都道204号 日原鍾乳洞線 旧道  第2回

公開日 2007.2. 4
探索日 2007.1.16
東京都西多摩郡奥多摩町

 遭 遇

遙かに望むる未踏の旧道


11:43

 日原トンネルはまさに日原地区の生命線。日原と外界を繋ぐ戸口のようである。
トンネルを出るとそこは東日原。 日原集落まではもう500m。
だが、日原トンネルの旧道へはここで方向転換。
旧道の入口は、日原トンネルを出た、まさにこの場所にある。

 写真は、日原トンネルを出るとすぐに渡る登竜橋から日原側を写しているが、橋の向こうの左側に、崖に向かって出っ張っているガードレールが見える。
そこが、新旧道の分岐点であった。また道路を挟んで反対側、向かって右には旧々道が分岐している。



 待避所として使うには邪魔な位置にカーブミラーが立つ登竜橋袂の余地。
今来た方向を振り返る。
ここからは、旧道が山肌に残した創痕を鮮明に見ることが出来る。

 険しい岩場。
この奧に、あの松の木峠旧道をも凌ぐという大崩壊地が潜むのか…。

※画像にカーソルを合わせると旧道を表示します。

 ここで、日原トンネルの旧道について重要な情報がある。
旧道といっても、実は2世代分存在しているのだ。旧々道と旧道だ。
このうち、旧道には現道に較べれば短いものの隧道があった。それは古い地図にも描かれている。
そして、旧道は旧々道を概ね踏襲しているが、トンネルや橋の部分に違いがある。



 現道の日原トンネルは昭和54年の竣功であったから、それ以前に使われていただろう旧道。
その日原側の入口となる橋は、現道の開通後早々に落とされたらしい。
橋の直下には氷川鉱山の坑道の一つが口を開けており、谷底にはトロッコが放置されているのが見えた。そして、レールも。
だが、いま目指すべきは谷底ではない。この旧道の行く手だ。

 日原トンネルを迂回する旧道は、全長2km。反対側は現役の氷川鉱山の敷地や採石場となっており、どこまで辿れるのかは「不明」である。
「不明」と言ったのは、その端まで辿ったというレポートがないためだ。
大崩落地があるために…。
写真右側には、山肌に続く旧道の痕跡がくっきりと見えているが、
あそこまででさえ 行けない らしい。

 ここから見る限り、道はしっかりしているし、それほどの障害はありそうもないのだが…。



 一方、登竜橋の脇に残る旧々道敷き。そして、背後の古い砕石場跡。
あの高い岩場は自然の露頭ではない。ダイナマイトで爆砕された採石場の跡地なのだ。
旧々道はその麓をカーブして進み、日原トンネルの前を横切る。
その線形は、さながら「¢マーク」の縦棒(現道)と弧(旧々道)の関係のようだ。
そしてこの旧々道は、橋が落とされた旧道に代わって、旧道への誘いとなる。



 午前11時45分、日原トンネル脇の旧々道から旧道へと進む。

 豪快に岩場を削って造られた幅3mの旧々道をトンネル脇から30mほど行くと、フェンスで狭められた先に舗装路が現れる。
これが旧道である。旧道は舗装路だった。
その舗装路の一方は落とされた橋によってぷつりと途絶えている。



 切り立った橋詰めから上流を見下ろす。
谷底までの高さが、まだ見ぬ大崩壊地への恐怖感を煽る。
高巻き、下巻き、どっちをとるにも容易な地形ではないかも知れない。
まずは、この目で見てから進退を考えよう……(出発時より弱気に)。

 谷底には、コンクリートの水位観測所のような建物と、細い吊り橋が見えた。



 ああ、何だか見覚えのある光景。
現地に来たのはもちろん初めてだが、メールやウェブサイトで何度も見てきた。
そして、浅い切り通しの向こうにちらりと見えている、白っぽい斜面。

 あれか…?

  あれが有名な……。

私は逸る気持ちを抑えきれず、ペダルを蹴った。







 キターーー とでも言うべきところかも知れないが、現地での私は緊張し、それどころではなかった。
むしろ、答案用紙を配られるときのような重苦しい緊張感が私の感動を奪った。

 ここまで来た。
来はしたが、はたして突破は叶うのか。
モニタ越しに見てきたのとは、ぜんっぜん!迫力が違う。
下調べの段階では車道を埋める斜面にばかり注目してきたが、その全貌はかくも巨大であったのか…。
崩壊面の幅は100mで利かないのではないだろうか。

 冷静なスキャニングを開始する。
とりあえず、踏破の難易度を決定づける2要素のうち、斜度に関しては、予想してきたとおり、あの松の木より幾分マシっぽい。
だが、かなり急でも柔らかい土の斜面ならどうにか越えられるように、一番重要なのはもう一つの要素、土質である。松の木の場合、堅い瓦礫の目が細かく密であるため、手足がグリップしないのが最大の難点であった。
はたして、ここはどうなのか?



 日原隧道

 11:47

 凄まじい存在感を持つ大崩壊地の手前に、ひっそりと口を開ける日原隧道。
そして、これを迂回する旧々道が脇に分岐する。(ガードレールで塞がれているが)
 隧道がいつ造られたのか確固たる資料は無いが、日原まではじめての自動車道が開通したのは昭和30年代のようなので、旧々道が昭和30年代生まれ、旧道はおそらく昭和40年代、そして現道が昭和54年開通と考えられる。
10年サイクルで道が付け替えられたとしたら、それは驚くべきスピードだ。
根本的に、この崖の周囲には地上の道路が存在し得なかったのだろう。


 どこか鉄道の隧道にも雰囲気が似ている、卵形断面の日原隧道。
全長397mと結構長い。ここから出口は見えない。それもそのはずで、往時の地図を見てもバナナみたいにかなり曲がっている。

 ここまでは全て事前情報通りで、隧道も完全に封鎖されている。
下半分が施錠された鉄格子、上半分は密な金属ネットだ。

 さらに近付いてみると、この旧道や隧道が置かれている“特殊な事情”が明らかとなる。



 厳重に封鎖された隧道は、氷川鉱山の「鉱山施設」へ続く道として塞がれていたのである。
たしかにこの位置は日原トンネルの氷川口でみた巨大な鉱山施設や砕石山の裏口にあたる。
一般人が不用意に立ち入ることを、当然鉱山側は望まないだろう。
封鎖するにも、この隧道の存在は好都合だったのかもしれない。

 日原の住人に向けられた「発破警告」の文字が恐ろしげだ。



 隧道には風通りがあった。消えかけた路肩の白線に、都道の面影を見るようだ。

 この隧道の地上部分に例の大崩崖は存在する。
故に隧道が圧壊している可能性も感じていたが、少なくとも風は抜けている。
光は見えないが、扉さえ開けば通り抜けできるのかも知れない。

 どうせ引き返してくることになるのだ。
少しでも身軽であるために、チャリはここに置き去りにした。
むかうは、坑口脇にガードレールで塞がれた旧々道である。



 接 近 遭 遇


 ここで初めて現地周辺の地図を見ていただきたい。
今回は敢えて、もとの地形図(現行版、1/2.5万)を生かすような注記に留めている。
この図の中で注目して欲しいのはもちろん旧道なのだが、一見したところ崖沿いの道として描かれているように見える“それ”は、実は道の記号ではない!
「旧道跡」と注記を入れた辺りには確かに道が描かれているように見えるが、実際には単に「擁壁(小)」の記号の連なりである。その証拠に、区間の前後にはまるっきり道が見えない部分がある。そして、いま目前に迫りつつある大崩壊地に至っては擁壁の記号も完全に途絶え(日原隧道も描かれていない)、代わりに「がけ(雨裂)」の記号がびっしりと描かれている。
その幅は100メートルどころか200メートルにも達しているし、落差は150メートル以上もある。
さしもの松の木の旧道も、地形図にまでは痕跡を留めないのだが……。

 よく、廃線跡が地形図から読み取れるとは聞く。
だが、廃道の“痕跡”がこれほど鮮明に地形図上に残るケースは稀だ。
私も最初は旧道が描かれているのだと思った。
旧道は、図上に1km以上も連続する擁壁の記号だけを残し、消えていた。

 この地形図を見ただけで、旧道が現在どのような状況におかれているのか、察するに余りある。



 11:49

 旧々道に入る。
そこには、鋪装された形跡がない。
だが、ガードロープの支柱は存在し、その3mを超える道幅とともに、ここが車道であったことを示している。

南向きの斜面には、気持ちいい日光が燦々と降り注いでいる。

松の木の時も、そうだった。

晴天続きのこの日、明るい斜面はおそらく、ベストのコンディションで私を待っている。
いま突破できぬものなら、おそらく将来に亘っても無理だろう。



 397mの隧道に対応する地上部分。それが旧々道のカタチ。

すでに轍の消え失せ荒れ地となった路面。
殆ど植物が生えていないし、落ち葉さえあまり積もっていない。
なぜか。

 痩せているからだ。
土地の全てが、恐ろしく痩せている。
乾いている。何もかも。


あと、100メートル



 はじまった。

 遺跡のような巨大な石垣が山側を抑えているが、その遙か頭上、木々の隙間からは、天を突く灰色の岩山が見える。
目の前には、大量の朽ち木と共に小さな瓦礫が散乱する路面。
いよいよ、前人未到の大崩崖、その翼に触れたのだ。



 10mごと、いや1mごとに崩壊の度は増していた。
落石防止のぶ厚い擁壁が肉太のワイヤーごと引きちぎられている。その上には、いまにも溢れそうな瓦礫の斜面。
旧々道などという貧相な道が抗いようもない、潰滅的な崩壊が発生していた。
いや、あるいはこれが東名高速であっても同じだったかも知れない。

 この結末はもう、分かっているのだ。
進むほどに無惨さを増していく路面。
道路が大好きな私は、見ていて胸が痛くなった。

あと、50メートル



旧々道さん、お疲れさま……

もう行く手に、道は見えない。



 ねじつぶされたガードロープのターミナル。

本来の路面は、瓦礫や巨石の底に隠されている。




 道は、いよいよ斜面へ呑み込まれる。

 私と日原、いま5年越しの対面へ。


あと、10メートル











 完全廃道!

久々の「完全廃道」宣言。
というか、道がない。

ここが終点だった。
何も知らない人なら、信じてしまうだろう。

でも、あの隧道の出口は、この斜面の向こうに存在する。



 次回、私はここを超える!