6:14 《現在地》
宮下踏切を渡って道なりに坂道を上ると、短い橋の先で飯田線のトンネルの坑門の上を越えていく。
この地点から道は早速にして未舗装の砂利道となるようだが、それだけではなく、今回の探索にとって非常に重要な内容を含む看板がここに設置されていた。
これにはかなり、「グッ」と来た。
オブローダーとして、この道に目を付けたことが誤りでなかったと確信した瞬間であった!
見よ!この愛すべき看板たちを!→→
2枚の看板は同時に設置されたのではない気がする。
より汚れていて古ぼけて見える看板には、
「この道は 行き止り 佐久間町」
と、突っぱねるように、“嘘”が書かれてあった。
「行き止り」ではあり得ないはずだ。歴史的に考えても、過去には確実に通じていたはず。単純な「行き止り」で利用者の興味を欺こうとするのは、道路管理者の方便だ。
その一方で、幾らか綺麗に見える看板には、
「町道 半場神妻線、この先 一.三〇〇m地点 大月トンネルは
全面通行止 (通り抜けできません) 佐久間町」
という風に、だいぶ利用者に寄り添う形で、親切な案内をしている。
こちらは同じ佐久間町の設置でありながら、非常に優秀だ。なにせ、ここに来るまで全く素性が分からなかった“探索対象の道”が、町道半場神妻線という名前であることも、隧道の名前が大月トンネルということも、全てこの1枚の看板が教えてくれたことなのだ。 とても優秀。 そして、ありがたい!
佐久間町の親切に敬意を表し、この道が「行き止り」でないことをちゃんと証明したいと思う。
スタートは、通行量がいかにも少なさそうな砂利の浮いた道であったが、幅は車道たるに十分で、1300m先にあることを町が自ら告白した「大月トンネル」がどんなものなのか、大いに期待が膨らむのであった。
なお、この地点から右を見ると―
―飯田線の中部天竜駅構内が一望された。
撮り鉄の皆さまならばこんな場所はとっくに既に把握していそうだが、佐久間ダム建設に伴う長大な旧線付替や、前述した工事用支線のことなど、私にとっても印象の深い駅の綺麗な姿に、胸がときめいた。
いま再び佐久間の地で廃道に挑むのだと思うと、見ず知らずの土地でやる以上に意欲が湧いてくるのを感じた。
看板の地点(≒起点)からほんの50m、最初のカーブを曲がった所で、バリケードが唐突に道を塞いでいた。
1300m先の大月トンネルが全面通行止めだとは教えられたが、早くもここで全面通行止めじゃないか?!
大月トンネルまでは問題無く進めるのかなと思っていただけに、何ヶ月…いや、もう何年も動かされてなさそうな気配を漂わせた木造バリケード群と朽ちた「通行止め」の標識に、いっそうテンションが上がった!
なお、何の疑いもなく「町道半場神妻線」の名前を採用しているが、この名前は現在は変わっているハズである。
というのも、町道の管理者である佐久間町が既に存在せず、平成17(2005)年以降は浜松市の一部になっている。
バリケードの中に浜松市と書かれたものがあるので、現在の管理者は市となり、道の名前も「市道半場神妻線」へ変わっていると思われるが、市道へ移行せずに廃止された可能性もあるので、何ともいえない。
なるほどと思った。
バリケードの直後である。
確かにこの路肩の状況では、悠長に解放したままにしておけなかったのは頷ける。
眼下に見えるのはもちろん天竜川で、きっかけは不明だが、路面から下の川縁まで地表にあった木々が全て失われるほどに崩れ落ちていた。
元々はコンクリートの擁壁が路肩にあったようだが、その一部が残骸となって部分的に残るだけで、もう一度崩れたら道幅は完全に失われてしまいそうだ。
元通りへの修理には、かなり大規模な工事が必要そうだった。
原田橋が幾ら老朽化していて不便(大型車通行止めや片側交互通行)だったからと言っても、こちらの道ほど危険ではないと(大崩落で落橋する直前まで)思われていたことだろう。
崩落地点を過ぎると、完全に集落を離れて山中の道になった。鬱蒼とした杉林が山手に広がっており、道との間には低い玉石の石垣が積まれていた。
天竜と言えば杉の特産地であるから、とにかく杉林が多い。どこの山も青々と茂っているイメージで、冬でも山の色を失わない。
バリケードをどかしてまで通る車も無いようで、路面には杉の枯れ枝が何年分か堆積していた。
此岸はこのように山中であるが、右手を見れば天竜川の向かいに地方都市的な中部の街並みが続いていた。
脊髄反射レベルで、はっ!とした。
が、直後にその黒く口を開けているものの正体が、
隣にある飯田線のトンネルだと理解されて、落ち着いた。
心臓に悪いぜ…、この道の隧道が出たかと思った…。
6:20 《現在地》
飯田線の線路はほんの一瞬だけ地上に出て、小さな渓流を橋で渡っていた。
我らが「町道」はといえば、線路の隣にやはり橋を架けて渡っていた。
それは良い。橋は簡単な作りではあるものの鉄製で、自転車で走るのによい。
だが、狭い。
これでは乗用車はむろん、軽トラだって無理だ。
「原田橋」の迂回路として、この町道を利用するのは、簡単ではないようだ。
崩落部分の路肩を補修するだけでなく、この橋を拡幅する必要がある。
見るからに、現在架かっている鉄橋と、玉石練積みの石垣が目立つ前後の道路の間には、素材にも道幅にも、大きな乖離が感じられた。
おそらく、元々は橋も小型自動車が通れる程度の幅を持っていたのだろう。
だが、それは多分木橋であったと思う。
木橋が老朽化して架け替えの必要に迫られた際、理想的にはちゃんとした車道用の永久橋に出来れば良かったのだろうが、町道という財政上の理由かは不明ながら、人道用かせいぜい2輪車が通れる程度の幅の鉄橋に掛け替えてしまった。
安易に廃道化を選択しなかったのは良かったが、結局自動車が通れない道が国道のように活躍するはずもなく、荒れてしまい…といったストーリーを想像した。
それでも今のところは廃道という感じを受けない。
元々の小型自動車道として使われていない点では確かに廃道なのだが、立地的にも林業関係者のほか、飯田線の保線関係者も通行しているのではないかと思う。
そのため路上に大きな障害物が放置されている事がなく、元々の勾配が少ない事も功を奏して、私が自転車で走るにはうってつけであった。
まさに無人の快走路を行く心持ちがして、木と岩の隙間を風きり進む、サイクリストの楽しみに酔った。
はぅっ!
あの黄色いお姿はッッッ!!!
道路標識キター!! しかも結構美品?
支柱に佐久間町の名前が書かれた「落石注意」の警戒標識が、ポツンと1本だけ立っていた。
別に道路標識は車道に限って設置される物というわけではないが、普通は歩きの山道で見る事は無い。
やはり元々車道であった証しと捉えて良いと思うが、現状では道幅が自然に変化してしまっていて、
到底車道のようには見えない所に、1本だけ目立つ色をして立っているのが、殊更に印象深かった。
これはいいものを見た。
6:32 《現在地》
道路標識に気分をさらによくして進んでいくと、再び橋が現れた。
これまた天竜川に直に注ぐ無名の小渓流を渡るものであるが、やはり鉄橋だ。
しかも前以上に狭く、自転車を押して並んで歩くのも難しいほどである(つまり乗って走ることになる)。
この谷では飯田線が地表に現れなかった。
だが、明らかに“中にあるんだろうな”と思わせる、床固め工が設けられていた。
飯田線は川の下だ。
狭いうえにシースルーの網目の踏み板が怖ろしげな、第2の橋。
しかし高さが大したことがないのと、腐っても鉄橋である。
自転車で走る分には問題は感じない。
ここも速やかにクリアして、先へ進む。
既に入口の看板のところから600mほど来ているので、問題の“大月トンネル”までは、あと半分といったところ。
6:35 《現在地》
さらに200mほど何事も無く進むと、この「町道」にはあまり似つかわしくない、巨大なコンクリートの塊が現れた。
内心その正体を確信しながらも、期待感を持って近付いていくと、案の定それは頑丈な飯田線の坑門だった。
そして地形図を見ると、ここから少しの間、町道は線路の極めて近くを並走しているようだが、 だ、 大丈夫かな?
町道を走る限りは何も後ろめたくないはずだが、線路が近いと緊張するのも、オブローダーの性だったりする。
―次回、大月トンネルに迫る!