11:15
「解き放たれた」 という感じである。
焼津の町から少し離れて小さなトンネルを一つくぐったら、解き放たれたのだ。
大海原と山嶺との一大合戦場に。
そして、陸にしか生きられない我々人間は海に落ちまいと、崖にへばり付く道を必死に作ったのだ。
それが、この大崩海岸の景観であり、道である。
緊張感と開放感がブレンドされた、往く者の心を昂揚させる景色。
上等なドライブウェイとしての条件を十分に兼ね備えた……元国道である。
国道という大役から解放されてまだ日の浅いこの道だが、いまも人々に愛されているのだと感じられた。
なぜならば、意外なほど通行者が多い。
今日は平日だが、自転車で颯爽と通り過ぎる若人もいれば、明らかに事業用車で営業中っぽい車も少なくない。
無料で通れる長大トンネルという現道がある今、敢えてこの道を通る時間効率的な意義はゼロかマイナスの筈だが、今日のように天気の良い日には敢えてこの旧道をチョイスする人が少なくないのだろう。
確かに、気分転換のドライブコースとしては最高で、県都である静岡とお隣焼津市の間の僅か数キロの隔たりにこれだけの美景があるというのは、平坦な関東平野に住む人間にとっては羨ましいところだ。
そして、これはこの道にとって、非常に幸せな余生だと思う。
何を言いたいかといえば…
この道は、余暇に気ままなドライブを楽しむ観光道路向きだということだ。
昭和53年までは国道1号と並ぶ東西交通の要として、大型トラックも平気で通行していた事実があるが、それは驚くべき事だ。
nagajis氏のよく使う言葉『ギコギコ』という表現が相応しいかと思う。
この道は、産業国道としては些か無理な道路条件だったにもかかわらず、それでもギコギコ軋みの音をたてながら、なんとか動いていたのだと感じる。
しかし結局は、罪のない通行人に死者を出したことで、バイパスの計画が加速した。
写真の赤錆びた架設なのかそうでないのかよく分からないようなロックシェッドも、ギコギコ言いそうだし、連続雨量100mm程度で通行止めになるというのもまさにギコギコ…
この路肩の欄干など、ギコギギギギの最たるものである。
百パーセント致命的な事故となる海への転落を防止するための、この道路にあるただ一つの安全対策は、写真の欄干である。
昭和40年代後半にガードレールが普及する以前は木やコンクリートの欄干が代わりに用いられていたが、海岸沿いのような立地では中の鉄筋が腐ってしまい、大した耐衝撃性は期待できない。
そもそも、昔の道はみんなそうだが…欄干が驚くほどに低い。
現在の道路構造に関する基準では車道に対して最低60cmの欄干が必要とされているが、元々足りなかった分を補うため無理矢理コンクリートを上に追加した跡がある。古い部分の欄干は所々欠けているが、お構いなしである。
いったい、このギコギコいいそうな欄干に、どの程度の耐衝撃性があるのか。
ハンドルミスに対する保険は常にゼロ…… そんな道である。 (これで燃えてくる人もいるだろうが…笑)
このように、軋みながらも現役を堅持する大崩海岸の道だが、4.5kmの区間内に2箇所だけ旧道が存在する。
現在の国道から見れば旧旧道ということになるだろうか。
そのうちの一つは、オブローダーの世界では全国レベルのメジャー物件と思われる「石部海上橋の旧道」であるが、もう一つ、小規模だが印象深い旧道区間を “発見” した。
当目隧道から900mの地点に、二本目の隧道が現れる。
ここに、隧道一本分の旧道がある。
ご覧のとおりである。
ここに旧道があるだろう事は、歴代の地形図を見比べる事前調査の時点で予感していた。
大崩海岸には昭和18年の開通以来3本の隧道があったようだが、近年の図から一本増えていた。
それが、この場所だったからだ。
見たところ、今も電線の通り道として役割を持っているようだ。
別に何も無さそうだが、せっかくだから、オレはこの廃道を選ぶぜ!
このトンネルの名前は「たけのこ岩トンネル」。
銘板によれば、全長105m。竣工年は1991年(平成3年)とある。
バイパスが出来てからも、旧道(まだ国道ではあったが)は改良を受けていたようだ。
11:20
それでは早速、たけのこ岩トンネルの旧道へ。
だが、逸る気持ちと裏腹に、意外に容易ではない。
もう二度と旧道を道として使う予定はないらしく、トンネルに繋がるロックシェッドで旧道の幅の大半を閉ざされたあげくに、残りも高いフェンスに塞がれている。
身軽な単身ならばどうと言うこともないが、チャリを持ち込もうとすると人目に付きやすいだけに結構緊張した。
チャリを小脇に抱え、柵から中空に半身を乗り出して突破している最中、ふと真下の海面に目がいった。
するとそこには……。
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あはっ。
確かに “たけのこ” がある。
なんだか、妙に和んでしまった。
だって、海面からニョッキリと、たけのこ型の岩が…。
…大概、岩の名前なんていうのはこじつけに近いようなものが多くて、素人がパッと見ても「なんのこっちゃ」は珍しくない。
世に言う亀岩だとかゴジラ岩だとか、その類のものはすこぶる多かりけり。
しかし、こいつは明瞭な… …たけのこだねぇ。
たけのこを跨いで、いざ旧道敷きへ。
第一印象は、「これまでの道とさほど変わらないな」というものだった。
路幅もアスファルトの色つやも、オレンジのかすれたセンターラインも、法面や路肩の様子も、ほとんどここまでの現道と変わらない。
ただ、土もない過酷な環境でよくぞ藪が育ちつつあるなという、そんな感じだ。
再びチャリに跨って、確かなアスファルトの感触の残る緑の上を走り出した。
急速に心が満たされてくる。
もう、この区間は一人占めである。
キザかも知れないが、これでようやく“この道”と“二人きりで”“会話”出来るのである。
…うっとり。
が、タイヤの下に過ぎていく緑の姿を見てハッとした。
それは、全部地を這うようにツタを延ばした野バラだったのだ。
やってしまった… これはもう酷いパンクを覚悟した。
私のすり減った両輪は、意外にも強靱だった。
パンクを免れた私の目に次に留まったのは、路肩の欄干が途絶えて変わりにガードレールに変わった姿だった。
そして、ガードレールの下には、橋の銘板らしきものが取り付けられているではないか。
これは思わぬ廃橋の出現だ!
うふふふ うふ。
たけのこさん どう きょう
田
竹
竹野
竹の子
竹の濃さ
竹の子3
タケノコサンド
たけのこサン どう?
たけのこサン 動悸。
たけのこサン 同居。
竹の子桟道橋。
…す、 すげーコンボだ…。
この道を造った人も、「たけのこ岩」の命名の妙には唸ったのだろう。
旧道の橋から現道のトンネルへとしっかり受け継がれたその名に、海上に生えるたけのこのユーモラスな姿が重なり合う。
おそらく、もう数十年もすれば岩はポッキリいってしまいそうだが、その時まで、現道でさえ無事に存続しているかどうか。
県道に降格した今となっては、再び海上橋を要するような大崩壊が起きれば、その処遇がどうなるかは分からない。
そう言えば。
この橋はもの凄い短命だったことが分かる。
1986年(昭和61年)竣工というのだから、廃止まで僅か5年しかない。
異常な短命の原因はなんだ?
一体、この旧道に何があったのだ?!
その謎の答えは、私が敢えて求めるまでもなく、すぐに示されることとなった。
長さ10mも無い短い桟道橋(銘板が無ければ橋だと気付かなかったに違いない)を過ぎると、道は小さな岬に達し方向を変える。
そして、フェンスが再び行く手を遮った。
フェンスの向こう側には、道の中央に堂々と立つ電柱と、路肩でススキに埋もれかけた「落石注意」の標識が見える。
今度ばかりはなにか予感めいたものがあって、チャリは置いて単身で柵を乗り越えた。
すると… み…
道が…。
ないうー。
どうやら、元々ここにも桟道が架かっていたようだ。
道が途絶える直前に、ご覧のような段差がある。
桟道の橋台だったのだろう。
もしかしたら、この橋も竹の子桟道橋と同じ時期に作られたものかも知れない。
さほど古いものには見えない。
あわわわわ…
どうやら、対岸の橋台を含め、道と橋はごっそりと海の藻屑に消えてしまったらしい。
しかも、廃止後に破壊されたのでも無さそうだ。
もし5年後にトンネルを掘る予定があるのなら、わざわざ新しい桟道橋など架けないだろう。
おそらくは、ある日突然道がごっそり海に持って行かれたので、復旧は諦めて新トンネルを掘ることにしたのだろう。
こりゃ、確かに酷い浸食ぶりだ。
明治15年から3年もかけて開通した海岸線の静浜街道(大部分は砂浜を歩く道だったようだが)が、数年間しかまともに利用できなかったというのも、波が大崩海岸を激しく浸食したせいだという。
そして、いまも侵攻は止んでなどいないのだ。
陸と海の合戦場に、終戦はない。
思わぬ惨状を目の当たりにして、私はチャリと共にスゴスゴと退散した。
あれは、もうどうにもならない。
で、面白くもないたけのこ岩トンネルをサクッと抜けて反対側。
先が見えているだけにちょっとお寒いが、一応残りの旧道部分を確かめておこう。
この辺が、廃道だけで私が見せる完璧主義である。
普段はちゃらんぽらんなのにねー。
ガードレールで現道から隔離された向こうに、旧道の入口はあった。
この奥にある旧道などたかが30mほどだというのに、妙に立派な、しかも開閉できるゲートが作られている。
徒歩で侵入。
ゲートがあるというのに、誰かが段ボール詰めの家庭ゴミをごっそりと捨てていた。
ゲートから20mほどで、私にとっては全く見慣れない「藤枝土木事務所」のシールが貼られた木造バリケードが現れた。
そして、その先では道が落ちている。
先ほどの崩壊地点の反対側まで来ているようだ。
念には念を入れて、端までいってみる。
はい、オワリ。
11:53 《現在地》
たけのこ岩トンネルの静岡側は、封鎖された旧道だけでなく、海岸線に下っていく別の道も分かれる。
写真に写るのがその分岐で、右の1車線の道は大崩海岸で唯一人が住んでいる小浜(おばま)へ行く。
絶壁に囲まれた小さな浜の村を見たい気はしたが、たけのこ岩の旧道で少し時間を食っていたので、やめた。
道草ばかりしていては、この先のメーンディッシュが腹に入らなくなる。
ということで、素直に左の国道を選んだ。
この辺りからは海岸線を少しだけ離れ、静岡市との境を成す峠を目指し山腹を登っていく。
最高所は海抜90mほどの所にあり、さしたるものではない。
そして、その途中に開通当初からの隧道の一つ、小浜隧道はある。
見えてきた小浜隧道。
やはり、旧道のようなものはなかったようだ。
山腹にそれらしい物は見えない。
隧道付近からは、小浜の村落が一望できる。
海と山に囲まれた村は、この東海道筋にあってはおそらく珍しい風景だ。
パッと地図を見た限りでは、伊豆半島を除く東京〜名古屋の海岸線に、他にこんな光景がありそうな所はない。
不思議に思うのは、古い地形図だとこの集落の名前は小浜といわず、平と書かれていることだ。
そして、これは今もそうなのだが、小浜の地名(字)はこの一塊の村だけでなく、国道が張り付く山並みの裏側、ちょうど前回紹介した日本坂トンネル付近にある小集落にも掛かっている。
両者を直接結びつける山越えの車道もなく、内陸と海沿いの二つの村は全く別物に見えるのだが、字は同じ…。
素人考えだが、もとは内陸側が本村で、その漁港として山の裏の海岸沿いにもう一つの小浜集落が出来たのかと、そう想像するものである。
昭和9年竣工、全長34m、幅5.5m、高さ4.6m。
それが、この小浜隧道の諸元だ。
現在ならば切り通しで足りてしまうだろうごく短い隧道だが、当目隧道と同様の重厚な意匠の名残がある。
名残りだけね…。
悲しいかな、坑門は無粋なコンクリートの吹きつけにより、本来の表面の意匠を完全に失っている。
おそらく当目隧道と同じ凝ったデザインがあったのだろうが、今は天ぷらになったシソのようだ。
内部は普通のコンクリート巻立てで、特徴と言えるようなものは見あたらない。
また、静岡側の坑門もコンクリートの吹きつけで意匠が損なわれていた。
銘板は妙に金光りしていたのだが、これでは興醒めと言うより無い。
もっとも、ここは廃道じゃないのだから、意匠がどうだという以前に安全第一なのであろうが。
ともかく、ここには旧道もなく、すぐに意識の後に消えていった。
隧道で峠なのかと思ったが、そうではなくさらに登りが続いた。
写真の場所では、正面の切り通しに対し右に分かれていく砂利道が見えたので色めきだったが、旧道とは無関係だった。
くたびれた舗装に描かれたスリップ防止(&ローリング防止か?)のパターンが、良い味を出している。
年季というヤツだ。
私も、カーブの度に新しい海が視界に広がるという贅沢を満喫。
汗を掻く間もなく、峠は間近。
で、でた───!
今までも、海の上を渡る橋は何度か経験しているが、こんなあからさまに陸からはみ出したような海上橋を見るのは初めてだった。
すげーなー かっけーなー。
……。
でも…、ちょっとイメージとは違うぞ。
もう少し、海原を優雅にカーブして渡っていく姿をイメージしていたが…
妙にカクカクしているというか… 明らかに直線の桁を繋いだような多角形のカーブである。
それに…、遠くに見える実物は意外に小さくて… チャチいと言えば言い過ぎだけど……
なんつーか、“小手先臭い”というか…。
まあなんだ。
ギコギコ って感じがするのである。
この橋だけが近代バリバリの道路と言うわけでは決して無くて、やっぱり私が生まれる以前からあっただけあって…それなりにローテクな、必死さの伝わってくるような姿。
それが、 “オブローダーの聖地”(?) 石部海上橋の第一印象だった。
12:04
間もなく峠となって、「静岡市」の案内看板が掲げられていた。
当目隧道から約2km、海抜90mの地点である。
ここからは、もう一方的に下るのみ。
意外に呆気なく、道程の半分を終えたことになる。
だが、まだまだ核心部には少しも触れていない。
全ては、これからだと思う。
特に気を引き締めてかからねば、新たな成果はおぼつかない。
どうしても、遠征でメジャーな場所に繰り出すと、嫌なプレッシャーを感じてしまう。
時速30kmの下り坂だが、チャリでもそれ以上の速度は余裕で出てしまう。
下り坂が、緩急断続しながら長く続く。
見通しの悪いカーブも一つや二つではないし、通行量も少なくないので注意を要する。
あれ? ここか? ここかな?
そんなことを考えながらも決め手を欠いて、下ることに任せていると、あっという間に最後の隧道である石部隧道に繋がるロックシェッドの入口まで来てしまった。
チャリを急停止させて地図を見る。
これを潜ってしまえば、そこはもう最終ターゲットである石部海上橋(と旧道)になる。
あの、「有名な廃線跡」は、どこにあるのじゃ?
車の来ないのを見計らって反対車線に移り、路肩から身を乗り出して海岸線を確かめる。
ほとんど垂直に固められた法面が、狭い海岸線に直接落ち込んでいた。
“それ”らしいモノは特に…
あ。
あった 。
巨大なバームクーヘンのような…赤い煉瓦の巨塊が、ほぼ真下の海岸線に二つ、ゴロリと転がっているではないか。
今まで、『鉄道廃線跡を歩く[』の誌面で何度も見た忘れがたき光景が、眼下の“2ピース”から脳内再構成されていく。
こうやって実際に見てみると、海岸に煉瓦の塊が転がっている時点でかなり異様な光景。
近づいてしまえば、心のバランスさえ揺るがすほどの凄まじい「鉄道廃景」が待つらしい。
はじまる これから。
※次回は、廃線レポート
『東海道本線旧線(大崩海岸) 前編』 となります。
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