鳥海高原の縦断する一般県道312号線を、起点である象潟町から終点の矢島町へと向けて走行する。
いくつかの温水路を渡り仁賀保町へと入ると、激しい登りが始まる。
鳥海高原の一部である仁賀保高原に登る為の登りだ。
その中腹に、桂坂集落はある。
現在の県道は快適な2車線のアルペンロードだが、旧道はそうではない。
今回はこのハードな旧道を、お伝えしよう。
洒落にならないハードな旧道を。
桂坂集落の端で、不吉な通行止めの案内があった。 しかし、見たところその先の道も舗装されており、旧道にありがちな危険防止のための通行止め処置と思われた。 特に閉鎖物も無く、道は森へと入った。 そして、高原へ向けて登りが始まった。 | |
そこにもまた通行止めの案内があった。 そして、結果的には、これが最後の警告であった。 登りは早速急勾配で、簡易なコンクリ舗装が始まった。 |
杉の森はすぐにひらけ、耕地が斜面に広がっている。 耕地は急であり、水田では無い。 牧草地なのかもしれない。 高原は雲の向こうであり、まだまだ遠いようだ。 | |
道はますます急になった。 右にはズリ石を捨てたような、或いは石垣のような人工的な土台が切り立っている。 油田が近い。 |
ここは1995年に廃止された油田である。 内川の上部に開けた小さな平坦地から谷間にかけての一帯に、いくつものラグ(自動採油井)が点在し比較的規模の大きな油田であったが、ここから見える範囲には当時の面影は無い。 小さな作業小屋と、打ち棄てられたタンクを除いては。 視界の開ける場所は多くなく、すぐに再び森の中へと道は戻った。 |
いよいよ霧が濃くなってきた。 霧雨も強くなり、急な登りながらも、立ち止まると肌寒さを覚える。 ここまでずっと、コンクリの舗装が続いてきた。 全く他者に出会うということも無く、寂しい道だ。 かつて油田が健在だったころは、このような狭くて急な道を作業車などが通ったのだろう。 ほかに通過する交通も幾分はあったろうから、待避所すらないこの山道はかなりの難所ではなかったかと思われる。 | |
道の脇に、幾つもの錆びたパイプが棄てられていた。 これも油田の遺構の一つであろう。 私は今のところ、鉱山遺構の探索には熱心ではないが、廃道や廃隧道以上に風化が早いようで、賞味期限は短そうだ。 | |
初めの頃に比べ、ずいぶんと道が狭く感じられる。 それが道路上に占める緑の割合が増えた為だと気付いたのは、帰宅後写真を整理してからであった。 それでもまだ、両側の下草は刈られており、現役の道と考えられる。 しかし、徐々に悪化してゆく道路状況が、不気味であった。 |
九十九折を交えつつの激しい登りが、集落を離れてから約2kmほど続いた。 しかし、写真の登りを最後に、一旦平地となる。 そして…。 | |
舗装は終わり、霧の中にポツンと取り残されたような孤独感を味わう。 この付近に、右側から合流する狭い砂利道があったが、それは草に侵食され廃道の様子であった。 そして、地図によれば、その道は集落の端で、二手に分かれた道の一方。“右”の道の成れの果てらしい。 この時点では、私はまだ余裕があった。 左の道を選んでよかったと安堵したし、もう、高原上に達するまで、残りは半分以下だと理解していた。 霧は濃いが、それも、楽しかった。 |
広場を過ぎると、再び急な登りが始まり、そしてコンクリの舗装が再開した。 ただ、今度は下草が刈られてなく、有効な道幅は極端に狭まった。 道路上に迫り出した雑草や木々の葉は雨に濡れ、かき分ける私の体も急速に濡れだした。 これは不愉快である。 立ち止まり、一旦は脱いでいた雨合羽を、上下とも再着装した。 これで、多少の藪漕ぎはへっちゃらである。 | |
じつは、半ば藪漕ぎとなったのぼりを漕ぎつつ、思考は別のところにあった。 相互リンク先サイトの『ORRの道路調査報告書』がこの日の朝打ち出した、大胆な戦略“調査基金”制度について、私なりにあれこれと考えていた。 普通の人なら歯を食いしばって格闘するはずの藪道すら、もう慣れっこだったといえる。 だが、その驕りが、一瞬にして、凍りついた。 なぜなら、舗装が途切れたからだ。 舗装路の藪はそう怖くない。うざいだけだ。 藪をかき分けるのは不愉快だが、足元さえしっかりしていれば、走行に支障は無いのだ。 しかし、突如として最も恐れていた事態が、発生した。 | |
私の余裕は一瞬で消え去り、青ざめた。 目の前の惨状に、目を覆った。 もう、この先は完全な廃道だった。 時期も最悪だった。 春先ならば、まだここに道の痕跡を辿ることが出来たろう。 しかし、今は6月下旬。 時、既に遅すぎたのだ。 どうしよう。 足元すら見えない叢に、チャリともども侵入し、無事に脱出できる可能性は、高くないかもしれない。 そしてこの霧である。 万が一、道を失えば、大袈裟でなく、遭難するおそれもある。 正直、ものすごく怖い。 しばし、私の足が動かなかったほど。 |
現実は残酷である。 一度廃道となったら、その先で何らかの“原因”を突破するまでは、回復する見込みというものは殆ど無い。 日影など、植物の繁茂が少ない場所に出られれば或いはとも思ったが、既に植生は高原的で両側の森は痩せており、その期待も薄い。 あとはもう、体力と気力の続く限り、己の足と手と、自転車全体で道を切り開かねばならない。 時速は1kmも出ない。 このような場所に嵌ったが最後、今日一日を棒に振るおそれすらある。 いや、先ほども述べたとおり、生還できないおそれすら…。 くもの巣や、得体の知れない虫たちとの嬉しくない遭遇の数々。 そこかしこから聞こえてくる涼しげな鳥のさえずりだけが、僅かな安らぎであった。 |
距離感は失われ、視界5m以下となった雨の叢に、僅かな植生の凹凸を頼りに、道を探した。 勾配もきつく、さすがにチャリは押して進んだ。 路面には時々砂利が見え、その度にそこが道であったことを確かめた。 視界が利かないために、余計に焦りを感じた。 これほどの悪条件であれば、もし正しい道がどこかで左右に分岐していたとしても、そこに気が付ける自信が無かった。 そのまま袋小路に彷徨い込んでしまっているのでは無いかという不安が、常に付きまとった。 まさに、生きた心地のしない苦難の道である。 | |
疲労は余り感じない。 精神的な圧迫感だけだ。 合羽のおかげで、直接水滴がが体に触れることも無かったが、湿度は100パーセントだ。 着ていても、着ていないのとなんら変わりは無かった。 もう、全身びしょ濡れである。 今は寒さを感じている余裕も無いが…。 この悲壮な表情の先に、更なる苦難が待ち受けていた。 | |
廃道化して、約500mくらいは登ってきたっぽい。 やっと目の前に期待感を持たせる空間が現れた。 当然そこに期待されるのは、路面が現れることだ。 頼む、期待通りであってくれ。 わたしは、へなりさん(失礼)じゃないのだから、もう、叢は結構だ。 |
おおっ!! どうやら、やっと少しマシになりそうだ。 たしかに、深い叢からは開放されそうだ。 あともう一歩だ。 | |
ぎゃー! 死んでる。 道が無い。 まるっきり。 抉られちゃってる。 視界不良のため、断崖の底も見えない。 進路は、 無い。 退路も、 無い。 どうする。 |
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