頂いた。 それによれば明治13年に竣工した初代万世大路に設けられた「小杭甲橋」であるという。 確定ではないが、位置などからまず間違いないと思われる。 そして、この小杭甲橋だが、現役当時にたびたび雪崩により破損したために、ついに昭和の改修時には放棄され、代わりに長さ18.5mの暗渠になったということだそうだ。 きっと、私が今立っている足元が、その暗渠だ。 これこそ、万世大路の遺構の極めつけの一つだと思うが、如何か? この橋台の謎から波及した別考察があります。 よろしければこちらのページをご覧ください。 |
まっすぐ斜面へと続く残雪の向こう、もう左右に逃れようのなさそうな地形だ。 ついに、その時が来たのか?! 興奮の余り焦点の定まらぬ視線を無理やり合わせ、よっく凝視する! 入山から1時間51分。 距離にして、約8キロメートルほど。 遂に、万世大路の峠たる栗子隧道、山形と福島の境を成す隧道に、再び逢い見えた。 これほどの時間を要するとは正直思わなかったし、掛かった時間以上に、途中の道程は苦労の連続であった。 チャリを棄ているという、最後の手段を用いなければ、さらに30分以上は掛かっただろう。 それ程の、廃道であった。 ほんと、山形側の時と違って、余り思うことは無かった。 ただただ、「はぁー やっと着いたよ」「たすかったー…」 という、ホッとした気持ちで一杯だった。 それだけです。はい。 苦しかったです。 はい。 | |
事前に得ていた情報では、福島側の洞内は水没していることが多いらしい。 今日はどうだろうか? 山形側は、意外なほど乾いていた。 いくら閉塞しているとはいえ、同じ洞内であるから…。 しかしまた、こちらの坑門の脇には、なかなか凝った造型の流水路があるのが見て取れる。 そこには勢い良く水が流れており、あの水が洞内に流入していれば…。 うーーん、この時点では、水没しているのか、していないのか、それは五分五分位のように思えた。 水没していないほうが、当然うれしいのだが…。 はたして。 以下、『万世大路 最終回』。 |
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