2007/2/21 15:00
江戸道らしき道の姿を眼下に認めつつも、結局そこへ降り立つことは叶わなかった。
落胆のまま4期道の“降り口”へと戻った私。
そこで待っていたトリ氏に、「道らしきものは見えるが、行くことは出来ない」と伝えた。
私にとってそれは、敗北と本日の探索の終了とを含んだ、苦渋に満ちた発言だった。
残念だったが、時間も時間だしそろそろ帰ろう。
そうトリ氏を促す私に対し、彼女は何も言わず指さすのだ。
稜線の右側に口を開けた、巨大な日影谷の中を。
それに促されて、私もその谷底を覗き込む。
この方向には、険しく落ち込んだ谷があるだけで、道など無かった。
既に私は一度ここを目視にてチェックしていたし、トリ氏が何を指さしているのかが分からない。
再び見ても、やはり道は見えない。
怪訝そうな顔をして振り返る私に、トリ氏は言った。
私の目を見なさい。 (← ウソ)
「ヨッキさん。」
「あそこに ヒラバ が見えない?」
…平場?
ヒラバ…
われわれオブローダーの好きな単語である。
特に林鉄歩きの最中などは、山中の小平坦地の全てが人為的な「ヒラバ」に見える。
そのくらいわれわれはヒラバに敏感であるし、ヒラバ発見の報は、それまでの全ての苦難に徳政令たり得るインパクトがある。
だが、まだ私には見えない。
トリ氏が立っている場所と、私の場所とでは微妙にずれがある。
何か、立木などが私の視界からヒラバを消しているのかも知れなかった。
私はトリ氏の視界を遮るように移動して、もう一度、谷の中を凝視した。
ウホッ
いい平場!
行けないか?
私が江戸道接近に身体を張っている最中、トリ氏は殆ど稜線上から動かず、この谷底に道を探していたようだ。
そして得た。
私も全く気づかなかった、平場を。
それは一目見て、人工的なものであると確信された。
これまででもっとも近くに、江戸道を捉えた。これはもう、行くしかない。
とはいえ、その接近も一筋縄ではいかなさそうだった。
だが、迷っている時間は無い。
私は、先頭を切ってこの斜面に取り付いた。
5メートルほど岩場を下れば、奥の平場へ続く足場(道の跡?)に降り立てそうだ。
午後3時02分 最後の挑戦を開始。
来た!
午後3時05分、遂に二人は揃って江戸道へ到達!
探索開始から約5時間、江戸道を日原川対岸に初めて捉えてから4時間を要した。
谷底から江戸道へ挑戦し、一度はその一端に達したかに思えたが、結局道らしき確信は得られず無念の撤退。それが今から約2時間前。
しかし、江戸道は4期道から僅かな距離にあった。
わずか5メートルかそこいらの空隙に過ぎなかった。
しかし、その道の存在を我々に教えてくれるのは、4期道から30メートルは離れた絶壁に刻まれた、小さな小さな平場。
これを見出すことが、今まで出来なかった!
トリ氏の冷静な目が、絶壁という鉄の守りに抱かれた江戸道その唯一の戸口(とぼう)へと、私を導いたのだった!
目指す平場(そこは地面が白く、まるで「白亜の聖堂」)まで高低差残りゼロ。
距離残り10メートル。
足元には聖堂へと続く、絶壁の縁に刻まれた極細激狭の道。
足を踏み外せば、昇天。
だが、もはやこれより他、道は無し。
いま我々のいる場所も、二人が立つ余地はなく、トリ氏はその居場所を立木に頼って得るような状況。
退路は、断たれていた! (←笑えない)
腹を決て
進むのみ!
ここは、道なのであろう…。
最初現れたとき、その上にはたっぷりの落ち葉が堆積していた。
おそらく、何十年分の。
だが、正確な道幅を知りたく堆積物を蹴散らすと、土に隠された本来の道幅が現れた。
それは、第一印象よりも更に狭いものだった!
それは、どこかの高山の上級向け登山道のような道だが、かつては、荷を担ぎ任を帯びた人たちが盛んに往来した道なのだろう。…きっと。
確かに、道幅こそ狭いが、足を運ぶ余地はしっかりと存在している。
固い岩盤に刻まれた足場からは、信頼に足るものという印象を受けた。
冷静に足を運べば、恐怖するにはあたらない。
ただし、この道もそのスタート地点は判然としない。
右の写真は、岩場の途中から、自分たちの降りてきた斜面を振り返ったものだが、画像にカーソルをあわせてみて欲しい。
4期道と江戸道(3期道)との分岐地点は、地形的に見てこの図に示した通りの場所だと思う。
それはちょうど、最初の日原古道探索で私が最後に辿り着き、そして撤退したあの場所だ。
元々は桟橋でも架かっていたものが、すっかり崩壊消失してしまったのだろう。十分あり得ることだ。
トリ氏もここを無事突破し、いよいよトリ氏の見付けた平場、「白亜の聖堂」へ!
どこが「聖堂」なんじゃい!
思わずそう一人ツッコミしてしまいそうな、極めて荒々しい岩場の景色。
「片洞門」的な風景だ。
周囲の、土色と緑が目立つ道跡の中で、唯一本来の路面らしい白さを残している印象と、あそこまで行ければ江戸道到達という清浄なイメージから、突発的に「白亜」と「聖堂」の言葉が浮かんできた。
ここには確かな道の名残がある。
路面は平坦に均され、人同士が肩を触れあわさずにすれ違うくらいの幅もある。
遂に、江戸道が始まったのだ!
カーブの先に、果たして何が。
この時の私の心の中は、明るい期待感などで満ちてはいなかった。
むしろ、それよりも遙かに比重の大きな不安感が、恐怖という重しに引かれるようにして、ずっしりと心の海の深くに溜まっていった。
一日に二度も命の危険を味わって、私は相当に疲労していた。
その上、今度はトリ氏まで巻き込んでの「最後の挑戦」。
これはもう、ぬるい終わり方では許されないような…
凄く嫌なプレッシャーを感じていた。
15:10
いよいよ表舞台へ戻ってきた。
日原川の本流に面した、西日の注ぐ崖へ。
しばらくぶりに浴びた直射日光は眩しくて、思わず目を細める。
持参した俯瞰写真のコピー(右写真とほぼ同じもの)と現在地とを比べれば、もはや目指す隧道は目と鼻の先。
30m以内の距離に接近していると思われた。
全てが順調ならば、もう1〜2分で到達するだろう。
初めに言い訳を聞いて欲しい。
このあと、レポ終了までの全ての写真は、非常に自由度の低い立ち位置から無理矢理撮影したものが殆どである。
よって、私が伝えたい道の姿や風景を十分には撮り切れていない。
探索終了からこのレポートの公開まで時間を要したのも、写真の出来が余りに悪いため、再訪撮影の機会を覗ってきたと言う理由がある。
だが、再訪しても結果はそう変わらないだろうというと言うことと、詳しくは後述する「再訪のリスク」を考え、それを断念した。
それゆえ、このタイミングでのレポートの公開となったのだ。
正直、私が一番口惜しい。
あの恐怖や感動を十分に伝えられる写真でないことが。
出来るだけ文章で補完するよう努力するが、現地の条件の悪さを鑑み、写真の不出来をどうかお許し頂きたい。
白亜の聖堂は、やはり聖なる力に守られた聖堂だったのかもしれない。
そこを一歩離れた途端、道はまともな形を失った。
もし、途中に一息付ける“聖堂”が無ければ、この時点で精神的に参って引き返したかもしれない。
写真は、聖堂後最初の難所を振り返って撮影。
道は3メートルほどの落差を、灌木の茂る岩崖として横たえていた。
這い蹲るように身を低くしてここを突破。トリ氏もそれに続いた。
この様子では、今に決定的に“どうしようもない場面”が現れるのではないか。
私は、その時が来ることを強く恐れながらも、とにかく一歩、また一歩、次の一歩を踏み出す地面がある限り、従順にそれに従った。
1分経過。
やはり、隧道になど辿り着けてはいなかった。
それどころか、前方の状況はますます危険に満ち、次の一歩さえ危ぶまれる状況となっていた。
しかし、背後にはつかず離れずトリ氏がいた。
私が踏んだ後であれば、ある程度安心して体重を預けられるのだろう。
彼女は未だ恐れる素振りも見せず、追従してきた。
なぜか、嫌な展開だと思った。
二人は一人より心強い筈なのに…。
一歩… 一歩…
私は、周囲の景色を余り見ず(特に崖下や対岸など高度感のある光景を意図的に避けながら)、足元と頭上に注意しながら近視的歩みを続けていた。
しかし、今やその踏みしめるべき地面は全体的に減少し、灌木のか細い幹が崖との間に溜め込んだ、その僅かな土の上を渡り歩くような、もはや末期的状況となっていた。
それでも、ほぼ水平に一本の平場が通じているように見えるのは、或いは心の作用のせいかもしれない。
既に転進後退することにさえ神経を使わねばならないほどの、状況。
トリ氏がここでもし諦めると言えば、私はそれに従った可能性が高い。
…きちゃった。
これは、無理じゃないか?
あるべき道が無い。
ここは、桟橋が欲しい。
もっとも、腐った木の桟橋など、無いでくれたほうが命には良かったかも知れない。
ともかく、二人に突きつけられたこの難所。
突破するための方策は一つしか無い。
図中に緑色のラインで示したとおり、一旦2メートルほど下に下がって、そこから灌木と岩場を頼りにして、向こう側に渡るのだ。
すぐにそのルートは思いついたし、本能的には出来そうな感じがしたのだろう。(そうでなければすぐにルートは浮かばない)
しかし、最初の下り2メートル。
これが出来そうでいて、とんでもない怖さがあった。
恐い。
何が恐いって、ちゃんと2m下の足場って私の体重を支えてくれるの?
この岩場って、体重を掛けている最中に折れたり崩れたりしないの?
一旦下ったら、先へ進めるの?
それよりも、ちゃんと戻ってこられるの?
そして何よりも、それらの不安に対し、事前に何ら対処できない怖さ。
実際に岩場に身を乗り出し、体重を掛けてみなければ、それらの疑問に明確な答えを得られない!
…私はこの時ほど思い知ったことはない。
だから、プロはロープやザイルを用いるんだ。
自分の身体を捨て駒のようにして扱う訳にはいかないから、 だから、だから命綱って要るんだ。
ここは、私は引き返すべきだった。
トリ氏も同様。
だって、分からないんだもん。
この崖に身を乗り出したとき、何かが起きたとしても、滑り落ちるなんていうレベルじゃなくて、間違いなく転落するんだもん。
もはや、まるっきり足場の下に、滑り落ちれる余地はない。
崩れたら死ぬ。
ことさらにここが恐かった理由は、登るんじゃなくて下るから。
上りなら、滑って元の場所に降りれるかも知れない。
でも、ここは違う。
写真からは、私の感じた臆病なほどの恐怖は伝わらないだろう。
でも、間違いなく、この日、ここが一番恐かった。
普段だったら、引き返していただろう。
では、なぜ引き返さなかったのか。
その答えは、はっきり分からない……。
ただし、正直後悔している。
無理をして突破してしまったことも、後をついてくるトリ氏を制止できなかったことも。
実はトリ氏には、一度は直前で待機をお願いしたのだが、その後私が単独突破する姿を見て、そして「隧道発見」の報を聞き、彼女はどうしても来たくなったらしく、一人で来ようとする素振りを見せた。
そして、私は彼女の墜落を阻止すべく身体を張ってサポートしたが、おそらくその必要はないような軽やかな動きで、彼女はやり果せた。
だが、これも良くなかったと思う。
だって、もし彼女が墜落したら、私も巻き添えを食って二人死にしていただろうから。それも良くない決断だった。
そもそも、彼女は一人でここまで来ることは有り得なかったのだから、彼女の「来たい」を阻止しなかったのも、私の落ち度かも知れない。
かと言って、私にしても一人ではここまでこなかったに違いない。
だとしたら、彼女が来たいというのを阻止する権利が私にあるのか。 無いはずだ。
はっきり言って、私にはモヤモヤばかりが残った。
結局、私はこの探索は詰め部分で誤ったと思っている。
技術も道具も、不足していた。
ここでもし、引き返す決断が下せていたなら…
「この探索は成功だった」と、
私は一人ほくそ笑むようにして、この胸に刻むことが出来たろう…。
二人が行きと帰りの合計4度、体重の大半を任せることになった灌木の幹。
この程度の木に全てが委ねられたのだ。
5年前なら、私はこの蛮勇を自慢したろうか。
今はただ、生き残れた幸運に感謝したい。
おそらく間違った決断をしながらも、その中で精一杯やった自分たちにも、「良かったな」と言ってやりたい。
そして、 江戸道に隧道は実在した。
次回、 二度とは行かぬ 終の地。
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