前回明らかにした事実というのは、右の図における旧道の「A」〜「B」の区間が、上の写真のような風景であるということだ。
その一部は一応、地形的に残存はしているが、「A」地点寄りのおおよそ150mは完全に消滅(上図の破線部分)している。
かつて路盤があったはずの位置が、確実に空中になっている以上、道の消滅を疑う余地はない。
ということで今回のテーマは…、
【完全消失区間の痕跡を求めて!】
…とはいいつつも、本当に現地に何一つ痕跡が無いならば、行っても仕方がないかも知れない。
実は前回も少し触れたとおり、この位置にあった道の“残骸”が現存している可能性を感じていた。
次の地図を見て貰いたい。
これは、「山行が」で取り上げる古地形図としてはだいぶ新しい、昭和55年修正版の5万分の1地形図「秩父」より、とぼう岩付近である。
そこには開通したばかりの現道(「日原隧道」の表記アリ)が描かれているが、同時に旧道もまだ描かれている。
そして旧道とその前後の道を追っていくと、3本の橋が描かれている。
西にある登竜橋は、今では橋台しか残っていない。
一方で東の倉沢橋は、昭和34年に建設された全長58m、高さ61mのワーレントラス橋で、現地にある案内板によると東京都が管理する都道橋のなかでは最も高いという。これは今も現役だ。
そして旧道の中間付近にも橋がある。
それはちょうど現在地点のすぐ東側で、まさに道が消失している領域内である。
重要なのはここからだ。
はい、現地の景色に戻ってきました。
前回も眺めた末端です。
矢印の所に、何か見えませんか?
赤茶けた鉄骨の塊のような物が。
相当に大きな。
平成19年の探索でトリ氏が撮影した写真
覚えてる方もいるかと思いますが、以前の探索でこの斜面を下り対岸の旧々道へアプローチしたことがあり、当然気付いておりました。
この物体の存在には。
そしてレポートにも、次のようにはっきり登場しています。
「日原第三次探索」レポートより
もしやあれって…
平成19年の探索で撮影した写真
鉄塔なんかじゃなかったんじゃ…。
というか、そのものずばり「鉄塔じゃないヨ」というありがたいタレコミも、最近頂いちゃったりしまして…。
今度はちゃんと近付いて、この目で確かめなければ!