2007/1/10 13:24 《現在地》
県道から厳重なゲートを乗り越えて侵入した村道土山高畑線。
市販の多くの地図はこの道を既成のものであるかのように描いているが、約650mの長い清川トンネルを出た先で、余りに唐突に道は終わっていた。
ゲートから数えて1.8kmの地点である。
しかし、よく見ると斜面に道は続いている。
それは、これまでのような車道ではなく、人が一人ずつようやく通れるような小径。
だが、道がある限り行くより無い。
記憶の中の”辿り着く術のない橋”は
─きっとこの先にある!
この小径の幅は50cmほど。
雑木林の急斜面の土の地表を削って、なんとか道の体裁としている。
路面はゴツゴツしているわけではなく滑らかな傾斜で、そこはチャリに乗って進むことも不可能ではないように思われ…実際、それは楽しそうであり、“MTB乗り”として当然の誘惑に駆られるのだが…、
すんでの所で私は自分の状況を冷静に見つめ、騎乗を踏みとどまった。
足元からはご覧の斜面が、容赦ない傾斜で薄暗い湖面に落ちている。
万が一、チャリで不安定な路肩を踏みはずしでもしたら、もう二度と上がって来れない。
いや、この道幅では一度乗ってしまったら、安全に降りることも難しいのだ。
MTBで死ぬんは本望ではないので、ここは自重する。
車道終点から約100m来たが、ここまで小径はずっと登っており、途中にはチャリを担いで登るような急な箇所が一箇所だけあった。(前話最後の写真の所)
そして、尾根らしい所に近づきつつあった。
ようやく山腹の傾斜が緩まってきたのを見て、少しホッとした。
こんな調子では、チャリは棄てた方が良さそうだ。
もう振り返っても坑口は見えない。
この僅かな距離で20mくらいは登っている。
地形図に描かれている道の姿はほぼ水平であるから、もう両者の比高も20m近くになっている筈だ。
眼下に、道が復活した様子も無い。
もうこれは間違いなく、地形図のミスだ。
尾根の上には、ご覧の看板が立っていた。
そう古い物ではない。むしろ、平成17年なんて書いてある。
ダムの水質を守るための水源涵養林として、周囲を湖面に取り囲まれるなどして伐採価値が低下した林地を、県で買い取り保護しているらしい。
ここまで私が辿ってきた小径も、この事業のための管理道路だった公算が高い。
…未成村道のパイロット道路ではなかったようである… ガックシ。
とりあえず、尾根の上の少し平らな場所にチャリとリュックを留置した。
この先は、身軽になって偵察しよう。
まだ道は先へ続いているようだが、尾根から覗き見るその様子は…これまで以上に… ワイルドだ。
13:44 《現在地》
ここはどこですか?
なんだか、トンデモナイ道が見えてるが…
100mほど前方に聳えている尾根が、今ではともに宮ヶ瀬湖に沈んだ中津川(西)と堤川(東)の分水嶺であって、村道はこの尾根をもっと湖畔に沿って橋を架けながら回り込むように描かれている。
ようは、あの尾根の裏側に行かねば続きの道へ下り立つことは出来ないわけだが、しかし、そんなことが出来そうな雰囲気ではない。
これは、下手に深入りすれば火傷しそうな険しさだ。
これは、何というのか…
いわゆる、杣道(そまみち・せんどう)というやつなのだろう。
これまでたくさんの山に入ってきたが、実際にこの類の道を利用するのは珍しいことだ。
おそらく、こんな素朴な道はほんの数年で自然に還ってしまうのだろう。
作る側もそれを承知で、一時的な林内作業路として作っている筈だ。
林業に関しては高度に機械化が進んだ東北…
つまり、明治期から早くも森林鉄道が花開き、そして昭和後半からは林道がそれぞれ森の運搬の主役として活躍してきた我が古巣においては、こんな人力臭の強い現役の杣道を目にする機会は少なかった。
なんと素朴な冒険心を刺激する道だろう!
公園モノとは違う、生き死に関わるリアルなアスレチックフィールドだ。
伐採した根付きの幹をそのまま桟道の橋脚に使っていたり、土留めの支柱に使っていたりと、釘やコンクリートに頼らない様々な知恵が見て取れる。
そこには、もう消えたのだと勝手に思い込んでいた、人力による高度な山岳土木の技術が窺えるのである。
こんな道を造れる職人が、今も日本にはいたのである…。(大袈裟かも知れないが、マジで感激してしまった)
上の写真で「Z」字形に斜面を登っていく道の、その下側の角からの眺めが右の写真。
人が一人ずつ歩くためのギリギリの道が、上手に、とても上手に作ってある。
しかし、私はいまは身軽だからいいが、大きな仕事道具を背負って往来する作業者たちはやはりプロである。
この狭いステップを踏みはずせば、谷か湖面に墜落することは必至。
木の根元に呑み込まれつつある空き缶。
UCCのアメリカンコーヒーKISSという商品だが、初めて見る。
湖が出来る前に棄てられたものだと想像するが、当時の地形図を見ても、昔からこの一帯に林道などは無かったようだ。
さらにジグザグに登っていくと、古びた有刺鉄線の柵が現れた。
道は柵に沿ってさらに上を目指している。
柵は、かなり広い山腹の一角を囲っているようで、おそらく私有地なのだろう。
湖が出来る前にはこの麓に県道が通っており、これら私有林へのアクセスも容易だったものと想像される。
案の定、柵の内側はもうほとんど管理されていないようで、林は荒れているように見えた。
冒険の杣道を辿り、とうとう湖に突出した半島の中心的尾根に達した。
海抜は約350m、湖面からの高さは70mほどである。
おそらく強い風のよるものだろう。尾根には余り木が生えていなかった。
土の、痩せ尾根である。
13:56
尾根の上からは右を見ても左を見ても、まるで大河のように湖面が横たわっている。
写真でしか見たことはないが、北欧のフィヨルドだとかリアスのような雰囲気もある。
それは、緑の針葉樹林が急崖を成して湖面に落ち込んでいる姿から連想されるのだろう。
ここに展望台でも設ければ評判の眺めとなりそうだが、現状では限られた眺めである。
しかし、本当にこの地形図は何を元にして作られたのだろうか…?
まさか想像ということはないだろうが、基本的に今の地形図は空撮を元にしている筈なので、見えないはずの橋や切り取りがはっきりと描かれている不思議は大きい。
これはやはり、設計図なり計画図を元にして描いた以外に考えられまい。
こういう事はよくあることなのだろうか?
だが、もしかしたらこの辺りに何本もある橋のどれかが、目指す「辿り着く術のない橋」である可能性もある。
そこで、私は尾根に従って北へ下ってみることにした。地形図がもし正しければ、50mほどで道の“切り取り”にぶつかるはずだ。
尾根は歩きやすかった。
しかし、下っていくとどんどん勾配が増していき、自然と姿勢が前傾してくる。
やがて杉林の中に入ると視界全ての背景色が群青色となって、特異な圧迫感を覚えた。
そして、やがてそれ以上は進めない傾斜となった。
これが、一応の限度である。
もう、地形図上に描かれている道は完全に横断しているはずだ。
この岬の両側に、それぞれ13、12号橋が架けられる筈だが、全く着工された気配はない。
というか、この辺りの湖畔に人が来ているようには思えない。
14:10 撤収を決定。
尾根からさらに東側へ下るルートは見出せず、またムリに入り込めば、道を見つける前に湖面に対する袋小路に落ち込み、遭難する危険を感じた。
既に陽も傾きつつあり、無念だが、地形図上の道が存在しないことを断定し、西側・高畑側からの踏破を断念したのである。
14:33
その後、来た道を忠実になぞり、チャリも回収して恙(つつが)なく高畑ゲートへ戻った。
引き続き、同路線の反対側入口である、土山を目指すこととした。
県道70号および64号を経由して、最短6.5kmである。
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湖の中央を渡る「宮ヶ瀬やまびこ大橋」から眺める、先ほど探索した半島突端部の様子。
そこに道の姿は無い。
この日は湖面が限界に近いほど高く、その水の質量は何か本能に訴えてくる恐ろしさがあった。
かつての清川村の中心地区も、この下に沈んでいる。
橋の東詰めはT字路になっているが、右折して南へ向かう。
道は引き続き県道64号である。
この先の湖畔道路は、それこそ地面の上を走る部分が希少である程の、橋&トンネル連続地帯である。
向橋、岩道一号橋、岩道橋、向山トンネル、大棚沢橋(右写真)、大棚沢園地、上村橋、タケ橋、石転橋、東沢橋、湯場橋、仏果沢橋、七曲桟道、七曲橋、川弟橋、土山峠橋。
これだけの構造物が、土山ゲートまでの3kmにひしめき合っている。
しかも、これらの橋の半数近くは、他の場所にあったら“〜大橋”なんて名付けられそうな立派な鋼アーチ橋である。
これだけ橋が沢山あると、ちょっとツッコミたくなる橋もある。
本編からは脱線するが紹介しよう。
まずは…この、
「タケ橋」の銘板には吹き出した!
タケって、“茸”の事なのかよっ!
てっきり、“岳橋”だと思っていたよ。
そう言われてみれば、平仮名の銘板には「たけばし」って書いてあった。
…しかし、なぜこんな名前になったのだろう。
しかも、銘板は妙に力作である。命名者の強いこだわりを感じる。
(他の銘板にはこんな絵は描かれていない!)
…とても印象深い橋になった。(当方のキノコ好きは山行が読者なら知っているだろう)
ちょっと寄り道だが…
命名者にキノコマニアがいるらしい…。
「スズタケ橋」って…。おいおい。
何で橋の名前にキノコの名前を二つも使ってるんだよ。
周りの橋には植物や動物の名前を使っているわけでもないのに、なぜ…。
拘りなのか、やはり。
14:57
あ…
あ!
大棚沢園地の駐車場から対岸を見たとき、私は遂に見つけた。
5年前に、掲示板にUPされたアノ景色を。
ずっと忘れられずにいた、孤立橋梁の姿を!!
果たして、橋は存在していた!!
確かにその前後… どこにも通じていないように見える。
少なくとも、高畑側へ通じていないことは断言できる。
そして、土山側へも… 橋の袂の様子を見る限り …行き止まっている?
おそらく、ここまでの橋の数を機械的にカウントしていけば、この橋は「村道10号橋」だろう。
13〜11橋までは半島突端付近に予定されているが、着工の気配は無かった。
そして、この10号橋と隣接の道だけがポツンと完成(?)していて、また土山側の道とは繋がっていないようなのである。
ぞっ ぞぞ ゾクゾクする……。
湖は、思いのほかに幅広くて、河原を渡ってチョチョッと見てくるような感じではない…。
精一杯の望遠で覗き見る、“不達”の橋。
思わず黙らせられるような重苦しさ。
それは多分に精神的なものだろうが…
あんな場所にどうやったらたどり着けるのか…
むしろ、「辿り着かねばならない」というプレッシャーがとても重い。
そして、私の内なる時間をも重くした。
これは、一朝一夕には行かないような気がした。
今(一夕)からでは、ムリっぽい…。
ところで、湖を隔ててどうやって工事したのか不思議だが、単に湛水をはじめる前に建設されたと考えれば済む。
そこから500mほど県道を南に下って行くと、対岸に再び橋が見えてきた。
この500m余りの対岸風景に、地形図などには描かれている数本の橋は見つけられなかった。
そして、この橋の上にはなんと重機が動いていた。
不達の橋を目指す道路の建設は、今も潰えたわけではなかったのか。
しかし、この工事との遭遇によって、この日の“橋”へのアタックは断念せざるを得なくなった。
土山側の村道が工事中で立ち入れないのでは、スタートラインにさえ立てない事になる。
今日は諦め、
また春になってから出直そう…。
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