第三次 日原古道探索 江戸道 第2回

公開日 2007.7. 6
探索日 2007.2.21
東京都西多摩郡奥多摩町

敗者の谷 死したる鉄橋

当初計画を断念。


 2007/2/21 11:48 

 前回のレポを公開した後、僅かな時間の間に、多くの読者様よりこんなご意見を頂戴した。

「 行けなさそうに見えるけど…

 でも、行ったんでしょ? 」


…ちょっと、悲しかった。 というのは置いておくとしても。
このような反応をご多数頂いたのはひとえに、私が今まで下手な煽り文句を立てた上でも、結局は攻略したと言うことが、ままあったからだと思う。

読者様の期待度が自然高まっているというのは、ある意味光栄なことなのかも知れない。
そう、前向きに考えることにした。

だが、思い出して欲しい。
「山行が」にも、実は幾つもの未到達、未攻略、失敗レポは存在している。

そして、今度もまた、失敗…。


少なくとも、当初計画の通り「この草付き斜面をよじ登ってやろう」などと言うのは、無理だった。
見通しが甘すぎた。

そして今回、実は、この下からのアプローチ以外には特に二次計画を用意してはいなかった。
ここが登れないとなったことにより、正直、江戸道踏破への道筋は早くも絶たれたように思われた。
かっこわるいので、トリ氏にはそうは言わなかったけれど…。




 ……とりあえず、江戸道のことは忘れて…


前々から気になっていた、“ I 字峡”に接近してみようか。

ここからならば、穏やかな河原が、その狭窄部の入り口まで続いている。
或いは、そのまま峡谷の内部にも入れそうだ。

江戸道は無理としても、せめて、前回のとぼう岩上の4期道から我々の視界を楽しませてくれた、あれそれこれぐらいは、間近に見たいものである。

 そう、これからここの中へ進むのだ。
もう、江戸道のレポから遠ざかるけどね…。




 少し下流へ進むと、河原に散在する巨大な岩に紛れた廃レールを発見。
周りの岩が石灰岩で白っぽいので、レールはよく目立つ。

もう、今更この谷底でレールを見ても驚くことはない。
この谷が削る崖の方々には無数に、レールの敷かれた坑道が存在しているのだから。
そのうちの一ヶ所は前回、この目で確認している。




 峡谷へと近づいていくと、その狭き門の左側上方にこの隧道を見上げる事になる。

前回は対岸下方に見下ろすように見えたその坑口は、今度は、かなり高い位置にポツンと見える。

そして、「江戸道に辿り着けないならばせめて」とか内心思っていた私を嘲笑うかのように、この穴も辿り着きようがない…。


 もう駄目だー。

 どこも行けないよ(涙)。



 なお、前回のレポでも触れたが、古い『トワイライトゾーンマニュアル』の記事によればこの坑口は、奥多摩工業氷川鉱山鉄道の一翼「戸望2号線」の地上部である。
昭和50年代まではまだ橋が健在だったようだが、今では墜落した橋が、もう少し下流の谷底で異様な姿を晒している。

今はとりあえず、そこへ向かうことを目標にしたい。



 左岸の遙か頭上の坑口から流れ出した大量の水は、主を失ったままの橋台を伝い、さらに赤茶けた崖を飛沫となって落ちて川面に注いでいる。

さてこの先…。
これ以上は陸の上を進めない。
つま先を奔る水は日原川だが、それほどの水量ではない。
さしあたり大した深いところも見受けられず、膝までカバーするくらいの長靴があれば、濡れずにじゃぶじゃぶと進んでいくことが出来る。

これより、件の峡谷、いや「谷」へと入る。





 左岸の橋台と隧道に対応する右岸の穴。

いま、私は初めてこの景色をその目で間近に見た。



 ん?


いや。

よく見ると、穴は一つではない!

谷を渡るワイヤーが引き込まれている穴には、橋台もレールも見えないが、そのすぐ右手に(フレーム外)、もう一つの穴が!








見えるだろうか??



まだ分かりづらいな。

画像の上にカーソルを合わせてみて欲しい。


 レールが、あらぬ場所からニョッキリと現れている。
そして、その下には橋台も見える。
角度を変えると、そこにも隧道が見えるのである。
これが、左岸の隧道から橋を隔てて続く、戸望二号線の坑口である。





 さて、カーソルを画像から外し、そして左上の方をもう一度見て欲しい。




あれは、江戸道 だ。






やばい…



 あったんだ…

   マジで…  ず い ど う 















 あ
きてぇッ!




ありうるかも知れない!
本当に、あれは江戸時代の隧道かも知れない!

これまでで最も接近して見た姿に、私はそんな印象を受けた。


 谷底の川は思いのほか浅く、流れも穏やかだった。
もちろん、ここ数日晴天続きだったのが良かったのだろう。
石灰石の白い岩間を流れる水に足を洗いながら、後続のトリ氏と一緒に、下流を目指した。
これから、最も谷の狭いエリアに入る。


 見上げれば、もうただ呆然と見上げることしかできないほどの垂崖。

引き続き、確かに江戸道の下端部に繋がるラインは見えてはいたが…


悔しいけれど今の我々は、ただの傍観者でしかありえなかった…。





 いや。


ただ一つだけ、敗北者、傍観者を卒業する手立てはあった。
(画像にカーソルを…)


遠目には気付かなかったが、実は色々なものが江戸道というか江戸道のすぐ下に口を開ける二つの穴から、我々の手の届く場所に垂れてきていた。

このうちのどれかに命を託してよじ登るならば、穴に辿り着けるだろう。

ただ…、
その結果は栄冠か死かどちらの二者択一しか有り得ない、まさに賭けであり……。


 だめだ!
私には無理だ!! (涙)





 やっぱり駄目で、さらにうなだれて先へ進む。

もう、完全に江戸道へのアプローチは絶たれてしまったか。
これ以上進んでも、あとはもう谷の深まりの極まるばかりだ。

それにしても、なんという凄まじい光景なのか。
これが、自然の力なのか。
ものすごく下手な表現しか思い浮かばない自分が悲しい!

日原川の侵食力は、まるで定規でも当てて削ったかのような一定の幅の谷を、この地上に人知れず穿っていた!





 その最深部分の拡大写真。

谷が一番深く狭い場所で川はちょうど90度左へ屈曲しており、墜落したガーダー橋の巨大な残骸も、そこに残置されたままになっている。

おそらく、河川管理上問題はあるだろうが、もはや回収することも出来ぬまま放置されているのだろう。
こんな異様な廃橋の風景は、見たことがない。
普通ならガーダーは鉄材だけでも再利用するのに…。

さらに、この谷を潜る狭い視界の向こうには、前々回の探索で命からがら辿り着いた、4期道の片割れが見えている。
画像にカーソルを合わせるとミニマップなどを表示するが、このように見えているわけだ。


 閃いたぞ。


あのガーダー橋の辺りから、右岸上方を見上げれば、目指す江戸道と4期道の分岐地点なんじゃね?
流石にアプローチは難しそうであるが、ともかく4期道と江戸道(3期道)との分岐地点の確認も重大な目的であった。
それが判明すれば、また改めて上から江戸道を目指す手もある。


ここから4期道が鮮明に見えたことは、私に新しい小目標を授けてくれた!




 見上げるとご覧の景色。

空が“への字”形に区切られてます。

この形で一定の幅のまま削られた部分が、少なくとも落差50m。
採石場によってとぼう岩の片側が失われる前の姿を想像すれば、さらにその倍も高さが有っただろうか。
1年で何ミリくらい河床が下がっているのか分からないが、まあ数万年スパンの時間をかけてここまで深まったことは、容易に想像される。

…容易には想像されないか。


私の想像力では、ちょっとこの谷の別の姿は想像できない。
このまま際限なく深くなっていったとしたら、仕舞いにはどうなるの…。






12:13

死したる鉄橋に、到達。