福島・宮城の県境に横たわる主要地方道丸森霊山線の不通区間「笹ノ峠」を攻略するべく、福島県伊達市霊山町より東進。
チャリで小一時間、約5km峠路の果てに、いよいよ県境の霞煙る稜線が目前となった。
数キロ手前から未舗装の林道の様相を呈していた先細りの県道だったが、ここに来て、突如道幅が広がる。
驚く私の前に展開していたのは、建設途中で放棄されたらしい峠越えの新道。
その一端であった。
私はこの道に峠越えへの希望を託し、ペダルに力を込めるのであった。
福島・宮城の県境に横たわる主要地方道丸森霊山線の不通区間「笹ノ峠」を攻略するべく、福島県伊達市霊山町より東進。
チャリで小一時間、約5km峠路の果てに、いよいよ県境の霞煙る稜線が目前となった。
数キロ手前から未舗装の林道の様相を呈していた先細りの県道だったが、ここに来て、突如道幅が広がる。
驚く私の前に展開していたのは、建設途中で放棄されたらしい峠越えの新道。
その一端であった。
私はこの道に峠越えへの希望を託し、ペダルに力を込めるのであった。
それまでとの道の違いは明らかだった。
一定の角度で綺麗にカッティングされた法面の底、1.5〜2車線幅の路面が続く。
両側には側溝さえ掘られ、後はもう、鋪装を待つのみの状態である。
だが、人工的に植栽された筈の法面の植生は、既に自然林に変化しつつある。
ススキが繁茂し、山肌から雪崩れ込むように笹の侵略も進んでいる。
小さな木々さえも根を下ろしている。
それは数年どころか、おそらく20年くらいは放置されてきただろう姿だ。
道が広くなってからの線形もまた、近代的な峠道のそれであった。
ゆったりとしたヘアピンを重ねながら、山腹を自由に使って高度を稼いでいく。
お陰で勾配は緩やか。
ここまでの苦難が嘘のように走りやすかった。
カーブを一つ、切り通しを一つ越えるたび、新しい景色が広がっていく。
そうしているうちに、稜線を覆っていた白雲がまるで引き汐のように急速に退き始めた。姿を見せ始める、県境の峰々。
真っ先に姿を現したのは、峠の南に山稜を連ねる古霊山(海抜783m)であった。
この山には、1200年もの昔に東北一円の山岳信仰を束ねる大寺院があったと云われている。
そしていま、最高のビューポイントが近付いていた。
気がつけば、私はかくも山上の人になっていたのか。
思わず溜め息の漏れる眺めだった。
一服の水墨画のようにたおやかで、それでいてきりりと締まった絶景。
阿武隈の山々から沸き立つような朝靄。遠く福島平野を覆い隠す雲海。
押し黙ったような黒い山並みと、どこまでも遠くまで広がる空間とが織りなす、明と暗の構図。
それだけでも十二分に美しいものであった。
しかし、感動はそれだけではなかった。
私がこうしているうちにも見る見る平野を覆っていた湖のような雲海が割れ、そこから光が射し込んでいく。
いま、遙かな県都福島市に、この日最初の日の光が舞い降りている。
白く反射して輝く街並みが、陽炎のように見えた。
数十万が平和に暮らす都会もまた、足元にあるこの山路と同じ大地の上にある。
そんな当たり前のことを、私は新鮮な気持ちで受け止めていた。
心を躍らせて、一旦は下りに転じた砂利道を進む。
間もなく下りは終わり、再び上り坂が現れる。
周辺は広大な伐採地で、そこを取り囲むように、道は弧を描いて上っていく。
カーブの頂点から、前後の道を振り返る。
痛々しい禿げ山に、雄大なカーブを描く道。
一部はコンクリートの頑丈な路肩工が施され、そこには幻では決してない、県境越えの県道が見えた気がした。
かつて誰の目にも、確かにそれは見えていた筈。
なのだが…。
工事は長く中断されたままだ。
大きなカーブの途中に、一枚のベニヤ板が転がっていた。
何気なしに裏返してみると…。
そこには、赤いインクで書かれた大きな「通行止」の文字。
誰が、なんの為にここに設置したのだろう。
風雪にやられ、もはやその主張は誰の目にも留まらなくなっていた。
とりあえず、私が救出しておいたが…。
その先、砂利が少し新しいように見えた。
峠を目指す建設工事のあらましを急速に辿りつつ、私は“現在”へ近付きつつあった。
この工事の最終地点は、果たして何処か。
もう、峠までは十分に近付いている。
おそらくは、いま登っているこの斜面の上には、笹ノ峠の鞍部がある。
古霊山を背景に、上ってきた道を振り返る。
古い時代の歩き道を蹂躙し、時代の寵児たる車道が峠を目指した。
しかし、いまだ通りかかる車は一台もない。
それが、この峠の現実の全てだった。
finito
なんだか、妙に清々しい気分だった。
工事の終点の先には、明確にそれと分かるような踏跡はなかった。
折角上ってきたので、このまま古道の峠に立てれば楽だろうと思ったが、今回はチャリ同伴で、かつ峠の向こうでの予定が詰まっているので、余り手間取りたくなかった。
手持ちの地形図の上に、そこには描かれていないが確かに存在した、ここまでの新道のラインを引いてみる。
どうやら、峠を目指す古道とは上ってくる途中で交差していたようだ。
ここから行って行けないことはないかも知れないが、先の理由から、ここは無難に古道を探して上ることに決めた。
来る途中には、古道と交差したことなど全然気がつかなかったが、果たして道を見つけることは出来るだろうか。
午前8時19分、新道建設現場の終点より引き返しにかかる。
と同時に、緊張の分岐捜索が始まった。
写真は終点の近くで見つけた、県標柱。
「福島県」と刻まれており、ここが県の敷地(県道敷き)であることを主張していた。
少し下ってみて、峠のある稜線側を見上げてみる。
…ここだろうか?
確かに稜線には最短かも知れないが、ちょっと急すぎる。
そもそも、道が全然無い。
徒歩ならばいざ知らず、あてもなく藪漕ぎをしても峠に辿り着くことは出来ないだろう。
他へ回る。
ヘアピンカーブを一つ下り、地形図上では古道との交差が想定される付近。
だが、分岐の捜索は思いがけず難航した。
既に捜索開始から10分を経過し、間もなく15分になろうとしている。
少し稜線から離れ、峠の所在はほぼ特定できたものの(写真正面の鞍部だ)、そこへ至る肝心の道が見つけられない。
自力での発見に困難を感じ、ここで助っ人に援護を求める事にした。
『みやぎの峠』は、その名の通り宮城県内の車道歩道を問わず様々な峠のガイドとなるサイトである。
笹ノ峠もそこで「徒歩の峠」として紹介されており、私は事前にそのコピーを用意して持参していたのだ。
そして、それと思わしき地点を一箇所、絞り込んだ。
サイトの写真とは違って、そこに道らしきものは判然としなかったが、背後の山の形と松の木が写真と一致していた。
まずは空身で、笹藪の路外へと進入してみる…。
はたして。
そこには、笹ノ峠の名前に恥じぬ、一面の笹原が広がっていた。
松の疎林の根本を埋めて風にそよぐ、一面の笹原。
鬱蒼とした峠とはまるっきり違う爽快感がある。
そして、その笹原の中に、ほんの少し窪んだような一筋が続いていた。
これこそが、かつて人々が通った名残りなのだった。
そこに道ありと判断。
嬉々として車道まで引き返した私は、停めていたチャリのハンドルに手を掛けた。
今度は、こいつと一緒に峠を目指す。
(左写真、道の左の笹原に道は続いているが、ヒント無しで見つけるのはかなり困難だと思われる)
唯一ここに分岐があった物的証拠が、県道の路肩にある側溝に渡されたベニヤ板。
ここを通って古道へ行くのだが、あまりに薮に没しており、この時期でようやく発見できる状況。
おそらく夏場にはススキの底に没しているだろう。
予想外に手こずったものの、午前8時46分、遂に峠への道を特定。
次回、不通県道の峠を越える。
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