山形と福島の県境に、大峠あり。
おそらくは、日本で最もその名にふさわしい、“大”峠。
かの峠、かつて日本を代表する“酷”道として恐れられたが、
東北最長(注:一般道路用として)のトンネルを含む新道の竣工により、役目を終える。
かの峠、いまや日本を代表する“廃”道の一つと、なった。
今日でも、幾多の同好者がこの地を訪れ、その峠の大きさに嗚咽を漏らす。
だが、その名実共に巨大な大峠の懐、山形県置賜地方には、まだ見ぬ「大峠」が、存在するらしい。
その、もう一つの大峠と、有名な大峠とを、比較したのが次の図である。
名称 | 海抜 | 路線名 | 所在地 | 状況
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大 峠 | 1156m | 旧 国道121号線 | 山形県米沢市 〜福島県喜多方市 | 通行不能
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大 峠 | 420m | (主)米沢南陽白鷹線 | 山形県西置賜郡白鷹町 〜長井市 | 通行不能
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さあ、あなたが興味あるのは、どっち?
俺なら、もちろん「大峠」!
…って、だからどっちよ ?
で、私としては「通行不能」などと言われれば、もちろんどっちも興味津々というわけで、
去る05年9月24日とその翌日にかけ、この二つの大峠にアタックし、
結果として、一つを制覇、もう一つは、失敗した。
本稿で紹介するのは、このなかで失敗した方の大峠である。
その名も、山形県主要地方道3号(米沢南陽白鷹)線、大峠だ。
問題の通行不能区間の周辺図が右。
路線名の通り、米沢市から北上し南陽市、さらに北上して松葉沢山を大峠で越え、白鷹町に至る。
全長は約35kmで、そのうち5.2kmが通行不能区間として公式に案内されている。
こちらの「大峠」は決して高い峠ではなく、その気になれば越えられそうな気さえする。
なんと言っても、海抜1156mの日本一大きな?大峠を突破したその日のことであるから、「こんな大峠なんて、小さい小さい。」などと、鼻歌交じりで突破する予定であったのだが…。
結果は無惨な、惨敗。
もう一度右の図を見て欲しい。
実は、この不通区間には迂回路できそうな道があることが、地図上で分かっていた。
私が黄色に塗った路線がその道で、置賜東部林道である。
この迂回路は、確かに県道の迂回路として利用が可能だし、全線舗装さえされている。(この日はたまたま工事中で通行止めであったが)
しかし、そう話は簡単ではない。
そもそも、林道は大峠を通ってなどいないではない。
では、この不通区間はどこをどう通ろうとして不通のままにあるのか、それを次の図で確認していただこう。
この段階で分かったら、あなたはエスパーだが…?
さあ、あなたの予想は当たっていただろうか?
って、意地悪をして御免なさい。
分かる訳ない。私も全然予想できなかったから。
少しは置賜東部林道を使うのかと思えば、その点線区間の殆どがオリジナル。
その上、まさか県道とは思われなかった道(長井市の大石地区)も県道であり、通行不能ではない区間であることが判明。
不能区間に挟まれた、たった500mの県道…
滅茶苦茶気になる。
地図上にもおまけ程度にしか書かれていない大峠よりも、むしろ、この「隠れ県道区間」が気になるのだ。
よく見ると、付近には「小峠」などというのもあるし、なんだかんだ言って、面白そうな一角ではないか。
前置きが長くなったが、今回はこの激的にマイナーな方の「大峠」の物語。
今回は敗北した。
だが、これで終わりではない。
俺は、燃えているぞ!!
夕闇のアプローチ 2005.9.24 16:14
1−1 白鷹町 畔藤(くろふじ)
16:14
国道287号線を長井市から北上し寒河江市方面に向かうと、じきに果樹園に囲まれたバイパスになる。
すでにそこは白鷹町畔藤地区で、間もなく目指す県道の入り口が見えてくる。
信号機さえないT字路に申し訳程度の青看板。
これでも主要地方道の終点なのだが、とても米沢まで続いているようには思えない。
青看の行き先は「町内畔藤」と示されている。
(なお、この写真のみ、翌25日に撮影したものである。)
右折すると、畔藤地区。
すぐにヘキサ(県道標識)が現れ、道は間違っていないことを確信する。
2車線の道は、一直線に南下していくが、その行く手には明らかに不機嫌そうな山並みが…。
すでに車内のデジタル時計は16時過ぎを示しており、日没まで1時間ほどとなった。
5kmをこえるらしい通行不能区間を探索するには、余りにも時間は少なすぎる。
どうやら、日を乗り越しての計画になりそうだった。
とりあえず、終点側の状況を確認した上で明日に繋げようと思い、さらにアクセルオン。
16:17
そして、国道から分かれ400mほどでさっそく現れた、通行止め予告。
お 知 ら せ
主要地方道米沢南陽白鷹線
この先2km幅員狭少のため
車両の通行はできません。
南陽方面へは、国道287号
を迂回してください。
ふむふむ。
ただし、まだ道は2車線で綺麗に続いているように見える。
よく分からないドライバーでも、これなら先に進んでしまうかもしれない。
道が一段狭くなるのは、さらに300mほど進んだ所にある、高橋という小さな高くない橋からだ。
銘板によれば、昭和44年の竣工。
ここから道は1車線になりつつ、この思川沿いの最奥集落である上杉沢の軒先をすり抜ける。
16:25
そして、終点から2.5km地点にて、集落が途切れる。
最後の民家のガレージを過ぎたその場所に、2度目の案内標識が立つとともに、いよいよ若葉マークドライバーに躊躇いを感じさせるに十分な道幅と化す。
私は、ここに車を停め、チャリを降ろし、乗り換えることにした。
折角のエスクードが泣いている?
世のエスクーダーたちが笑っている?!
まあ、そう仰らずに。
ここからは、山チャリタ〜イム!!
もう夕暮れだけど…。
お 知 ら せ
主要地方道米沢南陽白鷹線
この先 幅員狭少のため
車両の通行はできません。
南陽方面へは、国道287号
を迂回してください。
文章はさきほどと殆ど変わらない。
ただ、「この先」の次の距離は、もともと「
1km」と書かれていたのを、上から白いシートで隠した痕跡がある。
また、さらにその次の「幅員狭少のため」も何らかの文言を訂正した気配があるが、それが何なのかは分からない。
いずれにしても、この2回の予告標識は、いずれも通行不能を示している。
果たして、いかなる景色が待ち受けているというのだろうか。
1−2 山チャリにて不能区間へ
16:26
午後4時26分、山チャリ開始。
幅2mの極めて細い舗装路が、直線と曲線がすっぱり切り分けられたような、古びた線形でなお南下を続ける。
道の脇には、休耕田や畑が連なっている。
勾配は結構厳しく、さっそく汗ばんでくる。
もう集落は終わったと思ったら、しばらく先にぽつんと一軒家が見えてきた。
さらに勾配が厳しくなると、周辺の田畑も草むらの羅列に替わり、舗装路にさえ草が浮き始めている。
前方をぐるりと取り囲む木々のスカイラインは重苦しく、近づけば近づくほどに、なかなか老獪で複雑な地形を予感させる。
曇天で色のない夕暮れに虫の声一つ無く、あたりの寂しさは相当のものがある。
やっと辿り着いたる民家は、すでに廃屋となり果て時を経ていた。
道から一礼をして、さらに先へと進む。
何が県道なのか全然分からない道は、さらに勾配を強める。
しかし、相変わらず視界は開け、かつては人の興した土地だったことを匂わせる。
最も軽いギアに入れてやっと上れる急坂の途中、路傍の草むらに一つの石柱を見つけた。
「旧老累●」と記されていた。
何の気なしに見たので、草むらの中の最後の一字を敢えて掘り起こそうとも思わなかった。
しかし、今になってみると何の石碑なのか気になってしまう。
小さな文字で左の方には、「昭和五拾壱年八月」と刻まれており、そう古いものではないことから、移転記念碑(廃村記念碑)か何かのたぐいでは無かろうかと類推するものである。
この碑を過ぎると、左手に狭い資材置き場か土砂捨て場のような場所が現れ、一瞬県道工事中なのかと期待させた。
急坂が止み、平坦となる。
と、いままで付かず離れずにあった森が、行く手に現れた。
この先は、さらに道が狭そうな予感がする。
一応舗装されているようなのだが…。
なお、車を転回することが出来るのは、ここが最後だ。
1−3 一応供用中
16:36
森に入ろうとすると、なんだか強烈な悪寒が。
当たり前だ。
こんな今にも雨の落ちてきそうな空の下、しかも既に夕暮れ時。
あからさまに怪しすぎる道に入るなど、正気ではない。
引き返して、明日また出直すことを考えたのだが、
とりあえず、もうちょっとだけ先を見て引き返すことに…。
このあきらめの悪い性格が、往々にして深みにはまる原因になるのわけだが。
今回、そのことは少し予感できていた。
が、入っちゃった!
た し か に
狭い!
地図上では、一応実線で描かれている。
案内標識にも、未開通とは書かれておらず、「単に道幅が狭いから車は通れない」としか書いていなかった。
つまり、この県道は一応これでも、
供用中。
凄い!
現役でありながら、ここまで狭い怪しげな県道は、ちょっと他に見たことがない。
… しかし、
通り抜けできるのか…、これ。
以下、次回。