今回は、河北林道である。
私の河北林道への思い入れは、非常に大きい。
なんといっても、かつて私を死地に陥れた林道である。
そしてここは、チャリ馬鹿トリオにとっても、忘れ得ない林道だ。
山チャリから遠のいてしまった保土ヶ谷氏をして、いまだに『かわきたいっぽん!』が、暴挙の代名詞としてよく使われるフレーズだ。
しかし、直近の実走からレポートの執筆まで、非常に時間が空いてしまった。
これは、取材活動には不適切な肉体的・精神的状況下での実走であった為、まともな写真が余り撮れていないという理由、そして…、これはレポートが進んでいけば嫌でも判明すると思うが、全線の均一なレポートが出来ないという理由による。
また、この林道はメジャーであり、敢えて私がレポートするまでもなく、実走済みの読者の方も多いと思う。
こういったもろもろの悪条件から、執筆には二の足を踏んでいたのである。
それでも、やはり県内を代表する林道である河北林道を詳しく紹介することは、私が掲げる目標『県内全道制覇』と共にある当サイトの要件と考え、遅ればせながら、執筆を開始するものである。
河北林道は、昭和30年代に県都に近い河辺郡と北秋田郡阿仁町とを繋ぐ路線として計画され、太平山地中央部を貫く難工事の末に、昭和43年竣工した全線33km余りの林道である。その後、平成7年には県道308号線河辺阿仁線に指定されている。
この林道は、その延長の長さ、経路の独自性、そしてそのハードさ、全てにおいて、県内を代表する林道の一つである。
県道に昇格して早8年、そこにはどんな景色が、待っていたのか。
<地図を表示する>
この日はもう既に疲れていた。 詳細は省くが、とにかく林道侵入時点でもう、疲労度マックス、体力ゲージ赤点滅、パンツまで浸水あり、…という惨憺たる状況であった。 もう、体力的にも時刻的にも、あとは帰るだけの段階になっていた。 すぐ近くの秋田内陸線比立内駅から輪行して帰れば楽だったが、地図上ではそれはものすごい遠回りであったし、乗り継ぎ2回もうざかったし、お金も惜しかった。 それに比べて、辛いのは承知していたが、河北林道越えは、なんとも、“秋田市に直行している感”がたまらなく魅力的に考えられた。 この道以外のあらゆる経路は、自宅まで100km近くを計上するだろう。 しかし、実際この河北を通れば、その半分で、帰れるのだ。 「なーに、一本越えれば、もう家じゃないか。」 それは罠なのだ。 急がば回れというのは、山チャリの世界においても、真理なのだ。 しかし、やっと雨が止んだ喜びに高まったテンションのせいもあったのだろう、ついに、私はこの30kmオーバーの林道へ踏み込もうとしていた。 入り口は、国道に面した至って普通の分岐である。 比立内の住宅地の中を進んでゆくその姿に、この先の数多の困難は、予感されない。唯一、殆ど年中立っている、通行止めの標識のみが、危険信号を発している。 この標識は、内容は変更されるが、滅多に撤去されたことがないものだ。 |
県道308号線にはいる。 まだここは林道ではない、1.5車線の舗装路が、住宅地を縫って進む。 進むにつれ、行く手をさえぎる山並みが、いよいよ現実的な大きさになって立ちはだかってくる。 この日は、山の反対側、ちょうど秋田市のほうから、ものすごい勢いで空が移動していた。 地上が殆ど無風なのが奇妙に思えるほどに、その流れは速く、…なんとなく、不吉に感じられた。 |
午後2時39分、集落の端に達した。 ここから先が、旧河北林道である。現在は県道308号線だが。 更に先も舗装されているようであった。 前回(たしか1999年ごろ)通ったときには、ここからもうダートだった気がするが、県道化して進歩したのだ。 これはもしかしたら、意外に楽に行けるかもと、思いかけたが、やはり、ここにも立つ『通行止め』の標識に、楽観は出来ないぞと思った。 ちなみに、間違える人はいないと思うが、本線は直進である。 | |
すぐそばに、半ば埋もれかけた林道標柱が立っている。 墓石にまぎれ、立っている。 林道の長さにしては控えめな標柱だが、よく見ると、やはり“5桁”の延長が記されている。 油断ならないのは、ここに記された延長は、峠(郡境)までの距離でしかないということだ。 いずれにしても、ここが、河北林道の終点である。 | |
それから更にいくらも進まぬうちに、またも、『通行止め』の標識が。 「夜間通行止」を訂正して「全線通行止」とされた形跡がある。 この程度の通行止め標識ラッシュではまったく動じはしないが、今思えば、もし峠の先なんかで完全に道が断たれたら、どうしようというのだろうか? …いつも、「そんときはそんときさ」と考えている私は、無謀なのだろう。 馬鹿なのだろう。 |
「いい加減、しつこいぞ」 一瞬そう思ったが、実は通行止めの標識でも、さっきまでのとは違う内容であった。 ボーリング調査に伴う、機材搬入出のための時間通行止めの告知である。 実際、この少し先ではそれらしい工事が行われていた。 それにしても、気持ちよく舗装されている。 明らかに舗装は新しい。前回はフラットとはいえ、ダートで徐々に体力を削られただけに、これは嬉しい改良だと思った。 すくなくとも、このときの私は「ダートが舗装化されることの、いつも感じる寂しさ」とは無縁であった。 このまま、ずっと舗装されてればいいなー、そう思っていた。 |
比立内川沿いに南下してきた河北林道が、その支流である゚内沢沿いに進路を変えると、まもなく不動の滝が現れる。 写真の橋の上からよく見えるのだが、あいにく立派な三脚を設置したカメラマンに占拠されており、私が立ち止まりにくい雰囲気になっていた。 走行中に、チラッと脇目で見たところでは、さっきまでの雨のおかげか、非常に水量が多いようであった。 |
正直、滝を過ぎた辺りで未舗装になるのではないかと思っていたが、更に舗装路が続いていた。 既に起点からは5kmほど入ってきたが、まだまだ勾配は緩やかであり、まったく険しさはない。 写真のような、穏やかな道が続く。 外気温はそう低くないと思うが、風を切って走ると、やはりびしょ濡れの全身はひどく冷える。 上りは辛いが、多少ヒートアップしたいな、そんなことを考えていた。 嫌でもヒートアップする場所は、すぐそばまで迫っていたのだが。 |
遂にダート化したのは、静かな森林公園として整備されている大阿仁地区生活環境保全林の直前である。 ちょうど、この道がハードな登りに差し掛かるその直前までであった。 更に舗装する計画はあるのだろうが、さし当たっての工事は行われてはいなかった。 写真は、桧山林道との分岐点で、本線は右である。 この桧山林道はまだ未実走だが、この先暫く本線とは付かず離れず沢底を走るようだ。その高度差は離れていく一方だろうが。 それにしても、まったく通行量がない。 時期を外しているのか、いつもはあんなにいる山菜取りのオヤジにも、まったく遭遇しない。 これからいよいよ、里から遠く離れた深山に分け入る身としては、なんか寂しかった。 寒いし、さみしいよ。 |
起点から約7km、天狗又林道が右に分かれる。 この林道を進むとまもなく゚内キャンプ場があるが、ここは1995年のキャンプサイクリングで一泊した、トリオ思い出の地である。 そのときも、…やはりびしょ濡れだった。 しかし、そんなことに想いを馳せている余裕が、今日はない。 もう午後3時をまわっている。これからが本番なのに、だ。 標高700mを越える峠までは、嫌になるほどたくさんの上りと、険しい道が、待っているはずなのだ。 体が忘れてはいない、この先の凄まじさは。 相変わらず驚きの速さで流れる雲は、幾分切れ切れとなり、出発以来久しく見ていなかった青空にお目にかかった。 しかし、その空の色を確認して、余計不安になった。 もう、夕方の色を多分に含んでいたのである。 | |
更に不安を増長させる「全面通行止めのお知らせ」。 幸い、封鎖のロープは何者かによって下ろされ、地面を這っていた。 通行止めになるような崩落自体も怖いが、それ以上に、前後の通行が不通になったために起こる廃道化のほうが、急いでいる私には、嫌だった。 しかし、 「秋田側への通り抜けは出来ません。」と明言されているぞ。 大丈夫なのかよ。 いまは、考えている暇などないのだ。(←考えるべきだろ…) 前進あるのみ。 突破あるのみ! 攻略あるのみーーー!! | |
こうして、いつものノリのままで、絶望的な峠越えが、始まってしまったのだった。 ホンと自分、もう少し、時間考えようぜー。 10月っていったら、昼短いだろー。 |
お読みいただきありがとうございます。 | |
当サイトは、皆様からの情報提供、資料提供をお待ちしております。 →情報・資料提供窓口 | |
このレポートの最終回ないし最新回の 【トップページに戻る】 |
|