第三次 日原古道探索 江戸道 第3回

公開日 2007.7. 8
探索日 2007.2.21
東京都西多摩郡奥多摩町

 不可能への 挑戦 

山行が史上で一番深い谷底の景色


 2007/2/21 12:14 

 日原川の狭窄部に引っかかるようにして存置された、巨大な鋼ガーダーの残骸。

ここまでは比較的穏やかだった流れが、この巨大な障害物によって進路を狭められたせいか、或いは天賦の蛇行のせいか、足元で飛沫を上げ迸る。

これよりさらに奥へ行くには、あとはもう、この残骸の上を進しか無くなる。



 そこまでする意味はよく分からなかったが、江戸道到達への拾い忘れた種がまだどこへ落ちているかも知れぬという期待と、単純にこのガーダーと戯れたいという気持ちからであろう。
私とトリ氏は、相次いでこのガーダーへとよじ登った。

掛け合う二人の声は、凄まじい渓声によって殆どかき消され、自然怒ったような声になる。

 「ここから上るといい!」 

「了〜解!」




 この巨大なガーダー橋は、本来50mほど上流に架かっていた。
とぼう岩の地中から石灰石を採掘するため昭和30年代に布設された、戸望2号線のものである。

それが、この有様だ。
不要となって人為的に落とされたのか、或いは何らかの災害に巻き込まれたのだろうか。
これが私企業の鉱山鉄道でなければ、大事件として記録に残されているのであろうが、図書館での調べでは結局何も分からなかった。
かといって、直接会社に訊くのもちょっと憚られる…。

剛性の強い鋼鉄の橋がここまでねじ曲げられたのは、墜落の衝撃によるものか、或いは川の営力か。おそらく後者だろう。
ガーダーの至る所には擦れた傷があり、細かな隙間にねじ込まれた小石など、暴力の跡が鮮明である。

【参考画像】←切断面の様子(建築に詳しい方は、この切断面をどう見るか教えて欲しい)




 左の写真は、ガーダーの上流側の橋から振り返って撮影。
そそり立つとぼう岩と、その下腹部に穿たれた巨大な穴。
ワイヤーが引き込まれたその穴の奥は、一体どうなっているのだろう。
あのワイヤーを伝って対岸から潜入するなんてシーンがあったら、それってハリウッド映画だっておかしくないかも。

 一方、そんな大それた事が出来ない我々は、谷底でへっぴり腰と牛歩の競演。




 しかし、こちらはこちらで、身の丈にあった怖さが十分にあるのだ。

足元の傾いた平均台から墜落すれば、この奔流。

2月の川の水…。

溺れずとも、下流に流されたとしたら…



 下流方向もご覧の通り、救われない深谷。

この先両岸とりつく島なく、一日中光の届かぬ谷間に、進退を極ルの感ありだ。

写真には、かつて辿り着いたことがある、巨大な吊り橋が微かに見えている。
気付いただろうか?

あんな場所に架かっている橋って…

出来れば渡ってみたかった…!!


 吊り橋部分の拡大写真。

こちらもやはり、ワイヤーだけ…



絶対にワイヤーが切れない前提で、両腕に固定された「ナス環」でもあれば、渡ってみたいという気もするが…

  いや、冗談です。




 ガーダーの下流端は周囲を淵に取り囲まれており、どこにも上陸は不可能。
当然、ここから江戸道へ進むことも不可能であった。



それに、
もし仮に上陸に成功したとしても……







んじゃこりゃ


 …なにもここまで…。

だめだ…こりゃ。





これにて、下流側からのアプローチを完全に断念した。



──撤収。





挑戦への糸口


 12:41

 上流へと戻ってきた。

ちょうど、旧都道から最初に降りてきた辺りから、さらに30mほど上流よりの、江戸道方向の眺め。


どうも、江戸道への最短ルートでの接近に拘りすぎていたキライがあった。
この図のような当初アプローチ案は、実際に近づいてみたところ無装備では不可能と断定されたのだが、その右手て続く木の生えた斜面ならば、或いは…




このように。




 え? 
これなら行けるんじゃ無いかって??

確かに、樹林帯までは登れるような気がする…。



 だ け れ ど も… 結 局 は …





 結局はここを通らねば、
江戸道へは行けないわけで…。



最初に(読者の皆さんが意外と思うほどに)あっけなく諦める気持ちになったものも、元を正せばここに原因がある。


つまり、「どうせ(樹林帯まで)登ったところで、江戸道へのアプローチが出来るのだろうか。」と言う疑念。

いや、率直に言って。恐怖心だ。

私の臆病さが、このアプローチは嫌だと思わせたのだ。
いくら強がってみたところで、「生きる死ぬ」の探索は、いつだって気が重いのだ。
今まで一度だって、喜んで危険地帯に飛び込んだことなんて無い。

実際に近づいてみたら意外に道が付いているかも知れないなどと言う淡い期待が、今回この谷に降りてくるまでは、まだあった。
だが、それが全く間違いだった、見た目通りの恐ろしい道だったという、そのことに私は怖じ気付いただけだった。

それが、あの最初の撤退劇の真相。





 だがいま、こうやってそのことを語るからには、これだけでは終わらない。

次なる一歩を、私は踏み出したのである。

まずはこの、樹林帯への登攀から始まる。

なお、トリ氏には崖が一望できる対岸の河原で待っていてもらった。
幸い、この渓谷はケータイの電波が1本立っていた。
これで、必要があれば連絡を取り合って別行動を取ることにした。
流石にトリ氏はこのアプローチに追従しようとはしなかったし、私もそれを望まなかった。

 ここからは、独りだ。




 上の写真と、景色は殆ど変わらないように見えるが、実はこれでも10m以上よじ登っている。

この斜面は、前回我々を恐怖させた「この谷」の真下であった。
だから、このまま高低差100mを登り続ければ、やがては4期道へ辿り着けることになる。
それも、時間をかければ不可能ではないような感じがした。
確かに傾斜は急だが、対岸の我々が下ってきた斜面と同様にガレた斜面が多く、四つんばいで登れないことはない。

そのようなインプレッションを得ながら、今は適当なところで左の樹林帯へ移るチャンスを探した。




 それは、この辺がいいか。


私は、水面から20m弱登った辺りで、やや平坦な斜面を左側に認め、そこへ向かった。

しかし、これは一筋縄ではいかなかったのだが、この後の苦労を考えれば特筆するような事ではなかった。



 まだ、樹林帯には入っていない。【この辺】

しかしこの辺りでさえ、軽く腰が震えた。
全身が硬くなっているのがよく分かった。
この怖さは、そこが道でないことから来るものだった。
どんなに険しくても、道ないし道の跡をなぞっているときは、ここまで恐くない。

過去に誰も試みなかったルートには、大きな落とし穴があるかも知れなかった。




 その後間もなくして、樹林帯の中へと入ったらしかった。
しかし、想像していた以上に足元に平坦さはなく、とにかく急だった。
樹林帯には結構な幅があり、即座に崖下へ転落するような心配はなかったが、それでも常に周囲の木の幹に片腕を絡ませておかなければ、とても立っていられなかった。
緊張しっぱなしである。

 よく考えれば、この辺りにもかつて道がなかったとしたら江戸道は嘘になる。

もし、今向かっている先が本当に江戸道だとしたら、古文書は言う。

「とぼう岩の中腹を通って、“しらつち”に下ると」

“しらつち” … おそらくは、石灰岩の岩片が無数に転がる川原に付いた地名だろう。
今トリ氏が休んでいる辺りの川原が、まさにそんな感じだ。
江戸道はこの上流では、ほぼ川と一体になって、必要とあれば小さな桟橋を設けながら日原を目指したに違いない。
前回の探索で我々が苦労して辿った前半の道に、続いているはずなのだ。

しかし、この樹林帯にはまるっきり道の名残はない。
考えてみれば不思議なことだが、それは頭上にある4期道の造成やその他、鉱山に関する地形の破壊によると考えることにした。



 樹林帯の上端附近を平行移動で進んでいたが、やがてそれは出来なくなった。

目の前から、地面が無くなったのである。



《現在地》

【この地点で撮影した動画】(wmv形式)



 えー


始まった。


 やっばい。

もうこの時点で呼吸が苦しくなってきた。





 自分がこの時どこに立っているのかとか、正確には知りようがなかった。
背後や下方は灌木が茂っており視界は利かず、頼りになるのは、登ってくる前に脳内へ繰り返しインプットした全景との比較だった。

そして、今の自分は江戸道の見え方からいっても、上に来すぎているのだと分かった。

その考えに乗っ取り、数メートル下ったところ、どうにか先へ進めそうな斜面を見出した。

恐怖に握りつぶされる前に、即、行動を取った。




ここは、江戸道なのか?! 


 13:15

緊張の連続で、時間が経つのを忘れた。
もう既に、トリ氏と別れて登り始めてから30分も経っていた。

いま、【この場所】へいる。


この時私は、事前にもっとも困難と思われた場所へ、なんと、たどり着いていた。

ここが何処かは、周囲の地形からもよく分かった。
ここは、「神の橋」から続くクレバスのような窪みの中で、周囲から水が集まる場所だった。

崖下から見たときに、江戸道の鮮明なラインが見え始める、その登り口だった。




 ここの怖さは群を抜いていた。

冷静を保てなくなれば、足をすぐに踏み外しそうだった。

「松の木」で若い私が味わった転落の恐怖に、匹敵する恐ろしさだった。

ここまで来たことを喜べる気持ちはほとんど無く、ただ恐くて、恐くて。

とにかく落ちたくないという気持ちばかりだった。
素人が無装備で登ってきていい場所でない感じ。絶対にもう行きたくない。




 休憩するような場所ではなく、すぐに行動を再開した。
川原を見ると、小さくトリ氏が手を振っている姿が見えたが、今の私の心中を知るはずはない。
なんか、よく分からないが苛立った。(←人間が出来ていないと言われそうだが、本音だった)

 さて、ここから江戸道らしき道の形は始まる。

それは、陰の悪戯や偶然の光景などではなかった。
本当に、階段状と言えば階段状な道が存在した。
もっとも、そこに人為の所作を感じたかと言えば、そうとも言えない。
たまたまこういう地形なのかも知れなかったし、今でも何とも言えない部分だ。


ただ、この時の私はこれを道と信じるほかにどうしょうもなかった。



 はーーッ。


こ、腰を下ろせる場所があって嬉しい…


リュックは川原に置いてきており、ポシェットにカメラや500mLのペットボトルを入れてきただけという軽装だった。
もしリュックを持っていたら、ここまで来ることは出来なかったろう。

私は全身の緊張を少しでもほぐしたくて、灌木と枯れ草によって断崖の表面からカムフラージュされた斜面に座って、そして俯いた。



 振り返り、来た道を見下ろす。

足元の、たったこれだけのスペースが全てだ。


2分間休息したのを覚えている。

そのあと立ち上がって、さらに先を目指すことにした。





 我ながら、よく頑張ったと思う。


この景色の中でも、私は進んだ。

道らしいとも思えなかったが、とりあえずゴツゴツした崖には人が一人通る分のスペースと、手掛かりとなる生木があり、進めたのだ。


そして、この次の写真は、左奥の灌木がよく茂っている部分となる。(画像にカーソルを合わせるとその部分をハイライトする)

そこまでは進んだのだ。



 多数の灌木が行く手を遮った。
というか、頭上を塞いだという感じか。

だが、進むべき唯一路は、この真上に間違いなかった。
ここが本当に道だったとしたら、灌木が生えている左側は、いかにもステップらしい形をしている。

しかし、登ろうと思って灌木の幹に手をかけた瞬間、私は止まった。
止まらざるを得なかった。
灌木の幹が、少しゴムのように撓ったからではなかった。


 見えてしまったのだ。





下界が。


実は、今までこのものすごい高度から来る本能的な恐怖の程度は、道の悪さから来る転落への恐怖から見れば、小さかった。

灌木や、ちょっとした岩の凹凸が、いい具合に視界を遮ってくれたからだ。
だが、この先、灌木を頼りによじ登るこの先の斜面では、

背中を晒さねばならなかった。


空中に!




 思わず、私は2歩退いた。
それから、一呼吸をおいて、もう一度臨んだ。


そして、この写真を撮った。


シャッターを切りながら、私は決めた。

断念を。


私には、この恐怖に耐えられそうもない。
崖の途中で、惨めに体を引きつらせ、身動きが出来なくなる可能性があった。

確かに、上り果せる余地が全くないかと言われれば、そうではない。
おそらく、恐怖のない超人ならばここを登ってみせるだろう。

私は、撤退を内心決めていたが、それでも撤退の開始には逡巡した。
ここまで来たのにという悔しさは、もちろんあった。
だが、そのこと以上に、振り返って下界を見た事で動揺したのだった。



 トリ氏がこちらにカメラを向けている姿が、小さく見えていた。

私は、これから来た道を生きて帰るために、この激しく動転した気持ちをリセットする必要があった。
ここでも腰を下ろし、身を崖と灌木に深く埋めた。
そして、心がおさまるのを待った。

 私は、この間に動画を撮影し、記念にしようとした。
と同時に、動画には努めて冷静にナレーションを入れ、冷静を取り戻そうとした。

動画【私の限界を刻んだ動画】(←wmv形式)







 さて、この時私は、どこまで辿り着いていたのだろうか。

トリ氏が撮影していた動画があるので、私の姿はとても小さくしか写っていないのだが、ご覧頂きたい。
ちょうど、この動画に写っている姿が、私の最も上に辿り着いた時のものである。
これ以上先には、遂に進めなかった。

動画【トリ氏が撮影した私の姿】(←wmv形式)




 小さくなって怯えている私の姿…。
これも当然トリ氏が撮影したものだ。

この辺りが、私の限界であった。


後からこの写真を見せてもらって、私は知った。

あと、もうほんの数メートルで、ほぼ平坦な部分へ辿り着けたのだと。

私が撤退したあの灌木の斜面さえ攻略できたならば、そこには隧道まで続く鮮明な道があったかも知れない。


…いや、きっとあったのだろう…。




 トリ氏が後から言うには、私があそこまで登っていく姿には驚いたが、あそこまで辿り着いたのだから、後はもう隧道まで行くだろうと思ったそうだ。

少なくとも、彼女からはそう見えていたらしい。


私は、その認識に対し抗議したが、今回のレポを見ていただければ、私の撤退もやむなかったと分かって貰えると思う…。



 撤退を開始する直前、私はケータイを取り出した。
電波は、微弱になっていた。
トリ氏へ発信したが、通じているはずなのに声は届かなかった。


私には、伝えたい言葉があった。



 撤退はするが、まだ、終わってはいないと。


そう、伝えたかったのだ。






 下方からのアプローチは、これにて完全に断念。

まだ時間があるので、引き続き、4期道側(上方)からの、隧道直接アタックを試みることにする!