国道121号線 大峠道路及び大峠   その2 
公開日 2005.11.10



 霧の日中湖
 2005.9.24

2−1 霧の底へ


 日中(にっちゅう)ダムが作り出す「日中ひざわ湖」その右岸を取り巻くように、国道とは別の道が走っている。
この道は、かつて国道の工事用道路として建設されたものである。
私は、単調な国道を離れ、怪しげなムードを醸し出す、ミルク色の靄の奥へと漕ぎ出した。
そして、最終的に右の地図の通り通行することにした。


7:28

 バリケードで塞がれた工事道路はまず、国道の山側に分かれるが、すぐに国道の下に潜り込むようにカーブし、薬師橋の下を潜って、谷側へと移行する。
写真の通り、アスファルト自体はしっかりとしているが、流水によって運ばれた落石や土砂、草付きなどが路上に溢れかえっている。
通行量の全然無いアスファルトの宿命として、湿気ると滑るというのもある。
これは、特に2輪オブローダー(バイク・チャリ)にとって、由々しき問題である。
過去、何度“一見難の変哲もないアスファルト”で転んだか分からないからだ。


 かなりの急勾配で、霧の底へとぐんぐん下っていく。
滑りやすいので、人が駆け足するのよりも遅いくらいの速度で進む。
 

 一山を巻くと再び国道の方へ向き直るが、行く手に現れたのは、狭霧に浮かび上がった、巨大鉄橋の姿だった。

本橋は大倉沢橋といい、橋の長さは111mもある。
高さは目測だが、40m近くあるのでは無かろうか。
逆ランガーという構造で造られている。
これは、アーチ構造の一種で、剛性の高い桁を垂直の吊り材のみで支えている。
道路橋としては、大径間の橋でしばしば用いられている構造だ。

工事道路は一度沢に沿ってこの橋を潜り、そこで180度ターンして再び同橋を潜っている。


 ちょうどそのターンする場所には、小さな沢を跨ぐ暗渠が設けられているが、この上部にはご覧の滝が落ちている。
名前もない滝で、かなり情報に砂防ダムらしきコンクリート壁が見えているが、なかなかの迫力だ。
 

 急な下り坂は、何度目かのヘアピンカーブの先に、一応の終結を見る。
ここには、かつてゲートが存在していた痕跡があり、その先は湖畔のダム管理道路に合流している。
とりあえず、転倒の恐怖から解放された。
(大袈裟でなく、ここのアスファルトは濡れると本当に滑る。)


 いくらか進むと、沢を渡る橋が分かれた。
銘板を見ると大桧沢橋と書かれており、結構しっかりした橋だが、橋の袂に轍が見られないばかりか、対岸に渡ってびっくり、そこには歩くスペースさえ無かった。
どうやら、ダムを周回するような歩道なり車道が計画されたが、完遂せず放置された名残のようだ。

 このあたりも、ダムの水量が多いときには湖になるようだが、この日はあまり水は多くなく、この少し下流でやっと、水面が現れ始めた。
かなり崖が切り立っているのとこのガスのため、湖面はほとんど見えなかったが。
 

 法面に開けられた小さな祠に祀られた不動明王碑、錆びた刀剣も合わせて祀られていた。
なんだか、コンクリの片隅で苦しそうだ。
また、この斜面を流れ落ちている水は御利益があるようで、コップなどが用意されていた。

 付近にはこれとは別に、やはり法面に築かれたコンクリ製の小さな地蔵堂がある。
このダム湖によって沈んだ流域の守り神だったのだろう。
この道は下流側でも封鎖されていて、一般の人はなかなか近づくこともないだろうが。


 まるで、デジャヴのようだが、違う。
これはまた、別の橋だ。
さらに、一回り巨大な、逆ランガー橋が、遙か頭上を跨いでいる。
石倉沢橋(橋長134m)である。
橋の名前まで、さっきの橋に瓜二つだ。
これだけ高い橋になるとさぞ見晴らしも良いだろうと思ったが、やはりというか、この橋の袂にはダム湖を見晴らす展望駐車場があるとのことだ。

 

 50mほどの比高があろう。
一見均一に見える霧も、ぼうっと見ていると、実は細かな粒子の集まりであり、それらがやや濃淡を付けながら、思いがけず速い速度で流動しているのが分かる。
ときおり橋の上からダタンダタンと、列車のような音が少し間延びしながら届いてくる。

 地図上では重なり合う2点が、実はこんなにも隔絶している。
新鮮な感覚だ。


2−2 スーパーFXチップ

7:49

 まるで、一昔前のテレビゲームで、近づかないとポリゴンが表示されなかったかのように、深い霧に覆われた景色は、極近くのものしか私に認知させてはくれない。
近づくにつれ鮮明に浮かび上がってくるものを、期待感をもって待ち受けるのは、とても、楽しい。

 次に現れたのは、湖を渡る巨大な斜張橋の姿であった。
この袂で、今まで走ってきた湖岸道路のゲートがあり、一般の立ち入りは禁止されているようだった。



 この橋は、日中大橋という名が与えられている。
まさしく、日中ひざわ湖を一跨ぎにする、現在は日中林道の橋と言うことになっている。
対岸は日中林道にのみ繋がっており、さらに行けば最後は行き止まりのようだ。
私の行き先は、橋を渡った先にはないが、橋だけちょっと渡ってみた。



 異様な景色を、私は体験した。

霧によって大半の視覚情報を遮断された状況で、至って幾何学的な斜張橋をチャリという緩やかな速度で渡るとき、特にワイヤの先にある主塔の先端に視線を固定してみる。

すると、もちろん路面は見えないわけだが、ワイヤの位置から橋を踏み外す心配は全くない。
なんというか、ポリゴン世代よりさらに古い、ワイヤーフレームのような動きをする。
もちろん、処理落ちでカクカクしたりはしない、至って滑らかに、だが、色のない世界は、あの黒いモニターに白い線だけが浮かび上がったワイヤフレームを彷彿とさせるのだ。
奇妙な浮遊感をも、感じた。

動画

 ややもすると現実感のない霧の景色なのだが、橋の下を覗き込めば、目も覚める。
もの凄い高さだ。
死んだ魚の目のような色をした水面は、霧の色を写しているに過ぎないが、不気味だ。



2−3 日中ダム

8:00

 そして、日中ダムサイト。
このダムは、1971年に着工し、90年に完成した多目的ロックフィルダム。
同型式としては東北有数の規模だという。
たしかに巨大な堤体が対岸に向け伸びており、霧の先に行く手は見えない。
高さは101m、堤長は423mもある。
(現在秋田県内に建設中の森吉山ダムは、同じロックフィルダムで、堤長184m、堤長786mだ。)



 その長大な堤体上には車路があるものの、土日祝日の9時から17時の間のみ解放されているようだ。
人が歩く分には制限はないが。
それにしても、この標識のは…


 だんご … じゃないな

 おでん …でもない

そうだ!
 鳥ネギだ。




 ダムサイトを通り過ぎると、あとは一気に押切川の水面の高さに降りていく。
そのまま下っていっても、そう遠からず国道に合流できるし、むしろその方が近道であるくらいなのだが、国道も忘れないでねと言わんばかりに、右の山体に国道へ直結するトンネルが口を開けていた。
銘板もなく名前も知らない約100mほどの薄暗いトンネルを潜り、いくらか上り直し国道へ合流する。



2−4 国道はさりげなく終わる

8:05

 約3kmぶりに国道へ復帰。
ちょうどそこは今風の道路端の観光施設と、堅そうな道路管理事務所とが立ち並んでいる。
ここには、福島県大峠・日中統合管理事務所と、大峠道路管理所が建っている。




 右を見れば、事務所の建物の奥に、盛り土のような小山に口を開ける円筒形の坑口が見える。
これは、大峠道路上で主トンネルに次いで2番目に長い、日中トンネルだ。
延長は959mあり、立派な扁額が坑口上に飾られている。
大峠道路では最も初期に貫通した(昭和56年)トンネルである。
米沢・会津地方にとって歴史的な道路事業の玄関たる風格を十分に示している。



 国道を下り始めると、真っ直ぐで緩い下りが日中トンネルからずうっと続いている。
しかし、路傍には予告的にかなり怪しい感じの線形が描かれた標識が。
イラストを見る限り、この先トンネルと橋があり、それを過ぎると強烈なスプーンカーブになっているようだ。

 の文字が、なんだか期待感を煽る。
仙人峠の時のような、血湧き肉躍る国道を彷彿としてしまう。




 何かを期待しながら進むと、すぐにトンネルが見えてきた。
そして、また先ほどの標識と同じ、激しいカーブを描いた標識が現れた。
600mも先だというのに、速くもこれほど告知が必要であると言うことは、よほど…。

期待感は、嫌が応にも高まる。

 ちなみに、福島空港の青看もあるが、そこに告知された距離は驚きの3桁。
オイオイ…、ちょっと気が早いだろ。


 弥平トンネル(332メートル…何故か工事用銘板では「西沢トンネル」と記載)を潜ると、予告の通り、橋が現れた。
日中橋(170m)だ。
予告されていたほどのカーブが現れなかったことに少し失望しつつも、確かに、大回りのカーブが橋からその先に続いているのが見える。
なお、この橋の先の地点が、福島3工区の終点で、そのまま福島2工区にバトンタッチとなる。
そしてこの福島2工区(6.6km)は、さしあたり緊急性が高くないと言うことで、いまだ未開通である。




 この地点が、3工区と、未開通の2工区との切り替え点である。

フツーに道、続いているやん。

そんなツッコミが聞こえてきそうだが、実はここから先は国道ではない。
未開通の国道に代わって、一般県道日中喜多方線がしばしその任を負う。
国道だと思ってガンガン加速した車が、ビュンビュンとスプーンカーブへと飲み込まれていく。
よく見ると、ここで歩道が消えるばかりでなく、道幅自体も一回り狭くなっている。
写真では分かりにくいかも知れないが、確かにこのカーブ、初めてのドライバーだとちょっと焦るかも知れない。
何重にも予告標識があったのは、正解だと思われる。


 もともと押切川沿いの集落を結んでいた県道と、まだ十分に高度があり出来れば山腹を緩やかに下っていきたい国道とを、県道の延伸によって誕生したスプーンカーブの坂道が直結している。
先ほどまでの一直線の国道の延長線上には、スプーンカーブを跨ぐように、巨大な築堤が存在しており、真新しいトンネルと共に将来の開通の日を待っている。





 このあたりの新道工事は一段落したのか、重機などもなく、平日も工事が行われている気配はない。
そこに乗じて、ちょっと築堤の上に登ってみたり。

地図上にはまだ存在しないトンネルが、見える。


ちょっと だ け よ。


 「明ヶ沢第二トンネル」(全長319m)が、2003年に竣功されていた。
ただ、舗装と照明工事は未完である。


ちょとだけだよ。




 うおー。
結構できてんじゃん?!

おそらく第一トンネルと思われるものが、次の山に穿たれているのが見える。

しかーし。




 間に架かる橋はまだまだ橋脚だけの状態。
しかも、周囲に工事中のムードはなく、ちょっとこのまんまで放置されている気配。
予算が付かないのだろうか。

 いずれ、この先は無理。
諦めて、県道に従う事にする。



2−5 なぜか少し国道があったりもする

8:19

 かつては喜多方市街地とその北方の郊外農村地帯である熱塩加納村とを結ぶだけの行き止まりの3桁県道であった道が、思いがけず県境の国道バイパスの迂回路に指定されてから、かれこれ13年以上も使われている。
おそらく当時は1車線の場所もあっただろうに、現在はいっぱしの地方国道並みの改良がなされている。
センターラインのオレンジが、ただの農村の県道ではないことを物語っている。
その背後の山肌には、点々と新道のパーツが現れ始めている。
いずれ、この道は“妙に立派な”閑散道路に戻ることであろう。





 路線番号は、3の三つ揃い。

なお、この一風変わった(ように私には見える)ヘキサは、福島県内ではデフォルトだ。
どうしても、他県人の私にはしつこいように見える。
道路地図帳と対比して使うには、確かに便利なのだが、路線番号と路線名の両方が書かれ、しかも行き先まで表示してくれているとなれば。




 国道が県道に代わってから3.5kmほど進んだ場所に、平行して建設中の国道の一部がすでに開放されている区間がある。
ここは、ごく最近になって部分開通したもので、果たして前も後ろも塞がった国道がどうなっているのかを見たくて、ちょっと寄り道。
わざわざ国道に拘らず、真っ直ぐ県道を走った方が早いことは、言うまでもない。

 県道から、新しげな村道でちょっと国道予定線の方に進むと…、
確かに、そこには誇らしげな“おにぎり”を二つも戴いた真新しい青看があった。
しっかし、白いなー。 いや、“青い”なー。
右も左も見えないとは、まさにこのような状況を言うのだろうか?!


 他の工区の全てが開通し一般に大峠道路として供された日から、すでに13年を経過し、なお未完成の福島2工区だが、右の地図の通り、県道333号線で代用されている。
そのなかで、ごく最近にやっと開通したのが、熱塩加納村役場から三の倉までの約1700mである。
別段、何かがあるという区間ではなく、むしろ、何もないことが、国道としては想像を絶する通行量を実現する因となっている。
ある意味、見物だ。


 一方だけが解放された合流地点にて、国道121号線に復帰した。
見渡す限りの直線だが、見渡す限り車の姿はない。
歩道の標識があるが、それ以外の標識が見当たらず(青看はあるが)、なんか浮いている。
そもそも、歩道は法面からのさばってきたクズに覆われていて、
歩けないじゃん。
国道なんだから、ちゃんと草刈りくらいしろー。





 先行開通した1700mの間には、その起終点になっている(将来の)十字路1箇所ずつの他、途中にもう一箇所だけ青看の十字路がある。
なんか、かなりコアな番号の県道が賑やかそうですが(リーチ掛かりすぎ?!)、国道の行き先は、またも、
空白。




 一台の車にも、人一人にも出会うこともなく、先行開通区間のケツに到着。
強制的に県道383号線に降ろされて、終了。
ここは、熱塩加納村役場のすぐ傍だ。
ちょっと走って、また県道333号線に戻る。

今まで何とかもってきたのに、遂に雨が降ってきた。



8:43

 県道333号線に戻ってから、降り始めたら止まらなくなってしまった雨のなか、じっとりと濡れてくる足回りに不快さを感じつつ薄暗い農村を走ること少々、再び国道121号線とぶつかる。
ここが、福島2工区の終点であり、将来はこのT字路の右に、さきほどの部分開通区間の先が繋がる。
左は福島1工区となるが、もはや完全に山岳道路という性格は失われ、田園を切り開いて真っ直ぐに伸ばされたバイパスに他ならない。

そろそろ、旧国道のと合流が近づいてきたことを地図で確認し、左折する。




 道の駅喜多方「喜多の湯」はここにある。

この時間にもなると、今日は土曜日であるから、観光客と思われる大勢の人が軒下に集まっている。
私の他もう一人のチャリスト(彼はランドナーだった)が、偶然にも同じタイミングで軒下に入った。
実は私は、携帯電話を車に置き去りにしてきたらしく、それを確認するべく公衆電話を使いたかったのだ。
降り止む雰囲気を見せない雨のなか、彼とは声こそ交わすことはなかったが、参ったなというムードを互いに交わし合った気がする。

 止まっていて体が冷えてしまう前に、再出発となる。



9:13

 1工区4kmも淡々と終了し、そこには待ちに待った、旧道との合流地点である交差点が。

大峠道路として改良工事が為された区間はここで終わりだが、なお県で整備したバイパスは直進し、元々の国道だった道とは十字を切っている。
旧国道も青看の通り、喜多方市街側では主要地方道として活躍しているが、一方、お目当ての大峠側では…、

「市内 入田付」という、さして遠くもない市内の地名を指しているのみだ。


この段階で私は思った。

こいつは、
   終わったな。


 旧道と米沢側で分かれて以来、すでに23km余りを走行していた。
一方、これに対して旧国道では30km以上もの距離がある。
いろいろと寄り道をしつつも、2時間余りで峠を越え喜多方に達した。
果たして、車に戻るのは何時間後になるだろうか。

 不安と、期待が交錯する。


まあ、期待の方が遙かに大きいけど(笑)




 いよいよ、「本番戦」がはじまる。





その3へ

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