12:55
旧都道の石灰採石場に望む末端部分から、来た道を振り返る。採石場の昼休みが終わる前に撤収することにする。
対岸の景色に呆然としていたのも、時計を見れば3分足らずだったらしい。
このあと日原古道の探索は是非したいが、チャリやリュックも置き去りにしてきた手前、まずは戻らねばなるまい。
喉ももうカラカラだ。
まずは、人呼んで「伝説の百メートル」が現れた。
対岸の絶壁の道にもし辿り着けたなら、果たしてどんな景色が待ち受けているのだろうか…。
私の頭の中は、もうそのことで一杯だった。
「伝説」も、上の空のままクリアー。
つづいて難関「小崩崖」。
ここも、慎重にクリアー。
13:10
終点から約15分をかけて日原隧道の東口まで戻った。
生還までは残り500m足らずだが、再び「大崩崖」に挑まねばならない。
来るときには必要以上に高巻きしてしまった印象があったので、今後のためにも、帰りはより安全で効率的なルートを探してみようと思った。
坑口前から、もはや殆ど道の痕跡を失った旧々道へと入る。(カーブミラーの奧)
坑口前からの旧々道は、そこにコンクリート吹きつけの法面があることでやっと分かる程度に続いている。
既に路盤は判然とせず若木が林のようになっている。
その先には、やはり何度見ても気圧される白亜の斜面が近付いてきた。
また、挑まねばならないのか…。
そうだ。書き忘れそうだったので今言おう。
奥多摩町史によれば、第6世代の日原みちであるこの旧都道(大崩崖や登竜橋においては旧々道部分)は、前回まで昭和30年代の竣功であろうと想像していたのを覆し、実は昭和27年の開通であった。工事自体は昭和17年より始めたらしいが、色々あって開通は戦後しばらくたった27年になったとのこと。言うまでもなく、これが日原のモータリゼーションの夜明けであった。(余談だが、旧倉沢橋はたった7年間しか使われなかった事になるのか…)
間もなく、大崩崖の東の外れに到達。
あたりまえだが、1時間前と何も変わっていない。
しかし、ここを楽に超える方法は無いのだろうか…?
そんな期待をすること自体が馬鹿らしいか…。
やはり、上に行くしかないか…?
そう諦めかけたとき、私は見た。
見えたのだ。
一本の。
この斜面を真っ直ぐ横切るラインが!
それは、奇跡などではなかった。
来るときも、道は確かに存在していたのだ。
ただ、それがあまりにもか細く、そして正面突端だったので、全く想定の範囲外だっただけのこと。
わずか幅30cm程度の踏み跡が、斜面を横切るようにして続いていた。
場所によってはよく見ないと分からないほど些末な踏み跡なのだが、それでも、無いのとあるのとでは大違い。
もしこの踏み跡が無ければ、正面突破は考えなかっただろう。
写真は、踏み跡から見上げた大崩崖随一の難所、「平滑斜面」。
足場の傾斜は、これよりもほんの少しだけ緩くなっていた。
踏み跡の存在は、私に進路のみならず、勇気もくれた。
喉も渇ききって、いまさら100mも登るような大迂遠をどうしても避けたかった私にとって、この踏み跡は、天から降ろされた蜘蛛の糸の様に思えた。
私は、万が一にもその踏み跡が崖の向こうまで続いていない事など疑わず、慎重かつ速やかに踏み跡をなぞった。
しかし、踏み跡はしょせん、踏み跡。
道路じゃないのだから、繰り返し人が通ることなど想定していない。いままさに私が崖の踏み跡を突き破り、転落してしまう危険性もあっただろう。
写真は、平滑斜面を越えて振り返る。
背後には、崖にへばり付く旧々道が、路肩の石垣と共に僅かに見える。
肝心の踏み跡は… 写真では見えない。
それはあまりに頼りなく、とても図示出来るものではないのだ。
そして、大崩崖第二の難所「大ガリー」。
来るときには、ここよりも数十メートル上部をようやく横断しているのだが、今度は低い位置にいる分、その谷幅は格段に広い。
そして… なんという無責任!!
踏み跡、無くなりやがった!
だが… もう今さら引き返すのも癪に障る。
とりあえず、ここさえ超えられれば対岸の傾斜は踏み跡無しでも何とかなると思うので、強引なガリー突破を狙い、その極限まで崩れやすい砂地の斜面を下った。
ボロボロと礫片を頃がしながら。
そして、反対側の斜面を無理矢理よじ登った!
踏み跡は、ガリーを超えるとまたちゃっかり復活していた。
私は、踏み跡はおそらくここ数年内に出来たものではないかと予想している。
例の女性バラバラ遺体発見の事件の後に、警察が付近の大規模な山狩りをしているはずだからだ。
当然、日原隧道やらその先の旧道は遺体遺棄現場として怪しんだだろうし、執拗な彼らならばこの大崩崖に呑み込まれた旧々道でさえ捜索したと思うのだ。(確かにこの斜面に遺体を遺棄すれば、呑み込まれて二度と出てこないかも…)
さておき、大崩崖の突破は間もなくだ。
ここに要した時間は約10分。
その気になればこの半分でも超えることが出来そうである。
が、賢明な読者であればお察しの通り、踏み跡も全く安全ではない。
気軽に立ち入るのはやめておいた方がよいと思う。
さらに数分後、私は遂に日原隧道の西口。
チャリやリュックを置き去りにしてきた地点へと戻ってきた。
予想を超える数々の発見は、腰の小さなポシェットだけでは入りきらず、飲みかけだったジュースもすっかり空になっていた。
んぐんぐんぐッ…
んぐんぐ… ごっくん
う うめー。