現在、国道13号線横手以南、湯沢、雄勝を経て、山形県に入り、金山、新庄、さらに南下し山形市に至るまでの部分を、一本の高速道路で結ぼうという工事が徐々に進んでいる。
最終的には、「東北中央自動車道」という名で呼ばれることになる様だが、今はまだ開通した部分部分で、それぞれの呼び方をされているようだ。
ちなみに秋田県内、横手から既に開通している湯沢までと、延伸工事が進む雄勝まではまとめて、「湯沢横手道路」という名である。
さて、このように国の重要な路線であるこの区間で最大の難所であったのが、言うまでもなく、県境の山越えである。
秋田県と山形県を隔てる、鳥海山、丁山地、そして栗駒山地へと至る一連の山脈の中央部付近、最も高度が低い鞍部を雄勝峠が貫くが、この峠が近世に開削されていらい、近くの他の峠は廃れ、今日に至るまで、秋田山形間の最大の通行量を誇る峠となる。
この峠は、モータリゼーション以来、時代の要求に応じて新道を拓いてきたが、現在の国道13号線が通う雄勝トンネルの一代前の道は、いまだに原形をとどめる。
その姿を、わが目に納めんと計画したが、残念ながら、事前の情報として、この旧国道13号線旧雄勝トンネル(以下「旧雄勝トンネル」)は、既にある会社の倉庫として利用されており、通り抜けは不可能であるということを知った。
それで、通り抜けは適わないとしても、南北両方からトンネルまでのアプローチを試みることとした。
以下はそのときのレポートである。
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国道13号を北上すると山形県内最後の集落となるのが、この及位である。 この集落から県境のトンネルまでは、現道の13号線で4kmほどと、結構すぐである。 まずは南側からの攻略の始まりである。 |
道は緩やかに登る。 旧道との分岐点に至る直前に、この及位隧道がある。 5年位前にはじめて来たときは、酷くくたびれた隧道であったが、拡張工事を受けた直後のようで、たいそう近代的に変貌していた。 それでも「隧道」と名乗っているのは、いいことだと思う。 さて、この隧道を迂回する旧道が存在する。 もともと100m程度の短い隧道であり、旧道区間も非常に短い。 しかし、敢えてそっちを通ることにした。 この旧道は、隧道入り口で別れ、沢沿いをたどる道である。 |
隧道を迂回する旧道は、意外な様相を呈していた。 どうやら、隧道の改良工事中、国道の迂回路として活用していたらしく、古さはほとんど感じなかったし、道幅も十分であった。 ただ、工事が終わった今、車止めで封鎖され、工事で出た残土がおびただしく捨てられており、通行に困難が生じた。 しかし、ここでアクシデントが発生した。 まもなく旧道が現道と合流したのだが、この合流点で道をふさいでいたガードレールを跨ぐことになった。 その際、ガードレールに接触し、チェーンを破損してしまったのだ。 この破損はチェーンカッターとアンプルピン(チェーンを繋ぐ替えのピン)さえあれば簡単に解決できるものであったが…、持ち歩いていなかった。 その結果、この後の道のりでは、頻繁にチェーンはずれが発生し、走っている時間よりも止まって治している時間のほうが長いという有様になってしまった。 当レポートは、旧道の状態をレポートすることが主目的のため、敢えてこれ以降、この故障の話題は省くが、実際はまともな状態で走れていなかったことをご理解ください。 …不運だよ。 |
信号も標識もないので、見過ごしてしまいやすい分岐点だ。 このあたりは、ちょうどJR及位駅の近くである。 早速ここを右折、いよいよ旧雄勝トンネルへの道のりが始まる。 | |
分岐してまもなく、この橋を渡る。 及位橋だ。 さすが旧道だけあって、古びてはいるが、まだまだ現役で通用している。 |
ご覧の通りの、立派な道である。 センターラインもうっすらと残っているところもあるが、既に集落道と化している。 道は、数軒の民家の脇を、直線的に、登ってゆく。 それほど急な勾配ではないが、それでも左に見える現道との高度差は徐々に広がってゆく。 | |
写真は、旧道から現道を見下ろしたもの。 |
民家も途絶え、ついに本格的なのぼりの到来と思われるヘアピンコーナーが現れたと同時に、進入禁止の標識と、簡単なロープゲートが通せんぼ。 実は、この直前に道を下ってくるトラック一台とすれ違ったのだが、どうやらそのトラックこそが、隧道を占拠している(←これは誤り)会社のものであったようだ。 すなわちここから先は、私有地。 苦手な領域である…。 そもそも、公道であれば、道路交通法により禁止されている道以外は(たとえば高速道路)どこを走っても自由だし、それが旧道や廃道と化したとしても、もちろん通行を禁止されるいわれはない。 得てして、危険であるとの配慮(後はゴミの不法投棄や山火事の防止か)から通行止めとなっているところは多いが、ただ入っただけで罰せられる恐れはない。 これが林道となると、公道とは違い「林業優先道路」であるから、少し立場は弱くなるが、やはり、林業活動の妨げにならない範囲であれば、たとえば、走るだけなら問題はない。との認識だ。 しかし、私道となると、もはやここは、私のルールの外である。 他人の敷地に入るも同然であるから、無断では当然不愉快な思いもされるであろうし、「迷惑だ、補償しろ」と言われない保証もない。 はっきりいって、怖い。 これまでも幾多の私道をこっそりと走ってきた身だが、いつも嫌な気分になる。 私は、絶対に不法な目的で侵入するのではないと言う信念のもとに、訪問者としての立場で、無許可であるからやはり褒められたものではないが、このゲートを越えることにした。 これは完全に自己責任であり、絶対に推奨しないし、この進入が不愉快であると言う正当な理由をもつ申し出があれば、謝罪も致します。 |
ゲートの先は、やはり通行量が少ない様で、また下草も刈られておらず、道幅が狭く感じられる。 センターラインも、掠れてはいるが十分に残っている。 勾配もきつくなり、いよいよ、峠に向けての山登りであると言う実感が湧いてきた。 |
現道の走る朴木沢の右岸に取り付いた旧道は、この地点まで2度ヘアピンコーナーを越えている。 全体で見れば、大きな九十九折の形状になっているわけだ。 この九十九、1セットの規模は、かの仙岩旧道とも張り合えるものだが、こちらはこの1セットで終了である。 しかし、さすが元々は国道13号線なだけあって、精一杯の緩やか勾配とカーブを指向していたことがうかがえる線形ではある。 時代の趨勢は幹線国道として、九十九折などもってのほかだったようだが。 これが幹線国道でなければ、十分現役で通用していたであろう。 |
亀裂の入ったコンクリートの法面から流れ出した地下水が、道路上を流れていた。 道に沿って、細い電柱が立っているが、これは多分、近年に設置されたものだと思う。 倉庫用だろうか? このあたりを走っているとき、かすかに現道を通る車の音が聞こえるたびに、自分が私有地を走っている緊張感から、気が気でなかった。 さっき、ゲート直前でトラックが降りてきたのだから、まだ上では作業しているかもしれない。 何とか事情を説明して、隧道までは行かせてもらわねば…。 |
いそいそと走ること数分、思っていたよりも早く、峠の隧道「雄勝トンネル」に到達してしまった。 この峠、現道のトンネルとの高度差は60mもないだろう。 距離は、九十九折もあったので、現道のほうが結構短縮できているだろうが。 かつて、この隧道ができる以前の道が、多分それは車の通れる道ではなかっただろうが、正面の尾根を九十九折で越えているらしい。 冬季にしかその痕跡を確かめることは困難だというが。 その道は、このあたりから分かれていると、何かで読んだような気がする。 |
近づいてみると、やはり、隧道は閉鎖されているのが分かった。 また、写真の右にも写る、荷物積み下ろし用の土台が、現在この隧道が倉庫として利用されていることを、十分に理解させてくれた。 本来、私有地であり、長い無用だが、やはりここまで来たので、少し探索した。 | |
くたびれた青看が、今は倉庫なれども、かつてはここが旧道であったことを、主張していた。 この隧道について、現役当時の資料からいくつかの数字を拾ってみた。 雄勝隧道雪崩覆い(普通「スノーシェード」)が長いですが、こちら側は数mしかないので、反対側が楽しみ。 | |
これが、隧道入り口に最接近した図です。 左の写真のように、倉庫入り口の扉を埋め込んだ形で、封鎖されてしまっています。 鍵も掛かってましたし(←たしかめんな!)、さすがに、お手上げでした。 | |
ここをあとにする前に、最後に隧道の脇に回りこんでみると、ご覧の『殉職之碑』を発見。 詳しくは読まなかったので、どのような殉職が過去にあったのか不明ですが、因縁のある地のようです。 この石碑も味わいありますが、正面からはスノーシェードで見ることができない坑門の一部を見ることができました。 この坑門の石組みの造形も、現代では考えられない、なかなかに見事なものです。 昭和30年竣工と、比較的に廃隧道としては新めの物件ですが、どうしてどうして、貫禄を感じさせてくれました。 さ、急ぎ引き返すことにします。 このまま誰にも会わずに下りられるといいのですが…。 |
旧雄勝トンネルからの下り道。 幸い、この道の主と出会うこともなく、無事に現道まで降りた。 さて次は、秋田県側の旧道を探索せねば、と、現道の雄勝峠の道を登る。 峠と言っても、現道はさしたるのぼりもなく、そのまま長いトンネルに入る。 延長1375mの雄勝トンネルは、昭和52年に国道46号線の仙岩トンネルが供用開始するまでのしばらく、県内最長かつ、唯一の1km以上の長さを誇るトンネルでった。 長さの割には、自己主張の少ないシンプルな坑門の景色。 さっさと突破しよう。 |
1kmを越えるトンネルへの久々の突入で、全身に緊張が走る。 自転車での走行で、もっとも自動車がうざく感じるのが、この様なトンネルの中だ。 特に、大型車は、嫌だ。 頼むから、自転車が狭い歩道を走っているのを見たら、少し減速してくれ。 少しは、歩道から遠いところを通ってくれ! トンネル内部の歩道には、酷く土埃が堆積しており、ただですら狭い歩道なのに、余計に狭く感じる。 大きく左に蛇行するトンネルで、なかなか出口は見えてこない。 後ろから、前から徐々に迫りくる、飛行機のような自動車の吐き出す轟音に急かされるように、可能な限りスピードを出してゆく…。 この行為が、この日の、私の旅を、ここで終了させる原因になってしまった。 | |
突如、勢いよく漕ぐ足から、負荷が消えた。 瞬間にして、何が起きたのかは、分かった。 ここにきて、ついに、で抱えた爆弾が、爆発してしまったのだ。 チェーンの断裂であった。 自走不能に陥り、その場に停止するや否や、すぐさま、チェーンの接合を試みたが、あまりにも条件が悪すぎた。 暗く、作業スペースは狭く、そのうえ、次々と地下鉄のような巨大な鉄の塊が、1mも離れていない脇をすっ飛んでいく。 辛すぎる! ペンチ一本では、この断裂を応急処置することも適わず、まして、徒歩でここを超えたとしても、この先の旧道探険は、絶望的と判断。 ここに、まことに悲しいかな、隧道内で計画断念と言う、前代未聞の事態と相成ったのであった。 この日はこのまま、チャリを押しながら、最寄のJR及位駅から、輪行にて帰還した。 秋田県側の旧道の探索は、次の機会となった。 |
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