主要地方道 米沢南陽白鷹線  大峠  其の2 
公開日 2005.9.27

 
 はるばる山形県置賜地方にまで遠征しての不通県道探索は、今回からいよいよ本番。

 舞台は山形の栄えある背番号3番。
その終点から僅か3kmほどの地点から延々と5kmに亘って、通行不能という扱いになっている。
途中には、大峠などという大層な名の峠が控えているが、地図中ではどう見ても、低山。
せいぜい海抜は400m程度である。

 私は、この区間の実態を解明するべく、愛車に愛車を積んで出かけた。
しかし、時は既に夕暮れ、日を改めて再び探索という公算が高い中、とりあえず行けるところまではと、チャリをこぎ出しては見たものの…。

 思いがけず、凄いことになってきたぞ?!




 最“狭”県道
 2005.9.24 16:36

2−1 あっついでー!

16:36

 白鷹町側の最奥集落から1kmほど極細の舗装路を上っていくと、何の案内もなく突然、道は未舗装になった。
と同時に、あたりは薄暗い杉の林に変わり、行く手にはちょっと信じられないような上り坂が。

 この先、地図上では一応県道はあることになっており、まず1kmほどで広域林道にぶつかる筈だ。
時間的にも、今日の探索はそこまで行ければ御の字である。
いざ、参ろう!


 山林内はかなり薄暗く、フラッシュをたかないで撮影すると左のように手ぶれが激しい。
しかし、フラッシュを使うと何とも味気ない写真になってしまうので、多少手ぶれしても、出来るだけ自然の光で撮影している。
欲を言えば三脚を使用したいが、実際問題として、私のあわただしい山チャリスタイルに三脚は似つかわしくない。
そもそも、藪の中いちいち三脚を立てて撮影するなんて、常軌を逸している。
 だが、それでもこのカメラはかなり優等生だ。
いや、何があってもへこたれない野生児だ。
様々なデジカメを壊してきた私が辿り着いたのは、その名も「現場監督」という名のカメラだった。
 こいつは、JIS7等級の防水加工に加え、防塵、耐衝撃性も高く、まさに工事現場でのハードな撮影(親方!カメラ投げてけれっす! おう、ほらよ!! ボジャン! あっ、ドブに落っことしちまったでー!)を想定している。
この日のように、雨が混じる藪の中での撮影など、従来のカメラでは瞬く間に浸水し、下手をすれば故障という流れだったが、この野郎は全然へこたれない。
この日一日で、もうなんどずぶ濡れになったか分からないが、全く問題がない。
 

 さて、今度はフラッシュをたいて撮影してみた。
未舗装となった道は、おおよそ20%程度の猛烈な急勾配を交えつつ、一気に杉林の頂点を目指す。
下手なつづら折りなどは無く、ほぼ直線的な道だ。
ここを、チャリに跨いで登って行ければ良いのだが、さすがに濡れた泥の路面は車輪を空転させ、いい加減進めない。
自身の発する汗と、かき回された泥と草の混じり合った怪しい匂いが、廃道での戦闘を物語る。
ここしばらく、こんな気持ちになったことはなかった。
 漕ぐ足に力が欲しい!
意地になって、滅茶苦茶漕いでみる。
ガリガリと路面の泥を削りながら、ブリンブリン左右に後輪を滑らせつつ、なんとか、喘ぎ喘ぎ登る。

 なにやってんだか…。



 この「なにやってんだか…」と、自分をちょっと客観的に見るさめた視点が、山チャリスト(こんな言葉も久々に使った)であると思う。

「こんな馬鹿げたこと、自分しかしないだろうな〜」なんていう、あまり根拠もないような優越感に浸りながら、なお自身を痛めつける。
完全にマゾヒズムの境地なのかと思いきや、いやはや自虐的な気持ちもあるわけで、ではサディズムなのだろうかと、
ともかく、全くチャリである意味がないような上り坂に湯気を上げる男達は皆、よく分からない心理状況になりながら、恍惚としているものだ。

 久々に、山チャリの快楽を思い出してみたりなんぞした。
俺も、歳だ。
いい加減、あんまり続けば体がパンクしそうだ。
 
16:42

 ヤバイ!

この木橋はヤバイって、

だってこの橋さ、県道調書に載っているんだよ。

事前調査中に、この区間を管轄する白鷹町のサイトも見ている。
http://www.town.shirataka.yamagata.jp/osirase/toukei/003douro/douro01.htmlには、白鷹町の道路状況が詳しく数字で説明されているわけだが、当然読者に見て欲しいのは、「主要地方道 米沢南陽白鷹線」の項だ。

ありますね、「橋梁の内訳」の中に「木橋 個数1 延長3m」と。

…、はっきり言って、現地でこの橋を見つけたときには笑った。
マジでこれが、県道の橋かよ!
しかも、これで現役!!

 

 名前は不明。
銘板なし、親柱、欄干、橋台、橋脚、何れも存在せず。
この橋の構造。
それはずばり、丸太渡し。

単純に、杉の丸太を数本並べただけ。

 この橋を目撃した段階で、先のことはさておき、早くも山形県内県道ナンバーワンを獲得することは決定的となった。
だって、あり得ないって。
この木橋、この木橋で県道、この木橋で県道でそこをチャリで通過!

 あっついでー!


2−2 テンションが上がる代わりに、日は落ちた。

16:43

 廃道に慣れてくると、先入観というのが生じて来る。
先入観と言えば聞こえが悪いが、それは、行く手の道が荒れているか荒れていないかを予想するという、もし廃道を「通過」する事に重きを置くなら、是非とも体得したい読“道”術だ。

 つまり、廃道が真に廃道であるためには、人が通らない理由が必要なわけで、その辺のことを周囲の景色や地図上でのその道の立場と言ったことから想像することが、読道術の元となるわけだ。
だが、この術に長けてくると、辛い予感だけは必ず的中するという嫌な展開となる。
ようするに、道が使われていない根拠が十分にあるならば、そこはもう、荒れ放題だろうと予想できるのだ。

 そう言う意味で、この道なんぞは最上級に荒れていても不思議はなかった。
なにせ、車は通れない。
林業用に整備されている風でもない。
無論、廃道としてファンを集めるようなスポットでもない。
となれば、踏み跡一つあるのが不思議なくらいで、今私の前にある道は、不自然に綺麗と思えるのだ。


 不思議と藪の薄い路面を観察してみると、当然のように一切の轍はない。
4輪2輪の別なくだ。
となると、踏み跡の主は人ということになるが、今年に入ってからも誰かが歩き、下草さえ刈ったのではないかと思えるのだ。

 私の知る限り、歴史の道などとして知られた道ではない。
いったい、誰がこのような「現代社会ではまるっきり無用」に思えるような小道を、歩き、整備しているのだろう。

 精神論的になるが、なんとなくまだこの道は、生々しい人の気配があった。
水木しげる先生の例を借りるまでもなく、古来から人がお化けを見るのは、こんな峠道だったのだろう。

そしていま、時は夕暮れ。
しかも、霧雨が音もなく、落ち始めていた。



16:49

 どきっとした。

心のどこかで怯えていたのか、ちょこんと佇む石仏が、なにやらそれらしく見えたのだ。


 勾配が緩み、僅かだが木々の隙間に空が見える。
尾根が小さくたわんだ場所が「峠」の語源だとする説があるが、ここはまさしくそんな場所だったろう。

そこに現れた、路傍の石。
余りにも、県道らしくない景色。



 地域によって偏りこそあるものの、日本中に見られる「庚申」の碑。

 庚申(こうしん)は、よく知られた干支の一つで、60あるうちの57番目。
元々、道教では庚申の日や年には、悪い出来事が起きやすいと考えられていた。
そして、悪霊を追い払うために、村の入り口などの道端に盛んに建立されたのが、この庚申碑である。
庚申は道教の他にも、仏教では青面金剛や帝釈天、神道では猿田彦神などが本尊とされ信仰されていたので、現在残っている庚申碑も様々なデザインのものがある。
思うに、東北地方で多く目撃されるのは、自然石に「庚申」とだけ彫られたデザインだ。




 この庚申碑は、庚申の文字の隣に「寛政十二年」と彫られている。
これは、西暦1800年ちょうど、江戸時代後期である。
ちなみに、この寛政12年は、60年に一度巡る「庚申年」である。

 この庚申碑、今までの私なら普通にスルーしていたと思われる。
だが、この峠ではちょっと、素通りできないほどの存在感だった。
別に、急に信心深くなったわけでもないのだが、見過ごすことは出来なかったのだ。

 思えば、この県道3号線が未だ車を通せず、置賜地方の都市計画からはすっかり取り残されている訳だが、その道筋は少なくとも二百余年の歴史があるわけだ。
三島三島だと騒いでも、彼とて明治の人物。
この県道は、本当に古いし。

 その、本当に古い道が…  いまなお、当時の姿のままで 現役 である。

これは、凄いことかもしれない。




 その傍ら、ここが県道であることを、おそらく明示しているだろう、標柱が。

このほかにも、「白鷹町」などと刻まれた標柱が数本、あった。
そのある物は抜けて棄てられ、ある物は文字が読めないほどに風化していた。
しかしその数の多さからも、この道がかつて往来の盛んな道だったのではないかと思わせた。
故に、今日でも昔を偲び、ここを歩く人が、最低限あるのかもしれない。

 どこか押しつけがましい観光「歴史の道」などではなく、真に地元に根ざした、そんな古道なのではないだろうか。

…この県道、アッツイだけではなく、なんか妙にしっとりする。



2−3 そして、やってもうた。

16:49

 と、こんなに満喫しては見ても、実はここは大峠じゃあない。
地図には名前のない峠だ。
まだ、悪路になってから500mも来ていないし、現れるはずの林道ともぶつかっていない。

 とりあえず、上ってきた道よりは幾分ましな道が、今度はやや緩やか気味に下っている。
下るということは、帰りは登らねばならぬ訳で、日没を迎えた段階ではこれ以上進む意味は無いはずなのだが、ついつい…。

 いってもうた。






そ し てやってもうた!

 転倒!

 転倒が起きるまでの衝撃的なVTRは、こちら!(AVI形式。予告無く削除します。ダウンロードできない場合、作者までメール下さい。個別に対応いたします。)
こんな物撮っているから転ぶんだといわれれば、仰るとおり!

だってよー、草むらん中に深い轍が、いきなり現れるんだもんよー。
しかも、午前中の「大きな大峠」で、完全にブレーキパッドが摩耗しきっていたし。
 自慢することでないだろうって?

仰るとおり…。




16:53

 出た出た!

林道らしき道が、突然開けた先に現れた。

よかった〜。
何とか、第一の区間を走破することが出来た。

ここまで、おおよそ30分。
距離は車から2kmほどか。

すんごい県道であった。

 



 で、出た先は「置賜東部林道」。

しかし、綺麗に舗装されているな。
よもや、ここが主要地方道との交差点だとは誰も思わないだろうな。

 そう。

県道はこのまま林道をぶっちぎる。
あり得ないような道だが、これが県道なんだ!



 しかし、一縷の良心があるのか、一応その入り口には車両通行止めとの標識あり。

もっとも、何も知らない人が、敢えてこの道に入っていくとは考えられない。
どう見ても、すぐそこで行き止まりになっていそうだもの。
だが、地図上では確かにこの先にも県道はある。
大峠までは、あと1.5kmほどのようであるが…。





 交差点に立ち、来た方向を振り返る。

こちらに至っては、そこに道があるようにすら見えない。

林道があって、本当に良かった。
ここで一息付けなければ、本当に寂しくてどうにかなりそうな道だ。

いい加減、引き返さないと、時間的にも限界だな。




      以下、次回。








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