道路レポート 清川村道 土山高畑線  最終回

公開日 2008. 3.29
探索日 2008. 1. 3

到達! 陸絶の10号橋 

 目的地への降下


2008/1/3 7:55 《現在地》

 真新しい歩道に“囚われ”、遂に海抜500m超の湖を俯瞰する山の上まで来てしまった。
この登りには50分を要しており、今日一日をこの探索だけで終えるつもりなど無い私にとって、出鼻を挫かれる迂回となった。
だがこの高度は、目指す「村道10号橋」への筋道を明確にする効用はあった。

 いまこそ、手間と暇をかけて耕した畑から、達成という果実を収穫するときだ。




7:58

 稜線上は左右に湖面を見据えつつ南高北低に推移し、200mほど労せず北上したところで、ここまで登ってきた尾根の北隣となる別の尾根の取り付きに達する。
そこに特に目印のようなものはないし、今度の尾根筋には明確な歩道もつけられていないようだが、それでも尾根上には地界標らしきものが点々と指されていて、よい指針となった。




 下りはじめはかなりの急勾配で、落ち葉の斜面で転倒しないように歩くことに注意を要した。
斜面全体が激しく下っているが、左右がワンテンポだけ速く落ち込んでいくために、自分が正しく尾根上を進んでいることを確かめられる。
その急斜面ぶりは、右の写真からも分かるだろう。
足元から連続する斜面は、見渡す限り前のめりになるような下りである。




 一挙に高度差100mほど下って、もう引き返すことは容易ならざる状況に。
尾根は一旦緩やかになって、馬の背のような細い尾根になる。
そして、そこには鬣(たてがみ)よろしく、モミの木が並んでいる。
幹周り2mは有ろうかという巨木から、子、孫、曾孫たちらしい幼木まで、落葉した森の中でその存在感は格別であった。




8:07

 下り初めて10分弱で、見覚えのある有刺鉄線の柵が現れた。
登ってくるときに見た柵の、谷を挟んで反対側の区画であろうか。
幸い柵そのものは進路を妨害しなかったが、錆びた棘に頬や服を傷付けるのではないかという心配があって、ただでさえ狭い尾根上の下りはストレスを感じるものとなった。



 黙々と下っていくと、尾根の傾斜は再びきつくなり、完全に一本道となった。
改めて、帰りはここを通りたくない。
もう少し賢い帰路を探すことにしよう。




 コブか石舞台のような巨石が通せんぼ。

それでも忠実に尾根上を行く鉄柵。
進路狭いんだからさ、少しは譲り合おうよ〜。

 いっ、 イテッ!




8:14


 あ。

 近いッ!

 あともう ひとがんばり!




 いよいよ「到達」の二文字を甘受する時が来たかに思われたが、そこに最後の難関が待ち受けていた。

私が下ってきた尾根は、目指す10号橋の北側に繋がる道路(もちろんここも他の道と繋がっていない独立部分だ!)が削った、巨大な掘り割りによってほぼ垂直に切れ落ちていたのだ。

それは、想定していた規模を大きく上回る、険しい法面であった。




 まだ“着地”の方策を決めかねてはいたが、とにかく収穫だ。

 これは収穫!

自身にとってのこの10号橋へ対する最大接近であることはもちろん、ネット上でも見たことのないアングルからの撮影になった!


 それは…、対岸から見て感じた以上に大きな立派な橋だった。
そして10年以上も放棄されてきた事実を疑わせるほど、…おつにすました表情で…、
悠々と湖水を跨いでいた。




(写真左)
 今すぐにでも10号橋に下り立ちたいが、それを許さぬコンクリの崖。
向かって右側は自然の崖だが、さらに険しく進路なし。
あとはもう、左側に進路を求めるよりない。

(写真右)
 10号橋に繋がる深い掘り割り部。
こちら側の崖はガチガチに固められていて、とても下れる状況ではない。
未だ陽の射さぬ未踏の路面は、張り詰めた弦のような緊張感を醸し出していた。
事を焦って墜落したらただでは済まない。




 結局、掘り割り区間よりもさらに北側に、“どうにかなりそうな”斜面を見つけた。

この下で道は極端に広くなっていて、全く無人の広場となっている。
そこを目指して下るのである。
斜面は脆い土でただでさえ安定しないのに、この日は表土におびただしい霜が生じていて余計危険になっていた。
だが、これ以上楽なアプローチも見える範囲に想定できず、結局慎重にこの斜面を下ったのであった。





 10号橋に附属する、既成の部分


8:20

 苦節1年… というのは大袈裟だが、土山側の村道終点からたった600mほどの未開通部分を超えるために、2kmくらいは歩いたように思う。1時間10分余りを要した。

 私はいま、起点とも終点とも繋がっていない“不連続既設部分”へと、はじめて潜入した。




 「現在地」の前後には地形図にはっきりと道路が描かれており、それは西側(高畑側)に繋がっているが、現実には「清川トンネル」坑口前が終点になっていることを1年前の探索で確認している。
一方の東側(土山側)は今回のこれまでの探索により、8,9号橋に関する道は影も形も無いことが分かった。
そして、ようやく10号橋の西詰めに降り立ったのである。

 現在地から東西に未体験の道が続いているが、最大の目的物であった10号橋は最後の楽しみにとっておき(当方一人っ子です)、まずは西へ歩いてみることにした。
11号橋の予定地までは約300mほどだが、何かあるのだろうか?





深い掘り割りの向こうには、初見から5年越しの10号橋が待ち受ける。

だが、私は敢えて背を向け、

先に反対方向を詰めることにした。




 さすがに未舗装の路面は、落ち葉が部分的に堆積していたり、今は枯れているが雑草が生えた形跡がある。
しかし、中身はしっかりとした路盤のようだ。
崩れや陥没、凹凸などはほとんど無くて、今もしっかりと堅さを保っていた。
表面をよく見ると、目の小さな砂利が敷かれている。

 そして、ここには道に面して広い空き地が作られていた。
真っ平らだが、何もない。
しかしこの後の周辺探索により、複数の作業用道路がこの広場を介して本線に合流していること。
おそらくは、ここが本線工事用の工事基地跡であったことが分かった。




 少し進むと、10号橋袂の掘り割り以上に高い法面が現れた。
この村道では最も一般的に見られるフリーフレームという工法で仕立てられている。
この灰色の壁は、対岸からでも10号橋とともに見る事が出来る。
写真にカーソルを合わせると、対岸からの眺めに画像が切り替わる。




 法面は30mほど続くが、そこを過ぎると左にカーブして、小さな沢を渡る準備にかかる。

だが、早くも勝負は決してしまった。
この沢を渡る道は、まだ作られていなかった。
対岸から見えていた部分が、既設部のほとんど全てであったのだ。




 本道への降下地点から高畑側へ進むこと、僅か100m足らずで終点となった。
最後まで法面は処理されていたが、路盤ははっきりせず、平に均された土地が広がっているだけだった。
そして、その平場が沢に劃(かく)される形で終わっていた。
また、対岸の斜面には一切工事された跡はなかった。

 少々呆気ない最後だったが、この方向の探索はもう少し続く。



 車道竣工には至らなかったこの無名の沢だが、11号橋というのはここに予定されていたのではないようだ。
計画線をさも存在するように描いてしまった各種地図、地形図を見る限り、この場所に橋はなく、築堤で跨ぐ計画だったのだと想像される。
そして、その想像を強く支持するのが、写真の右側に写る古びたボックスカルバート(コンクリート製の導水路)である。

 ちょうど築堤を造ったときに脚部の幅に合うように造られているようだが、実際の流水は身勝手に谷を削っていて、本構は全く無用の長物と化している。
しかしこの遺構の存在は、この沢を渡る道が部分的な形ではあれ“着工”されていたことを示している。
そして、その工事が中途半端なところで放棄された可能性を、強く示唆している。



 沢を渡って掘り割りになっていたであろう部分は着工された跡もなく、このさき清川トンネル北口までの約1.4kmについては未着手であったと思われるのだが、沢の手前から湖面へ落ちる作業道路の一本が分かれていたので、せっかく滅多に来れない場所へ来た記念として水没地点まで付き合うことにした。

 写真は、村道の終点部である広場から、山水がボックスカルバートを無視して削った沢を挟み、本来は地続きであったろう作業道路を遠望する。
背景の湖へ向けて、この作業道路は進んでいる。



 グランドキャニオンのミニ・ミニチュアばりの浸食地形を乗り越えて、作業道路跡へ。
この10号橋付近の既設部分へは、この道を含めた2本の作業道路の痕跡がある。
言うまでもなく、ダムが貯水を開始する平成9年以前にこれらの道を使って、付近の道路工事が行われたのである。
敢えて作業道路を増設してまで村道工事は急がれていたようだ。
当時はそれだけ重要な道と考えられていたのだろう。



 付近の拡大図である。

青色のマーカーラインは、今回の踏査で既設が確認された、村道の“不連続部分”である。

この区間に面して広場(オレンジ色)があり、そこからは2本の作業道路が湖へ落ちている(赤色)。
湖底には県道64号の旧道が沈んでいるはずで、当然両者は繋がっているのだろう。




 巨大ミミズの如き導水パイプが無惨に切断された、湖畔の崖。
これらは、道によって地表の水路を寸断された箇所に埋設されているようだが、水没後はメンテナンスもされないのだろう。
素人考えだが、どうせ水位の上下で破壊される程度のものなら、経費をかけてまで喫水線以下まで設置する意味がないような。



 工事途中で放棄された道ならではの光景。

未使用の備品(地界標)がそこいらに散乱していた。
ここは喫水線以上であり、工事関係者が置き去りにしたのだと思う。

…そういえば、未開通の道で立入禁止扱いになっていない場所って、レアな感じがする。
まさか山腹を横断してまで侵入しようとする物好きなど念頭にないのだろうか。
さっきから頭上をヘリコプターが(なぜか)行き来しているが、今の私は何も悪いことをしていないぞ。(あ、ダム湖畔への立入禁止?)




 作業道路だけに勾配は厳しく、湖畔に着いたと思ったらあっという間に水の中に消えて行ってしまった。

それでも水面上に何本か、ガードレール代わりの棒を残していったが、10mも沖合からはそれも見えなくなった。


 なお地図を見る限り、11号橋はこの付近の湖畔に桟橋的なものとして造られるようだ。
はたして、この無人の湖畔に再び槌音が鳴り響く日は来るのだろうか。




(写真左)
 作業道路末端部より望む北側の湖面。
遠くで横断している巨大な橋は、県道64号の「宮ヶ瀬やまびこ大橋」である。
あの下あたりに、かつての清川村中心地、宮ヶ瀬地区はあった。
現在は、水面下数十メートルに座する。

(写真右)
 ちょうどこの対岸に、私がクルマを停めてきた大棚沢駐車場がある。
そこからも作業道路が湖へ落ちている跡を見つけた。
こっそりゴムボートでも浮かべれば簡単に往来できそうだが、足が吊るw危険性があるのでオススメしない(つうか禁止)。




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 最終ターゲット 10号橋踏査


8:42

 さて、今度こそ10号橋へ踏み込もう。

まずは、私の接近を一度は遮った高い掘り割りを抜ける。
路面には砂利が敷かれているが、少しはあっただろう工事車両の轍も雨風で崩され残っていない。
まさしく、未開通道路ならではの風景と言えるものだ。

しかもここの場合は、ダムの水が無くなりでもしない限り、物理的にクルマで来ることの出来ない車道だ。
それが分かっているだけに、一歩一歩踏み進むときの感慨は“ひと”しおどころではない。

 万感を込めて、いざ最終ターゲットへ。




 10号橋も、他の既設の橋とそう変わったところはないようだ。

平面形は真っ直ぐで、ただし中央部がやや高くなった弓形型の縦断形をしている。

ひとつ気になったのは、橋の袂の向かって右側に、何のためにあるのか分からない狭い平場があることだ。
わざわざ法面もこの3m四方くらいの平場の分だけ角を切っている。
咄嗟に考えついたのは、この部分にも橋台が設置されていて、将来は橋の幅を広げられるようにしてあるのではないかと言うことだが、残念ながら橋台は現在の橋の幅に一致していた。



(写真左)
 橋を塞いでいたらしいバリケードは、なぜか寄せられた跡があった。
なお、欄干はあるが、その前後の橋台にガードレールは未設置だ。

(写真右)
 橋上から振り返って掘り割り部を撮影。
向かって左の余地が気になる…。




 タイヤの跡ではなく、流れた雨の跡だけが刻まれた橋上のアスファルト。
見たところ、放置10年以上を経て橋自体には何ら故障はないようだが、想定された荷重を大半を受けない状況で、今後設計上の耐用年数をどれくらい越えて存続するものだろうか。
或いは、ノーメンテナンスが響いて意外に早くダメになるのだろうか。

 首都圏の、多くのクルマが行き来する県道からよく目立ち、まさに衆人環視といった状況下に立ち尽くす本橋。
その未来は、いったい誰が握っているのだろうか。

 新年3日目に早くも利用者が来たことなど、本橋にとってきっと初めての事だろうが、あくまでも橋はすました表情を崩さず、ただ私が感慨深そうに渡る姿を見守っていた。



(写真左)
 10号橋が渡る小さな入り江。
最大の喫水を迎えると、途中に一本ある橋脚までは水が来るようだ。
隣町の津久井湖や相模湖同様、水質改善のための薬品投入を行っているのか、水は異様に青い。

(写真右)
 上流側の様子。
この沢を下って橋を目指してこなくて良かった。
両岸とも非常に険しく、仮に橋の下まで下って来れたとしても、登れなかったと思う。




 掘り割りの向こうから見えていたことだが、10号橋の先に道はない。
それこそ橋台を設置したスペースがあるだけで、地図ではここから左にカーブしつつ掘り割りで尾根を抜ける道が描かれているが、実際には影も形もない。

ただし、橋台上の路盤が最後僅かに左に振られていることから、地図の“正確性”が証明される。(未来を正しく描く地図だ)

 本橋には銘板やその他、特別なものは何もない。
ただ、 とびっきり特別な環境 に置かれているだけである。




 さて、帰りのことを考えるときだ。

 …来た道はもう戻りたくない。

地形図と暫し睨めっこして、ある一本のルートに狙いをつけた。

このまま橋は戻らず、真っ正面の斜面へと踏み込む決断をした。

もしそうしなければ、次の“発見”は、見逃していたかも知れない。




 路盤が斜面に消えるその最後の地点に、半ば傾きながら立っていた、一本の工事杭。

そこには、未開通のこの道に2つではなく4つもある「終点」の文字が、はっきりと書かれていた。


 なんだか、感動した。





 帰路


8:45

 一連の探索成果に満足し、橋を離れる時が来た。

 今後開通のニュースでも聞かない限りは再訪も無いだろうが、私のツボに思いっきり深く刺さる、とても印象深い未成道路遺構だった。

 未成道路自体は、余りニュースなどにならず知られていないだけで、全国各地にあると思う。
読者の皆様からの情報が頼りなので、こちらへどんどんお寄せいただきたい。未成道路の有る無しにかかわらず、不要になった都市計画図などもお引き取りいたします。(もちろん、通常の廃道ネタ、廃線ネタも大歓迎)




 さて帰り道だが、行きに登った尾根と下った尾根、その両者に挟まれた第3の尾根を使った。
本当は来るときもここを使えば良かったのだが、「マリオ-ルイージの弊害」によって見出せず終わった。
だが、分かってしまえばこれは早い便道である。

 この第3の尾根にも、やはり稜線に沿った鉄柵が設置されている。
また、明確な歩道はない。




 しばらく登っていくと、尾根は非常な急傾斜になるのと合わせ、密林じみてきて柵沿いに進むことも出来なくなる。
大体そのあたりから左へ逃げると、尾根を離れて斜面を横断することになる。
ここが、唯一にして最大の難場であるが、雑木林の斜面ゆえ、滑落しても即座にどうのという感じではない。

 まあ、大胆に渡ってしまえば、もうそこに…




 散々苦労したつづら折りの歩道が見えてくる。

あとは、この歩道を戻れば15分ほどで7号橋の袂の歩道入口へ戻る事が出来る。
このルートを使えば、10号橋から7号橋まで約800m、30分内外で到達できる。




 往路と復路の合流地点を振り返って撮影。
黄色のラインが往路に使った九十九折りの道で、黄緑のラインは、道無き斜面を横断してきた復路である。
さほどに困難ではなかった。(もっとも、道ではないところを歩くので、歩道よりは遙かに難しいが)

 なお、この地点のひとつの目印として、少し下ったところの歩道上に、右写真の「17」と書かれた標柱が埋まっている。






9:17

 目的を達成し、約2時間ぶりに無事に7号橋袂へ戻って来た。

普段とはだいぶ毛色の違う探索となったが、目的を持って山中を彷徨する楽しさと苦しさを、存分に満喫した。