2007/9/1 13:04 【現在地:桜の展望台】
市販の地図には決して記載されることのない、行政だけが知っている、県道511号の起点側末端部。
その情報を得た私は、宝の地図を見付けた子供のような心持ちで現地を訪れた。
小雨模様の津久井湖城山ダムは、大都市近郊とは思えぬ幽玄の中に黙していた。そして、平穏な桜並木の遊歩道の奥に、立ち入り禁止と書かれた小道を見出したのである。
写真は、ウッドデッキの“桜の展望台”と、その奥へ続く小道。
ここまでの遊歩道も、この先の道と一続きのものであることが分かる。
元々は、県道に指定されるだけの一連の道だったのか。
造園された斜面に幅2mほどの平坦部となって、ほぼ水平に道は続く。
左方には、国道の城山大橋袂直角カーブを、ほぼ真下に見下ろせる。
山側は紫陽花が並んで植えられているが、下草が刈られていないせいか、せっかく咲いている花も映えない。
もっとも立ち入り禁止の場所だから、見栄えを云々言う権利などないのか。
肝心の路面状況だが、目の細かい砂利が敷かれており、しかも締まっていて走りやすい。ただし、落石したと思われる長径30cmくらいの岩塊が幾つか、路面を覆う浅い草むらの中に潜んでいるので、チャリで通行するには注意を要する。
あう… やっぱり…
斜面に沿ってカーブする道は、振り返って展望台のウッドデッキが見えなくなるくらい大体30mほど進んだ所で、突如のブッシュイン!
恐れていた展開ではあるが、予期されていたものでもある。
ここで引き返せば悔いが残る。
雨合羽は着用してきた。
突入!
だが、感心することに、これだけの藪密に喘ぎながらも道は現存した。
むしろ、日影ゆえ夏草が生えないせいか、これまでよりも道の姿は鮮明になった。
願わくは葉の落ちた時期に来たかったが、果たして関東のこの山は期待するような状況になるのだろうか。
東北のそれに比べ、明らかに路面の腐葉土は浅く、一方で樹上の緑は濃い。
しかし、せめて雨じゃないときに来たかったな…。
掻き分けるたびにタップリの滴が身に降りかかり、テンションはガタ落ち…。
そのうえ、早晩こんな状況に……。
うわー!
モコモコオバケが襲ってくるー!
その前衛へ、チャリの前輪がドスン!
…そして、それっきりピクリとも動かなくなった。
……。
attacker… お前って、そんな名前だったのか…
サヨナラ……
これは、稀に見る猛烈ブッシュである。
植物図鑑の解説によれば、このようなものをマント群落と呼ぶそうだ。
地表に光の届く原野と届かない山林との遷移部に生じやすい、ツタを中心とする植物群落で、両者を別つ存在であるらしい。
経験上、廃道に沿って路傍がマント群落化しているケースは非常に多いが、道自体が完全に覆われているというのは…。
様々な藪の中でも、超密度の笹藪に次いで突破困難な形態であり、大変に辛い展開である。
もはや、どこが道なのか分からない。
ただ、例の地図によればほぼ水平に道は続いているので、それを頼りに進むより無いだろう。
こうなっては、当然チャリを捨てざる得ない。
国道からこの道の潜む斜面を見上げた時点で、相当に過酷な藪が存在するだろう事は予期していた。
むしろ、道など初めから存在しないのではないかと考えていたのだが、良い意味で裏切られた。
道は実在したのである。
少なくとも公園からここまでの約300mほど、うち200mは遊歩道だったが、ともかく道路台帳にのみ記された県道は実在する。
なんら県道である証拠品は無いが、行政の資料ゆえ誤りではないのだろう。
猛烈なマント植物群落を這うように、または泳ぐように突破すると、20mほどで再び林の中へ復った。
林→マント→林、まさに典型的な林相を道は横断している。
四方八方全ての緑から、蝉たちが断末魔の叫びを上げている。
狭い路上に落ちてきては、ひっくり返って狂ったようにのたうっているもの、既に動きを止め、私が近づいたときに僅かに身じろぎをしたもの。
そして無数の遺骸。
雨の森は、死に行くものたちの叫びに満ちていた。
現地で、奇妙にそのことを意識した私は、己の行く手に立ちこめる暗雲を予期していたのかも知れない。
先行きに不安を感じる私の周りで、不思議なことが起きていた。
そこに、あるはずもない車道の姿が、見え始めたのである。
ここまで、あっても精々2mだった路幅が、4m、5mと拡大してきた。
道全体が林や藪と化しているものの、確かに幅の広い平坦地が、急斜面に切り開かれて続いている。
そして、行く手には再び明るい緑が見えてきた。
嫌な予感がする。
これは果たして、建設途中に放棄された車道の姿であったり、するのだろうか。
だとしたら、大発見なのだが…。
(←)古いビニルの水管が路傍に現れた。
いつから現れたのかは分からず、少し進むと消えていた。
もう使われてはいないだろうが。
また、写真には昔のコカコーラの1.5リットル瓶が写っている。
これが盛んに飲まれていたのは昭和40年代か。ちょうどダムが建設された時期である。
また、この道の地下には、何らかのケーブルが埋設されているらしく、これも水管と一緒に現れ、数本の標柱を見せて消えていた。(→)
この写真に写っているもの、それは巨大な蜘蛛の巣と、その主の姿だ。
この藪道は、とにかく無数の蜘蛛の巣によって塞がれていた。
チャリを捨てた直後から私は枯れ枝を片手に持ち、それを前方に振り回しながら、まるで露払いでもするかのように蜘蛛たちの家を破壊して進んできた。
それでもときおり、逆襲とばかり激しく顔面に食らうこともあった。
当初から見ると車道を意識させるほど広がってきた路幅は、ここに来てさらに拡大。
それはもはや道と言うよりも広場のような敷地となった。
そうはいっても、その広がりを一望することは出来ない。藪の濃さゆえ。
ただ、微かな踏み跡を求めて彷徨う中で、辺り一面が平坦であることを理解するのである。
どうやら、単純に道というわけでもないらしい。
そして、広場を横断するようにして落石防止柵が築かれていた。
これもまた、ここが単純に道などではないと言う証だろう。
現在地を確かめる遠望は全く得られないが、想像は付く。
おそらくここはダム直上。
残念ながら、広がりを見せた路幅は車道に関するものではなかった。
それは、ダム堤体を落石の直撃から守るために築かれた「段」に過ぎないとおもわれる。
そこがたまたま県道の予定線と重なっただけなのか、或いは将来は本当に車道に転用する予定があって敷地を設けたのか。
その辺りは分からないが、ともかく現状の敷地は、落石防止ネットや写真のコンクリート擁壁によって画された、保安スペースとなっている。
ダムの付帯施設とはいえ人の訪れる場所ではなく、蜘蛛の巣窟である。
このダムが竣工したのは昭和40年である。
本県道が路線指定を受けた時期が定かではないが、ダム工事と県道との関連性は要調査だ。
国道から見上げたときには全くその存在を気づかせなかった広大な平坦部は、なおも続く。
ダム堤体右岸斜面、堤頂より20mほど上部、河川方向に200m、幅15mほどの平坦部と想定される。
その一部は林に、大部分はご覧のようなマント群落化している。
既にそこが真っ当な道でないことは明らかであり、撤退のタイミングを計る段階に来ている。
しかし、どうにか歩けないことはないという現状が、優柔不断な私をダラダラと前進させた。
県道を辿っているという実感は、全く無い。
13:23 【現在地:クズの展望台】
遊歩道の終点“桜の展望台”よりおおよそ300mで、初めて眺望が開けた。
ここからは、相模川の如何にも大河らしい蛇行を一望にすることが出来る。しかしその雄大な風景とは裏腹に、辺りは腰まで埋まるクズ原である。一名“クズの展望台”といえば優雅だが…。
さておき、この都市と原林とが深い谷を巡ってせめぎ合うような景色の中に、探索の行く手を占う重要な発見があった。
今回踏査を試みた県道の不通区間は、全長が2600mほどあって、その一端が「新小倉橋」附近である。
県道は新小倉橋の下を相模川とともにくぐり、そのまま河谷に沿って現在地まで通じるのである。
そして、その「出迎え部」と思われる、巨大なコンクリート擁壁に守られた道の“端点”が見えたのだ。
あそこまでの距離は、推定1300m。(空を飛べば1kmくらい)
それまで、正直“雲を掴む”ようだった不通県道踏破が、急に現実味を帯びた、瞬間だった。
だが、ビジョンを得たからといって、急に展開が楽になるわけはない。
むしろ、私の急に燃え上がってきたやる気を、藪たちは全力で削ごうと本気を出してきた。
蜘蛛たちも、藪蚊たちも、私とはそりが合わない。
道は、この暗がりの中へと続く…。
それは、私の不安を現実化した、後悔の道であった。
三度目に入った林は、これまでよりも遙かに暗く、そして、終わりのない森だった。
少なくとも、私がここまで頼りにしてきた遊歩道から続く一連の道にとっては、この森が終点だった。
森に入って20mほど。
覆い被さる木々と蜘蛛の巣を払って進む私の前に、初めての岩場が目に入った。
はじめ、それは崩壊によって道を覆う土砂の山と思ったが、近づいてみると、それは地山であることが明らかとなった。
平坦部が、この岩場を一隅として終わりを迎えたのだった。
ここまでは、藪の深さにさえ我慢が出来れば、別に危険は無い道だった。
しかし、ここから先は。
しかしなお、岩場の裾をへつって得体の知れぬ小道が続いていた。
もし私に冷静な判断力があれば、ここで引き返したに違いない。
この場所こそ、この日の私にとって分を弁えた、「引き返すべき」地点だったと思う。
今日はとても岩場を探索する覚悟はなかったし、必然に装備も貧弱だった。
具体的には靴が普段履きで、とても岩場を歩けるようなものではないことは自覚していた。
まして、この雨交じりの天候である。
急斜面を歩くには最悪のコンディションなのは、明らかだった。
蛮勇とは、奮い立たせるものだ。
そこには、混じり気のない勇気がある。稚拙だがそれは勇気に違いない。
だが、この時の私を前進させたものは、愚かとされる蛮勇でさえなかった。
それはむしろ、惰性だった。
この判断力の欠如が、危険な結末へと私を進ませた。
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