国道127号 旧道及び隧道群 明鐘岬編 第3回(2−3)

所在地 千葉県富津市・鋸南町
公開日 2007.5.21
探索日 2007.3. 6

こんな隧道、見たこと無い!

異形のトンネル 旧城山隧道


 2007/3/6 11:58 《現在地》

なんじゃこりゃ!

 いろいろな隧道を見てきた私も、流石にこれにはぶっ飛んだ!
これほどの異形の隧道。
流石に今まで人知れず存在していたわけではなく、「知る人ぞ知る」の状態で長らくあったわけだが、私にとっては全くの初見。
地形図一枚の他は、何一つ事前に情報収集を(敢えて)しなかったということが、ここで活きた。
その存在をあてにして来ていたのでは、これほどの驚きは無かったはずだ。

 しかしこの異常としか言いようのない断面は、何故に生じたものなのだろう。
富津市史にこの異形の隧道に関する情報はなく、実際のところ、どれだけの高さがあるのかさえ不明。
だが、チャリと比較してみても、10m以上あることは間違いない。マンションの3階くらいだろうか。



 並行する現在の城山隧道の竣工年や、古い地形図を見る限り、昭和18年まではこの道が房総半島を縦貫する幹線道路であった。
同年、それまでの県道千葉北条線が、軍事国道であるところの特34号国道に格上げされているのだが、それまで、大勢の一般の通行者の目に、この異形の隧道はどのように写っていたのであろう。

 現在は綺麗な舗装が施され、照明さえ点灯されている。(形状上、採光性能は抜群なので、日中は不要の気もする…)
旧隧道ではあっても廃ではなく、この先にある「灯籠坂大師」への唯一の車道として、利用されている。
それにもかかわらず、何らこの異形を説明する看板などが見あたらないことは、不思議である。
それなりに多くの隧道を見てきたと自負する私が言うのだから、この隧道がかなり変わっているのは間違いないはず。
町おこしに使おうなどと言う考えは、全くないのであろうか?

 見上げれば、それはまるで、巨大な地割れの底から地上を見上げるような景色だ。
なかなかお目にかかれない眺めに、私は首が痛くなるまで見惚れていた。まじびっくり。

 【撮影者の首が心配になる、隧道内部の動画】




 この写真は、旧城山隧道内部から木更津側の出口を撮影したものである。
隧道の全長は20m程度に過ぎないが、その前後には、隧道の天井の高さ(10m以上)よりも遙かに深い掘り割りが繋がっている。
むしろこれは、全長50mほどの掘り割りの中間部分にだけ、岩の天井が架かっている、そう言った方がしっくり来る構造だ。
巨大な彫刻刀で地面を深く直角に削ったようなそれは、通常の隧道の構造から見れば、まさに破天荒。

 このような形になった理由として、推定できる理由は二つ。
一つは、このような縦長隧道で最もありがちな原因なのだが、隧道の掘り下げ改良の結果、というもの。
ある隧道があって、この隧道自体は活かしたままに前後の勾配を緩和する方法として、古くは盛んに行われた工法である。(万世大路の栗子・二ツ小屋隧道などもこの例である)
この場合、天井付近だけは旧隧道のもので、それ以下は全て後から掘り直したということになる。
ただ、この隧道の場合はあまりに断面が巨大であり、この一般的な理由だけでは説明できないように思う。




 そこで、第二の理由が想定される。
それは、石材の切り出しのため、というものだ。
この巨大な岩場は全て、商品価値のある「房州石」という、砂岩や凝灰岩のようである。
隧道や前後の切り通しの角という角は、殆どが定規で測ったように垂直で、この地方で多く見られる石切場跡の状況に極めて酷似している。

 明治36年発行の地形図では既にその姿が描かれている本隧道。
はじめからこのような異形であったのかは分からないが、幹線道路として利用されている最中に切り下げを行うとも考えにくいので、最初からだったのか、或いは、旧道化してから後という事だろうと思う。


 この隧道の過去の姿について、何かをご存じの方は、ご一報をいただきたい。




 大きな疑問は解決されずに残るものの、私がいつまでもここに残るわけにはいかない。
まだ、全行程の半分も来ておらず、それどころか隧道に関しては、この先にさらに十本を超える旧・廃隧道が想定されるのである。

隧道を潜り、深い掘り割りの出口には、屋台のような建物と鳥居が見えてきた。
ここが、国道にも大きな看板を掲げていた灯籠坂大師であろう。

だが、何か様子がおかしい。




 縁起の良いものの代表格。だるまサン。紅白幕。

 それなのに、なに、この、いたたまれなさは。

 空気が異常に

             …乾いてる。



 紅白幕やダルマさんが飾られたその廃屋は、以前、お茶屋だったのだろう。
土産物も売っていたに違いない。
雨ざらしで、今にも倒れそうな廃屋に、無情を感じたことは言うまでもない。

 だが、私の興味は既にそこにはない。

そう。

こんな良いところに。
階段があるじゃないか…。




 旧城山隧道を 覗き込め! 


 12:04

 ここにチャリを置いて

 鳥居をくぐって



 この階段を上っていく。

でも、ずっと登っていたんでは、天辺のお社に着いちゃうから…。



 この辺から…    よじよじ


  よじよじ… 

   よじよじ…




 芝刈りされた斜面を少しよじ登ると、さっそくあの異形の穴が、さっきまでとはまた違う形で見えてきた。
こいつはワクワクするな。
もっと上へ、もっと上へ行きたい!

 できれば、あの坑門の真上まで!





 だが、こいつは意外に…というか、かなり恐い!

当然手すりなどというものはなく、しかも斜面自体は急な上に乾いた草が一杯生えていて、とても滑りやすい。
ズリッと片足が滑ったりする度に、そのままイケナイ方向へ体全体が引き込まれるのではないかという、とても現実的な恐怖があった。
一方で、クレバスのようなこの切れ目から離れて登ったのでは、景色が見れないというジレンマ。

私は、独り命がけの登攀をした。
これは大袈裟でなく、登れば登るほど、危険だし、すごく恐かった。



 木滝滝田滝田


 かなり、上がってきました。

 すごい!!

  たけーよ!

 すごいオトコだ!!






 来たぞ! 


 つか、これが限界だ。  勘弁。









 これが、坑口直上の壁。(掘り割りの限界高)
つまり、普通の隧道なら扁額のあったりする部分。

ここまで、路面から数えて20mくらいある。
恐いなんてものではなく、ちびりそう。
目眩がした。
高いところは相当に自信があるつもりでも、ここはちょっとキツイ。
なにせ、直角。
しかも、下がアスファルトで、 すごく …痛そう。
さらに、足元が落ち葉の斜面でえらく滑るもんで、中空に張り出したような大木に体に預けながら撮影したのだが、それでも恐い。
木だって、どこまで信用してイイかわかんねすし(←方言)…。


 【これは恐い! …本当に恐かった 「地獄覗き」 動画】



 現道への戻り 近未来鬼太郎ハウス出現! 


 12:10 

 下りが、実は登り以上に恐かった件は過ぎたる事として、異形隧道を後に先へ進もう。

あれだけ異様な光景の後だと、何でも平凡にしか見えない。
狭い舗装路を道なりに下っていくと、間もなく、前方に線路が見えてきた。
現道に合流するためには、今一度線路を渡るのであろう。



 あうつ。

またしても、踏切が取り去られている。
車の付いた乗り物は、これ以上先へは進めない。
まあ、チャリならゴニョゴニョすれば先行けるけど。

 この封鎖によって、やはり「アルプス」と「灯籠坂大師」に行く車道は、先ほどまでの隧道より他にないことが確認された。
アルプス登頂には不可欠な隧道と言うことか。
なお、素朴な疑問として、灯籠坂という坂はどこなのかという問の答えは、まだ出ていない。



 この、失われた踏切の山側に、ただ一棟。
ご覧の廃屋がある。
眼前には平坦な土地があるにもかかわらず、敢えて斜面に根を下ろし、空中に居住空間を設けた真意は何か?
それは、住んでいた人物が鬼太郎の血を引くからに他ならない。

冗談だけどね(笑)。



 無くなった踏切を越えて進むと、すぐに三叉路に行き当たる。
そこには、オレンジのセンターラインの2車線道。
ここで旧道は、竹岡の千歳橋以来1kmぶりに現道と合流する。

また、この角には、右写真の古い石柱が建っている。だが、途中の踏切が消えていることは、前述の通りである。



いよいよ、本格的な旧隧道との出会いを果たした私。

しかし、これはまだ、始まりに過ぎなかった。


 次回。

本当の意味での廃隧道が出現する!